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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
111/603

註十二、献帝と呂布

註12.

英雄記曰:初,天子在河東,有手筆版書召布來迎。布軍無畜積,不能自致,遣使上書。朝廷以布為平東將軍,封平陶侯。使人於山陽界亡失文字,太祖又手書厚加慰勞布,說起迎天子,當平定天下意,并詔書購捕公孫瓚、袁術、韓暹、楊奉等。布大喜,復遣使上書於天子曰:「臣本當迎大駕,知曹操忠孝,奉迎都許。臣前與操交兵,今操保傅陛下,臣為外將,欲以兵自隨,恐有嫌疑,是以待罪徐州,進退未敢自寧。」答太祖曰:「布獲罪之人,分為誅首,手命慰勞,厚見褒獎。重見購捕袁術等詔書,布當以命為效。」太祖更遣奉車都尉王則為使者,齎詔書,又封平東將軍印綬來拜布。太祖又手書與布曰:「山陽屯送將軍所失大封,國家無好金,孤自取家好金更相為作印,國家無紫綬,自取所帶紫綬以籍心。將軍所使不良。袁術稱天子,將軍止之,而使不通章。朝廷信將軍,使復重上,以相明忠誠。」布乃遣登奉章謝恩,并以一好綬答太祖。


(訳)

英雄記にいう、

当初天子が河東かとうわした時、

直筆の文書にて呂布を召し出し、

迎えに遣らせた。


呂布の軍には備蓄が無かったため

招致できず、使いを遣って上書させた。


朝廷は呂布を平東将軍に任命し

平陶侯に封じた。


使者が山陽の界亡(境目)に於いて

文書を失くしてしまい、

太祖(曹操)はまた自ら書状をやって

呂布に手厚い慰労を加えてやり、

天子を(許都に)迎えて

天下の平定に当たる意向を述べ、

併せて詔書により

講求して(その首に賞金を懸けて)

公孫瓚こうそんさん・袁術・韓暹かんせん楊奉ようほうらを捕えさせた。


呂布は大喜びし、再び使いを遣って

天子に上書して述べた。


わたくしが本当であれば

大駕たいが(天子の御車)を

お迎えにあがるべきでございましたが、

曹操が忠孝で、陛下を奉迎致して

許を都に定めた事を承知しました。


臣は以前曹操と交戦しましたが、

現在では曹操が陛下の保傅(守り役)となり

臣は外域の将となっております。


兵を率い、自ずから随行を願えども

恐らくは嫌疑なさる事かと存じます。


故に徐州で御処罰をお待ちしておりまして、

どうして良いか分からず

落ち着かずにおります」


また、太祖に返書し述べた。


「私は罪を犯した人間で、

首罪に処されるのが分相応でありますのに

(曹公は)自らお命じになって

私を慰労してくださり、

厚き褒称をあらわされました。


重ねて、袁術らの捕縛を

購求せんとの詔書を拝見致しました。

私は命と引き換えに事に当たる所存です」


太祖は更に奉車都尉の王則を

使者に遣って詔書をもたらさせ、

また平東将軍の印綬を封じて

呂布のもとへ赴き、拝命させた。


太祖の方でもまた手ずから

呂布に書状を送って述べた。


「山陽の屯営から、将軍の

失われた大書が送られてきましたぞ。


国家にはい黄金が無いので、

わたしは自ら家の好金を取り寄せ

改めて印章を作らせました。


国家には紫綬しじゅが無いので、

自ら帯びている紫綬を取りて

心の証としました。


将軍の使者は善良ではありませんな。

袁術が天子を称した際

将軍はこれを制されましたのに

使者は章書を通達して来ませんでしたぞ。


朝廷側は将軍を信頼しておりますゆえ

再び重ねて上書なされて

忠誠を明らかになさいますよう」


呂布はそこで陳登を遣って

章書を封じて恩沢に謝し、

併せて一本の好きひもを送って太祖に答えた。


(註釈)

日本でも「○綬褒章」ありますけど

あれも中国の印綬制度から来てるんすかね。


「印」はハンコ、「綬」は組紐で

中華君主が臣下に役職を授けるとき

その証として贈る、シルシです。


天子(献帝)は董卓に擁されて

洛陽から長安に引きずって行かれましたが


董卓は呂布がやっつけてしまい(192年)

その呂布は李傕りかくに追い出され、

李傕は統治能力がほぼ皆無で

更に同僚の郭汜かくしと仲違いして

長安はしっちゃかめっちゃかになります。


196年には、献帝は

李傕らの手から逃れて

洛陽に戻ってきていますが、

ここで曹操が献帝を保護したため

他の諸侯に対する

イニシアチブを獲得しました。

(進言したのは荀彧)



袁紹は、董卓が立てた皇帝に

擦り寄るのはイヤだったようで、

彼は劉虞りゅうぐを新皇帝に推してたんですが

劉虞は幽州を争って公孫瓚こうそんさんに敗れ

殺されてしまいます。



ここでの「英雄記」の記述によると

当初献帝は、曹操でなくて呂布に

「迎えにきてよぉ!!」

ってSOS出してるんですね。


「逆賊董卓を討った、忠臣呂布」

って認識になってるんでしょうか。


しかし呂布には

部下を食わせていくだけのゴハンがなく

モタついているうちに、

曹操に油揚げを持ってかれるのでした。


呂布の軍って略奪ばっかしてますが

単純にこれ、餓えてるからなんじゃ

ないですかね。


呂布は配下の兵にちゃんと

メシ食わせる事に苦心していて、

故に目先に利益が転がっていれば

すぐに食いついてしまう……と

そういう風にも解釈できます。


呂布には特に志がないので

昔の遺恨とかうんぬんより、

袁術と曹操とで、より良いポストを

用意してくれる方にシッポを振るでしょう。


ついこないだまで

曹操と兗州で争ってたのに

ちょっと甘い言葉使うだけで

この有様、可愛い人です。



劉備は

「コイツほんとその時々で

態度コロコロ変えるな」

とか思ってそう。



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