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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
106/603

註九、袁術「将軍に三つの大功あり!」

註9.

英雄記曰:布初入徐州,書與袁術。術報書曰:「昔董卓作亂,破壞王室,禍害術門戶,術舉兵關東,未能屠裂卓。將軍誅卓,送其頭首,為術掃滅讐耻,使術明目於當世,死生不愧,其功一也。昔將金元休向兖州,甫詣封部,為曹操逆所拒破,流離迸走,幾至滅亡。將軍破兖州,術復明目於遐邇,其功二也。術生年已來,不聞天下有劉備,備乃舉兵與術對戰;術憑將軍威靈,得以破備,其功三也。將軍有三大功在術,術雖不敏,奉以生死。將軍連年攻戰,軍糧苦少,今送米二十萬斛,迎逢道路,非直此止,當駱驛復致;若兵器戰具,佗所乏少,大小唯命。」布得書大喜,遂造下邳。



(訳)

英雄記にいう、

呂布が徐州に入った当初、

袁術に書状を送った。


袁術は返書で述べた。


「昔、董卓が乱を起こして

王室を破壊し、私の門戸に

禍害をもたらしました。


私は関東で挙兵して

いまだ董卓を屠り去ることが

できずにおりました。


将軍は董卓を誅殺して

その頭首を送ってこられ

私のために(賊を)掃滅し

恥辱に報讐してくださり、

私が当世で何者にも憚らず、

在世の時も死後に於いても

じなき様にしてくださいました。

その御功績の第一でございます。


昔、将軍の金元休が兗州へ向かい

封丘を詣でたばかりのところで

曹操に逆撃され、破られふせがれる所となり

流離さすらい併走して、滅亡に至りかけました。

将軍は兗州を破り、私が再び

遐邇に憚るもののなき様に

してくださいました。

その御功績の第二でございます。


私は生まれてより

天下に劉備という者がいるなどとは

聞いたこともありませんでした。

劉備が挙兵して私と戦火を交えましたが、

私は将軍の威霊によって

劉備を撃破することができました。

その御功績の第三でございます。


将軍は私に対しての三つの大功がございまして

私は不敏と雖も、死生を奉りたく存じます。


将軍は連年に渡って攻戦し、

軍糧が少ないために困苦しておられるとか。

今、米二十万斛をお送りし、

道路まで直接お迎えにあがります。


これで直ちに(兵糧の輸送を)止めず

絶えずまたお送りする所存です。


もし兵器や戦具の

欠乏する所がございますれば

大なり小なり直ちにお命じください」


呂布は書状を得て大喜びして

かくて下邳で造反した。



(註釈)

前ページのA.の部分のモトの記述です。



「死生不愧」は


死後も生時「も」愧じなく……してくれた

死後も生時「に」愧じなく……してくれた


前者で訳してましたが、後者もありそう。




英雄記だと、

「董卓の首を送ってこられ〜」

という記述がありますね。


范曄はこれを受けて、

呂布が長安脱出の時に

董卓の首を持ち出す場面を

追加したんだと思われます。



曹操にやられた、と袁術が述べている

「金元休」という人物については

このあと裴註で。

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