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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
105/603

九、温侯の神射

三国志9.

備東擊術,布襲取下邳,備還歸布。布遣備屯小沛。布自稱徐州刺史。術遣將紀靈等步騎三萬攻備,備求救於布。布諸將謂布曰:「將軍常欲殺備,今可假手於術。」布曰:「不然。術若破備,則北連太山諸將,吾為在術圍中,不得不救也。」便嚴步兵千、騎二百,馳往赴備。靈等聞布至,皆斂兵不敢復攻。布於沛西南一里安屯,遣鈴下請靈等,靈等亦請布共飲食。布謂靈等曰:「玄德,布弟也。弟為諸君所困,故來救之。布性不喜合鬬,但喜解鬬耳。」布令門候於營門中舉一隻戟,布言:「諸君觀布射戟小支,一發中者諸君當解去,不中可留決鬬。」布舉弓射戟,正中小支。諸將皆驚,言「將軍天威也」!明日復歡會,然後各罷。術欲結布為援,乃為子索布女,布許之。



(訳)

劉備が東へ赴いて袁術を撃つと

呂布は下邳かひを襲撃し奪い取り、

劉備は引き返して呂布に帰順した。


呂布は劉備を遣って小沛に駐屯させ、

徐州刺史を自称した。


袁術が将軍の紀霊きれい

歩兵及び騎兵三万を派遣して

劉備を攻撃すると、

劉備は呂布に救援を求めた。


呂布の諸将は主に述べた。


「将軍は常日頃から、劉備を

殺そうとなさっておいでなのですから

ここは袁術に手を貸すべきかと」


呂布は言った。


「それは違う。

袁術がもし劉備を破れば、

則ち、北にいる泰山の諸将と合従連衡して

私は袁術の包囲網の中に閉じ込められる。

劉備を助けぬわけにはいかんのだ」


すぐに歩兵千、騎兵二百を取り纏めて

馳せ往き、劉備のもとへ赴いた。


紀霊らは呂布が至ったことを聞くと、

皆兵を収斂して、敢えて再度

攻めようとはしなかった。


呂布は沛の西南一里に屯営を安置し

鈴下(護衛?)を遣って紀霊らに会見を請い

紀霊らの方でもまた、呂布とともに

飲食をしたいと願い出てきた。


呂布が紀霊らに述べた。


「玄徳は私の弟だ。

弟が諸君らに苦しめられているので、

救わんとしてやって来たのである。


私はもともと争いを好まない、

ただ、争いを解くのが好きなだけなのだ」


呂布は門番に命じて、営門の中に

一本の焦戟を挙げさせて、こう言った。


「諸君、

私が戟の小枝を射るから、観ていたまえ。


一発で命中すれば、諸君らは

攻囲を解いて去るのだ。


命中しなければ、留まって

勝敗を決するがよかろう」


呂布が弓を挙げて戟を射ると、

正確に小枝に命中した。


諸将は皆驚き、言った。


「将軍は天威である!!」


あくる日、また会同して歓待し

然るのちに各々引き上げた。


袁術は呂布と結託して

助けにしようと考え、

そこで、子のために呂布の娘を求めた。

呂布は婚姻を許可した。


(註釈) 

筑摩三国志の註に

戟の図解が載っておりました。

何メートル離れてたかはわかりませんが

呂布は赤丸で囲んだ、小枝の部分に

矢を一発で命中させたのです。


柄の部分が「1丈6尺」って書いてありますが

たぶん「6尺」の間違いだと思います。


4〜5mもある長柄の武器なんて

使いにくいですもん。



前回は曹操が陶謙攻めてる隙を

狙って攻め込んだ呂布でしたが、

今回は劉備が袁術討伐に

出かけた留守を狙っています。


信義に悖る行為で拠点を手に入れ

行政の長を自称するあたり、

やっぱり馬超と呂布って

性格が似てるような気がします。


三国志演義では、

曹操陣営が呂布と劉備の仲を裂くために


二虎にこ競食きょうしょくの計」


駆虎くこ呑狼どんろうの計」


などといった、超カッコイイ名前の

計略を実行に移してます。


結局、後者の策が当たって、

劉備は呂布に城を

奪われた事になっています。


ここで、呂布にやられて

逃げ出してきた張飛に、

劉備がかける言葉がかっこいいんす。



・横山三国志の劉備


「我々三名(劉備・関羽・張飛)

お互いに至らぬところのある人間だ。


その欠点や不足を補い合って

初めて一体の兄弟と言えるのではないか。


私だって凡人だ。

凡人の私がなぜ、お前にだけ

神の如き万全を求められよう。


もし、今日のことを恥と思うならば

生きてその恥をそそげ。


わかったな、張飛……」




・蒼天航路の劉備


「眠らねぇで来たのか益徳?


生きててくれて

ほんとよかったよぉ。


けどよ…………

おめぇって口ほど強かねぇな」オヒゲブチ-



前者の張飛は泣きじゃくり、

後者の張飛は口をあんぐり、

どちらも一見の価値ありです。



また、袁術配下の将軍で一番

有名だと思われるのが

ここで登場した紀霊きれいです。


演義では、三尖刀さんせんとうの使い手で

関羽と20合打ち合っており

関羽に瞬殺された華雄や顔良よりも

強そうな雰囲気を出しています。


しかし張飛にはまったく歯が立たず。

関羽に善戦できたのも、

関羽が疲れてたからでは……??


などと思えてしまって、

やっぱりその実力には疑問符が付く

かわいそうな御仁なのでした。



得意の口八丁と弓術で

紀霊たちを丸め込んで

劉備の危機を救った呂布ですが、

誰の味方で誰と敵対してるのか

毎回よくわからなくなります。



「玄徳……弟よ!助けに来たぜ!」


「俺はもともと争いごとが嫌いなんだ!

争いごとの仲裁をするのは好きだがな!」



このあたりのセリフの

適当に出まかせ言ってる感が堪らない。



後漢書です。


新規の部分をAパートとして

三国志と被ってる部分を

Bパートに分けてみましたが

文字数がえげつない事に。


Aだけご覧ください♪



後漢書9.

A.

時劉備領徐州,居下邳,與袁術相拒於淮上。術欲引布擊備,乃與布書曰:「術舉兵詣闕,未能屠裂董卓。將軍誅卓,為術報恥,功一也。昔金元休南至封丘,為曹操所敗。將軍伐之,令術復明目於遐邇,功二也。術生年以來,不聞天下有劉備,備乃舉兵與術對戰。憑將軍威靈,得以破備,功三也。將軍有三大功在術,術雖不敏,奉以死生。將軍連年攻戰,軍糧苦少,今送米二十萬斛。非唯此止,當駱驛復致。凡所短長亦唯命。」布得書大悅,即勒兵襲下邳,獲備妻子。備敗走海西,飢困,請降於布。布又恚術運糧不復至,乃具車馬迎備,以為豫州刺史,遣屯小沛。布自號徐州牧。術懼布為己害,為子求婚,布復許之。


後漢書10.

B.

術遣將紀靈等步騎三萬以攻備,備求救於布。諸將謂布曰:「將軍常欲殺劉備,今可假手於術。」布曰:「不然。術若破備,則北連太山,吾為在術圍中,不得不救也。」便率步騎千餘,馳往赴之。靈等聞布至,皆斂兵而止。布屯沛城外,遣人招備,并請靈等與共饗飲。布謂靈曰:「玄德,布弟也,為諸君所困,故來救之。布性不喜合鬥,但喜解鬥耳。」乃令軍候植戟於營門,布彎弓顧曰:「諸君觀布射小支,中者當各解兵,不中可留決鬥。」布即一發,正中戟支。靈等皆驚,言「將軍天威也」。明日復歡會,然後各罷。



(訳)

A.

当時の劉備は徐州を領して下邳に居り、

袁術と淮水で互いに防ぎ合っていた。


袁術は呂布を味方に引き入れて

劉備を撃とうとし、そこで

呂布に書状を送って述べた。


「私は関東から兵を挙げて

いまだ董卓めを屠り去ることが

出来ずにおりました。


将軍は董卓を誅殺し、私のために

恥辱を雪いでくださったことが

御功績の第一でございます。


昔、金元休が南方の封丘に至った折

曹操のために敗れた事がございましたが

将軍はこれをち、

私はまた、遐邇かじ(遠近)に

目を見張らせるようになりました。

これが御功績の第二であります。


私は生まれてより、

天下に劉備という者がいるなどとは

聞いたこともありませんでした。

(そんな無名の)劉備が挙兵して

私と戦火を交えましたが、

私は将軍の威霊によって

劉備を撃破することができました。

これが、御功績の第三であります。


将軍は私に対しての三つの大功がございまして

私は不敏と雖も、死生を奉りたく存じます。


将軍は連年に渡って攻戦し、

軍糧が少ないために困苦しておられるとか。

今、米二十万斛をお送りします。


ただこの一回で(兵糧の輸送を)止めず、

絶えずまたお送りする所存です。


凡そ過不足がございますれば

ただちにお命じください」


呂布は書状を読んでたいそう喜び、

そこで兵を率いて下邳を襲撃し

劉備の妻子を捕えた。


劉備は海西へ敗走し、

飢餓に苦しんで、呂布に降伏を願い出た。


呂布はまた、袁術の運んでくる糧秣が

いまだ到着せぬことにふしこり、

そこで、車馬を用意して劉備を迎え

豫州刺史と為して小沛に駐屯させた。


呂布は自ら徐州牧を号した。


袁術は呂布が自身を害することを恐れ

子供の婚儀を求めたが、

呂布はまたこれを認めた。


B.

袁術は将軍の紀霊ら

歩兵及び騎兵三万を派遣し

以って劉備を攻撃し、

劉備は呂布に救援を求めた。


諸将は呂布に述べた。


「将軍は常日頃から、劉備を

殺そうとなさっておいでなのですから

ここは袁術に手を貸すべきかと」


呂布は言った。


「それは違う。

袁術がもし劉備を破れば、

則ち、北にいる泰山の諸将と合従連衡して

私は袁術の包囲網の中に閉じ込められる。

劉備を助けぬわけにはいかんのだ」


すぐに歩兵騎兵千余りを率いて

馳せ往き、劉備のもとへ赴いた。


紀霊らは呂布が至ったことを聞くと、

皆兵を収斂して、攻撃を中止した。


呂布は沛の城外に駐屯し

人を遣って劉備を招き寄せ、

ともに紀霊らに会食を請うた。



呂布は紀霊に述べた。


「玄徳は私の弟だ。

弟が諸君らに苦しめられているので、

救わんとしてやって来たのである。


私はもともと争いを好まない、

ただ、争いを解くのが好きなだけなのだ」


そこで、軍候に命じて

営門の中に戟を挙げさせた。


呂布は弓を構え、

周囲を顧みながら言った。


「諸君、

私が戟の小枝を射るから、観ていたまえ。


一発で命中すれば、諸君らは

攻囲を解いて去るのだ。


命中しなければ、留まって

勝敗を決するがよかろう」


呂布がすぐに一発(矢を)放つと

正確に小枝に命中した。


諸将は皆驚き、言った。


「将軍は天威である!!」


あくる日、また会同して歓待し

然るのちに各々引き上げた。


(註釈)

「令術復明目於遐邇」が……


明目を「目を見張らせる」って

そのまんまの意味で訳したんですけど、


筑摩訳だと「大きい顔ができる」

って訳してあります。


「明目張胆」的な意味合いで、

呂布のおかげで、

何者に憚ることなく、我が物顔に

振る舞えるようになった!


ってニュアンスの方が、確かに

文脈的に筋が通ってます。




「三国志」の袁術は最初から

呂布のことを拒絶してたっぽい

ニュアンスですが、


「後漢書」の袁術は当初

呂布のことを厚遇していました。


さらに、袁術から「出て行け!」と

言ったわけではなく、

呂布が功績恃みにつけ上がってるのを

自ら不安に思って出て行ったのです。


呂布を殺そうとした袁紹ほどには

袁術との関係は切れていない、

と判断していいんでしょうか。



袁術の言によると

劉備はまだ無名に近いんですね。


劉備が身を寄せていた

公孫瓚と陶謙は袁術の仲間です。


袁術が袁紹・曹操に敗れた時

陶謙は独立を目論むも

寿命が来てしまったので

劉備に徐州の統治権を譲ります。

当時の劉備は袁術にその地位を

開け渡そうとしていたのですが

結局敵対する事になりました。


「三国志」に入る前段階は

敵味方が激しく入れ替わるのが

いかにも群雄割拠って感じで、

地盤が固まっちゃって戦局が動かない

本チャンの三国時代よりも

こっちの方が面白い、って声を

よく聞く気がします。


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