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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
103/603

八、張邈、お家断絶

三国志8.

邈從布,留超將家屬屯雍丘。太祖攻圍數月,屠之,斬超及其家。邈詣袁術請救未至,自為其兵所殺。


(訳)

張邈は呂布に従い、

張超を留め家族を率いさせ

雍丘に駐屯させた。


太祖は数ヶ月攻囲してこの拠点を落とし、

張超及びその家族を斬殺した。


張邈は救援を要請しに

袁術を詣でようとしたが、

到着する前に自軍の兵に殺された。



後漢書8.

邈詣袁術求救,留超將家屬屯雍丘。操圍超數月,屠之,滅其三族。邈未至壽春,為其兵所害。


(訳)

張邈は救援を求めて袁術を詣で、

張超を留め家族を率いさせ

雍丘に駐屯させた。


曹操は張超を数ヶ月包囲し、

この拠点を落とすと

その三族を皆殺しにした。


張邈は寿春に到着する前に

その兵によって殺された。



(註釈)

三国志、後漢書ともほぼ同じ記述です。


袁術は193年に曹操に破られ

本拠地を揚州に移しています。


張邈は袁術に救援を求めに行く

その途上で兵に殺され、


雍丘ようきゅうに残った張超とその三族は

曹操に皆殺しにされました。


この時、何としてでも

張超を助けるべく、もと配下の臧洪ぞうこう

袁紹に「兵馬を貸して欲しい」と

要請していたのですが、

袁紹は許可しませんでした。


果たして張超は族滅されてしまったため

臧洪は袁紹のことを大変恨んで

絶交したといいます。

結局彼も袁紹に殺されてしまうのですが……



自身が亡き後には、家族の面倒を

頼もうと思っていた張邈の

その家族に、逆に手を掛けざるを

得ない状況に陥ってしまった曹操。

乱世の無常さを感じずにはいられません。


後世の我々の視点からなら

いくらでも好きな事は言えますが

王道か覇道か、この時点ではまだ

誰にも正解は見えていないのです。

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