表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
100/603

六、張邈

三国志6.

張邈字孟卓,東平壽張人也。少以俠聞,振窮救急,傾家無愛,士多歸之。太祖、袁紹皆與邈友。辟公府,以高第拜騎都尉,遷陳留太守。董卓之亂,太祖與邈首舉義兵。汴水之戰,邈遣衞茲將兵隨太祖。袁紹旣為盟主,有驕矜色,邈正議責紹。紹使太祖殺邈,太祖不聽,責紹曰:「孟卓,親友也,是非當容之。今天下未定,不宜自相危也。」邈知之,益德太祖。太祖之征陶謙,勑家曰;「我若不還,往依孟卓。」後還,見邈,垂泣相對。其親如此。呂布之捨袁紹從張楊也,過邈臨別,把手共誓。紹聞之,大恨。邈畏太祖終為紹擊己也,心不自安。



(訳)

張邈ちょうばくはあざなを孟卓もうたくといい、

東平国寿張県の人である。


若い頃から侠気おとこぎで知られ

困窮する者を助け、

急難にある者を助ける事に

家を傾けてしまなかったので

多くの者が彼に帰服していた。


太祖(曹操)と袁紹は、

ともに張邈の友人であった。


公府に召し出されて

高位で及第し、騎都尉きといに拝され

陳留ちんりゅう太守にうつった。


董卓の乱が起こると、太祖は張邈とともに

首魁として義兵を挙げた。


汴水の戦で、張邈は衛茲えいじを遣って

将兵を率いさせ、曹操に随行させた。


袁紹は盟主になったのち

驕り高ぶっている様子があり、

張邈は正論を議して袁紹を責めた。


袁紹は太祖に張邈を

殺害させようとしたが、

太祖は聴き入れず、袁紹に述べた。


「孟卓は親友ですぞ。

是非を見極めて受け入れなさい。

今、天下はいまだ定まらず

自ら危難を招くのは宜しくないかと」


張邈はこれを聞くと、ますます

太祖に恩を感じるようになった。


太祖は(徐州の)陶謙の征伐にあたり

家族に命じて言った。


「もしも私が帰ってこない時は

孟卓を訪ね、彼を頼りなさい」


のちに帰還し、張邈とまみえると

向かい合って涙を流した。


太祖と張邈の親密さは

かくの如くであった。


呂布は袁紹を捨てて張楊に従ったが、

その途上、張邈と別れるに臨んで

ともに手を取り合って誓いを立てた。


袁紹はこれを聞き、大層悔しがった。


張邈は、太祖が結局は

袁紹のために自分を

攻撃するのではないかと恐れて

内心落ち着かなかった。


(註釈)

後漢書と比較するために

敢えて変なところで文切っています。

ご了承くださいませ。


189年に霊帝れいていが没すると、

その混乱に乗じて董卓が洛陽らくようへ入り

(何進と袁紹が呼んじゃった)

諸侯に対する主導権を握ります。


190年に、袁紹が盟主に据えられ

反董卓連合が結成されるのですが、

数だけ集めたのはいいものの

曹操や張邈、孫堅そんけんら以外はヤル気がなく、

(官僚ばかりで軍事経験ある人少なかった?)

自然に連合は瓦解していきました。




劉備は98%連合に参加していませんが、

三国志演義では末席に名を連ねており、

この時こそが劉備と曹操の

ファーストコンタクトになります。


(「英雄記」では劉備も

董卓討伐の兵を挙げています)


のちに三国一の大勢力を築く曹操ですが

駆け出しの頃は当然兵力は心許無く、

この時董卓の武将の徐栄じょえい

汴水べんすいでこっぴどくやられています。


曹操自身もかなり危ない状態まで

追い詰められたのですが、従弟の曹洪そうこう


「天下に俺がいなくたって何も変わらんが、

天下はあんたを必要としてるんだぁっ!!」


と言って曹操に馬を貸すんです。

曹洪かっけぇええええええ!!!!!!!


孫堅もまた曹操同様徐栄に破られましたが

その後も果敢に董卓に挑み続け、

陽人で呂布・胡軫こしん華雄かゆうらを破り、

追い詰められた董卓は

洛陽を焼き払って、長安へ遷都します。


孫堅つええええええええ!(子供か



張邈ちょうばくは後漢末の名士の1人で、

袁紹や曹操とも仲良し……の筈なんですが

袁紹は自分にちょっと逆らったからって

張邈を殺そうとしてるんですよね。


袁紹が張邈を殺すと言った際

「張邈は親友だぞ!」と庇う曹操。


曹操が後に司馬懿を殺そうとした際

「司馬懿は親友です!」と庇う曹丕。


やっぱり親子なんやな〜、と思いました。




張邈が任じられたという

騎都尉きとい」は皇帝直属の

羽林うりんという部隊を司る役職です。


曹操もこの役職に就いた事がありまして

ともに将来有望な青年将校って雰囲気です。



曹操は自分の身に何かあったときに、

家族に「張邈を頼れ」って言うくらいに

彼を信頼しているのですが…………


続いて後漢書です。


ほとんど同じ内容ですが、

袁紹が張邈を殺そうとするくだりが

ちょっと違っています。



後漢書6.

邈字孟卓,東平人,少以俠聞。初辟公府,稍遷陳留太守。董卓之亂,與曹操共舉義兵。及袁紹為盟主,有驕色,邈正義責之。紹既怨邈,且聞與布厚,乃令曹操殺邈。操不聽,然邈心不自安。


(訳)

張邈はあざなを孟卓といい、東平の人である。

若い頃から侠気で知られた。

初め公府に召し出され、

だんだん昇進して陳留太守となった。


董卓の乱が起きると、

張邈は曹操とともに義兵を挙げた。


袁紹が盟主になるに及んで

驕る様子があったため、

張邈は正論を議して袁紹を責めた。


袁紹はこれ以来張邈を怨んでおり、

かつ、彼が呂布を厚遇していると聞いて

そこで曹操に張邈殺害を命じた。

曹操は聴き入れなかったが

張邈の心は落ち着かなかった。




(註釈)

当たり前のことかもしれませんが、

三国志は「太祖」と書いているのに対し

後漢書は「曹操」と呼び捨てにしてます。


魏晋にとっての曹操は

王朝の基礎を築いた偉い人ですが、


後漢は別に一臣下の曹操に対しては

憚る必要ないですからね。



だいたいの内容は同じですが、

「後漢書」の方では

袁紹が張邈を殺そうとした動機が

ちょっと異なってますね。


1.調子に乗ってるのを張邈に注意された

2.張邈が呂布を抱き込んでいる



1のことがきっかけで、ちょっと

袁紹と張邈の仲にヒビが入ってしまい、

2が決定打になったんでしょうか。


「後漢書」の袁紹は、呂布のことを

相当恐れてる感じなので……


ここの描写は「三国志」よりも

腑に落ちる感じがいたします。


劉邦の時代の張耳ちょうじ陳余ちんよなど、

親友だったはずの二人があとあと

仲違いして殺し合いになるのとか聞くと

なんとも遣る瀬無い気持ちになります。


近いところでは李傕りかく郭汜かくしもですね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ