3.だから私は歌い続ける②
◇ ◇ ◇
あれからどれくらいの日数が過ぎたのだろうか。
深い森を進んでいると、空もよく見えず、時間の感覚も分からなくなる。足の感覚はとうの昔になくなっていた。
翼はいまだ回復せず、レミナはひたすら歩き続けた。
リックに再び逢うために。リックを助けるために。
「リック……リック……」
呪文のようにつぶやいていると、大樹が見えてきた。
その大樹に寄りかかるようにして、誰かが倒れている。
「リックっ⁉」
レミナは人影に向かって駆けだした。
近づくほどに確信する。人影はリックだった。
だが。
「リッ――」
すがりつく一歩手前で立ち止まる。そのあまりに陰惨な光景に。
リックは剣で胸を貫かれ、大樹の幹にその身体を縫いつけられていた。
翼は無残にむしり取られ、顔はずたずたに引き裂かれ、ぼろ雑巾のように手足が投げ出されている。
どう考えても死んでいるような状況で、しかしリックは生きていた。
「ぐ……あ……」
苦悶にゆがむその顔は、目に見えて回復が進んでいる。
永劫死罪。身体寿命の進行を止め、死なせることなく、死に至る苦しみを一億年の永きに渡って与え続ける刑。
「リ……ック……!」
口元に手を当て、膝を突く。
「……ごめ……なさ……」
私のせいで。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
私のせいで。
私があなたとの自由を望んだせいで。後悔が駆け巡る。
と、「キケケッ」という声がして顔を向ける。
木々の陰から飛び出てきたそれは、涙ににじむ視界では余計に歪に見えた。
がりがりに痩せ細った小柄な身体。だけど頭だけは異様に大きい。
執行鬼。その嗜虐性から、罪人に残酷な罰を下す役割を与えられた種族。
執行鬼はぴょんぴょん跳んでくると、あっという間にリックのそばまで来た。レミナの存在は眼中にないかのように無視し、リックの口へと手を伸ばす。
その様子を目で追い、リックの胸元を中心に、小石のような物が大量に落ちていることに気づく。血にまみれてよく分からないが、それは白くとがっていて、まるで――
(歯……? でも明らかにひとり分より量が多い……)
そこまで考え、はっとする。
永劫死罪は、楔となる剣で罪人をむしばみ続けると同時に、癒やし続ける。苦しみを与えるために。
(これら全ての歯が、もしリックのものだというのなら……)
ぞくり、と背筋に寒気が走る。
「ケケケッ」
執行鬼は楽しそうに口をゆがめ、リックの口に指を突っ込み――
「やめて……やめてよっ!」
レミナは無我夢中で執行鬼に飛びかかった。
「ギケッ⁉」
「やめてよ! リックにひどいことしないで! お前なんか……! 弱者にしか強く出れない、惨めな小鬼の分際でっ!」
執行鬼をリックから引き剝がし、地面へと押し倒す。そばに落ちていた赤子の頭ほどの石を両手でつかみ、必死の形相で殴りつけた。何発か繰り返すと、執行鬼は悲鳴を上げて逃げていった。
「リック大丈夫っ⁉」
石を投げ捨て彼のそばに座り込み、ようやっと話しかけると。
「……てくれ」
「リック?」
リックはうつろなまなざしで、こちらに気づいた様子もなく続けた。
「……殺して、くれ……もう嫌だ……ちゃんと、死にたい……」
心臓を鷲づかみにされたような心地だった。
建前とはいえ不死を望んでいた彼が、今は死を切望している。
震える指で、リックを刺し貫いている剣に触れる。
永劫死罪の楔である剣を抜くことは不可能だ。それ以前に、自分がそれを抜きたいのかも分からない。
ただ懇願するリックに導かれるように、手は動いていた。
力を込める。
「違う……」
「え?」
顔を向けると、リックはうつろなまなざしのまま、己の前言を否定した。
「違う……俺は、生きなきゃ……約束したんだ……レミナに、必ず逢いに行くって……だから……生きなきゃ……」
たまらずレミナは、自分の顔をリックの眼前へと近づけた。胸に手を当て、
「私……私よリック! 私はここ! 逢いに来たの! 私が今あなたを――」
「生きるんだ……レミナに逢うために……」
「リック……?」
「生きるんだ……」
リックはやはりレミナを見てはいなかった。
はるか彼方にいるはずのレミナを見て、目の前のレミナを見ていなかった。
こんなにそばにいるのに、声も涙も届かない。
「なんで……こんなことに……」
ぼろぼろとこぼれる涙を拭いもせず、レミナは嗚咽した。
あんまりではないか。
世界のために何千年も祈って。
何千年も世界を護って。
少しだけ、夢見ただけなのに。
愛する人との自由を願っただけなのに。
そのせいで愛する人が、一億年の苦しみにとらわれている。
「っ……」
レミナは号泣した。号泣して――
「――っ⁉」
頭に旋律がはじけた。
それはまだ思い出していなかった、最後の旋律。
罪を背負って世界を癒やす、贖罪の歌。
「罪を背負って……癒やす……」
(それは、永劫死罪の罪さえも……?)
レミナは恐る恐る口ずさんだ。自分の期待が、的外れだったときのことが怖くて。
リックがうめく。
身体中の傷が癒えていく。胸から流れ出る血が止まった。
永劫死罪の執行は続いている。
(けれども痛みは、肩代わりできる……?)
胸に広がる激しい痛み。
しかしレミナは喜んで受け入れた。苦痛に顔をゆがめながらも、歌うことは決してやめない。
ささやくような歌から、レミナは少しずつ声量を上げていった。
リックの表情が穏やかなものへと変わっていく。
(大丈夫よリック。一億年なんて、あっという間)
歌は止めずに、自分の額をリックの額にくっつける。それだけで全てが伝わるとでもいうように。
身体寿命を止めたまま一億年の刑期が過ぎれば、リックは解放される。
(それまでゆっくり、休んでね……)
眠るように目を閉じたリックに微笑み、レミナは彼の傍らに座り込んだ。
痛みはつらくない。リックを護れている証しだから。
時を止めた彼の隣で、彼の時が動きだすのを待つ。
罪業の地の果てにいても、空は変わらず空だった。
蒼穹の下、レミナは歌い続けた。
◇ ◇ ◇
私は歌い続けます。あなたに届くよう、私の全部を捧げます。
今度は絶対に忘れないから。
一億年後に逢いましょう。
お読みいただき、ありがとうございました。