消えゆく記憶
7歳になった。
俺はどうしてしまったのだろうか。最近元の世界のことを忘れることが増えてきている。
稽古が忙しいからか、ノアと獲物を狩れるのが嬉しいからか、エリカと遊ぶ日が楽しいからか・・・。そんな言い訳をしてしまうくらいに、俺はだらけてしまったのか。
日に日に元の世界の記憶が薄れてゆく。しかし、俺自身はそれを深刻に思っていない。
どういうことだ。
何が起きている。
そもそも転生自体がわけが分からないんだ。悠長なことを考えている場合ではない。
ただ、確実に言えることが一つある。元の世界へ戻れれば全てを思い出せるということ。これだけは自身を持って言える。
それに必要なのが知識を得ることで、そのためには聖騎士となり得られる情報の質を上げることだ。
大丈夫。
俺は大丈夫。
俺は勇者で魔王を殺す存在。
これだけ覚えていればいい。
いや、もっと簡単だ。
元の世界に帰る。
これだけだ。
覚えておく必要があるのは。
元の世界へ戻れば、俺が勇者だと皆気づくし、魔王が死んでいない以上魔物の侵略は続いているわけで、必然的に俺が魔王を殺すことになる。魔界へだってまだ踏み入れていないのだ。
バラクにアイオス、リリと一緒なら魔界だって問題なく突破できるはずだ!
だから、だいじょうぶ。
きっと、だいじょうぶ。
◇
8歳になった。
最近何か大事なことを忘れちゃった気がする。
何故だろう。本当に大切な・・・忘れちゃいけないものだった気がするのに。
それに、時々覚える不思議な感覚。
俺が別の世界の人間だった夢をみたりするんだ。なんなんだろう、この不思議な感じは。
俺の父さまは父さましかいないのに、たまに別の人も浮かんできたりする。不思議だな。
「ウルマ! 呆ける暇などないぞ!」
いけね。父さまと訓練中に余計な事を考えてる暇はないな。
本当、鬼みたいに厳しいんだから父さまは。それでも、小さいときからの夢である聖騎士になるためには、どんな厳しい修行でも付いていくけどな!
―――――
―――
―
「ウルマ君! 行こう!」
ッ!!
エリカの声だ。
「母さま! 早く早く! エリカが来ちゃったよ!」
「もうちょっとだからね・・・はい、できたわよ! ウルちゃんとエリカちゃんの二人分のお弁当」
ウルマに急かされながらも、てきぱきとお弁当を包んでゆく。
(はぁ・・・。私の大切なウルちゃんはエリカちゃんばっか追っかけちゃって・・・母さまは寂しいわ・・・)
いじけながらもお弁当をウルマに手渡すヘスティア。
「ありがとう母さま!」
「いってらっしゃい、ウルちゃん。エリカちゃんのこと泣かしちゃダメよ?」
「当たり前だろ! 行ってきます!」
(その笑顔が見れれば、母さまは満足よ)
元気いっぱいに手を振りながら駆けて行くウルマを、ヘスティアの暖かな眼差しが見送っていた。
◇
俺たちは村の近くに流れている川へ遊びに来ている。上流に進むにつれて森のほうへ入って行くけど、この森も今では俺の庭のようなものだ。ノアと二人でくまなく探検したし、出てくる獣も、今では魔物だって倒せるんだ。
「森のほうは水が冷たいんだね!」
「そうなんだよ。上にいけば行くほど冷たくなるんだ! けど、一番上に行っても凍ってないって父さまが言ってた」
「えー! そうなんだ! こんなに冷たいんだもん。一番上は凍ってそうなのにね!」
エリカとの水遊びは楽しい。いつも厳しい訓練が続いてるけど、不思議とエリカと会えば疲れなんてなくなるんだよね。なんでだろう。
「ふぅ、遊んだ遊んだ! ご飯にしようぜ!」
「うん! ウルマ君のお母さんのお弁当すっごいおいしいよね!」
エリカと二人。仲良く母さまに作ってもらったお弁当を食べる。
うん。やっぱり母さまのつくるご飯は旨いな。
「そういえば、最近ミリルたちはちょっかい出してこないか?」
ミリルとは、ルーラン村に住むいじめっ子で、三馬鹿トリオをはべらせている、女王様みたいな奴だ。前は良くエリカにちょっかいを出していたけど、最近はあまり見かけないな。
「ミリルちゃんも10歳になったから、畑仕事がんばってるんだよ」
オーラン村では、10歳になったら親の仕事を手伝い始め、15歳になったら成人し一人前として認められる。母さまに聞いたら、どこの村も大体同じって言っていた。
「ようやくか。エリカはずっと前から畑仕事していたのに、ずっとちょっかい出してきてたからな。あいつらは」
「そうだね。この前会ったときに『もう畑仕事なんて嫌!』って言ってたよ」
「すぐに根を上げるところは変わってないな」
以前、俺が始めてエリカたちと会った次の日、ミリルたちは俺が遊んでいないってことを確認するために、父さまとの訓練を見学しに来た。父さまはそれを見てなぜか喜んで見学を許し、いつもの訓練の様子をミリルたちに見せていた。
強さに惹かれたのだろう。それ以降俺に特訓させてくれと言ってきたが、父さまの訓練内容よりも激甘な特訓をしたのに、すぐに根を上げ飽きて辞めてしまったのだ。困ったものだな。
「ふふっ。ウルマ君は厳しすぎるんだよ」
「全然厳しくなかったよ! エリカも俺が普段やってる修行は知ってるだろ?」
「あれは・・・うん。あはは」
「笑って誤魔化すなよ! まったく!」
やっぱり父さまの修行は厳しいんだよ! よく小さいときの俺は耐えられたもんだ。
「それよりも、エリカはミリルたちと仲良くなったんだな」
前は見かけるだけで脅えていたのに、まるでそれが嘘だったみたいだ。
「うん・・・。前にミリルちゃんが謝りに来たんだ。今までごめんねって。それからは、いろいろ話すようになったんだ。そしたら私のお母さんの事も分かってくれた」
ミリルのお母さまは病弱で、いつも床に臥せり看病が必要なんだ。そんなお母さまのために、ミリルは俺が訓練を始めたころから畑仕事をして、ご飯を分けてもらっていたらしい。
もちろん父さまに母さまがエリカたちをほっとくわけもなく、ご飯を作ったり食材をまわしたりと手を出していたらしい。村を護る騎士として、村人を守るのは当たり前だよな、うん。
「それもこれも全部ウルマ君のおかげだよ」
急に、エリカがそんなことを言い出した。
「なんでそうなるんだ? エリカがずっとがんばってきたから、ミリルたちもエリカを認めたんだろ?」
「ううん。違うよ。ウルマ君が私を救い出してくれたから、私も一歩踏み出せたんだよ」
エリカは懐かしそうに目を細め、こちらを見てくる。
「初めて会ったときの事・・・覚えてる?」
「もちろん。空き地の時のだろ?」
「そう。ウルマ君、あの時私に手を差し伸べてくれたよね」
脅えてへたり込むエリカを連れて行くため、俺は手を差し伸べた。あの時は何をするにも俺の後ろについてきてたエリカだが、今では違う。変わったな。
「私がどうしていいかわからなくて戸惑ってても、ウルマ君は手を差し伸べたまま、ずっと待っていてくれた」
「凄い嬉しかった。『来い!』って言ってくれた事も。ぎゅっと握ってくれた手も」
「こんなに暖かいんだなぁって。お母さん以外で初めて思ったの。私を見てくれる人がいるんだって」
「それからウルマ君は私の中では英雄なんだ! 憧れなの! 私もいつか、ウルマ君に相応しい、横に立てるような立派な人になれるようにがんばるんだ!」
なんだろう。
顔が焼けるように熱い。
いつもは完璧に身体操作が出来るのに、今は俺の言うことをきいてくれない。耳のすぐ傍で、爆発しそうなほど脈打つ心臓が、けたたましいほどうるさく鼓動を刻んでいる様だ。
「えへへ。なんだか恥ずかしいね・・・」
エリカは頬を仄かに朱に染め、俯いている。
「は、恥ずかしくなんかないさ! お、俺はそんな立派な奴じゃないけど・・・いつの日か、本当の英雄になって見せるぜ!」
言葉ではそう言ったが、もう恥ずかしすぎておかしくなってしまいそうだ。
俺はそれを隠すために、深めの川へ飛び込んだ。
「キャッ! お弁当にも水かかっちゃうよウルマ君! それにまだ残ってるよ! 早く戻ってきなよ!」
「魚捕まえるよ! ここのは焼くと凄く美味しいんだ!」
慣れた動きで水中深くへと潜ってゆく。
まったく、何で俺はあんな恥ずかしいことを・・・。
まだ顔が熱い。
冷たいはずの水も、今は心地いいな。
エリカやミリルたちは無理だと言っていたが、父さまに鍛えられた俺は長い間水に潜っていられるし、魔力で身体能力を上げてるから、魚だって手で掴める。
どれにしようかな・・・。お! でっけえやつがいるな。あれなら二人で食べれそうだ。
二人・・・エリカと二人で食べる・・・ッ!!!
ダメだろダメ! あいつはだめ! 2匹捕まえればいいだろ! そうだ、そうしよう!
どいつにしようかな・・・。
この辺でいいか。
適当に泳いでいる魚を二匹捕まえる。母さまは魚が好きだし、後で何匹か捕まえようっと。
エリカの下へ帰ろうと水面へ上がろうとし、魔物の気配に気づいた。
―――ッ!!
油断した! ここは森の中。いつ魔物が来てもおかしくないんだ! いつもは十分すぎるほど警戒してるのに、今に限って恥ずかしさで意識が逸れていたなんて! クソッ!!
「エリカッ!」
水面に上がってまず目に飛び込んできたのは、大きな虎。筋肉が肥大し、目の焦点は定まっていない。大きく開いた口からは幾筋もの涎を垂らし、エリカを餌として狙っていた。
異形。
一目で分かる獣との差。
目の前の生き物は、いや、生き物と呼ぶのすらおこがましく感じるほどの化け物は、正に魔なる物。
そんな化け物が、エリカの目の前に迫っていた。
「う、ウルマ君!」
「大丈夫だ! 任せろッ!!」
大きいな。今まで見た魔物の中では一番大きいぞ。
歪な虎は、体格に見合った大きな前足を振りかぶり、エリカを圧死させようと、ぐるんぐるん動く眼で狙いを定めている。
大丈夫。間に合う・・・いや、間に合わせてみせる!!
魔力を速攻で練り上げ、身体能力を極限まで高める。
エリカの傍においてある俺の剣。それを取る事もせず、俺はエリカへ迫る攻撃を生身で受け止める。
「グゥウウッ!!」
これだけ大きな魔物であっても、鍛え抜かれた俺の身体に全力で注ぐ魔力の力が合わされば、攻撃も何とか受け止められた。
なんとかだ。やばいぞ・・・想像以上に強敵のようだ。
「えいっ!!」
押し切られる。そう思った瞬間、エリカが俺の剣を抜き放ち、俺が受け止めている魔物の前足に切りかかった。
けれどそんな攻撃では薄皮すら切れない。前足を覆う毛に阻まれてしまう。
だが魔物はそれを嫌がった。いや、怒ったのだ。餌が抵抗を見せたから。
ガッガァゴォオォォオ゛オ゛オオォォオオオオッッッ!!!!
凄まじい怒鳴り声を上げ、その声量だけでエリカは弾かれてしまう。
だが、油断したなクソ虎がぁあああああ!!
怒声をした刹那。緩まった前足を受け流し、弾かれたエリカの手からこぼれた剣を掴み取る。
この距離。一撃で仕留めなければエリカが危険だ!
狙うは一点。生きとし生きるものの弱点である心の臓。
グガギィイイイガァアアア!!!!
魔物は先程に負けぬ大声量で威嚇し、鋭い爪を突き立て振り下ろしてくる。
男を見せろウルマッ!!
後ろには守りたい者がいるんだ!!
エリカを守れずしてなにが聖騎士だッ!!!
「うぉぉぉおおおおおおおッ!!!!」
単純な質量の差に加え、奇妙なまでに爆発的に発達している筋肉にアシストされて振り下ろされる攻撃。そんな攻撃を子供である俺が受け止められるわけがない。
全力で地面を踏みしめ、助走などせずに最高速度を出す。剣に魔力を流し、足らぬ力は膨大な魔力で補う。身体に魔力を循環させ、焼けるように熱い心臓が脈動する度に、全身に力が行き渡る。
全身全霊の一撃。
先程と同じように振り下ろされた攻撃を置き去りに、俺は一本の矢の如く魔物の懐へ入り込む。
「醜悪な力に身を任せたお前の負けだあぁああああ!!!!!」
一閃。
振り上げた剣が心臓を切り裂き、魔物を両断する。自身の攻撃の反動により、切り離された上半身が回転し辺りへ血を撒き散らした。
はぁ・・・はぁ・・・助かった。血のおかげで、今頃吹き出てきた汗が隠せる。いや、もともと水に入っていたんだ。どうとでも誤魔化せたか。
初めて死を意識した。いつもは魔物が相手でも、こちらが狩る側だった。相手の不意をつき、一撃で仕留めてきた。
不意をつかれ、これほど強大な魔物と戦ったのは初めてだ。まさか、死を意識するのが・・・いや、死を意識し生き残った後・・・こんなに辛いなんてな。あやうく夢を諦めるところだった。
「ウルマ君ッ!!!」
エリカは、迷うことなく俺に抱きついてきた。返り血でどろどろに汚れているにもかかわらずだ。
ああ、暖かい。俺はこの暖かさを守るために、戦えたんだな。
抱きしめる。守るべき大切な人を。
「エリカ・・・俺は決めた。聖騎士になるぞ」
「うん・・・! うん・・・!! ずっと夢だったもんね! こんなに強いんだもん・・・ウルマ君ならなれるよ!」
「ああ、絶対なってみせる。そして、俺はお前を絶対に守ってみせる。何があっても・・・絶対にだ!!!」
強く強く抱きしめる。
この思いを二度と忘れないために。