プロローグ 後編
目が覚めると、俺は王国の城にいた。
王城にある客間の一室。ふかふかのベッドに横たえられていた。
俺が目覚めてすぐに駆けつけた兵士に話を聞いたところ、魔界へ繋がる空間の亀裂が閉じ、俺は塞がった歪みの前に倒れていたらしい。そこから王城へと運ばれ、そのまま1ヶ月も眠りについていたという。
どうやら、魔王は俺との約束を守ってくれたようだ。
国中では、魔王討伐を祝って連日連夜お祭り騒ぎが続いているそうだ。一ヶ月経った今でも、城下町の喧騒が聞こえてくるほどの活気だった。
結局、魔界から帰ってこれたのは俺だけであった。バラクもアイオスも、遺品すら持ち帰ることができなかった。リリの形見であり俺を救ってくれた宝具も、その役割を全うし粉々に砕け散ってしまった。
本当に、俺しか魔界から帰ってくることはできなかった。
「・・・ふぐっ・・・うぅぅうう・・・・・・!」
聖母のように優しく、どんなに辛い旅でも片時も笑顔を絶やさなかったリリ。
遊び人のようにおちゃらけていたが、ここぞというときに頼りになったアイオス。
厳しく無骨で、けれどどこか優しく、父親の影を重ねていたバラク。
人類を救うために戦ったあの仲間達は、もういない。
堰を切ったように涙が溢れ出す。ただただ、彼らと旅の終わりを分かち合いたかった。酒を飲み、笑い合いながら旅の苦労を語りあいたかったッ・・・!
ベッドに横になりながら、いろいろなことを考えた。それは仲間のことだけではない。魔物のこと、魔界のこと、魔王のこと。
魔王は言っていた。魔界の辛さから逃げるために人界へと攻め入ったと。
魔界は辛かった。気が狂い壊れてしまうほどに。魔物は俺の知る魔物と違っていた。人のように生活し、日々を必死に生きていた。
そして、一つの疑問が生まれた。
―――魔物は本当に悪なのか。
その疑問が頭を離れない。
悪とは使い勝手のいい言葉だ。自分を害する者は、総じて悪と言ってしまえばいいのだから。その理屈で言えば、人間に害を与える魔物は悪なのだろう。
しかし、魔界で生活していた俺にとっては、魔界に暮らす魔物たちを悪だと断定することはできない。
だからといって、皆が手を取り合う世界は、永遠にやってこないだろう。人の魔物に対する概念が変わるとは思えない。
人間は分からないものを恐れ、それを排しようとする生き物だ。それは、今までの魔物との戦いの歴史が物語っている。
魔物の軍勢の中には、魔王しかり会話ができる魔物もいたはずだ。けれども、対話をした記録などどこを探しても無いだろう。
だからこそ、俺たち人類は魔界との境界をより強固にする必要がある。
魔物には悪いが、弱肉強食のこの世界だ。俺にできることは、魔物が人界へ攻め入り無益な殺生が起きぬよう、境界の守りを固めるくらいだ。
それが、人類のために戦った勇者としての最後の仕事であり、魔王に魔界を封じ込ませた俺の責務だ。
人間も魔物も幸せにすることなどできない。エゴだろうとなんだろうと、俺は人間のための平和を築き上げるだけだ。
ただ・・・。
俺は右手を閉じたり開いたりを繰り返し、感覚を確認する。体内の魔力を循環させ、確信する。
神の加護が消えていることに。
魔王がいるから勇者が存在し、勇者がいるから魔王が存在する。表と裏。光と影。善と悪。相反しながらも、互いがいなければ成り立たない関係。それが勇者と魔王だ。
神の加護に未練は無い。それが魔王がいなくなった代わりというのであれば、未練などあるはずも無い。
これで、本当に終わったんだという思いだけがあった。
「・・・目が覚めたようだな」
考え込んでいたら、何者かに声をかけられた。声のする方を見れば、入口にこの城の主である国王陛下が立っていた。数人の護衛を引き連れながら、こちらを見ている。
「ッ!! へ、陛下!」
「よい。楽にしておれ」
急ぎベッドから飛び降りようとする俺を手で制し、王が室内へと入ってくる。護衛の兵士が室内のランタンに火を灯し、明かりをつける。
気がつけば、時刻はすでに夜になっていたようだ。ランタンの光だけでは薄暗く、王の表情は分かりにくい。
だが、きっと魔王討伐の知らせが俺の口から出ることを楽しみにしている、そんな顔をしているんだろう。
「魔界が閉じ、勇者であるお主がここにいることで察しはついておるが・・・。勇者よ。お主から直接報告をしてはくれまいか? 此度の魔王討伐任務の結果を」
王はゆっくりと室内を歩き、ベッドの横へと来る。
身体の傷は魔法で治ってはいるが、魔法で疲労を癒すことは出来ない。腕を動かし身体を傾けるぐらいはできるが、鉛のように重く感じるこの身体では、王の言葉に甘えて横になりながら報告するしかなさそうだ。
「報告します。魔王討伐の任務、仲間の力を借りることで、達成することが出来ました。魔王を・・・魔王を討ち取りましたッ!」
「うむ。大儀であった」
王は厳かにそう言い、一つ頷いた。
報告を終え、俺の全身からも力が抜ける。これで、これで本当に全てが終わったんだ・・・。
あまりにも大きすぎる犠牲を出しながらも、生涯を賭して行った任務の達成に身体は打ち震え、共に戦った仲間たちの誇らしさで胸がいっぱいであった。
だが、まだ報告は終わりではない。魔界は閉じているが、それは俺の命が続く間だけだと報告し、より強固な砦の建設を提案しなくては。それが、人類の平和への一歩なのだから。
しかし、俺が口を開く前に、王の言葉には続きがあった。
「・・・実は、な。帝国で不振な動きがある、という報告を受けたのだ」
重々しく、王は言った。
『戦の準備よ。戦争だ。王国と帝国はお前が魔王殺しの称号を持って帰れば、すぐさま戦争を始めるだろう』
ドクンッ、と心臓が跳ねる。それはまさに、魔王の言っていた言葉の通りではないかと思って。
「なんと愚かなことか。詳しく調べさせた結果。帝国は戦争の準備をしておったのだ・・・。魔王討伐という栄光を掲げ、勇者と共に平和を享受する我々王国へ攻め入り、王国を取り入ろうとするために、やつらは戦争を始める気なのだ!」
嫌な予感というのは当たるもので、魔王の言うとおり帝国は戦争の準備を進めていた。
「な、何故ですか!! 魔王を倒し、魔界は閉じたのですよ!? 平和が・・・人類が望んだ平和が訪れたというのに!!」
俺には理解できなかった。
平和を取り戻すために、魔物と戦ってきたというのに。魔物という脅威が去った今、人同士が争う理由が全く理解できなかった。
「何故・・・かは分からぬ。だが、近いうちに必ず、やつらはこの王国へと攻め入ってくるということだけは、わかっておる」
それはどうしようもない事実。
そして、帝国が戦の準備をしている間、王国は何をしていたのか。指をくわえて、その様子を見ていたわけではあるまい。
「・・・魔王を討伐し、心身共に疲弊していることは分かっておる。十分な休息をとるのだ勇者よ。・・・その後、王国軍を率いて帝国の蛮族どもを撃滅するのだ」
有無を言わさない口調。そこには、一国を統べる王の威厳が含まれていた。
『お前が人界に戻れば戦争が始まるぞ。お前は何のために戦っておるのだ?』
魔王の言葉が蘇る。
そうだ。俺は人を殺すために戻ってきたんじゃない。人を救うために戻ってきたんだ。
「・・・戦争を回避する術はないのですか? 魔物の脅威が去り、一体何のために戦うというのですか?」
「回避することは出来ん。あちらが攻めてくる以上、どんな理由であっても引くことは出来ない。それが民を護る王の務めだ」
王の態度は頑なだ。話し合いを放棄し、来るなら迎え撃つという、いたってシンプルであり浅慮な考えだ。
『戦争とは、王を潤すために行われる。戦争とは、貴族が自由を謳歌するために行われる。戦争とは、強者が弱者を嬲り嗜虐心を満たすために行われるモノだ』
そんなわけがない。違うはずだ。王が民を思わずして、国が成り立つはずが無い!
同時に、戦争は止められないということも理解できてしまう。王の言葉通り、民を護るために攻めて来る敵を迎え撃つというのは、至極当たり前のことであったから。
それでも、対話もせずに、戦争を避ける努力もせずに迎え撃とうなど、俺からすれば怠慢もいいところであった。
「・・・陛下。命に背くことをお許しください。私は・・・王国軍を率いることは出来ません」
「・・・理由を聞こう」
「私は人類の平和を望み、不浄の地とされる魔界へ赴き魔王を討ち果たしました。・・・私が救った民を・・・人類を! この手で殺すことなど出来ません・・・」
「それが、王国の民を殺すためにやってくる、帝国の人間であってもか?」
「はい。私にとっては、同じ人間です」
王国だから良くて、帝国だから悪いなんて考えは、今の俺には無かった。それは帝国で生まれ育ったアイオスが、国が違うだけで争うことの馬鹿馬鹿しさを俺に教えてくれたから。
「・・・どうあっても、王国のために剣を取ることはないと言うのか?」
「私が剣を取るのは、王国のためではなく人類のためです。申し訳ございません」
それが俺の偽らざる本音。未だ魔物の脅威が去っていないのに、人類同士での戦争になんか参加できない。そんなことをしたら、仲間に向ける顔が無いじゃないか。
「そうか。・・・いつの間にか、一丁前に言うようになったじゃないか。だが、勇者ならばそう言うとも思っておったがの」
「陛下・・・」
ランタンに照らされた王の顔は、どこか諦めたような、それでいてすっきりしたような顔をしていた。
「・・・衛兵。この者を捕らえよ。反逆罪であるぞ」
「ハッ!!」
王の後ろに控えていた兵士が、俺を捕らえるためにベッドへと寄ってくる。
・・・捕らえる? 一体だれを? 反逆罪? 一体だれが?
王は呆然とする俺に背を向けながら、衛兵へ向けて言葉を続ける。
「そやつにはもう神の加護は無い。疲労で動けないはずだが、油断はするな。魔王殺しの化け物だ」
「へ、陛下ッ!? どういうことですか!!」
重い身体を無理やり動かそうとするが、それよりも先に衛兵達に地面へ転がされ、上から押さえつけられる。後ろ手に魔封じの枷を付けられ、身体の自由と魔力を封じられてしまう。
神の加護などなくとも衛兵如きに遅れは取らないが、今の俺には王の言葉を理解しようとすることで頭がいっぱいであった。
「なに。戦争を始めるというのには、それなりに準備が必要ということだ」
勇者ではなく、揺られるランタンの火を見ながら王は続ける。
「お前は良くやった。まさか本当に魔王を殺してくるとはな・・・。おかげで民は大いに浮かれておるわ」
ようやく、王は勇者へ振り向く。ランタンの灯りを背にしているため、表情は読めない。だが、先ほどまでの雰囲気とは異なり、恐ろしいまでに冷酷な雰囲気を醸し出している。
「勇者・・・いや、元勇者よ。お前には戦争を始めるための、プロパガンダとなってもらう」
無慈悲に、冷酷に、感情の無い平坦な声で、王は続ける。
「平和とは、人を肥えさせ賢くさせる。賢い民などいらぬ。いるのは、王である余の言葉を盲目に信じる、愚かな民だけだ」
昔のお前のように、な。
そう、確かに王は告げた。
息がうまく吸えない。冷たい床に押し付けられているからでもなく、疲労で身体が動かないからでもない。王の言葉を、身体が受け入れず拒否しているからだ。
その言葉で、自身の根幹ともいえる何か大事な柱が折れた・・・そんな気がした。
王はそんな俺に冷たく、底冷えのするような視線で一瞥し、去っていった。
俺はそんな王に・・・何も言えなかった。
◇
眼下には多くの民がいる。仲間が文字通り命を賭してまで救った命。しかし、そこにいる者たちの目は、敵意に染まっている。
一体、お前たちは王に、俺が何をしたと言われたのか。
憎悪、怨嗟、憎しみ。負の感情に満たされた目で俺を見てくる。それは、王の言葉のみを盲目に信ずる、王が望む民たちの姿だ。
罵声と共に石が飛んできた。それを皮切りに、濁流のような負の感情が、実体を伴って俺に叩きつけられる。
飛んでくる物は石だけではない。卵に林檎に木の棒に。俺に命中すれば歓声すら沸きあがるような状況。それはまるで一種の娯楽のようですらあった。弱きものを正義の名のもとに蹂躙する遊び。それは悲劇か喜劇か。
ゆっくりと、処刑人が階段を上がってくる。
俺は、こんなもののために命をかけて戦ってきたのだろうか。仲間達は、なんのために死んでいったのか。
「王様だっ!!」
「陛下よ!」
「王様ーーー!!」
横を見ると、王が処刑人と共に処刑台へ昇ってきていた。
王の望む愚かな民達を見て笑っているのか、王の表情は、あの日に見せた冷酷な顔ではなく、俺が良く知っていた柔和な笑顔をしていた。
「・・・元勇者よ。お前は良くがんばった。褒美に、私が最後の言葉を聞いてやろう」
顔は民衆に向いたまま、王が言う。
俺は視線を王から民へと向ける。これから起きる事も知らずに、ただただ勇者を処刑するというイベントを楽しもうとしている、民達へ。
『魔王を倒して、皆が笑顔で生きられる世界にしましょうね!』
『早いとこ平和にしねーとな! 待たせてる女が数え切れねぇ程いるんだ!』
『剣を握らずとも生きて行ける世界というのも、見てみたいものだな』
これが・・・これが俺たちが望んだ世界だというのか? お前らは、平和を手に入れたくはないのか? 少しはおかしいと思わないのか? 一体なんて言われればそこまで信じられる? 今お前たちの前には、渇望してやまなかった平和が転がっているというのに!!
「人間は・・・人間は、なんと愚かで・・・醜いんだッ・・・!!」
それは目の前の民であり、横にいる傲慢な王であり、そして俺自身も。
俺が死ねば魔界の歪みが再び開くということを、俺は最後まで言わなかった。そうすれば大勢の犠牲が生じる事を知っているのに。勇者のいない世界で、押し寄せる魔物の群れを準備もなく止める術などないことを、よく知っているのに。
あれだけ、人類の平和を望んでいたのに。
・・・ああ、俺も・・・人間だっんだ。
「何を今更。・・・やれ」
処刑人が斧を高々と振り上げる。
そして、俺の人生は幕を下ろす―――はずだった。