プロローグ 前編
過去に書いて放置されていた物語です。
別作品で、『ブサイク男の下剋上~ブサイクが逆転世界で、賢者と呼ばれるまでの物語~』を連載していますので、併せて読んでいただけますと幸いです。
人は尊い。どんな絶望の淵に立とうとも決して諦めず、希望を掲げる。愛と慈しみの心を持ち、過ちを正すことができる。
これが、つい最近まで人について抱いていた感情だ。
26年も生きてきて、こんな空虚で薄っぺらく、怖気を振るうほど耳障りの良い言葉を信じていたのだから笑えてくる。
神はきっとお救いになる。時に試練を与え、我々人間を試すこともあるでしょう。ですが善行を積み、清廉で潔白な人間となれば、神はきっとご加護を与えてくださります。
これが、無知蒙昧に信じ続けた、神官が謳っていた言葉だ。
残念だが、神にとって清廉潔白かどうかなんて関係ない。神という存在がいるとすれば、それはきっと人間など区別のしようもないだろう。
髪の色も、肌の色も、性別も、聖人君子も咎人だって関係ない。
小さな違いこそあれど、きっと神から見れば、人間は平等だ。人間が家畜を見分けられないのと一緒で、きっと神も人間を見分けられないのだろう。
―――だから、こんな不幸が生まれるのだ。
俺はこれから死ぬだろう。
どこで間違ったのか。残り僅かな時間で、これまでの人生でも振り返ろう。
眼下には、俺に罵声を浴びせる、俺が救った人間共がうじゃうじゃ見える。・・・いや、俺がこれから見殺しにする人間、の方が正しいか。目を血走らせている者もいれば、悲壮な顔をしている者も、愉悦で顔が歪んでいる者もいる。
俺は結局、なんのために戦ったのだろうか。
膝をついて首を差し出しながら、これまで歩んできた人生を振り返った。
◇
俺が生まれ落ちたこの世界には、王国と帝国という二つの大国が存在する。二つの国は互いを飲み込まんと、いつ終わるとも知れない戦争を繰り返していたそうだ。
それはまさに泥沼のような戦争であった。各地で起こる小競り合いのような紛争、大義名分を掲げた聖戦という名の略奪。戦力の何もない取るに足らない村へ攻め入り、男を嬲り女を陵辱する、そんな戦だ。
両国とも本腰を入れた出陣はせず、まるでこの戦争を長引かせるように、二つの大国は戦いに明け暮れていた。
働き手である男は徴兵され、税は減ることなく国に徴収される。街道には戦争で夫を失った妻達が、日銭を稼ぐために行き交う男たちを誘う、そんな光景が日常のような時代であった。
明日のことすら考えられない時代の最中、世界の終わりと呼ばれる地の果てにて、扉は開かれた。大きくひび割れたような空間の切れ目から、大小さまざまな魔物がこの世界へ雪崩れ込んできた。
そう、魔王軍の襲撃であった。
魔王は強力な魔物を配下に収め、人界へと攻め入ってきた。その勢いは苛烈を極め、数百年争い続けていた王国と帝国が停戦協定を結んだほどであった。
――停戦。人類存亡の危機におかれてなお、終戦ではなく停戦なのである。その対応に、人間の浅ましさが垣間見えるというものだ。
魔族の進行は日に日に進んでゆく中、人類もただやられてばかりではなかった。一人の男が神の加護を受け、並み居る魔物たちを屠り、魔界へと押し返すことに成功した。
その者は後に勇者と呼ばれ、その男をきっかけに、人間たちの中から神の加護を受ける者―――勇者が現れるようになった。しかし、一つの時代に神の加護を授かる者は必ず一人しかおらず、勇者が重なる時代は決して存在しなかったという。
歴代の勇者の尽力により、魔王をはじめとした魔族を追い返した人類は、一時の平和を手に入れた。しかし、それだけで魔王の侵攻が終わるわけではなかった。
一度開いた魔界との結界は閉じることはなく、押し返してもなお魔物は結界から湧き続けた。
魔界より止めどなく侵攻してくる魔物たちが人界へ侵略するのを防ぐために、人類は魔界へと繋がる扉の前へ要塞を築き上げ、魔物たちと日夜戦った。
人類と魔王の軍勢の力は拮抗していたが、やがて勇者のおかげもあり、魔物たちの侵攻も少ない犠牲で防げるにまで至った。
魔王が現れて300年。人間の適応能力とはかくも高いもので、今だ魔界との境界では戦いが繰り広げられている中、人々は我関せずと束の間の平和を享受していた。
人類が永らく待ち望んでいた平和。その平和は、皮肉にも魔王によって人間同士が争わなくなったことで齎されたモノだった。
そして、人類はとうとう魔界への侵略を決意した。
『魔王を討ち倒さなければ真の平和は訪れない』
その言葉を胸に、勇者を筆頭に数人で結成されたパーティが、魔王を討つべく魔界へと旅立つことが決まった。
魔王討伐の任務を賜る栄えある今代の勇者、名をロイ。俺のことだ。王国の辺境の村に生まれた、いたって普通の男だった。
俺が暮らしていた村は、王国ではどこにでも見られるような小さな村だった。そんな村の農家の長男として生まれた俺は、6歳の時、王国の神託の巫女により、神の加護を授かっていることがわかった。
そこからのロイの人生は、180度変化した。
畑を耕したことしかなかったロイは、勇者としての鍛錬を積むため、王国へ連れてかれることとなった。
王国へ行く前夜、家族との最後の晩餐には、自分にだけステーキが出された。肉なんて、それこそロイが生まれてから数えるほどしか食べることが出来なかったのに、初めてあんな塊の肉を食べた。あの味は今でも思い出せる。
そして出発する際、口数も少なく厳格で怖かった父親が、涙を流しながら抱きしめてくれた温もりも・・・今でも思い出せる。
王国へ行ってからは地獄だった。毎日毎日血反吐を吐きながら訓練を受けた。折れていない骨は無いと思うほど毎日身体を壊され、徐々に徐々に戦う身体へと変えられていった。
斬られては魔法により回復し、指一本すら動かせないほど打擲されてはポーションにより回復をさせられる。剣の扱い方は、死の淵に立ち続けることで嫌でも覚えていった。俺には剣しかないのだと、魂に刻まれるほどに苛烈な訓練だった。
そして15歳のとき、ロイは魔王討伐のための旅に出た。
といっても、すぐに魔界へと向かうわけではない。魔王の侵略時、魔物の大多数は討伐ないしは魔界へと追い返すことに成功している。
しかし、大量に押し寄せた魔物を全て駆逐することは不可能であり、今もなお人界に根を張り暴れている魔物は数多くいる。
ロイはこれまでの勇者同様に、そんな人界に生きる魔物たちを狩り、魔物との戦闘に慣れてから、魔界への侵攻をするよう指示されていた。
そこから数年。あてもなく街や村を彷徨い、魔物の災厄から民を守る旅へと出かけた。
そんな旅であっても、仲間達は魔物に殺され、新たな仲間を見つけ、また殺されてを繰り返し、日に日に心を削ぎ落とされるような辛い日々を送っていた。
時には、救援のために駆けつけた村に間に合わず、被害が出てしまう時もあった。そんな時は、決まって彼らはそれを俺たちのせいにした。
お前達がもっと早く来ていれば、と。魔物が野放しにされているのは勇者の責任だ、と。
被害がでた村を助けて素直に感謝されたことは、数えるほどしかないんじゃないだろうか。なんのために戦っているのか見失わないように、必死に魔物と戦い続けるのは、辛く苦しい戦いの日々であった。
だが、まだそれは良かった。魔界に比べれば、はるかにマシだった。
とうとう魔界へ侵攻することとなった。魔界は不浄の地。旅は過酷という言葉では生ぬるいほどの壮絶なものであった。
昼夜問わず襲い掛かってくる魔物たち。毒の沼や霧が晴れない森、あまりの暑さに時おり爆発まで起きる砂漠に、吐いた息すら凍りつく極寒の地。
そんな土地で食料が手に入ることは無い。魔界で俺たちが食ったモノは―――殺した魔物たちだ。
それは、動物や植物型の魔物だけでなく、オークやゴブリンのような人型に、蟲の魔物まで等しく食べた。
そんな生活を続けていたんだ。ゆっくりゆっくりと・・・俺たちは壊れていった。
最初に壊れたのは、賢者であるリリだった。
彼女は俺たちのパーティで唯一の女性であり、魔界という過酷な旅であっても、信じる神のため必死に付いてきてくれていた。
しかし、そんな信仰深い彼女であっても・・・いや、神を思うからこそ、魔物を食べることに最も忌避感を抱いていた。
彼女は俺たちパーティの回復の要。そんな彼女がダウンしては、常に魔物たちの襲撃を受ける俺たちは、すぐさま死んでしまう。
まっとうな食料は、全て彼女に与えることになった。しかし、まっとうな食料など微々たる物しかない。
リリは、すぐに魔物を食べざる終えない状況になった。
彼女はとうとう、嗚咽し吐くのを必死に堪えながら―――魔物を食べた。
そんな生活が数ヶ月。皆の疲労は、限界などという言葉がちんけに思えるほどに蓄積し、自分が生きているのか死んでいるのかも曖昧になるほどだった。
魔物との戦闘や悪辣な環境で精神をすり減らし、英気を養うはずの食事では魔物を食べ、度重なる襲撃で満足に眠ることが出来ない日々。
食事や睡眠など融通されていたとはいえ、彼女の精神が真っ先に潰れてしまったのは、ある意味しょうがないのかもしれない。
仲間に叩き起こされて俺が見た光景は、立派な木の下で静かに眠るように死んでいる、リリの姿だった。
彼女が信仰していた宗教では、自ら命を絶つという行為は最も強く忌避されている行為であった。あれだけ敬虔な信徒であり、魔界であっても捨てることのなかった信仰を、彼女は最後に壊してしまったのだ。
きっと、魔物を口に入れてから・・・彼女の中の信仰は、歪にひび割れてしまったのかもしれない。
彼女は、魔法道具であり信仰の象徴である十字のネックレスを残し、この世を去った。
そこからはまさに地獄であった。
パーティの唯一の回復を行えるリリが死んでしまったことにより、俺たちは常に死と隣り合わせの戦闘を行うことになった。
魔王の住まう城にたどり着いたときには、魔界へ入ってから三年も経っていた。
魔王城に着いても、すぐに魔王と戦えるわけではない。魔王の強力な配下たちが俺たちを襲い、魔王との戦闘を前に命を削ってくる。
しかし、魔王城までの長い旅路で、俺たちは心を犠牲に格段に力を得ていた。最早人とは呼べぬ化け物に成り下がっていようとも、もう後戻りはできなかったのだ。
俺たち3人は強力な配下を切り伏せ、喰らいながら進んでいった。いつからか、俺たちは魔物を喰らうことで力を得られるようになっていたから。
「その口に咥えているモノは・・・余の側近のモノか?」
とうとう魔王と相対したとき、魔王は俺たちに誰何の声をあげるでもなく、待っていたぞと悪役のようなセリフを言うのでもなく、ただただ悲しそうに・・・そう呟いた。
「まるで、お前達が魔物ではないか」
魔王のその言葉は、今でも俺の脳裏にこびりついて離れない。
「そうしたのは・・・そうしたのはお前達のせいだろうがァッ!!!!!」
怒号をあげながら、血の涙を流しながら、喰らってきた魔物たちの血をまき散らしながら、俺たちは最終決戦である魔王へ戦いを挑んだ。
◇
結論から言って、魔王はとても強かった。今までの魔物たちが霞むほどの強さであった。
「余の前に辿り着いたというのに、側近をも殺したというのに、貴様達は・・・否、貴様はその程度なのか?」
ここまで共に戦ってきた仲間たちはとうとう・・・俺を残していなくなってしまった。
「うぐ・・・ッ!! ・・・ガハッ!」
いくら神の加護があるからといって、しょせん元はただの人間だ。魔王の攻撃を喰らって、なお無事でいられるはずは無かった。
・・・ただ、魔王も同様に無事ではなかった。
師匠であり戦士として共に前衛を戦い抜いたバラクが、その命と引き換えに切り飛ばした片腕。天才の名を欲しいままにした魔法使いのアイオスが、生命という灯火を魔力に変換して放った魔法。
それらは、ダメージとして確実に魔王に蓄積されている。
熱病に浮かされたような視界、身体中からは絶え間なく血が流れ、気力によって立てているような状態。
だが、それでも! ここで踏ん張らないで!! なにが勇者かッ!!!
俺が挫けたら!! 目の前で!! 目の前で死んでいった仲間たちに何て言えばいいんだよぉぉぉぉおおおおお!!!!!!
魂を奮い立たせろ!
満身創痍の身体に鞭を打て!!
心臓が動いている限り何度でも立ち上がれッ!!!
「お前達は・・・何故余を殺そうとする?」
俺が魔王を殺さんと剣を握り締めたとき、魔王が問いかける。
「お前が悪だからだッ!!!」
「何をもってして悪とみなす?」
「俺たち人類の地へと土足で入り込み!! 多くの命を奪ったのは貴様だろうがァアアア!!!!」
「ふむ。それが悪と断ずる根拠か」
魔王の問いかけには、悪びれも、嘲笑の感情もない。あるのは、ただ純粋に疑問に思ったことを聞いてみた、そんな感情。
「勇者よ。お前はこの魔界の地をどう思った?」
「・・・地獄だ」
枯れ木すらないただの荒野、鼻が壊れるほどの異臭を放つ華畑、一日中轟雷が降り注ぐ雷雲の丘、呼吸すらままならないほど空気が極めて薄い大地。
不浄の地と言わしめる光景が蘇る。どこもかしこも、真っ当な場所など存在しなかった。ただの人間など、魔物ではなく自然に殺されてしまうような場所ばかりであった。
「それを見てきて、お前は何も思わんかったのか?」
「何がだッ!!」
「我々はただ、生きるのに辛すぎるこの地から這い上がろうとしたまでだ」
魔王はどこか遠くを眺めながら、言葉を紡ぐ。
「魔界では、魔物といえど生きるのに必死だ。弱い種族など、ただの餌と成り果てる。魔物達の王である余が、それを食い止めようとするのは、当然であろう? 必然であろう? だから侵略したのだ。弱きモノ達を護るために」
「それでも・・・それでもお前達は人間を殺しすぎた!!!」
「ならば貴様は魔物を殺しすぎた。この辛く険しい魔界で、懸命に協力し合い生きている魔物の集落を、お前はいくつ潰した? 無抵抗な魔物を何体殺してきた? そして―――そんな者たちをどれだけ喰らってきた?」
それは考えないようにしていたことであった。いや、考えることすら出来なくなっていたのかもしれない。
俺たちはもう壊れてしまっていた・・・醜く人を襲う魔物たちのはずが、子を育て、小さな畑を必死に耕し、老人を世話し妻を愛で夫を支えている光景を見ても・・・ただの食材にしか見えなくなってしまっていたから。
そんな村々で、俺たちは蹂躙の限りを尽くし、奪い、殺し、喰らって生きてきた。
その姿はまるで、魔王が人類へ侵略した時の魔物と、全く同じであった。
「そこまでして何故余を殺そうとする? 魔物の侵略は人類に堰き止められ、衰退の一途を辿っていただけの我々を、何故魔界へ攻め入ってまで殺そうとする?」
「さっきも言ったはずだ!! お前が! 魔物が人間を殺しすぎたからだッ!! 未だ魔界から魔物は押し寄せている・・・。お前を殺せば全て終わりになるんだ!!!」
「それは違うな」
それはとても優しい口調であった。まるで無知な子供に言い聞かせるような・・・そんな優しく残酷な声。
「お前自身が言ったではないか。魔界は地獄だと。そう感じるのは、お前たち人間だけではないぞ。我々魔物もまた、魔界を地獄のように感じる。そんな我々が、すぐ隣に平和な土地があると知ればどうするかなど、考えるまでもなかろう?」
優しく・・・どこまでも優しく。寝物語を紡ぐ母の様に、魔王は言う。勇者にとって絶望的な内容を。
「続くさ。魔物という種が滅びるまで・・・ずっとな。親を思い、妻を思い、子を思い・・・魔物たちは自然に殺されることのない、平穏で溢れた生活のために、人界を目指すだろう」
その言葉は、ロイを絶望させるのには十分すぎる内容であった。
『魔王を殺せば人類は、本当の意味で平和を手に入れることができる。だからこそ、勇者よ! 人類の平和を取り戻すために、魔王を討つのだ!』
国王が俺に向けて言った言葉。それを胸に、死にたくなるほどの辛い旅も耐えることが出来たのだ。
否、その言葉を盲目に信じること以外、彼には選択肢が残されていなかった。
しかし、結果は変わらない。
魔王を討っても、魔物の侵攻は止まない。
それでは・・・それでは。
俺は一体何のために戦ったというのだろうか。
「勇者よ。もう一度聞こう。何故、余を殺そうとする?」
「殺さなきゃ・・・、殺さなきゃいけないんだよォおおオおオオおおお!!!!!!!!!」
悲鳴にも似た怒号を上げながら、勇者は魔王に斬りかかる。
魔王の声など何も聞きたくはなかった。耳を傾けてしまえば、心が折れてしまいそうだったから。それはまさに悪魔のような囁きで、勇者の心を掴んで離さない。
「勇者よ・・・余の下へ来ないか?」
魔法が飛び交い、瞬きですら致命傷となりえる速度での激しい剣戟が繰り広げられる中、魔王の言葉は止まらない。
「人間は愚かよ。お前が魔界へ来て何年が経つ? その間に人間が何をしていると思う?」
「戦の準備よ。戦争だ。王国と帝国はお前が魔王殺しの称号を持って帰れば、すぐさま戦争を始めるだろう」
「何故そんなことを知っているのか、といった顔をしておるな。余は魔王であるぞ? 魔物の王であり、魔導の王でもある。ここにいながら人界を見通すなぞ、造作もないことよ。無論、お前が魔物たちを喰らっている姿も見ておったぞ」
「だからこそ、勇者よ。余の下へ来ないか?」
「お前が人界に戻れば戦争が始まるぞ。お前は何のために戦っておるのだ?」
「人類の平和のためか? それとも、新たな戦争を始めさせるためか?」
「お前が戻っても、待っているのは平穏な日常などではない」
―――お前が救った人間を殺す戦争だ。
雷鳴が嘶き、灼熱の閃光が爆音を響かせ、裂帛の気合を込めた声を上げながらの剣戟の最中であっても、魔王の声は鮮明に頭へと入ってゆく。
「うるさいうるさいうるせぇええええ!!!!」
魔王の言葉に必死になって抗った。継ぎ接ぎだらけの魂を燃やして、視認できるほどの殺意を剣に込めて振るった。
「認めるのが怖いのか? お前も気づいてはいたんじゃないのか? 人間の欲深さに。姿かたちが違うというわけでもなく、ただ生まれた場所が違うというだけで殺しあう人間の異常さに」
「魔物の侵攻が終わってもいないのに! 戦争なんてするわけがないだろうがッ!!!」
「それは違う。戦争とは、王を潤すために行われる。戦争とは、貴族が自由を謳歌するために行われる。戦争とは、強者が弱者を嬲り嗜虐心を満たすために行われるモノだ」
「違う!! 人類は平和を望んでいる!!」
「いいや、望んでいるのは平和ではなく、欲を満たすことだ。そして、力無き者は力有る者の指示に従うほかないのだよ―――お前が勇者として王国へと連れてかれたようにな」
泣きじゃくる妹の顔を思い出す。
きつく抱きしめてくれた父の熱さを思い出す。
床に伏せる身体に鞭うち、夜なべして作ってくれた母の剣帯を思い出す。
俺は思い出す。
―――本当は勇者になんかなりたくなかったことを。
ぶちんっ
何かが切れる音がした。ずっとずっと張り続けた大事な何かの切れる音。
「クソったれがァァァアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
魔王が放った氷の刃が俺の腹の肉を抉り取り、俺が放った紫電が魔王の四肢を焼き焦がす。無数に飛び交う氷の刃を斬り飛ばし、魔王へと肉薄する。
「どうだっていいんだよッ!! もうどうだってッ!!! お前を殺す理由は!! 死んでいった仲間たちを弔うためだッ!!!!!」
俺の言葉を聴き、魔王は嬉しそうに、楽しそうに声を上げる。
「それが本音か勇者よ! お前は民ではなく! 大儀でもなく! 仲間のために余を殺すというか!!! いやはや! ようやく一歩踏み出せたのではないか? 勇者よッ!!!」
激しい攻防。何かが吹っ切れた勇者の攻撃に、全てを見通すかのような魔王の攻撃が繰り広げられる。
「はぁ・・・はぁ・・・魔王。これでお終いだ・・・ッ!!」
「ああ・・・さすがの余も疲れたな。勇者よ・・・お前を尊敬しよう。脆弱な人間が、魔物でも辛い魔界を数年間彷徨い続け、仲間のために戦い、魔王である余をここまで追い詰めたお前を・・・心から尊敬する」
お互い立っているのが不思議なほどの有様だ。気力によって戦い続け、根性によって痛みをねじ伏せている。
ふらつく身体で、魔王は俺をまっすぐ見据える。
「お前に敬意を表し・・・お前が我を殺せば、お前が生きている限りは魔界を塞ぎ、魔物が人界へと侵略出来ないようにしてやろう」
―――ッ!!!
その提案は、ロイにとって抗いがたい程魅力的な内容であった。それはまさに、魔王を殺せば人類は平和になるという、ロイの希望そのものであったからだ。
「・・・永久に塞げないのか?」
「はっはっは! 実に人間らしい願いではないか!!」
魔王は愉快そうにひとしきり笑うと、俺の質問に応じた。
「だが・・・それは却下だ」
「な、何故だ!」
「言ったであろう? 我が敬意を表すのは人間ではなく、お前という勇者に対してだからだ」
ロイは視界さえ朧気であるが、必死に頭を働かせる。
俺が死ぬまでなら、2・30年は魔界が塞がれることになる。それだけの時間があれば、人間なら今よりもより強固な要塞が造れるはずだ。もしかしたら、魔物が入ってこられないような要塞を造り上げられるかもしれない。
そうなれば、魔物の被害は今よりも圧倒的に少なくなるはずだ。それなら、俺が戦った意味も、仲間たちが死んでいった意味も、きっとあるはずだ。
自分が信じる、人間という可能性に―――ロイはかけた。
「・・・わかった。その提案、感謝する」
「良いことよ。負けるつもりも無いのでな。・・・さて、では始めるとするか」
魔王の全身から尋常ではない魔力が噴出する。
一体全体何処にそれほどの力を隠していたというのか・・・。自身の数倍の大きさの魔物であろうとも臆せず斬り伏せてきたロイをもってしても、気を抜けばへたり込んでしまいそうになる。
しかし、ロイも負けてはいられない。
期限付きとはいえ、目の前の化け物を殺せば平和が訪れる。そして、束の間の平和の中で、ずっと平和でいられるように準備すれば良いのだ。
ロイの身体から、鋭利な刃物のような鋭い覇気が放たれる。腰を落とし重心を低く意識する。聖剣を両手で握り締め顔の横へと持っていき、狙いを定めるように切っ先を魔王へ合わせる。
魔界へ入る前とは違う構え。
殺すことだけを突き詰めた末にたどり着いた構え。
常に魔物に襲われ、まごつけば数で押しつぶされる戦いを繰り返してきたロイは、魔界へ来る前と今とでは、魔力の使い方が全く異なる。魔力について、より深く理解できているのだ。
魔力を纏う際、明確なイメージを持つことで、それはイメージを超え現実に影響を及ぼすのだ。ただ魔力を纏えばいいだけの攻撃などとは、比べようもないほどに威力が増大される。
イメージするのは、その命と引き換えに魔王の片腕を捥ぎ取ったバラクの如き鋭さ。これに斬れぬモノなど無く、全てを斬り伏せるための絶対の威力。
勝負は一瞬。もはや小細工など意味はなく、持てる全てを持って斬り伏せるだけだッ!!
「魔王よッ! これが・・・俺と仲間の全てをかけた一撃だッッッ!!!!!」
緊迫した空気が流れる中、最初に動いたのはロイだった。
身体を地面すれすれに傾け、あらん限りの力で大地を蹴った。まるで雷でも落ちたかのように地面が爆発し―――ロイが消える。
「いいだろう。ならば、“魔”の深遠を受けてみよッ!!!」
魔王はそんなロイを迎撃するために、全方向に対する攻撃魔法を放った。それは、魔王の持つ膨大な魔力が惜しげもなく注ぎ込まれた最強の魔法であった。それに触れたものは消し去られ、床や壁だけでなく空気までもが消失するような威力。
そんな魔法を目の前に、ロイは構わず直進する。
ロイの脳裏にあるのは、彼の師の教えだ。
『戦いでは迷った者から死んでゆく。自分に斬れないものは無いと思え。そう信じ剣を振るえば・・・お前は一本の刃となる』
神の加護があるとはいえ、ただの農家の長男であったロイを一から鍛え上げ、あの魔王とすら互角に戦えるようになるまで成長させてくれた師であり、唯一無二の仲間であるバラクの言葉だ。
バラクは当たれば即死となる魔法が飛び交う魔王の眼前に矢のような速度を持って切り込み、まさに一刀の刃の如く剣を振り抜き、魔王の片腕を切断するほどのダメージを与えた。
そんなバラクの最後の一振りをトレースするかのような動きで、しかしバラクの数倍の疾さでもって、一切の躊躇いなく斬り込んでゆく。
剣に流し込むのは、自身の魔力全てに加え、彼の命の半分。
『いいかロイ坊。魔力ってのは2種類あるんだ。一つは休めば回復する普通の魔力。そんでもう一つは、自分の命を変換した魔力だ。この魔力は相当強いぞ。なんたって生命のエネルギーだからな! 神の加護がある勇者のお前なら特にな。・・・ま! そんなピンチにはこの俺がさせねーけどよ!』
アイオスの命を全て魔力に変えて放たれた魔法は、目の前に広がる魔王の技と勝るとも劣らぬ威力があった。
この一太刀は俺の全てを込めた一太刀だ。
神経を極限まで研ぎ澄ませ!
限界をぶち破れ!! 踏み込んだその先にッ!
人類の未来がかかってるんだッ!!!
そしてッ!!
―――俺と仲間達がこの世界で生まれた意味を刻みこめッッッ!!!!!!
「うぉぉぉオオ゛オオ゛ォオ゛オ゛オオオオ!!!!!!!!!」
聖剣が悲鳴を上げるほどに注ぎ込まれた力。その一振りは音速を超え、光すら置き去りにする。
人間の頂点に立つ勇者。
魔物の頂点に立つ魔王。
両者が放つ最強の技が衝突した。凄まじい衝撃が走り、余波で世界が軋んでいる。
相手の攻撃を飲み込まんと、激しい力と力のぶつかり合いが続く。
しかし、そんな拮抗も長くは続かない。純粋な力比べは―――魔王に軍配が上がった。
強力な魔物たちの頂点に君臨する魔王の力は、この世界で最強の力であった。
僅かながらであるが、徐々にロイの剣が押されてゆく。
「どうした勇者よ! お前の力はそんなものかッ!!」
魔王が吼える。勇者の力を引き出すために。全力の勇者を真っ向からねじ伏せられるという絶対の自信を持って。
「見せてみろ勇者ッ! 勇者の力を! 人間の力というものをッ!!!」
ロイは握り潰さん勢いで剣を握り締める。あまりの力に全身が悲鳴を上げ、耐え切れなくなった場所から出血し足元に血溜まりができる。それでもなお、ロイの力は緩まるどころか増してゆく。
しかし、どれだけ力を注ごうにも、魔王の放つ魔力が勝っていた。
「これで・・・終わりだァァアアア!!!!」
魔王が止めを刺すために、さらに魔力を注いでゆく。もはやロイの力では、覆しようもないほどに差が開いてゆく。
―――そう、ロイ一人であったなら。
「言っただろう・・・! これは!! 俺と仲間の全てをかけた一撃だとッ!!!」
ロイの胸が光輝く。そこにあるのは十字を象ったネックレスであり、リリが残した魔法道具。
その魔法道具は教会が所有する宝具の一つ。効果は魔法道具に蓄えられた魔力を、持ち主の魔力へと変換すること。
旅において回復魔法が使える賢者であるリリの魔力が切れれば、パーティの危険度は跳ね上がる。そのため、リリはこの宝具を教会から貸し与えられており、常日頃魔力の貯蓄を行っていた。そして、自身の命全てを魔力に変えて宝具に封じ込め、命を絶ったのだ。
聖剣に更なる魔力が流し込まれる。
それは、一人の少女が絶望しながらも、仲間に託した思いであった。
「な!? なんだとッ!!!」
聖剣は魔王が放った魔法を切り裂き、魔王の身体へと到達する。
「お前の負けだッ!! 魔王ォォォオオオオオオ!!!!!!!」
あれほど硬く、全ての攻撃を弾くかのごとく鉄壁であった魔王を、聖剣が斬り伏せる。行き場を失った魔法が弾け、その膨大な力は周囲を呑み込み瓦礫へと変えてゆく。
光が収まり砂埃が吹き飛ばされた後、そこには勇者のみが立っていた。
勇者の身体は満身創痍であり、聖剣を支えに何とか立つことができている有様だ。勇者の眼前には、袈裟斬りにされ下半身が消滅した魔王が倒れている。
「負けたか・・・魔王である、余・・・が」
「はぁ・・・はぁ・・・、ああ、俺の勝ちだ・・・!」
「・・・勇者よ、これからどうするのだ・・・?」
魔王を倒すことが勇者の目的であり、それを成した今、勇者はどうするのか。
「わからん・・・。ただ、王国へと戻り・・・お前を討った報告をするだけだ」
「・・・後悔・・・するぞ?」
「戦争が始まる・・・と言っていたことか? ・・・人間はそこまで愚かではないさ。お前に・・・これから始まる平和な人類の生活を・・・見せてやりたいくらいだ・・・」
「・・・やはり、お前は人間などではなく・・・余の下に来るべきだった・・・」
魔王の身体が宙に浮き、残っている片腕をこちらへ向けてくる。
しかし、勇者は動かない。魔王が負けを認めた以上、目の前の魔王が自身を攻撃するとは思えなかったからだ。
そこには、死闘を繰り広げた者同士の、奇妙な信頼が生まれていた。
「・・・ならば勇者よ! 約束どおりお前が生きている間、魔界を塞ごう! お前の望む世界とやらを、地獄から我が見てやろうではないかッ!!!」
魔王の掌が光り、勇者を包み込んでゆく。その光は温かく、勇者の意識は深い深い底へと沈んでいったのだった。