不穏
急な死であったので、弦太郎はまともな遺言書を遺してはいなかった。法律からすれば、遺産は四人の兄妹で四分割される。
しかし、新一郎も半次朗も満代も少しでも自分の取り分を多く得ようと画策していた。家、土地、屋敷内にある骨董品や美術品、現金や証書類。それらをどう分配するか、弁護士である朔也が話し合いを仕切っても、当然の如く簡単には収まらなかった。
それでも、弦太郎の四十九日までには何とかケリをつけようと、週に一回以上兄妹で集まって話し合いをしようということになった。無論、その決定には望美は加わっていない。
「お疲れ様でした」
ひとまず自宅に戻って行く半次朗と満代を、望美が玄関先で見送る。二人はそんな望美を一瞥することもなく、月ヶ瀬邸を後にした。
(望美か。あいつは邪魔だな)
新一郎は自室で推しのグッズに囲まれながら思っていた。
(あいつさえいなきゃ、遺留分だけでも分け前が増える)
半次朗も、散らかった自室で一人呑みながら考えていた。
(お父様が認知なんてするから。あの子をどうにか出来ないのかしら)
満代も、寝室で高価な基礎化粧品を塗りたくりながら考えていた。
──望美は。
自室でスマホの画面を見ながら、何かの書類を書いていた。
数日後、話し合いの為に再び半次朗と満代がやって来た。
三兄妹と朔也が集まってテーブルについた時、いきなり望美が部屋に入って来た。
「なんだ、望美」
「どうしたんです? 望美さん」
望美は持っていた紙をテーブルに置いた。
「これが私の部屋のドアに挟んでありました」
何の変哲もないコピー用紙。その真ん中に、左手で描き殴ったような字が書いてあった。「デテイケ」。そう読めた。
「お、俺じゃないぞ!」
「私だって知らないわよ、こんなの!」
兄妹が口々に言う中、望美は無表情に紙をくしゃくしゃと丸めた。
「捨てておきますね」
望美はそのまま部屋を出て行った。その後話し合いは行われたが、やはり今回もまとまらなかった。
また何日か後。
青果店の主人・葉山は、配達する商品を持って月ヶ瀬家を訪れた。相続会議が行われる時は、ついでに一同が昼食や夕食をとることが多いので、野菜などをまとめて配達してもらっているのだ。
裏口のインターホンのボタンを押す。このインターホンは望美のスマホと連動していて、音声通話が出来る。
「毎度、葉山青果店です。配達にうかがいました」
『はーい、今行きます』
望美の声、そして足音。どうやら階段を降りている……と、小さな悲鳴と共に何かが転がり落ちるような音がした。
「望美ちゃん⁉」
葉山は思わず屋敷の中に入って行った。屋敷の中央にある大きな階段。その下に、望美が座り込んでいる。物音を聞きつけたらしい他の者達も集まって来ていた。
「すみません……足を滑らせちゃいました……」
大した怪我はしていないようだった。ほっと胸を撫で下ろしながら階段を見ると、段の一部がてらてらと不自然に光っている。油か蝋でも塗ったようだった。
「大丈夫かい、望美ちゃん?」
「大丈夫です、葉山さん。お騒がせしました」
望美は立ち上がり、少し足をかばいながら台所に向かった。葉山は彼女と共にこの場を去ろうとして、後ろをちらりとうかがった。新一郎、半次朗、満代、それに朔也。
(まさか……この中の誰かが?)
いやいや、仮にも客の家庭事情に対して詮索するわけにはいかない。わかっていても、葉山は気になって仕方がなかった。
さらに何日か後。
その日は相続会議に加え、月ヶ瀬家の庭を手入れする為に植木職人が入る予定になっていた。屋敷と庭の間を行き来しつつ、望美は忙しく働いていた。
と。
屋敷の裏手で、何かが勢い良く割れる音。ほぼ同時に女性の悲鳴が聞こえた。
「な、何だ⁉」
植木職人達は仕事の手を止め、悲鳴の上がった方へ向かった。
立ちすくむ望美の足元に、小さな植木鉢が割れている。周りには土や鉢の欠片が飛び散り、鉢に植えられていたらしい花がしおらしく地面に横たわっていた。
見上げると、二階の出窓が開いている。あそこから落ちたのか。と、物音を聞きつけたらしい月ヶ瀬家の兄妹が顔を出した。
「何だ、どうした?」
「望美さん!」
朔也が望美の元に駆け寄って来た。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……これが、突然落ちて来て……」
「ケガはありませんか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
一つ頭を下げて、望美は植木鉢を片付け始めた。植木職人達も持ち場に戻る。窓から見ていた兄妹達も、会議の場に戻って行く。
後にはただ不穏な空気だけが残った。