兄妹
月ヶ瀬家の長男・新一郎(43)は、金がなかった。
新一郎はようやく入った三流大学を中退して以来、立派なニートとして生きていた。就職活動をしたこともあったが、ことごとく不採用だった。まあ俺を雇わないような会社など、こっちから願い下げだ。バイト? 月ヶ瀬家の長男ともあろう者が、コンビニやら居酒屋やらのせせこましい仕事なんて出来るか。
それから新一郎は現在に至るまで、アニメやゲームやアイドルに没頭して過ごしている。ゲームには課金しまくり、アイドルのコンサートチケットやCDやグッズを買いまくり、年に二回のコミケには必ず参加してお気に入りキャラのえげつない同人誌を買いあさる。
新一郎は働いていないので、その金は全て親がかりである。親である弦太郎が死んだ今、新一郎が自由になる金はほぼなくなった。
長男だからこの家を継ぐのは俺だろう。それでも少しでも多く自分の金が欲しい。入れ込んでいるグループの推しメンをセンターにする為には、もっとCDを買って応援しないと。
次男・半次朗(41)も金がなかった。
兄と違い、半次朗は大学を卒業した後、自分で会社を設立し事業を興そうとした。しかしその会社は多額の負債を抱え、半年も経たずに倒産した。それから何度か起業したが、やはり長続きせず潰れて行った。
倒産の原因は社長である半次朗のどんぶり勘定な経営にあるのだが、半次朗は自分に経営者としての才能がないという事実から積極的に目をそらし、ただ運が悪かったのだと思い込んでいた。
さらに半次朗は過去二回結婚し、そのどちらも彼自身の浮気によって離婚している。当然、元妻達にはそれなりの慰謝料を払っていた。子供はいなかったので、養育費の支払いがないのは半次朗にとっては幸いと言えた。
過去の倒産による負債と離婚の慰謝料によって、半次朗の懐は火の車だった。今経営している会社も、そろそろ行き詰まりかけている。それでも、資金さえあれば何とかなると半次朗は考えていた。
ニートの新一郎がまともな当主として務まるとは思えない。こいつはお飾りとして、俺が実質的な当主として実権を握ってやる。そうしたら、俺の会社も安泰だ。
長女・満代(40)もまた金がなかった。
彼女は女子短大を卒業してまもなく、結婚した。相手は地元の企業の社長で、そこそこ裕福な男だった。ちなみに夫との間に子供はいない。高額な不妊治療もやってみたが、ついに子供が出来ることはなかった。ちなみにその費用は、半分は父親に出してもらっている。
満代はそもそも見栄っ張りな女だった。身の回りのものを高級品やブランドもので固め、自分を飾り立てるのが好きだった。
服やバッグ、アクセサリーに靴。毎年新作が売り出され、一目見れば欲しくなる。これを身に着けるには、自分自身も若く美しくあるべきだ。エステや化粧品も欠かせない。
もちろんそれらの品は相当の値段になる。クレジットカードを使って支払いをしているが、毎月限度額ギリギリだ。おかげで夫に小言を言われてしまった。愛する妻がいつまでも若く美しくお洒落であることの、何が気に入らないのかしら?
とにかく、欲しいものは後から後から出て来る。しかしクレジットカードの用途は、今は夫に事あるごとにチェックされていた。父親の遺産が入れば、それは私自身の財産になる。これなら大っぴらに使える。何とかして、もらえるものを最大限にもらわないと。
次女・望美(21)もやはり金がなかったが、彼女だけは他の者達とは事情が違った。
彼女は、弦太郎の正妻である待子との娘ではない。月ヶ瀬家の家政婦として雇われていた母・秋絵に弦太郎が手をつけて生まれた子である。弦太郎はほんのお遊び程度だったのかも知れないが、秋絵にすればたまったものではない。
待子は激怒し、身重の秋絵をわずかな手切れ金と共に叩き出した。秋絵は子供には罪はないからと望美を産み、彼女を育てる為に昼も夜もなく働いた。
それが良くなかったのか、秋絵は望美が16歳になった頃に体を壊して死んでしまった。親族も居らず途方に暮れていた望美に救いの手を差し伸べたのは、意外にも弦太郎だった。
弦太郎は望美を月ヶ瀬家の娘として引き取った。妻の待子が既に亡くなっていたからこそ出来たことではある。おかげで望美は大学まで進学出来たが、それはこの家に縛りつけられるのと同義でもあった。
望美は学校に通いながら、この家の家事を一手に引き受けていた。弦太郎からわずかな小遣いをもらうだけで、ほぼ無給の家政婦のような扱いだった。彼女は若い娘でありながら、お洒落の一つもせず化粧っ気もない、地味な格好でいるしかなかった。
認知はされているので望美も相続人の一人には違いないのだが、その出自の為に望美は他の三人の兄妹からは疎まれていた。街の住人達も皆望美の境遇は知っており、それ故に内心望美を不憫に思っている者も多いようだが、表立って口に出す空気はまだこの町にはなかった。
そんな日々を望美は淡々と暮らしていた。