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神のち悪魔、ときどき魔法使い  作者: 掛世楽世楽
6/6

春香

 梵天組ビルの外は、もう夜と言って良い。


 ビルに入る前に見上げた空も、今の空も、晴太には同じに見えた。ぬるい空気の沈滞する裏通りを、紫色の残照が染めている。近くには街灯一つなかった。

 見張りの組員も中へ入ったらしく、狭い路地には人影もない。遠くから聞こえる酔客の笑い声が、ここは繁華街だと思い出させた。カラオケ店を出たのが、もうずいぶん前に感じられる。


 前を歩く政子は、ポニーテールを揺らして後ろを振り返った。


「明日葉くん、手を貸して」


「ああ・・・」


 政子は晴太の手を取り、しっかりと握った。辺りには全く人の気配がない。


 ドキン。


 肩が触れ合い、晴太の心臓は跳ね上がった。思わず息を止めて手を握り返す。

 政子は身を寄せて囁いた。


「もう隠すこともないわね」


「え?」



 どういう意味かと(たず)ねる前に、足下の景色が遠ざかっていた。梵天組のビルが、みるみる小さくなってゆく。


「わ・・・わ・・・わ・・・・」


 眼を白黒させている間に、晴太は空高く舞い上がっていた。

 グイと腕を引かれたと思ったら、凄いスピードで空を飛んでいるではないか。


 なにがなんだか分からないうちに、公園通り沿いのコンビニの裏に降り立っていた。手を離された晴太は、思わず膝をついて地面に這いつくばった。今頃になって身体が震えている。

 知らぬ間に息を止めていたらしい。大きく深呼吸をして顔を上げると、政子の背中に何かが付いている。


 (つばさ)だ。

 よく見れば、それは三対六枚の白い大きな翼だった。


「北条・・・」


「さあ、帰りましょう」


 背を向けて歩き出した政子の背に、もう翼は見えなかった。


「あ、待てよ」


 晴太は急いで立ち上がり、後を追った。足元がふらふらと頼りない。

 前を歩く政子の背中に、ポニーテールが揺れている。髪を束ねた白いリボンが、風になびいている。


 政子の後姿を見ながら、晴太は今日の出来事を、走馬灯のように思い出していた。

 カラオケから帰る途中、彼女を追ってヤクザの事務所に押しかけた時は、恐ろしさに震えが止まらなかった。その直後、アメリカ兵の襲撃を受けた時には、生きた心地がしなかった。本物の銃が自分に向けられ、火を噴いたのだ。たぶん、無意識に死を覚悟していたと思う。


 それからは、映画の中にいるような感覚だった。何もかも自分の眼で見て、耳で聴いたはずなのに、現実感が薄い。過ぎてしまえば、本当に夢だったような気がしてくる。

 梵天組の事務所にいたあの瞬間、自分は死んでいたかもしれない。


 不意に死の実感が沸々と湧いた。その途端、晴太は前を歩く政子の手を取り、しっかりと握っていた。


「なに?」


 振り向いた政子の顔には、これといって表情はなかった。彼女は握られた手を気にするふうもなく、返事をまたずに前を向いてそのまま歩き続けた。


 北条政子は死んだと聞かされ、一時は動転した晴太であった。途方もない話を聞かされて戦慄もした。ここにいるのは果たして政子なのか、そうではないのか、拭い切れない疑念が残っている。けれど今は、握った(てのひら)から伝わる体温に安堵を覚えた。それは間違いなく、生きた人間のものだ。政子が愛おしい、このまま抱きしめたいという衝動に、彼は(かろ)うじて耐えた。


 ずっと前から、こうして歩きたかった。二人きりで。

 そう言おうとしたのだが、晴太は言葉にできなかった。代わりに、別の言葉が口をついて出た。


「ありがとう」


 何度も助けてもらったこと、友達でいてくれること、こうして一緒にいてくれることに、心から感謝したい。

 政子は、つと立ち止まり、首をかしげた。

 濡れ濡れとした瞳に晴太が映っている。微かに開いた唇から、夜目にも白い歯が零れた。



 公園外周の住宅街は、繁華街より心なしか涼しい。

 この時間、人の姿はほとんど見えなかった。

 珍しく風が強い。森の梢がさわさわと揺れ、甘い緑の香が鼻腔をくすぐる。丘の上には白い月が昇り、黒々とした木々の輪郭を彩る夕明かりが、今しも消えようとしていた。


 再び前を向き、歩き出した政子の足取りは軽かった。少しでもゆっくり歩こうとする晴太の手を引いて、ずんずん先へ進んでゆく。

 ほどなくして見慣れた家々が視界に入った。晴太の自宅前に、誰かがいるようだ。近づくにつれて、母の育代と妹の春香であることが分かった。


「お母さん、お兄ちゃんが帰って来た」


 ほの白い街灯の下に、二人の笑顔が浮かび上がる。


「まさこちゃんも一緒だ。まさこちゃーん」


 春香が手を振っている。いつもとは、どこか様子が違う。


「お帰りなさい」


「ただいま」


 晴太は立ち止まり、妹の姿に釘付けとなった。


「これは・・・?」


 あんぐりと口を開いた晴太に、育代はニコニコと話しかける。


「驚いたわよね。私もびっくりしちゃって、大変だったのよ」



 今日の昼過ぎのこと。


「お母さん、お母さん!」


 叫ぶ春香の声に、育代はただならぬ気配を感じ取り、大あわてで部屋へと駆け付けた。


「春香、いったい何が・・・」


 ドアを開け、転がるようにして部屋へ入ると、育代は息を呑んだまま愕然と立ちすくんでしまった。

 春香が車椅子から立ち上がり、自分の足で立っている。

 眼をいっぱいに見開いて、両手を前へ差し伸べている。


「お母さん・・・」


 足を踏み出すと同時に倒れ掛かる春香を、育代が抱き留めた。そのまましばらくは、二人で泣いていたという。


「それからすぐに病院へ行って検査してもらって、ついさっき帰って来たところなのよ。私もだけど、それより先生が驚いちゃって大変だったわ。有り得ない、これは有り得ないって、それしか言わないんだもの。それくらいビックリしたんでしょうね。色々と検査を受けて、やっと帰宅したらしたで、今度は春香がね、お兄ちゃんが帰って来たらすぐに見せるんだってきかないの。家の中で待ちなさいって言っても、絶対にここで待つの、ですって。まったくしょうがないったらねえ・・・」


 機関銃のように喋りまくる母親の声を聞きつつ、晴太は春香が手にしている物に気がついた。


「春香、それは?」


「お守り」


 部屋のドアに貼った御札を()がして、春香は持ち歩いていたのだ。初詣の時に買ったお守りの中身を取り出し、代わりに政子からもらった御札を入れて。きっとその方が御利益があると、春香なりに考えてのことだった。


 いそいそとお守り袋を開け、春香は小さく折りたたんだ「おふだ」を出した。それを丁寧に広げ、嬉々として晴太と政子に見せてくれた。


「きっと、おふだ(・・・)のおかげね」


 春香は政子を見上げ、丁寧にお辞儀をした。


「まさこちゃん、ありがとう」


「どういたしまして」



 歓声を上げて政子に抱きついた春香の手から、おふだが落ちた。おふだは、拾おうと伸ばした春香の手をすり抜け、一陣の風に舞い、運ばれてゆく。


 走り出した春香を捕まえようとして、晴太は反射的に手を伸ばした。指先がシャツを(かす)め、空を切る。


「あ、危ない」


 声と同時に、隣から政子が飛び出した。


 鈍い衝突音に続いて車のブレーキ音が響いた。視界の片隅に、横たわる春香と駆け寄る育代が見えた。少し離れたところに政子が倒れている。


「春香・・・北条・・・」


 晴太はポケットからスマートフォンを取り出し、自分でも驚くほど冷静に、119番通報をしていた。


「・・・はい、二人です。八歳と十七歳の女の子。はい、急いでお願いします」


 現場を見渡すと、トラックの運転手が携帯電話を手に頭を抱えている。救急車という言葉が聞こえた。


 晴太は北条の(かたわ)らにひざまづいた。乱れたスカートの裾を直し、耳元に顔を寄せた。


「北条、聞こえるか」


「・・・うん・・・どうして、かな。考えるより、先に・・・とびだしちゃった。フフ・・・北条政子の記憶が、最後の最後・・に・・・優先した・・・らしい、わ」


 政子は春香が大好きだった。赤ん坊だった春香に会おうと、毎日のように明日葉家を訪ね、


「いいなあ。わたしも妹がほしいなあ」


 そう言ってベビーベッドの枕元で、春香の寝顔を飽かず眺めていたものだ。彼女の両親が離婚する少し前のことだった。


 ニコリと笑う政子の口元から、一筋の血が流れた。

 晴太は思わず眼をつぶり、自分に言い聞かせた。

 米軍の精鋭を蹴散らすほどの力があれば、この程度の怪我は、きっと治るはずだ。絶対に、大丈夫。


「明日葉、くん・・・」


「もうしゃべるな。今、救急車が来る」


 政子は晴太の腕をつかんだ。胸を波打たせ、喘ぐように言葉を絞り出した。


「聞いて・・・春香ちゃん、か、政子・・・どちらか・・・一方、なら・・・助けられる、と・・・思う。キミが、決め・・・」


「二人とも助かるよ、だから・・・」


 そこまで言ってから、晴太は彼女の言ったことを反芻した。


「どちらか一方・・・キミの力でも?」


「・・そう・・・時間が、ない・・・」


 確かに迷っている時間はなさそうだ。政子の呼吸は切迫している。

 だが、大切な妹か大好きな幼馴染(おさななじみ)か、どちらか一方を選ぶなんて土台無理な話だった。考えようにも、二人が死ぬところを想像しただけで、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。


 選べない。


 惑乱する頭を振って、晴太は一心不乱に考えた。

 どうする・・・・・どうする、どうする? 


 僕は夢想家だ。暇さえあれば、ありとあらゆる場面を想定して、その場に居合わせた自分がいかに行動すべきかを考えていた。まさしくこんな時のために。でも、それは無駄な努力だったようだ。この肝心な時に決断できないなんて、情けなくて涙が出る。

 僕って奴は、いつもそうだ。大事な時に何もできない。安全なところで、ただ言葉をもてあそんでいただけのつまらないガキだ。偉そうに御託を並べて喜んでいただけの、失敗するのが恐くて何もできない、何をする勇気もないクソ野郎だ。

 バカ、アホ、マヌケ。いっそ、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ。


 まさにその瞬間であった。天啓の如く、自分の為すべきがストンと腑に落ちた。

 そうか、これだ。


「北条、聞こえるか?」


 政子は、ゆっくりと瞬きをした。晴太は震える呼気を整えて、政子の耳元ではっきりと伝えた。


「僕の命を使え」


 わずかに彼女の眼が見開かれた。


「キミの力で春香を、僕の命を使ってキミを助けるんだ。いいね?」


 晴太は確信を持って政子に囁いた。

 絶対に大丈夫。このために僕は生きていたんだ。


 その声が最後まで届いたかどうか。ゴブリと音を立てて、政子は大量の血を吐いた。瞳から急速に光が失われ、彼女は昏倒した。


「・・・政子ちゃん」


 晴太は消え入るような声で、愛する幼馴染の名を呼んだ。彼女の手を握り、生まれて初めて神に祈った。


 どうか二人を救ってください。

 神よ・・・。




 事故の様子を、公園の上空から梵天組の組長と手下三名が見ていた。背中には大きな黒い翼がある。


「組長、なんで後をつけたんです?」


「さあな。気になったからとしか・・・」


 他人の事を気にする親父殿の方が、鉄也にはよほど気になる。

 それとも、地球の命運を握ると言っても過言ではない存在を、無視できないだけだろうか。いずれにせよ、今までになかったことだ。


 悲痛な面持ちで、さとしがいう。


「たぶん二人とも助からない。嬢ちゃんはすぐに死ぬでしょう。子供を(かば)ったぶんだけ重傷ですよ」


「ああ、間違いなくお陀仏だろうな。治療は間に合うまい」


 龍一も同意した。人の死は嫌というほど見ている。死に際の見立てには自信があった。

 親父殿もゆっくりと首肯した。


「鉄也」


「へい」


「嬢ちゃんを助けてやれるか」


 鉄也は意外な感に打たれ、組長を振り仰いだが、いつもと同じ険しい表情があるだけだった。


「どうだ?」


「ええまあ、出来ないことはねえです」


「はっきりしないな」


「まあ・・・あまり関わりたくはねえってところです」


「手玉に取られて悔しいからか?」


「そうじゃねえです」


 鉄也は不貞腐れた。


「そう、怒るな。無事でいられるのは、ある意味で嬢ちゃんの温情だ。ちがうか?」


「へい。おっしゃるとおりで」


 鉄也は政子に飛びかかった時のことを思い出した。


 小娘が生意気な口をききやがる。胸ぐらつかんで二つ三つひっぱたけば、泣きを入れるにちげえねえ。そう思って(たか)(くく)っていた。だが現実には、想像もつかないくらい、大きな力の差を見せつけられた。おまけに親父殿の顔にも盛大に泥を塗ってしまった。

 相手をなめてかかり、自分から手を出しておきながら、あっさり負けたのだ。これがヤクザ相手の喧嘩なら、殺されて当然である。言い訳のしようもない醜態だ。

 それなのに、政子は自分を助けてくれた。


 ちくしょう。


 思い出したら泣けてきそうだ。なんで泣けるのか全然わからねえ。恥ずかしくて悔しくて、あんまり業腹(ごうはら)なんで泣けるんだな、きっと。そうに決まってら。

 助ける義理なんざ、これっぽっちもないってぇのに余計な事をしやがって。上品にすましてんじゃねえぜ。おう、嬢ちゃんよ。思い切り止めを刺して、足蹴(あしげ)にでもして、「ざまあみろ。さっさと死ねよ、ブタ野郎」くらいは言えってんだ。


 鉄也は鼻に皺をよせ、奥歯を噛みしめた。


「延命できれば、それでいい」


「・・・分かりました」


 みんなの手前、助けさせてくれとは言えなかったが、俺は最初から助けると決めていたぜ。小娘に借りをつくったままじゃあ、自分で自分が許せねえからよ。今日のことは生涯忘れないだろう。情けをかけられて生き延びるなんざ、金輪際まっぴらだ。



 ひらりと翼を翻し、小さなコウモリが地上目掛けて飛んでゆく。

 涙を流す晴太の後ろに降り立ち、鉄也は腕をさすり顔をしかめた。


「うひゃあ、脳みそが飛び散っていやがる。痛そうだなあ」


 小さく呟きながら、鉄也は政子の指先に触れた。

 とりあえず、これで貸し借りは無しだ。




「ここは鉄也に任せて、俺たちは行くぞ」


「どちらへ?」


「すぐそこだ」


 ものの十秒もかからず、三人は公園の上空からストーンサークルを見下ろしていた。


「おいおい、ありゃなんだ?」


 龍一が指さした先、ほの白い光を放つストーンサークルの上に、ほとんどバラバラになった遺体が幾つも転がっていた。



「組を襲撃した兵士と同じですかね」


「そうだろう。この場所に辿り着いたまでは、さすがアメリカ軍だと言いたいが・・・全滅したようだな」



 地上に動く者は見えない。爆薬を使ったらしく、周辺の木々が何本か折れていた。

 政子に飛び掛かった鉄也が指一本触れられなかったことを考えれば、ここにも相応の防御システムがあると思ってよいだろう。


 眼下のストーンサークルを睨み、親父殿は腕を組んだ。

 さて、どうしたものか。



「嬢ちゃんが、パズルがどうとか言っていただろう。覚えているか」


「へい」


「こいつをなんとかできれば、執行官とやらも帰るんじゃないかと思うんだが」


「ははあ、なるほど。さすが組長」


「さとし、スマフォで最新のニュースを検索してくれ」


「はい」


 報道関連サイトは、国際宇宙ステーションからの映像をリアルタイムで流していた。青ざめて興奮したキャスターの声が、図らずも震えている。


「御覧ください。インドに降り注いだ隕石群は、徐々に範囲を広げ、現在、中国南部に達しております」



 雲に隠れて中国南部は見えなかった。そのうちに、隕石の落下範囲が刻一刻と北東方面へと広がっていく様が、雲の切れ目から映し出された。キラキラと輝く美しい光の帯が、続々と地上目掛けて伸びてゆく。光がひとつ消える度に、数百数千の命もまた消えてゆくのだ。


 親父殿は腕組みをしたまま嘆息した。


「運頼みでも良かったんだが、そうはいかないらしい。このままだと、日本が消えるのも時間の問題だな。悠長に構える時間はなさそうだ」


「ああ、こんなことなら、もっと嬢ちゃんに話を聞いておくんだった」


 大きく肩を落として、龍一は後悔を口にした。頭を抱えて髪の毛をかきむしる。


「今さら悔やんでも遅い。やれるだけのことを、やってみよう」


「へい」


「そうだ、前もって言っておく。死ぬかもしれんからな、お前たち、降りてもいいんだぜ」


 片頬を吊り上げて親父殿はニヤリとした。


「御冗談を。組長がいなきゃ、とうに死んでいた身でさあ」


「おいらも、同じです」


 龍一とさとしは、気負いもてらいも無く、さばさばと笑った。


「そうかい。じゃあ命を預かるとしよう。まず俺からだ。お前たちは防御に回れ」


「合点」


 親父殿は両手を合わせて真言を唱え、自らの守護神を召喚した。


古の契約に拠りてムジェサシャクトカリェン我に力を与え給えプラティーンディヴァータ


 無数の小さな炎が、滲み出るようにして中空に現れた。炎は次第に渦を巻き、金色のフェニックスに姿を変えた。美しく長い尾羽を持つ、クジャクにも似た鳥だ。全長は十メートルを超えているだろう。


 フェニックスは力強く羽ばたくと、瞬時に炎をまとい、親父殿が指を動かすのに合わせ、地上を目掛けて突進した。

 ドォンと鈍い音が響き、直径百メートルのストーンサークルが炎に包まれたと思いきや、広がった炎は刹那に反転して三人を襲った。


 炎が届く直前、ジューッと激しい水蒸気が上がり、炎は跡形もなく消えた。



「危ねえ・・・」


 もうもうと上がる湯気が三人を包む。龍一の創り出した壁がなければ、そろって蒸発していただろう。


「俺一人なら、今ので死んでいたな」


 ハハハハハ・・・。

 組長は相好を崩し、豪快に笑った。



「龍一、次はお前がやってみろ」


「へい」


 周囲の水滴が一カ所に集まり、青い竜へと姿を変えた。竜は巨大な顎から、ダイヤモンドさえ両断する超高圧の水を放射した。


 ビシュッ。


 狙いはあやまたず、ストーンサークルの中央に当たった。しかしサークルに変化は見られない。龍一の放射が終わるのを見計らったように、カミソリの如く鋭い水柱があちこちから一斉に三人へ向かって伸びた。


 水柱は辛くもフェニックスの炎に阻まれ、三人の直前で、ジュウジュウと蒸発してゆく。


「こりゃ、無理だ。鏡みてえに返ってきやがる」


「破壊は難しいな。これが神の力ってやつか」


 親父殿が感心したように頷く。それに対して、龍一は眉をひそめた。


「神様なんかじゃありませんぜ。さしずめ悪魔でしょうよ」


「フフフ・・・ちげえねえ。さとし、お前もやってみるか」


 さとしは二人と違う方向を向いていた。一点を見つめて、目を凝らしている。


「どうした、さとし」


「親分。あそこに何かあります。祭壇みたいなものが」


「・・・おお、そうだな」


 さとしが言う祭壇は、ストーンサークルの南方五十メートルの地点にあった。


「祭壇の上に窪みが見えます。きっとパズルのピースがあったところです」


「なんで分かる?」


「あれです」


 さとしはサークルの中央右寄りを指した。


「どこだ?」


 さとしは小さく真言を唱え、上空に光球を飛ばした。さながら照明弾だ。


「見てください」


 巨大な幾何学模様が浮かび上がった。


「こりゃあ・・・・」



 すごい。

 さとしの上げた光球に反応したのだろう。地上には強大なオーラがはっきりと見えていた。荘厳なエネルギーの波動が、三人のところまでビリビリと伝わって来る。


「ひとつだけ、色の違う石があるんです」


 さとしはサークルへ降りてゆく。


「おい、危ねえぞ」


「大丈夫。たぶん・・・」


 地上に降りたさとしは、足元を指して


「この石だけ、色が違います」


 まさしく、一カ所だけ石の色が違う。淡い灰色の中に、鮮やかな青がひときわ目立っていた。

 親父殿と龍一も、さとしの(そば)へ降りた。


「嬢ちゃんが教えてくれたパズルのピースは、きっとこれだと思います」


「ふむ・・・それで、お前はこれをどうしたいと?」


「元の場所へもどしましょう」


 さとしは石に手を伸ばし、隙間を探した。

 しかし、きっちりと(はま)り込んだ石の周りに、指の入るスペースは無い。しばらく石を撫でたり叩いたりして、さとしは唸っていたが、ふと顔を上げて小さな目を輝かせた。


「龍一さん、水を入れてもらえませんか」


「水を入れる? どこへ?」


「ここへです」


 さとしは青い石を、ぐるりと指でなぞった。


「隙間に水を入れれば浮くと思います」


「そうだな・・・・」


 躊躇(ちゅうちょ)する龍一に、さとしは笑いかけた。



「攻撃の意志がなければ、きっと大丈夫」


「よし」


 龍一は真言を唱えながら、石に掌をかざした。細かな霧状の水が、青い石の周りに吸い込まれてゆく。やがて水が隙間から溢れだし、ゴトリと動いた。


 石は徐々に持ち上がってゆく。長さ一メートルの石柱がすっかり姿を現し、水の流れに乗ってするすると進みだした時、ストーンサークルの放つ淡い光は消えていた。石柱は水に包まれて台座へ上り、窪みに納められた。青い石柱は、月明かりを浴びて静かに横たわっている。


「光が消えましたね」


 さとしが笑った。龍一も釣られて頬がゆるんだ。


「ああ、そうらしい。肝が冷えたぜ。これで終わりだといいんだが。ねえ、組長」


「そうだな。もしそうなったら、さとし、おめえの手柄だ」


「いやあ・・・」


 さとしは巨体を縮めて頭をかいた。


 それから間もなく、隕石の落下が終息したらしいというニュースが世界中に流れた。

 時間にしておよそ五十五分、間断なくアジアへ降り注いだ隕石群は、完全に止んだのだった。

 さとしのスマフォでニュースを知った組長ら三人は、台座の横に座り込んだ。まだ終わったと判断するのは早い、油断はできないと、知的な風貌の男性キャスターは言っているが、その心配は要らないだろう。少なくとも、ここにいる三人はそう思っていた。


 真っ暗な森の中にいると、上空の星空がよく見える。龍一は夜空を仰ぎ、深く溜息を吐いて、ポツリと漏らした。


「組長」


「なんだ」


「嬢ちゃんは・・・その・・・助けてくれたんですかね」


「さあな」


「たぶん・・・・・」


 それしかあるまい、と思う。

 気まぐれだったのか、別の意図があるのか、それは政子本人に訊かない限り分からない。ともかく、助けてもらえたのは有難い事だ。


 ストーンサークルがパズルだと教えてもらわなければ、ここにいる三人も隕石の襲来に怯え、事務所で祈るよりほかなかっただろう。今頃は、日本全土が木っ端微塵(こっぱみじん)に消えていたかもしれないのだ。


(助かった)


 その実感が徐々に湧いて、龍一は身震いをした。


 その一方で、おそらく数十億の人間が死んだ。これを神の配剤と呼ぶには、余りにも酷い。この所業がどういう未来をもたらすのか、本当に人類の滅亡を救うのか、龍一には想像がつかなかった。



「これから先・・・どうなるんでしょうね」


 隣で膝を抱えたさとしも、それが知りたいというようにコクリと頷いた。 


「さあな。考えても、俺たちには分からねえ。だろ?」


 親父殿はそっけなく言い、龍一の肩に手を乗せて立ち上がった。


「こうして生きているだけで十分だ。帰ろうぜ。腹が減った」


 三対の大きな黒い翼が空高く舞い上がり、闇に紛れてすぐに見えなくなった。


 翌日、インドを始めとする幾つかの国と、中国の九割が消失したと伝えられたが、被害の詳細はまだ分かっていない。無数の隕石が落ちたにも関わらず、被害は市街地に集中していたと判明したのは、数週間後のことであった。





「ご苦労様。調査は終わったようだね」


 白い光に満たされた広い空間に、声だけが響いた。深みのある慈愛に溢れた声だ。


「はい」


 若さを感じさせる別の声が応えた。


「キミが帰還前に観測した事象は、興味深いものだ」


「はい」


「現地では、これをなんと言うのかな」


「無償の愛、または単に愛と呼ぶようです」


「ほう・・・愛、か。同種族で殺し合うというのに、自分の命を他者へ差し出そうとは、全く(もっ)て不可思議な生き物だ。しかも、血縁関係すら無い個体同士ではないかね」


「ええ、いかにも興味深い現象です。他の天体には見られない傾向です」


「ふむ。利己的にして利他的。地球人類には謎が多いな」


「はい。合理性に乏しく矛盾だらけですが、実に面白い観察対象かと。それに・・・」


「それに?」


「いえ、なんでもありません」


 実に愚かです。しかし愛すべき一面もある、とは言えなかった。


「そうか。もう少し調査を続けてもよいな。キミ、どう思うかね」


「よろしいかと」


「では、調査を継続する。さて、後任をどうするか。キミから推薦があれば聞いておこう」


「もしよろしければ、引き続き私が」


「いいのかね? だが、キミは任務を終えたばかりなのだ。休みを取ってはどうかな」


「お心遣い感謝します。ですが、ようやく現地生物の性質が分かったところです。ここは、お任せください」


「では、引き続き調査を頼む。強制執行を継続するか否かは、その調査報告を待って決めよう」

「御意」



 風に飛ばされた春香の御札は、どうなっただろう。

 回収しても良かったのだが、今頃は雨に打たれてボロボロか。やがては散り散りとなって空に舞い、あるいは川に流れ込み、海へ入って微細な粒子となり、世界中へ拡散してゆくと思われる。


 希望的に考えるなら、優しい春香の無垢な思いを載せた造物主の力が、粒子を介してこの星にあまねく行き渡る可能性がある。効果のほどは、さだかではない。行き当たりばったりと言っても良い上に、厳密な意味では規則違反になる。決して褒められた方法ではないだろう。

 しかし、合理性を欠いた矛盾だらけの星には、そんな管理方法があってもよいのではないか。


 至る所で殺し合い、己の棲む星を自らの手で破壊する愚かな生物種が、素晴らしい生命体へと進化するところを想像するのも悪くない。そんな気がする。

 この先、地球がどうなるのか、少なからず楽しみになった。これで調査も気合が入るというものだ。






 ICUで絶対安静だった春香が目を覚ました。

 担当医が言うには「短くてもICUに一か月、全治三か月」のはずであった大怪我にもかかわらず、それは事故から二日後のことであった。そして四日後には一般病棟へ移る事となる。


「奇跡だ」


 医師が首をかしげるような超絶回復の理由を、晴太は知っている。だが、それを口にすることはないだろう。


 北条政子は、春香より回復が遅れた。幸いなことに身体の傷はそれほど重くはなかったのだが、意識が戻らない。


(自分の命を使えと言ったのに)


 晴太は自分が生きているから、彼女が目を覚まさないのではないかと気をもみながら、春香と政子の病室を行ったり来たりしていた。

 病室の往復を繰り返すのは、母の育代もまた同じであった。政子が身を挺して事故の衝撃をやわらげてくれたからこそ、春香は助かったのだ。育代は政子のことを、家族と同じかそれ以上に心配していた。


 事故から十日後の昼下がり。

 政子の病室を見舞いに訪れた晴太は、衣擦(きぬず)れの音を聞いた。見れば、ベッドの上で政子が身動きしている。


「あ・・・」


 すぐにナースコールをして、彼女に呼びかけた。


「北条・・・分かるか?」


 政子はうっすらと眼を開き、


「ええ・・・晴太、くん?」


「ああ、良かった。よく・・・生きて・・・戻って、くれた・・・あ、ありがとう・・・」


 晴太は政子の手を強く握り、ベッドに突っ伏して、身も世も無くオイオイと涙を流し始めた。


「うっぅぅ・・ううう・・・うわああああああああああああん・・・」


「良かったね、お兄ちゃん」


 いつの間にか春香が隣にいた。

 そして、晴太の頭を優しく撫でた。微笑む春香の瞳の奥に、青白い光が見え隠れする。


「よーしよしよし・・・いい子だから泣かないの。いたいのいたいの、とんでけー」


 明るい声が、廊下にも響く。

 それは、聞く者全てを幸せな気持ちにさせた。





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