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神のち悪魔、ときどき魔法使い  作者: 掛世楽世楽
4/6

梵天組

 晴太は何度も頭の中で繰り返したシミュレーションの通り、あらかじめ政子のそばへ近寄り、タイミングをみて、ここぞと振り向いた。


「北条さん、送るよ」


 だが、目の前には誰もいなかった。


「うそ・・・」


 彼はキョロキョロと辺りを見回した。暮れなずむ繁華街は、不景気ゆえに閑散として見通しが良かった。制服姿の高校生は嫌でも目立つ。


「どこだ・・・?」


 見つけた。

 五十メートル先の曲がり角に消えた白いリボンのポニーテールは、政子のものに間違いない。

 晴太は走りながら、何と声をかけようかを考えた。


 どこへ行くの?  うーん、これはダサいな。

 ちょっと時間もらえる?  ナンパか。

 帰る方向が一緒だよね。  待てよ、彼女がすぐに帰るとは限らない。

 夜の繁華街で女の子一人は危ないからね、良かったら家まで送らせて。 よし、これだ!


 妥当性に一人納得しつつ、全速力で追いかけた。


 それほど急いでいるように見えないが、思いのほか政子の足は速い。晴太は見失うまいと必死で走り続け、やっと追いついたと思ったら、白いリボンは建物の中へ消えてしまった。


 割と新しい五階建てのビルだ。入口脇には、大きな一枚板に墨書された「梵天組」の文字。政子の入って行ったビルは、泣く子も黙る武闘派ヤクザの事務所だった。


「うそだろ・・・・・」


 ゴクリ、と喉が鳴った。


「でも・・・でも、行かなきゃ」


 彼女はきっと、ここがどういう場所か知らずに入って行ったのだ。何かあってからでは遅い。絶対に放ってはおけない。


 晴太は震える足を無理にでも動かし、前へと進んだ。

 大きなガラス扉をはさんで、二人の男が仁王立ちしていた。左の男はスキンヘッドに入れ墨、右は角刈りに金縁のサングラスだ。そろって大柄、頑健、見るからに強面(こわもて)である。

 晴太は下を向いたまま、ギクシャクと歩を進めた。


「あの、ちょっと失礼します」


 そろりとガラス扉を押し、中へ入った。

 おや?

 注意されなかった。

 振り向いて、そっと様子を窺ってみると、二人とも宙を睨んだまま微動だにしない。


「どゆこと?」


 ともかく助かった。これで先へ進める。

 前を向くと、突き当りのエレベーター前に政子がいた。一階はフロア全体がロビーのようだ。


「北条さん!」


 声に振り向いた政子は、驚いたように口を開けた。


「・・・明日葉くん。こんなところで何してるの?」


「こっちのセリフだよ。どうしてここへ?」


「知り合いを見かけたの。追いかけたら、このビルへ入ったのよ」


「ここ、ヤクザの事務所だよ」


 このひと言で、政子は回れ右をして、一緒にビルを出て行くものだと思っていた。ところが、そうではなかった。


「ヤクザ・・・ああ、そう。それはちょうど良かった」


 彼女は嬉しそうに、胸の前で手を合わせた。

 いったい何を言っているのだ。


「良くない。危ないよ。分かってる? 何かあってから後悔しても遅い。一緒に帰ろう」


 晴太は連れ帰ろうと政子の手をつかみ、足を踏み出した。


「おおっと・・・」


 晴太は仰向けに転ぶ寸前で、なんとかこらえた。まるで銅像のように重い。

 驚いて振り向いたが、政子に変わりはなかった。身長は晴太より低く、制服から伸びた手足は細い。メリハリがあるにしても、少なければ四十キロ少々、多くても五十キロは超えないだろう。


 どういうこと?


 唖然とする間に、エレベーターのドアが開いた。中は空だ。


「話を聞きたいから行ってくるわ。反社会勢力の組織を知る機会も、そうそうないでしょう。調査も大詰めだし、これも後学のためよ」


 政子は晴太の手を振り切って、エレベーターへ乗り込んだ。説得に応じる気配はなかった。


「わたしのことは、気にしないで」


 女子高生が一人、ヤクザの事務所を訪問すると想像しただけで、晴太は冷や汗が出た。


「ちょ・・・・待って、北条さん」


 ドアが閉じる前に、ドタバタと晴太も乗り込んだ。こうなれば一緒に行くしかない。

 政子は五階のボタンを押した。目指す相手は最上階にいるようだ。


「知り合いがビルに入るところを見たって、そう言ったよね」


「ええ」


「友達?」


「・・・違う」


 なぜヤクザの知り合いがいるのかを質問する前に、エレベーターのドアが開いた。


「今からでも遅くない。帰ったほうがいい」


 政子は小さく(かぶり)を振って、躊躇(ちゅうちょ)なく正面の両開きドアへと進む。


 あわてて後を追う晴太の脳裏に、彼女と過ごした幼少期の記憶がよみがえった。

 二人で一緒に遊んでいると、決まって邪魔をする体の大きな男の子がいた。今にして思えば、その子も一緒に遊びたかったのだろう。いつも政子と一緒にいる晴太を妬む子は少なくなかった。


 男の子は、晴太と政子を見かけるたびに、ちょっかいを出した。悪口を言うくらいはマシなほうで、気に入らないことがあれば、すぐに晴太を小突き、反抗すれば殴った。幼い頃のこととは言え、思い出せば今でも苦いものがこみ上げる。


「やめなよ」


 政子が間に入ると、男の子はアカンベーをして逃げてゆく。

 腕力でかなわない晴太は、いつも為す術なく殴られては、泣きながら家路につくのだった。

 その都度、政子は、


「いたいのいたいの、とんでけー」


 そう言って、頭を撫でながら家まで送ってくれた。彼女は実に優しい子供だった。


 転機は八年前に訪れた。

 風の噂に、政子の両親が離婚したと聞いた小学三年生の時、彼女から笑顔が消えた。晴太に離婚の意味は分からなかったが、元気のない彼女をなぐさめたい、どうしたら彼女はまた笑ってくれるのだろう、と独り思い悩んだ。

 しかし、晴太は「自分の出る幕はない」と自分自身に言い聞かせるだけで、あと一歩を踏み出せなかった。彼女には大勢の友がいた。頼りがいのある友人たちが、打ち沈む政子を幾重にも取り巻いていたのだ。


 彼女が学校へ来なくなった中学生の頃も、同じことの繰り返しだった。二人の距離は、あっけなく開いてしまい、時間だけが虚しく過ぎた。気がつけば、親しかったはずの二人は、赤の他人になっていた。


 それでも、彼にとって政子が太陽であることには、いささかも変わりがなかった。彼女を遠目に見るだけで、心がときめく。嫌な事も忘れられる。様々な思い出と共に秘めた晴太の憧れは、埋火の如く、十数年来に渡って彼の内面を焦がし続けた。

 今度こそ引かないぞ。僕が北条を守る。もう後悔はしたくないから。



 スタスタと散歩するように歩む政子を追って、晴太も梵天組の事務所へ踏み込んだ。


(入っちゃった・・・)


 ガクガクと笑いそうになる膝を叩いておっかなびっくり見渡すと、中はかなり広い。左手に応接セット。右手に事務机が並んでいる。武器の類いは見当たらなかった。


 やけに静かだ。

 そのわけは、すぐに分かった。

 パーティションで仕切られた奥の一角に、十名ほどの組員が集まり、テレビ画面に見入っている。インドがどうした、とかいう声が聞こえた。


 晴太は声を潜めて尋ねた。


「知り合いは、いた?」


「ここにはいない」


 辺りを見回す政子の視線が止まった。正面右に、重厚な造りの木製ドアがある。


「まだ行くの?」


 それに答えず、政子は再び歩を進めた。晴太も首をすくめて後に続く。

 気付かれずに入ったは良いが、いつバレるかと思うと生きた心地がしない。

 組員たちの後方を横切って、政子はドアノブに手をかけ、ノックもせずにそのまま開けてしまった。


 ガチャリ。


 二十畳ほどの広さがある部屋に、二人の男がいた。


 一人は五十代と思しき男性だった。両袖机の向こう側に立ち、政子と晴太の闖入ちんにゅうとがめるでもなく、泰然と二人を眺めている。太い眉の下に切れ長の眼が炯々と光っていた。手前のソファに座る若い長髪の男性は、驚いて口を開け、眼を真ん丸にして二人を見ていた。左耳に十字架のピアスが光っている。


「なんだ、お前らは。あ・・・お前、政子・・・だよな。どうしてここにいる?」


「見かけたから追ってきたの。キミ、誰だっけ」


「誰って・・・なにを言ってんだ。覚えてないのかよ。それより、お前、怪我は・・・・してないのか?」


 おかしいな、派手に落ちたけどなあ、と男は眼を眇めて首を捻った。


「あ、思い出した。キミ、私を穴に落としたわよね?」


 政子はポンと手を打ち、フラッシュバックする記憶に眉をひそめた。


「わりい。つい、な」


 悪びれもせず、誠二は片手拝みで謝意を示そうとした。

 強制わいせつを目論み、失敗して政子を突き飛ばし、穴に落ちた彼女が動かないと見るや、脱兎のごとく逃げ出したのだ。その謝罪にしては、いかにも軽すぎる。


「酷い男だわ。それで、キミの名前は?」


「はあ? 三好誠二だ。マジで忘れたのか?」


「そうそう、そんな名前だったわね。ところでキミ、どうしてここにいるの?」


 闖入者が言うべき言葉ではなかった。さすがに誠二もあきれ顔だ。


「おいおい、立場が逆だろ。ここは俺の家みたいなもんだ。お前こそ、なぜここに?」


「私はキミを見かけたから」


「文句のひとつも言いたいってか?」


 誠二は笑いかけて、後ろに立っていた晴太に気付き、眼を細めた。


「その男は誰だ?」


 露骨に敵意を表した。

 身の危険を察知した晴太は、とっさに眼をそらし、震え出した脚を自分で強くつねった。


「気にしないで。友だちよ。それより、ここへ来たついでに、ヤクザの方と話をしたいの。後ろの人が責任者かしら」


「おい、口の利き方に気をつけろ。俺の親父殿だ」


 ガラリと口調の変わった誠二には眼もくれず、政子は男に挨拶をした。


「初めまして。お話をさせて頂きたいの。お手間は取らせません」


 政子はニッコリと笑った。


「無視するんじゃねえ!」


「誠二」


 名まえを呼ばれただけで、誠二は押し黙った。

 男性は値踏みするように、上から下まで政子を眺めた。


「嬢ちゃんの名前は?」


「北条政子です」


「ふむ・・・」


 本物の持つ危険極まりないオーラは、晴太にもはっきりと分かった。誠二とは明らかに格が違う。眼を向けることすら憚られた。


「誠二、お前は外へ出ろ」


「しかし・・・」


「聞こえたか?」


「・・・はい。でも、そこの坊主はいいのか?」


 親父殿にジロリと睨まれ、誠二はそそくさと部屋を出た。ドアが閉まるのを待って、親父殿は一人掛けソファに身体を沈めた。


「まあ、座れ」


「このままでいいわ。長居はしないから」


「そうか」


 ふーっと長く息を吐き、


「表に見張りがいただろう。どうやって中に入った?」


「歩いて入ったわ」


「フフ・・・ハハハハハ・・・・」


 親父殿は一頻(ひとしき)り笑った。

 そして、改めて問うた。


「どんな方法を使って、見張りをごまかしたのか、と訊いているんだ」


「言っても分からないわ」


 晴太は冷や汗をかいた。こんな言い方をされれば、自分でもムカつく。

 親父殿の眼が白く光り、視線が政子に刺さった。


「まあ試しに教えてくれ。下の二人は腕扱(うでこ)きでな。知り合いでもない高校生を、黙って通すようなことは絶対にしない」


 仕方がないというように、政子は肩をすくめた。


「言うなれば神の御加護ね」


「神だと? ふざけるな」


「そんなつもりはないの。私はいつだって真面目よ」


 彼女の口元には笑みが浮かんでいる。


「ふん・・・」


 ひとつ息を吐いて、親父殿は徐に口を開いた。


「いい度胸だが、跳ね返りもたいがいにしておけ。子供だからといって、大目に見てもらえるとは限らんぞ。その意味がわかるか?」


 声音が妙に優しかった。

 これ以上は、ヤバい。

 ブルっと身震いして、晴太は政子に耳打ちした。


「さっさと謝って、帰ろう」


「一人で帰りなさい」


「そんな・・・」


 取りつく島もない。

 本当に帰るわけにもいかず、晴太は黙って見守るしかなかった。


「私から言わせてもらうわ。誠二は息子でしょ?」


「まあ、そうだ」


「あいつ、私を遺跡の発掘現場に連れて行って、乱暴しようとしたわ。それだけで十分にひどいけど、その後がもっとひどいの。抵抗したら突き飛ばされて、その拍子に深い穴に落ちて、首が折れたの! どう? いろいろと最低でしょ」


 政子は腕を組み、親父殿を(にら)んだ。


「それは酷い。フハハハ・・・」


 おおかた政子の狂言だと思っているのだろう。本当に発掘現場で首が折れたなら、ここにこうしているわけがない。そういう解釈が成り立つから、親父殿は笑っているのだ。


「笑い事じゃないわよ」


「ハハハ・・・、そうだな。それでどうしろと? 謝ってほしいのか?」


「いいえ。その件は不法侵入と相殺でいいわ」


「ありがたい」


 親父殿はニヤリとした。


「ついでに質問をさせて」


「いいだろう、と言いたいが、お前が本当のことを話すという条件つきだ。見張りはどうした? 殺したわけじゃあるまい」


 政子は親父殿をまっすぐに見つめ、しばし黙考していた。


「いいわ。私の質問が終わった後でよければ、改めて答えましょう」


「ほう・・・主導権は自分にあると、そう言いたいのか」


「そうよ」


 政子は「当然でしょ」と言わんばかりだ。

 晴太には無謀としか思えないが、見る者が見れば、政子の貫禄は海千山千の親父殿に勝るとも劣らない。

 政子を眺めていた親父殿は、微かに笑ったようだ。


「嬢ちゃん、ただの高校生じゃないな。よし、その度胸に免じて質問を受ける」


「え?」


 意外な返答に驚いた晴太の高い声が、室内に響いた。


「あ、ごめん」


 ひと言謝って、すぐに晴太は口をつぐんだ。

 政子と親父殿が、そろって晴太に視線を注いでいた。


「・・・質問を受けた後で、侵入方法を明かしてもらおうか」


「それで結構。では、お言葉に甘えて一つ目の質問から・・・」


 政子が話し始めた時、勢いよくドアが開けられた。


「おやっさん、大変だ・・・・あ、御客人でしたか」


 ドタバタと立ち止まった身長二メートルに近い大男は、小さな目をしばたたき、言い難そうに口をモゴモゴさせた。


「構わん」


「あ、それじゃあ失礼いたしやす。あの・・・」


 男は下を向き、再び口ごもった。身体に似合わず小心者らしい。


「いいんだ。話せ」


「へい。ビルが囲まれています。武装した奴らが大勢・・・です」


 親父殿の眉間が曇った。


「数は?」


「二十は下らないと・・・思います」


「そうか。出迎えの準備をしろ」


「合点で」


 男は巨体を(ひるがえ)し、部屋を出て行った。

 親父殿は立ち上がり、


「そういうことだ。悪いが、続きはまたの機会にしてくれ」


「あの・・・」


「なんだ」


「敵、なの?」


「武装しているらしいからな。そういうことになるだろう」


「もしかしたら、私のせいかも」


 親父殿はジロリと政子を一瞥した。


「・・・二十人の武装勢力だぞ。思い当たる(ふし)があるのか?」


 政子は否定も肯定もせず、首を傾げた。


「変わった女の子だ」


 親父殿の苦笑いは、思いがけない愛嬌があった。


「その辺に隠れていろ。さとしが囲まれていると言うなら、逃げ道はない」


「さとしって?」


「話はあとだ。うむ・・・一階から上がって来る」


 監視カメラがあるのか、相手の位置が居ながらにして分かるようだ。

 親父殿は大股に移動してドアを開け放ち、大音声で呼ばわった。


「野郎ども、出入りだ。誠二、お前は引っ込んでいろ。邪魔になる。鉄也、お前は後ろの子供二人を守ってやれ」


「合点」


 鉄也と呼ばれた若い男は、茫然と立ちすくむ晴太の前にやって来た。ガッチリした体に派手なアロハシャツが似合う。男は白い歯を見せて、ニコリと笑った。


「ここから出るな。机の陰で伏せていろ」


「あ、はい・・・北条、隠れよう」



 政子は目をつぶり、微かに首を傾げて、じっとしていた。(あわ)てもしなければ、逃げもしない。目前の危機が恐くないのだろうか。


「さとし、四方のビルはどうだ?」


 襲撃を(しら)せた巨漢が、天井を仰ぎ見た。


「向かいと左のビルに、二人ないし三人。屋上で銃を構えています」


狙撃手(スナイパー)だな・・・」


「へい、おそらくは」


「念の入ったことだ。権左、いるか」


「ここに」


 小柄な髭面の男が音もなく現れ、床に膝をついた。


「屋上から出て始末してくれ」


「合点でさ」


 言うや否や、男の姿が消えた。


「え?」


 眼をパチクリさせて、晴太は辺りを見回した。権左と呼ばれた男は、どこにも見当たらない。煙のように消えてしまった。


「坊主、モタモタするな。ハチの巣にされてえのか」


 早く隠れろという鉄也の眼は、もう笑っていなかった。事務所の組員が、隠し扉から黒光りする銃を取り出し、次々と手渡ししている。

 もうすぐ、ここは戦場になるのだ。

 (にわ)かに焦燥と恐怖が晴太の全身を包んだ。



「北条、隠れよう」


 政子は目をつぶったまま動かない。ブツブツと何やら(つぶや)いている。


地水火風の精霊たちよクォトラエレメンティススピリティブス我に力を(ドナヴェレメウム)・・・」


 晴太は政子の手を取った。


「北条」


「どうした、坊主?」


「ええと、その、僕にもさっぱり・・・」


 この状況で動こうとしない二人に対する苛立ちが、鉄也の顔にはっきりと表れた。


「おい、嬢ちゃん。命が惜しけりゃ隠れていろ」


 鉄也がドスの効いた声を上げた。


 その時だ。

 政子の眼がパッと開いた。


発動せよ(アクティベイト)」 


 事務所の出入り口ドアが勢いよく開かれ、黒ずくめの兵士がなだれ込んだ。


「うわっ」


 晴太はとっさに北条の肩をつかみ、床へ伏せようとした。せめて自分が盾になろうと思ったのだが、政子は石像の如く動かなかった。


 ダメだ、間に合わない!

 彼は政子をかばって眼をつぶり、息を止めた。

 もう死ぬのだと思った。ドクドクと脈を打つ自分の心拍音だけが、耳の奥に響いた。他には何も聞こえない。


 目を開けたら、三途の川に立っているとか。

 晴太は自分の想像に苦笑した。


「なんだ、これは・・・?」


 背後から聞こえた声に、疑念が混じっている。

 晴太は恐る恐る眼を開けて、後ろを見た。


 ざっと十余名の兵士全員が、銃口をこちらへ向けていた。ピタリと静止したまま動かない。拳銃を持った組員も同様の有様だ。膝をついて銃を構える者、机の後ろに隠れようとする者、床に這いつくばる者。おのおのが、決死の形相を顔に貼り付けたまま止まっている。


 晴太はポカンとして、その景色を眺めた。「だるまさんがころんだ」という子供の遊びを思い出した。鬼が見ている間は身動きできない、動けば負けである。


 室内を見回して更に愕然とした。奇妙な生き物が浮かんでいるではないか。ヘビか、それともトカゲか。青い生き物は、龍一の上をくるくると回っていた。

 動物は他にもいた。親父殿の上には、赤い蝶か鳥らしきものがヒラヒラ飛び回り、鉄也の背中には何十本という腕が生えている。これは「錯覚に違いない」と思った晴太は、何度も瞬きをしてみた。目を擦り、頬をつねってみた。しかし、奇妙な生き物は一向に消えない。治まりかけた晴太の心臓が、またも大きく拍動を始めた。


「これはいったい・・・?」


 龍一は唖然として、事務所の中を見回している。誰ともなく、そろりそろりと動かぬ兵士の方へ歩み寄った。


「お・・・これ、弾だぜ」



 発射された銃弾が、宙に浮いて止まっていた。よく見ると、ほんのわずかずつではあるが、銃弾は前に進んでいるようだ。そこから察するに、事務所内の時間の流れが、ほぼ止まっているのであろうと思われた。正常に動いているのは、政子と晴太を含めて六名だけだ。


「間に合って良かった」


 政子は両手を胸の前で合わせ、小さく笑んだ。

 耳ざとく親父殿が振り向いて、


「まさかと思うが・・・これは、お前らの仕業か」


 二人の高校生を正面から見据えた。それだけで、大概の男は震えあがるほどの迫力があった。

 後退(あとずさ)る晴太の横で、政子は晴れやかに答えた。


「さあ、どうかしら。騒ぎも静まったことだし、私から質問をさせていただきたいの。よろしい?」


 親父殿は棒を呑んだように目を瞠り、すぐに破顔一笑した。


「フハハハ・・・。いいだろう。坊主はどうする?」


 呼びかけられて、晴太はやっと我に返った。隣の政子につかまっていなければ、今にも腰が抜けそうだ。


「ぼ、僕も・・・いいですか?」


「かまわんよ。おい、鉄也」


「へい」


「客人に茶を出してくれ」


「分かりました」



 改めて奥へ案内された晴太と政子は、客としてのもてなしを受けた。数分前に乱入した組長の部屋である。テーブルには、香り高い緑茶と和菓子が並んでいる。菓子は晴太の大好きな有名店の銘柄だった。


 同席した六人は、張りつめた空気の中、いずれも無言のままに喉を潤した。政子を除く五名は、彼女が口を開くのを、今か今かと待っていた。

 護衛の意味もあるのだろう、親父殿を除く三名の組員は立ったままであった。組員の誰かしらがチラリと政子を見ては、隣の部屋へ視線を投げている。状況が状況であるだけに、落ち着かない様子が、そこからも見て取れた。


 晴太は晴太で、そわそわと自問自答していた。

 隣の事務所は、時間が止まったままだ。親父殿は「お前らの仕業か」と言ったが、こんなことできるわけがない。というか、こうして自分の眼で見ても、まだ信じられない。原因だって、皆目見当がつかない。親父殿を含む梵天組の面々にも、どうやら覚えがないらしい。そうでなければ、わざわざこういう席を用意する意味がない。ということは、やっぱり自分たちに関係があるのだろうか。それとも、神様がちょっとした悪戯(いたずら)心を起こしたとか。

 いや、それはない。神様に知り合いはいないし、神様がいるとも思えない。


 晴太は心当たりを考えてみた。

 可能性はひとつ。政子だ。

 夏休みの夜に見かけた異様な姿といい、カラオケに行く途中で会った男性の変わりようといい、武装勢力乱入直前の意味不明な呟きといい、彼女には不可解な点が多すぎる。「今まで黙っていたけれど、私は世界最高のマジシャンなの」とか言って、笑ってくれないかな。是非にも言ってほしい。


 それから、組員の頭上に見えた奇妙な動物、そっちも気になる。ありゃなんだ? 武装勢力に関係があるとは思えない。今は見えないし、やはり錯覚だったのかな。錯覚にしては、色も形もずいぶん鮮明だった。仮に現実だったとして、ではあれが何なのかと問われても、サッパリ分からない。誰もそれを指摘しないっていうのも、なんだか不自然だ。他の人に見えていないなら、どう考えるべきだろう。


 まさかと思うけど、そうは考えたくないけれど、自分は狂ってしまったのか。


「冗談じゃない!」


「急にどうしたの?」


 政子が目を丸くした。


「あ、その、何でもないです」


 妄想が暴走してしまった。もっと冷静に。落ち着け、落ち着け。


「体調が悪いなら、帰った方がいいわ」


「平気だよ。うん、平気・・・」


 それにしても、割と皆さん平然としていらっしゃる。もっとこう、動揺するでしょ、普通。この状況ですよ。


「美味しいお茶だったわ。御馳走様でした」


 丁寧に頭を下げた政子に、組員たちも釣られるように会釈をしていた。


「では、私からいくつか質問をさせていただきます。よろしい?」


「うむ」


 親父殿が鷹揚に頷いた。


 いよいよだ。

 晴太の背筋が伸びた。

 さとしが大きな体を丸め、まめまめしくお茶を淹れなおしている。


 政子は晴太の家を訪問した時と同じく、人類の調査だと言った。


「ヤクザの皆さんとお話するなんて、とても貴重な経験です」


 政子は折り目正しく「よろしくお願いします」と改めて頭を下げた。瞳が好奇心でキラキラと輝いている。

 組長以下四名は、毒気を抜かれて言葉も無かった。それは晴太も同じである。


「先ず、反社会的な組織を運営しようと思われた理由から、教えてください」


「理由か・・・。そうだな、俺たちの組織は世の中に必要とされている」


「必要と思っているのは、あなた方だけではありませんか?」


 晴太はヒヤリとした。政子の言葉には容赦が無い。もう少し相手の立場を斟酌しないと、こちらの身が危うくなりそうだ。

 しかし、親父殿は気分を悪くした風もなく、淡々と答えた。


「堅気から見て悪人であれば、全て不要だと言いたいのか?」


「さあ、どうでしょう」


「物事そう単純ではない。例を挙げて話そう。ひとつ訊くが、覚醒剤は悪か?」


「さあ・・・明日葉くんはどう思う?」


「え、俺なの? そうだな・・・クスリは悪じゃないかな。違法だし、身体にも悪い」


 言ってから、晴太は皆の機嫌を損ねていないかどうか、そっと窺った。

 親父殿の口元に笑みが浮かんでいる。


「普通はそう考えるだろう。では、悪なのだから、売らないとしよう。ヤクの売買は無くなるかな?」


「明日葉くん、どうなの?」


 政子は続けて晴太に尋ねた。自分で答える気はないらしい。


「また俺? ええと、たぶんなくならない」


「どうしてそう思う?」


「他の暴力団・・・もとい組織が売ると思う・・です」


「正解」


 ヤクの種類にもよるが、多くは中米や台湾で生成される。梵天組が取引しなくても、他にいくらでも取引相手はいるだろう。


「では、仮にうちが売買を止めたとして、ヤクを使う人間は減るか?」


 政子は無言で晴太を見つめた。わかったよ、と晴太は頷く。


「減らない、と思います」


「そうだ。うちの組で扱わなくても、他で買える。何が言いたいか、わかるかな」


「つまり、どうせ誰かが売るなら自分が、ということですか?」


「そう言っても間違いではない」


 親父殿は静かに話を続けた。



「もう少し話を進めよう。ヤクも他の商売も根本は大差ない。需要があれば供給がある」


 わかるか、と親父殿の眼が問うていた。


「今の世は、良くも悪くも金が神だ。金を信頼して社会が成り立っている。人は様々な手段で金を稼ぎ、物やサービスを買う。力で奪う者もいるが、それは例外としよう。基本的に、人は少しでも安く、安全で品質の良いものを買い求める。それが自分の欲しい物なら何であれだ。ヤクも武器も女も。そうして世の中が回っている。資本主義とはそういうものではないかな?」


「はい」


 それは晴太にも分かる。政子は黙って二人のやり取りを聞いていた。


「うちの組は、他よりも品質の良いヤクを、少しだけ安く売っている。だから客はうちで買う」


「それは中毒者を増やしているのと、同義ではないのかしら」


 政子の問いは、今度も晴太をヒヤリとさせた。真実は言わぬが花である。正しい指摘だからこそ、ひとつ間違えば組員たちが激昂しかねない。

 親父殿は苦く笑った。


「そうかもしれん。だが坊主は言ったな。うちの組がヤクを売らなくても、買う人間は減らないと」


「はい」


「うちで売らなければ隣の組が売る。そこがどういう商売をすると思う?」


 外国人居住者の増加に伴い、最近台頭してきた中華系のマフィアは、金にさえなれば何でもやるという。

 最初は上等なヤクを安く売る。客がヤクの味を覚え、離れられなくなったころを見計らい、少しずつ品質を下げて値を上げる。品質の低いヤクは効きが悪い。だから頻繁に買うようになる。蟻地獄に誘い込まれた常用者の金銭的困窮は、火を見るよりも明らかだ。実にあくどい商売である。


「そこから取り立てが始まる。最後の仕上げ、というわけだ」


 金が無くなれば、借金をさせる。返済に困れば、家財、土地、臓器、娘、売れるモノは何でも売らせる。そうして骨までしゃぶりつくす。そのやり方は、まさに獰猛(どうもう)なピラニアさながらだった。


「うちはヤクの品質を下げたり、値を上げたりはしない。人身売買もしない。だからといって、褒められた商売じゃないがな。どうだ、坊主なら、どこから買うね? フフフ・・・」


「・・・・・」


 どこからであろうと、絶対に買いたくないと晴太は思った。


「毒を以て毒を制す、ということなのかしら」


「そのとおりだ。最初から毒が無くて済むなら、それに越したことはないだろう。だがな、毒でしか消せない毒もある」


「ふうん。問題が起こることはないの?」


 政子が疑問を呈した。


「ある」


「例えば?」


「競業組織との縄張り争い。手下の不始末。官憲との駆け引き。毎日が戦争だ」


「大変そうね」


「まあな」


「いっそ解散しようとは思わない?」


 壁際に居並ぶ三人の手下が、政子の言葉に反応した。面差しが見る間に険しくなってゆく。


「おい、口を慎め。言って良い事と悪い事くらい、わかるだろう」


「かまわん」


 親父殿は軽く手を振り、手下を(いさ)めた。


「解散か。世間様はそう願うかもしれんな。言っておくが、俺たちは好きで争うわけじゃない。こう見えて、不要な摩擦は避ける主義だ。総じて警察の活動には限界があるから、止むを得ないのだ」


「限界とは、どういう意味?」


「警察が動くのは、明らかに違法性があるケースだけだ。俺たちから見れば犯罪でも、警察が相手にしないトラブルは、それこそ無数にある。さっき言ったような金儲けにしか興味のないケダモノを、黙って見ている法はあるまい」


 それに、と親父殿はいう。


「ここは最後の砦だ。俺たちには俺たちの存在意義がある」


 言葉の意味を推し量るように、政子は首を傾げた。


「嬢ちゃんは誠二を知っているな」


「ええ」


「あれでも、少しはマシになった。ここへ来たときは、箸にも棒にも掛からぬクズだった。まあ、嬢ちゃんから見れば、今も大差ないだろうが・・・」


 誠二は幼くして親に捨てられ、親戚の家をたらい回しにされた挙句、福祉施設に引きとられたのだという。近所でも、学校でも、どこへ行っても孤児は色眼鏡で見られる。厄介者扱いを受ける。子供同士のイジメなどは日常茶飯事だ。誠二に落ち度が無くとも、彼に降り注ぐ理不尽の雨は、決して止むことがなかった。


「ひどいわね」


「自分より弱い者は、憂さ晴らしの道具だ。それが世間てぇものさ」


「そんな人ばかりじゃないでしょう」


「いずれにしても、お前さんたちには縁のない世界だ」



 幼い誠二の心はすさんだ。あたかも低みを目指す水のように、黒く汚れながら流れて行った。


 ある日、福祉施設の簡易金庫が盗まれた。侵入の形跡がなく、内部の者による犯行と推測された。

 日頃の行いは、こういう時にモノを言う。素行の悪かった誠二は、すぐに疑いの目を向けられ、やりもしない窃盗の罪を着せられて、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。


「なんでえ。畜生め。我慢我慢と言いやがるから真面目にやってりゃあ、揉め事は全部俺のせいときた。ようし、わかったぜ」


 誠二は福祉施設に火をつけて飛び出し、以来、脅迫、強盗となんでもござれ。親父殿に拾われるまで、悪の限りを尽くした。


「組の者と喧嘩して、大怪我した誠二を引き取ったのが三年前。今は俺の子供だ。居場所があるってだけで、多少はマシになる者は多い。誠二もそうだ」


「あれでマシになったというの?」


「そう恐い顔をするな。誠二が嬢ちゃんに何をしたかは知らんが、許せないなら好きにすればいい」


「え? それはどういう・・・」


 晴太が素っ頓狂な声を上げて、あたふたと口を閉じた。

 親父殿は薄く笑い、


「ヤクザだからといって、犯罪を黙認するわけではない。まして堅気に手を出そうもんなら、絶対に落とし前はつけさせる。俺の組では、そういうことだ。お望みなら縛り上げてここへ連れて来よう。ただし、手を下すのは嬢ちゃん自身だ」


「言いたいことが見えないわ」


「お前さんを信用して、筋を通すと言っているだけだ。たとえ嬢ちゃんが誠二を殺したとしても、外へ漏れることはないから、存分にやってくれ」


 政子の表情に変化はなかった。


「私の言ったことを信じるのね」


「そうだ」


「なぜ?」


「危険を冒してここまで来て、下らん嘘をつくとは思えん。違うか?」


「ふうん。では、彼にふさわしい罰を下します。二度と女性に暴力を振るわないように」


 政子はパチンと指を鳴らし、口角を上げた。


「質問を続けてもいいかしら。ここは社会から脱落した者の受け皿なの?」


「手厳しいな」


 これには、ヤクザ四人が揃って苦笑いせざるを得ない。


「組にはそんな一面もある。どんな野郎でも居場所さえあれば、ひとりぼっちで自暴自棄に生きるよりマシな人生になるのさ。そうすりゃあ、役に立つとまでは言わないが、他人様にかける迷惑も減らせるって寸法だ。わかるかね? 俺の経験からも自信を持って言える。どうだ、必要悪の答えになっているか」


「そうね。参考になったわ。最後にもう一つ訊いていい?」


「どうぞ」


「私は明日葉くんを除いて、全員を拘束したつもりだったの」


 政子は事務所をチラリと見た。


「でも、ここにいる四人は平気みたい。あなたたち、普通の人間じゃないわね。何者なの?」


 四人のヤクザは、眼を細めて破顔した。


「それはこっちが訊きたい。嬢ちゃんこそ、いったい何者だ?」



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