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神のち悪魔、ときどき魔法使い  作者: 掛世楽世楽
2/6

晴太

 親が望んだ進学校での生活は、晴太にとって、この上なく退屈なものとなりつつある。

 大人の吐いた唾とタバコの吸い殻、たまに犬のフンが目につくアスファルトの通学路が、彼の眼には薄汚れた十三階段に映った。一歩進むごとに憂鬱が彼を(むしば)み、死へ(いざな)おうと甘い言葉を囁くのだ。


 学校までの、そう長くもない道のりを、制服を着た高校生たちが携帯電話を手にして歩いてゆく。一様に少し背を丸め、あたかもそこが世界の全てだと言わんばかりに、掌の中で明滅する小さな液晶画面を凝視している。


 晴太はそういう景色を見ると、いつも言うに言えない気分を味わう。どんな気持ちかは上手く説明できない。何か変だと思う反面、これでいいのだと思ったりする。

 そもそも、他の選択肢があるだろうか。残念ながら彼には、なにも思いつかない。だとしたら考えるだけ無駄というものではないか。いつもそこに思い至り、肩を落として灰色の校門をくぐるのだった。


「おはよう」


 生徒指導の教師がニコリともせず、彼に朝の挨拶を促した。この「おはよう」は「挨拶しろ」という語彙に変換可能だ。

 いつも同じジャージを着ている三十過ぎの体育教師は、透けた頭頂部が日に焼けていた。九月だというのに、真夏の如く暑い。


「おはようございます」


 晴太は機械的に挨拶を返した。声は小さからず大き過ぎず、投げやりにならず。そこがポイント。決して目立ってはいけない。うっかりすると、即座に呼び止められて、有難い説教をたっぷり聞かされる破目になる。その場面を想像するだけで、彼は吐き気がしそうだった。


 体育教師は上から下まで晴太の服装をチェックして、次の生徒に目を移した。


 無事に関門を突破したようだ。これで、放課後まで学校に居てよいと、許可を得たことになる。さして嬉しくもないのに、どこかでホッとしている自分に気がついて、彼はなんだか嫌気がさした。


 僕は最低だな。


 こうして二学期初日は始まった。

 今日の(みそぎ)は済んだものの、果たして学校に居る方が良いと言えるのかどうか、その判断も難しい。

 治外法権の学内は、理不尽な規則でがんじがらめなのだ。髪型、服装、筆記用具の種類と本数、果ては下着の色まで決められている。どれ一つとっても「昔からそう決まっている」というだけで根拠に乏しい。規則に馴染めない者には、ちょっとした地獄であった。学校関係者はマゾヒストでも養成したいのだろうか。


 晴太はのろのろと足を動かし、校門を後にした。


 古びたレンガの敷石が続くその先に、大きな広葉樹で囲まれた校舎が見えてくる。創立二十五年を経た校舎は、どことなく温か味があり、優し気だった。概して造りも悪くない。こういう学校は荒れないと、教師の間では言われているらしい。


 晴太は埃臭い玄関で上履きを引っかけた。


 なんでもいい、とにかく何か起こってくれないかなぁと思いながら、混雑した廊下を注意深くすり抜けて、一階奥の二年一組へ向かう。摺りガラスのはまった木製の引き戸を、カラカラと開けて教室に入ると、クラスメートの視線が一斉に晴太に集まり、すぐにまた元へ戻った。


「おはようっす」


 荒木祐介が、晴太の背中を軽く叩いて隣の席に座った。体育会系でもないのに五分刈りの祐介は、パソコンが趣味の自称「オタク」だ。下がり気味の眼に愛嬌がある。


「おはよう、祐介。今日も元気だな」


「もちろん。(せい)()は?」


「まあ元気、かな」


 心身共に健康である。経済的に問題はない。つまり、やろうと思えば何でもできる。

 なのに、この気分はどうだ。


 時間を無為に過ごす罪悪感、やりたいことが何も見つからない焦燥感等々、捉えどころのない感情が、胸の奥で黒い渦を巻いている。落第するほど成績は下降しないが、一向に上昇もしない。このままでいいのかとあせる一方で、何かに没頭することも夢中になることもない。みんなが良いというものには意地でも背を向けたくなる。自分の将来像など、全く見えてこない。


 入学から一年以上が経つというのに、僕はいったい何をしているのだ。


 気がつくと、祐介の顔が目の前にあった。


「ぜんっぜん、元気そうに見えないぞ」


「・・・気合が入らん」


 晴太は机に突っ伏した。


「じゃあ、今晩あたり、また行ってみるか? いい刺激になるぞ」


 祐介はニヤリとした。



 遺跡探検をしようと出掛けたのは、先週の金曜だった。

 変哲のない退屈な毎日を打破すべく行動するぞ、夏休みの思い出をつくろうぜと言い出したのは祐介だ。


(それも、悪くないな)


 晴太は二つ返事で了承した。


「どうせなら、真夜中に忍び込もう」


 ワクワクしながら当日の夜を迎えた。晴太は約束の二十三時よりだいぶ早く、いそいそと待ち合わせのコンビニへ出かけた。そこなら二人の家から、徒歩数分である。


 雑誌を読むふりをして外を(うかが)っていると、時間ピッタリに祐介がやってきた。

 店内へ入った彼は、すぐに晴太を見つけ、手を上げて白い歯を見せた。


「待ったか」


「僕も、今来たところ」


 店員の声に送られて外へ出た二人は、ものの百メートルも進んだところで、例の人影を見たのだった。

 異様な風体の若い女性と(おぼ)しき人影が、道の向こうで立ち止まった時は、こちらの心臓も止まりそうだった。長い髪、白っぽい服装、ヒョコヒョコと上下する歩き方、奇妙な角度に曲がった首。

 その時のことを、晴太は今も鮮明に思い出すことができる。


 無意識に顔をしかめて、


「祐介は平気なのか」


「なにが?」


「とぼけるなよ。あの女に会うかもしれないぞ」


「ああ、あれね。冷静に考えると、見間違いじゃないかって気がするんだ」


「冗談だろ。はっきり見えたよ」


 それについては断言できる。寝ぼけるほど疲れてもいなかったし、視力だけは自信があった。小学校からずっと2.0だ。



「そう、確かに見えた。でもさ、転んで怪我をした普通の女性だったかもしれない」


「うーん・・・」


 そう言われると、晴太も自信がなかった。


 人通りのない深夜の住宅街、薄暗い街灯の下で、真っ暗な森を背負い、足を引きずって歩く女性がゾンビのように見えたとか? 言われてみればありそうなことだ。


 だがしかし、そうではない可能性だってある。口にこそしないが、すなわち本物の・・・と思えば、夜の遺跡方面へなど到底行く気にはなれなかった。まっぴらごめんである。


「やめとくよ。それに、遺跡の警備が厳しくなったって噂だし」


「そうなのか」


「あの晩、遺跡に入った人がいたらしい。翌日の新聞に載ってた」


「そう言えば、そんなことを家で聞いた気がする。忍び込もうとしたのは、俺たちだけじゃなかったんだな」


 ここ数日、青白い光を放つ遺跡の噂を、頻々(ひんぴん)と耳にする。それだけなら根も葉もない都市伝説で終わりだろう。しかし、そうではないらしい。複数の発掘関係者が、同様の証言をしているという。


 光る遺跡の記事がネットや新聞に載ってからは、祐介に限らず見に行こうとする者が一段と増えたようだ。話が本当なら、一目見たいと思うのも無理はない。

 しかし、現場は関係者以外立ち入り禁止である。以前より、格段に警備も厳しいと言われている。唯一無二の古代遺跡を守るためなら、当然だろうと思う。


「見てみたいけど、捕まったら停学かな?」


「うちの学校なら、退学だってあり得るさ」


 祐介の顔が曇った。


「む・・・そうかもなあ。そうだよなあ。あきらめるか」


「それがいい」



 肩をすくめた祐介の後ろを、女子生徒が明るく挨拶をしながら通り過ぎた。


「おはよう」


「あ、おはよ・・・う」


 挨拶の声に眼を上げて、晴太は瞠目した。

 晴太の顔を見て、祐介も振り返った。

 クラスメートは皆一様に、(いぶか)し気な視線を女子生徒へ注いだ。


 それもそのはずである。北条政子が朝のホームルーム前に登校したのだから。

 生徒指導の教師に言わせると、北条は「髪も服装も乱れている」ので、仮に遅刻しなくても校門前で回れ右をさせられて、帰宅するのがお決まりのパターンだった。夏休み前の彼女であれば、そうなっていたはずだ。


 当の本人は周りの違和感をよそに、しずしずと自分の席に着いた。髪型も制服も目立つところがない。ごく地味にまとまっている。


 入学以来一貫してトラブルメーカーの呼び声が高い彼女は、遅刻せずに学校へ来ること自体が稀である。しかも不愛想で通る政子が爽やかに挨拶する声を聞いて、誰もが自分の耳を疑い、政子の恰好を見て目を疑い、ポカンと口を開いた。


 席に着いた彼女のくっきりとした横顔と、先週深夜の奇妙な人影の面差しを、晴太は無意識に見比べていた。


 似ている。


「おい、ボーっとして、どうしたんだ」


 祐介が呼ぶ声も耳に入らず、晴太は席を立った。


 なぜ彼女に近づいたのだろう。

 強いて言えば、平素とは違う北条に声をかけたくなったから。あるいは、どうしてもあの夜の疑問を解消したかったから。そういうことになるのだと思う。後になって考えても、確固たる理由は思い当たらなかった。


「北条さん、ちょっといいかな」


 反応がない。


「あの、北条さん・・・?」


 そこでやっと気づいたらしく、彼女は顔を上げた。珍しいものを見るように、晴太の顔をまじまじと見つめている。


「ちょっと、いい?」


「・・・どうぞ」


 驚いた。

 政子が「どうぞ」などという言葉を口にするとは。

 晴太は眼をパチクリさせ、二の句が継げなかった。その様子を、北条政子はしげしげと眺め、改めて問うた。


「なに?」


「・・・ああ、ええと、先週金曜の夜、十一時過ぎに」


 晴太はそこで言葉を切り、彼女の様子をうかがった。さながら等身大の人形を相手に話しているかの如く、政子には全く反応がない。


「・・・そのう、公園通り沿いのコンビニ前で、北条さんと良く似た人を見かけた、ような気がする」


 できるだけ気を使い、言葉を選んで話しかけたつもりだった。

 政子は黙って視線を手元へ落とした。

 言わずもがなを口にして怒らせたのかと心配したが、そうでもないらしい。その証拠に、彼女の顔色はフラットなままだ。

 無視されているらしい。

 ああやっぱりと、少しばかり気分が沈んだ。しかし、こういう事態も織り込み済みである。彼女が普通に会話をしてくれるとは、(はな)から思っていない。


「あの・・・聞いてる?」


「私、どうだった?」


 返って来た言葉に、晴太は面食らった。


「どうだったって・・・それ、どういう意味?」


「コンビニ前で私を見たんでしょ?」


「・・・そうだよ」


「どう思ったの?」


 自分の質問がもたらした影響を知ってか知らずか、政子は水槽の金魚を観察するように、大きな眼でじろじろと晴太を眺めた。


「つまり、金曜の晩に、北条さんはコンビニ前を通った。それで間違いない?」


「ええ、そうね」


 疑問が確信に変わり、晴太は茫然と政子の顔に見入ってしまった。どこか現実感の薄い記憶は、幽霊でも幻覚でもなかった。あの女性は、北条政子だったのだ。白い服を着て首の曲がった女性の姿が、目の前の女子生徒に重なった。


「それで、どう思ったの?」


 政子の声で、晴太は我に返った。


「あ、ええと・・・ごめん、何だっけ?」


「金曜の夜十一時に、コンビニ前で見た私は、どうだったか、と訊いているの。よろしい?」


「あ、はい」


 なんだか調子が狂う。

 晴太の知っている政子なら、ここは「何度も同じ事を言わせんな」くらいの反応があってしかるべきだ。そういう疑念を押し隠し、ひとつ深呼吸をして、周りには聞こえないように気遣いつつ答えた。


「怪我をしているみたいだった。不自然な歩き方だったし、それに・・・たぶん服も汚れていた」


「事件か事故にでも遭ったの?」という言葉を、晴太はかろうじて呑み込んだ。すでに言ってしまった言葉が、行き過ぎだと軽く後悔もしたが、手遅れだった。もっと他の言いようがあったはずである。


 しかし政子は頓着しなかった。


「ふうん。あれを見ていたの・・・・・まあ、いいわ。キミの名前は・・・あしたば、せいた、で良かったわよね」


 なんと。

 自分のことを、アレ呼ばわりするとは。

 なにが「まあ、いいわ」なのか、さっぱり分からない。

 何年も前から知り合いなのに、今さら名前を確認するのもどうかと思う。

 それら全てを晴太は呑み込んだ。


「・・・うん、明日葉晴太あしたばせいた、で合ってる」


「ちょっと訊きたいことがあるの」


「どんなこと?」


 濡れ濡れとした双眸に見つめられ、晴太はうろたえて下を向いた。


「人類の存続における一番の脅威は、なんだと思う?」


「はあ?」


 人類の存続における脅威? ひょっとして、からかっているのかな。

 晴太は政子の意図を読むべく、彼女の眼を覗き込んだ。澄んだ瞳には、彼の戸惑う顔が映っているだけだ。


「質問が分かりにくい?」


「あ、いや、その・・・」


 彼女は晴太の困惑などお構いなしに話を続けた。


「人類が滅亡するとしたら、何が原因だと思う?」


「真面目に?」


「ええ、もちろん」


 政子は眼を輝かせて晴太を見つめた。

 トクン。心臓が跳ねた。


「・・・ええと、そうだな。滅亡の原因になるとしたら、核兵器だと思う」


「なぜ?」


「絶対安全だって言われていた原発が地震でメルトダウンしたんだから、核兵器だって何が起こるか分からないよ。人間の造ったものに絶対はないと思う」


「なるほど。論理的でいいわね」


 政子は頬に手を当てて、小さく首肯した。


「どうして、そんな質問を?」


「歴史を勉強していたら、その疑問に行きついたの」


「・・・あ、そうなんだ」


 歴史の勉強とは意外である。

 最近の政子は遅刻と早退ばかりで、授業や学校に興味がなさそうだった。教室では一人きりで居ることが多く、虚ろな表情で外を眺めていたと思う。


「明日葉くん、放課後いいかしら。話があるの」


「話って?」


「後で話す」


 政子はもう晴太を見ていなかった。カバンからスマフォを取り出して操作を始めた。


 真面目一方の晴太と、その対極に位置する政子。異色の組み合わせに、皆興味を持ちながらも、政子がらみのトラブルに巻き込まれることを恐れて、誰も二人には近づかない。奇異の眼を向けるだけであった。


 粛々と始業式が終わり、ゆるんだ空気の流れる放課後の教室で、政子が晴太に歩み寄る。その隣には、祐介がいた。


「明日葉くん」


「ああ、北条。話があるって言っていたね」


「Yes」


「俺も一緒に聞かせてもらえるかな」


 人懐こい笑顔を見せる祐介に、


「キミはだれ?」


 政子は悪びれもせず、そう尋ねた。


「荒木祐介。中学も一緒だぞ」


 心外だ、と祐介は呟いた。


「・・・そうだったわね。ごめんなさい」


 二人は揃ってあんぐりと口を開いた。殊勝な口調で「ごめんなさい」などという政子は、断じて二人の知る政子ではない。


「北条、どうした。体調でも悪いのか?」


「別に。そんなことより、私は明日葉くんに話があるの」


「俺が邪魔ってこと?」


 祐介は口を尖らせる。


「ええ」


「はっきり言うなあ」


 そういうところは元のままだ。

 祐介は晴太に目配せをして、苦笑いを浮かべた。


「金曜に北条を見かけた時、僕と祐介は一緒だったよ」


「あら、そうなの。じゃあ、いてもいいわ」


 実に、あっさりしていた。

 少しでも意に染まぬことがあれば、不愉快な感情を露わにしていたあの北条は、どこへ行ってしまったのだろう。


 訝る二人の視線を感じないかの如く、政子はつるりと本題に入った。


「話っていうのは、明日葉くんの家族に会わせてもらえないか、ということなの」


「どういうこと? 意味がわからないよ」


 益々不可解であった。

 今の彼女を友達とはいえない。ここ数年、ろくに挨拶さえ交わしたことがないのだ。


 それなのに、家族に会いたいだって?


 顔を見合わせて戸惑う晴太と祐介には委細構わず、政子は続けた。


「私って、どうも友達が少ないみたい」


「うん。そうだね」


 言ってから、晴太は両手で口を押さえた。

 晴太の失言には少しも拘らず、彼女はニッコリと笑う。


「だから、頼もうにも、頼める人がいなくって」


「・・・つまり、友だちの家族に会いたい、ってことか?」


「ええ、そう。なるべく普通の家庭がいいの」


「その前に教えてくれ。金曜の夜、何があった?」


 祐介の問いは、晴太の気持ちを代弁していた。あまり個人的なことに踏み込むのもどうかと思い、気兼ねしていたのだが、もうそんな必要もなさそうだった。


「気にするほどのことじゃないわ。ちょっと怪我したの」


「あれが、ちょっと・・・?」


「そう。だって、今はこのとおり」


 両手を広げ、政子は微笑んだ。

 なるほど今の彼女を見れば、怪我自体は大したことがなかったと言えそうだ。

 しかし、あの時刻、あの場所、あの状況である。釈然としない。考えたくはないが、万が一にも犯罪に関係があるなら、事は重大である。


 晴太はうつむいて(かぶり)を振った。

 そうは思いたくない。政子のためにも自分のためにも、この話題は終わらせよう。


「大したことがなくて良かったね」


「ありがとう。それより、家族を紹介してくれる?」


 真正面から政子と相対した晴太は、ドギマギと目をそらした。


「いいけど、理由を教えてくれないか」


「いいの?」


「理由を聞かせてくれたら」


「わかったわ」


 政子は椅子に座り直し、軽く咳払いをした。


「調査のため」


「調査って・・・なんの調査?」


 意図をはかりかねて、オウム返しに尋ねた。


「人類学、とでも言えばいいかしら。一般家庭における、実在の人間像を知りたいの」


「どうして、そんな必要が?」


「後学のために」


「はあ・・・後学のため、ね」


「どう? さっそく、今からでも」


 眼を輝かせて、政子は腰を浮かせた。


「いやあ・・・なんていうか、その・・・」


「ダメ?」


「うーん・・・」


 首を傾げつつ、晴太は祐介に目配せした。


(どういうことだろう)


(わかるわけねえ)


 お互い、肩をすくめるばかりだ。


「他にも当たってはみたのだけれど・・・」


 政子は自分のスマフォに登録されていた友人に、同じことを頼んでみたらしい。しかしながら、結果は芳しくなかった。


「紹介したら俺と付き合えとか、いくらくれるんだとか。他も似たり寄ったり。ろくな友達がいなかったわ」


 ウンザリという顔で椅子にもたれた。

 祐介がニヤリとして、


「付き合うって嘘つけば、とりあえずは調査できるんじゃない?」


「嘘はダメ。後が面倒だし、倫理規定に反するもの」


「なにそれ?」


「こっちの話。それよりも、明日葉くん、どうかしら。会って話をするだけなの」


 政子は机に肘をのせ、ズズイと前のめりに、晴太の顔を下から仰ぎ見た。その様子からも、至って真面目に頼んでいると分かる。

 彼女の真摯な態度に気持ちが動いた。腑に落ちないところもあるが、話すだけなら、どうということはないだろう。


「母親と妹が家にいるから、()いてみるよ」


「ありがとう」


 政子は晴太の手を取り、実に晴れやかな笑みを浮かべたものだ。

 数名のクラスメートが眼を丸くして、二人をじろじろと見ていた。


「家に電話するから」


 晴太は耳まで赤くなり、あわてて手を引いた。

 顔が熱い。心臓がバクバク言っている。落ち着け、ちょっと手を握られたくらいでみっともないぞ。

 晴太は動揺を悟られまいと後ろを向いて、携帯電話を手にした。


「あ、母さん。・・・うん、これから帰るよ。友達を連れて行く・・・うん、そう、祐介と、もう一人。でね、その子と、ちょっとでいいから話をしてくれないかな。・・・どんなって、僕も知らない。勉強のために一般家庭の調査とかって・・・いい? じゃ、あとで」


 よし、と晴太は顔を上げた。


「行こうか」




 学校から徒歩で十分ほどの距離に、大きな公園がある。

 昆虫採集に来ていた小学生が、公園内で古代遺跡の一部を見つけた。それが、先月中旬のことである。

 晴太ら三人は、緩い坂道を上り、丘の中腹で立ち止まった。公園をぐるりと囲む道路に面して、洒落た家々が立ち並んでいる。


「ここだよ」


 晴太は歩道に面した白い門扉を押し開き、二人を招き入れた。後に続く政子は辺りを見渡し、小さく二度、頷いた。


「綺麗なところね」


 青い空に映える濃い緑色の屋根、白いレンガタイルの外壁、木製の窓枠、手入れの行き届いた前栽。それらが緑豊かな周辺の景観に、ほどよく溶け込んでいる。遠くから小鳥のさえずる声が聞こえていた。

 晴太はドアフォンのボタンを押して、返答を待った。


「はい」


 すぐに、小さなスピーカーから、落ち着いた女性の声が聞こえた。


「ただいま」


「お帰りなさい」


 ほどなく、解錠音に続いてドアが内側から開かれた。薄い紫のポロシャツに白いジーンズという、活動的な印象の女性が三人を出迎えた。この人が晴太の母親だろう。


「こんにちは」


 祐介と政子が、声を揃えて挨拶をした。


「いらっしゃい。どうぞ、上がって」


「お邪魔します」


 晴太に続いて、祐介と政子がドアをくぐる。

 キビキビとスリッパを揃えてから、母の育代は先へ立ってパタパタと歩き出した。後姿も立ち居振る舞いも、母というより年の離れた姉のようだ。


「こんにちは!」


 晴太ら三人が居間に入ると、待ってましたとばかりに、元気な声が響き渡った。

 来月で九歳になる晴太の妹だ。


「こんにちは、春香ちゃん。相変わらず、元気がいいなあ」


「祐介くん、おひさ」


 春香は満面の笑みを浮かべた。

 車椅子から見上げる眼差しは、すぐに祐介から隣の政子へと注がれた。


「こんにちは。北条政子です。お兄さんのクラスメートなの。よろしくね」


「・・・よろしく。明日葉春香です。お兄ちゃんがお世話になってます」


 春香はペコリと頭を下げ、じっと政子を見つめ、ちらりと晴太を見やり、再び視線を政子へと戻した。興味津々といったところだ。


「ねえ、北条さん」


「なあに?」


「北条さんは、お兄ちゃんの彼女なの?」


 晴太はギクリとして、顔を強張らせた。


「春香、この人はクラスメートだよ」


 あわてて両手を振り回し、あたふたと否定した。


「彼女とか、そういうんじゃない」


「違うの?」


 春香は政子に眼を向けて、小首をかしげた。政子はしゃがんで春香に視線を合わせ、ニッコリ笑った。


「そうねえ、違うと思うわ」


「なあんだ」


 ふう、と大きく溜息をつき、春香は背もたれに身体を預けた。


「どうして、そう思ったの?」


 今度は政子から春香へ話しかけた。口もとが微かにほころんでいる。


「お兄ちゃんが女の子を連れて来たのは、これが初めてだから。もしかしたらって思ったの。残念」


 春香が頬をふくらませてうつむいた。

 政子は、そんな春香をもの問いたげに、じっと見ている。


「ま、まあ、みんな座ろうよ」


 晴太がその場を取り繕っていると、飲み物を載せたお盆を持って、育代が居間へ入って来た。


「あら、どうして立っているの?」


 育代はお盆をテーブルに置いた。


「好きな場所に座ってね。オレンジジュースで良かったかしら。ペットボトルで申し訳ないけど。冷たいお茶も、どうぞ」


「あ、すみません」


「ありがとうございます」


 がっかりだなあ彼女じゃないのかぁ、とつぶやく春香の声が聞こえていた。育代は春香に眼を留めてから、テーブルに飲み物を並べ、ソファに腰を掛けた。


「春香、お兄ちゃんに彼女がいてもいなくても、いいじゃない」


「よくない。あたし、お姉ちゃんが欲しいの」


「あらまあ。お兄ちゃんだけじゃ、ダメなの?」


「ダメじゃないけど。お姉ちゃんがいい」


「どうして?」


「女の子と一緒に遊びたい」


 育代がハッとして娘を見つめる。言葉に込められた思いに気がついて、押し黙ってしまった。

 公園周辺の住宅地は、自然の地形がそのままに残され、ゆるやかな坂の多い土地柄であった。八歳の春香が車椅子で外を動き回るには、介助する人が必要になる。その役目は、概ね育代か晴太が担っている。彼女の毎日は、母親か兄のどちらかが常に一緒であり、数少ない話し相手でもあった。「女の子と一緒に」という言葉には、同性の友人が欲しいという、春香の気持ちが込められていたのだ。


「あの、ひとつ伺ってもよろしいですか?」


 政子が沈黙を破った。育代は、自分に向けられた政子の視線を認めて、


「どうぞ。なにか訊きたいことがあるんですよね。晴太がそう言っていましたけれど」


「ええ、そうなんです」


 政子は、にこやかに頷いた。


「それはどのような?」


「人類について調査を・・・勉強をしているんですけど、参考までに多くの方からお話を聞かせていただいております」


「はあ・・・人類、ですか」


 育代はあっけにとられていた。それは、晴太と祐介も同じだった。


「私の家族や友人からは、もう話を聞いたのですが、如何(いかん)せん偏りがあります。それで、念のために他の方からも、お話を伺いたいと思いまして」


 もの問いたげな視線が、育代から晴太へと投げかけられた。


(どういう意味?)


 晴太にも返すべき言葉は無かった。尋ねたいのは彼も同じである。

 しかしながら、自分を頼ってくれた政子の気持ちに応える為にも、さしあたり、彼は政子をフォローしようと努めた。


「いわゆる社会勉強だよね? 後学のために、彼女はいろいろな人と、話をさせてもらっているそうなんだ」


 一般家庭における人間の思考をつまびらかにしたいのです、と政子は背筋を伸ばした。


「平素から思っていらっしゃる事など、当たり障りのない範囲で結構です」


「ああ、そういうことなら・・・」


 ようやく得心したのか、育代の眉が開いた。


「私たちに答えられる内容でよければ・・・どうぞ訊いてください」


「ありがとうございます」


 政子は立ち上がり、深々とお辞儀をした。


「では、ひとつお尋ねします。もし人類が滅亡するとしたら、何が原因だと思われますか?」


「あら、真面目な質問だわね。そういう話題は昔からあるけど・・・そうねえ、飢餓じゃないかしら」


「なぜそう思われましたか?」


「人口が増える一方でしょう。今でも食料は不足しているのに、これ以上人口が増えたらどうなっちゃうのかと心配だわ。それに森林伐採とか、温暖化とか、環境の破壊も人口の増加とイコールだと思うの」


「なるほど、よくわかります」


「こんな回答でよかった?」


「大変参考になりました。ありがとうございます」


 政子は深々とお辞儀をした。


 彼女は顔を上げてニッコリ笑い、「春香ちゃん、学校は楽しいかしら」とかたわらの女の子へ水を向けた。

 春香は車椅子から身を乗り出すようにして話し始めた。どうやら彼女は政子が気に入ったようだ。


 その後は祐介も加わり、他愛のない世間話に次々と花が咲いた。政子は常に笑顔を絶やさず、話し手の気を逸らさない。なかなかの聞き上手である。

 どうなることかと内心ドキドキしていた晴太も、これで肩の荷が下りた。あとは政子が進めてくれるだろう。




 政子が晴太の家を訪ねていた頃のこと。

 遠く離れたアメリカの地で、大事件が起きていた。

 しかし、事件の内容を知る者は、大統領の側近と軍首脳に限られている。なぜなら、それは国家存亡の機と考えられる事態であったからだ。


 改良型オハイオ級原子力潜水艦、ロードアイランドに異変が発生したのは、ハワイ南沖千二百キロの太平洋を航行中のことであった。


「艦長」


 ライズ少尉の声が固い。艦長のカーク中佐は嫌な予感がした。


「どうした?」


「プロペラシャフトが停止しました」


「なんだと?」


 カーク中佐は、猛禽のニックネームに相応しい双眸を、ライズ少尉へと向けた。中佐の青い眼は鋭いのみならず、非凡な目力を有している。新兵ならば、それだけで震えあがるだろう。


「下らんジョークなら許さんぞ」


「ジョークではありません。いたって真面目な話です」


 ライズ少尉の顔に、不可解な緊張の色が見えた。共に乗艦して五年、こんな顔の少尉を、カーク中佐は見たことがなかった。


「至急、原因を調査、報告せよ」


「動力は正常に作動中。機関にも異常ありません・・・・原因は不明です」


「機関が正常なのに、シャフトが停止したと、そう言ったのか?」


「はい」 


「・・・現在の深度は?」


「千五百フィートを維持しています」


 本艦は深海で止まっているらしい。だが何故なぜだ。意味が分からない。

 カーク中佐は視線を宙にさまよわせた。


「おや、待ってください・・・進路が・・・進路が北北東に変わりました」


「なに? 進路が変わっただと?」


「はい、北北東へ・・・進んでいます。間違いありません」


「舵はどうなっている?」


「制御不能です」


 司令室内がざわめいた。

 ライズ少尉のジョークだと思って初めはニヤニヤしていた乗組員も、そうではないらしいと分かり、どの顔にも緊張が走った。


「海流の影響か」


「違うと思われます。海流にしては速すぎます」


「速すぎる? 現在の速度は?」


「・・・・・十ノット・・・十五・・・・・更に上昇」


「どういうことだ」


 誰も、その問いに答えられなかった。何かが起きている。未知の何かが。

 司令室に重苦しい沈黙が舞い降りた。


「艦長」


 少尉の眼が大きく見開かれ、声が少し震えていた。


「なんだ」


「本艦は・・・元の進路を逆走しています」


「バカな・・・・・!」


 カーク中佐は想定される原因を残らず考えてみたが、そのいずれにも該当しないと分かっていた。これは単なる故障でもなければ、敵の攻撃でもない。そして、絶対に人の為せる(わざ)ではない。それだけは確かだ。




 世界各地を航行する原子力潜水艦から国防総省へ、コントロール不能の連絡が相次いで入った。ホワイトハウスに召集された軍首脳部は、弾道ミサイル搭載艦が残らず行方不明となったことを大統領へ報告し、次いで艦の捜査協力を要請、これが承認された。


 可及的速やかに、あらゆる手段を講じて、消えた艦船の行方を突き止めなければならない。もしこれが事故でないなら、戦争の可能性があるのだ。


 捜査はNSAが主導すると決まった。NSAは、潜伏するテロリストの追跡捜査などに使うため、アメリカ合衆国の有する偵察衛星を、事実上全て管理している。しかも、あらゆる通信網を間断なく傍受している。官民を問わず、敵国はもちろん、同盟国の暗号通信まで、全てを把握しているのだ。艦船の発見は時間の問題と思われた。


 だが、異常事態はこれで終わらなかった。


 同日、アメリカで稼働中の原子力発電所において、全ての原子炉(合計九十九基)が突如停止した。メルトダウンの恐れがあるため、異常検知から五分後には、周辺住民へ避難勧告が出された。電力の不足から、東海岸で広範囲の停電が発生し、人々の耳目を集めた。


 当初、電力関係者はテロの発生を疑い、その線で調査が行われた。しかし、どこをどう探しても、設備を破壊された痕跡はなく、原子炉停止の操作記録(ログ)も見つからなかった。しばらくして、放射性物質が残らず消失していることも判明した。

 その後も原因調査は続けられたのであるが、どの発電所においても、原子炉以外には異常が認められなかった。理論上有り得ないことが、厳然と発生していた。これには専門家も首を捻るばかりであった。

 

 原子炉停止と同時刻、アメリカ各地のミサイル基地にも異常が発生していた。なんの前触れもなく、また、物理的な損傷を受けていないのに、ミサイル発射装置が機能を停止したのだ。


 後にミサイル基地の発射装置不全と、原子力潜水艦のコントロール不能は、状況に類似点が多くあると分かったものの、原因は今もなお闇の中である。


 軍備の要を欠いたと知ったホワイトハウスは、てんやわんやの大騒ぎとなった。もし現時点で核攻撃を受けたなら、アメリカは滅亡する。


 国家安全保障の根幹を揺るがす前代未聞の一大事は、あくまでも秘密裏に調査が進むはずであった。

 しかし、緘口令かんこうれいむなしく、噂は人口に膾炙かいしゃしてしまうのである。危機は覆い隠しようもないほど、アメリカ全土に飛び火していた。



 アメリカの異常をいち早く察知した中国、ロシア、および先進各国の政府は、情報収集に全力を注いだ。万が一にも、これが戦争行為であったなら、次の標的は自国かもしれない。対岸の火事だと悠長に構える国は、一つとしてなかった。


 各国が調査に動き出した丁度そのとき、弾道ミサイルを搭載した各国の艦船、ミサイル基地、原子炉が、相次いで機能を停止した。すわ侵略行為と色めき立つも、打てる手段は無いに等しく、政府中枢はただ手をこまねくだけであった。事が国防に関する問題だけに、隣国へ協力を要請するわけにもいかず、同盟国同士の情報公開さえもままならない。一刻の猶予も許されないのだが、原因調査は遅々として進まなかった。


 誰が敵で、誰が味方なのか。


 各国の諜報機関は、自国の存亡を懸け、あくまでも水面下でお互いの腹を探り合った。どの国も有力な手掛かりを得られないままに、焦燥から疑心暗鬼の流砂へと埋没しつつある。主要国の多くが、未曾有の混乱状態に陥ってしまった。



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