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神のち悪魔、ときどき魔法使い  作者: 掛世楽世楽
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遺跡

 夏の暑さに(かげ)りの見えた八月中旬のこと。

 一人の男の子が、近所の森林公園へ昆虫採集に出かけた。大きなクワガタが見つかったところを想像しながら歩いていると、視界の隅で何かがキラリと輝いた。


 なんだろう。


 近づいて見ると、それは石の一部であった。

 男の子は近くに落ちていた小枝を手にして、雑草の間に覗く石の周りを掘り返した。しばらくして、(てのひら)よりも大きな平滑面が現れた。灰白色の石肌が美しい。


 この石、どこかで見たことがある。

 自分の記憶に同じモノを探し当てたと思った男の子は、帰宅してすぐに、そのことを親に伝えた。


「お墓を見つけたよ」



 驚いた父親は、息子に案内を促して「公園のお墓」へ行った。

 公園入口から徒歩五分、広い草原の片隅に輝く(くだん)の石は、遊歩道を数メートルれたところに埋まっていた。つるりとした石は、一見すると、人の手を加えられた御影石のようである。

 草原の周りに眼を向けると、樹齢百年をゆうに超える広葉樹が、みっしりと根を張っていた。どう見ても人が住んでいた形跡はない。父親は不審に思った。


「もう少しだけ掘ってみようか」



 二人で小一時間ほど、一メートル四方余りを掘り進めてみたものの、石の縁すら出て来なかった。想像以上に大きい。これは自分たちの手に負えないと思った父親は、知り合いの大学職員に石の画像を送り、見てもらうことにした。五分後には「詳しい場所を教えてくれ」というメールの返信があった。


 翌日、大学の専門家が現地に赴いた。石を見た考古学者は、顔色を変えて「すぐに発掘を」するべきだと判断した。作業が進むにつれて、石は巨大なストーンサークルであることが分かり、現場は騒然とした。


 日本考古学史上最大と言われる古代遺跡の発見である。作業者は大幅に増員され、発掘は急ピッチで進められた。地面の下から姿を現したストーンサークルは、エジプトのピラミッドを想起させるほどのスケールと迫力を持っていた。精巧に削り出された巨石が織り成すサークルの規模は、直径百メートルに達する。


 専門家によれば国内はもちろん、世界的にも例のない、珍しい石組であるという。前代未聞の発見は、古代史をそっくり塗り替えるのではないかと噂され、関係者の興奮はただならぬものがあった。


 浮かれ騒いでいたのは、関係者周辺に限ったことではない。


 記念撮影をしようとする者、遺跡の欠片を持ち帰ろうとする者など、大々的な報道も手伝って、にわかに多数の野次馬が押し寄せたのである。


 貴重な遺跡が傷つくことを恐れた発掘責任者は、現場外周に黄色と黒のテープを張り巡らせた。至る所に「危険! 関係者以外は立ち入り禁止」と書かれた看板も設置された。安易に近づく者は例外なく身分を誰何され、IDカードを持っていなければ誰であろうと追い返されるようになった。


 森林公園の中は、もともと手つかずの自然林である。街灯もなく、陽が落ちれば真っ暗闇だ。昼は大勢が出入りする発掘現場も、夜間は全くの無人となる。そのため、遺跡発見の報道以来、夜陰に乗じてストーンサークルをひとめ見ようと侵入する者が後を絶たない。

 この日も例外ではなかった。



「思ったとおり、誰もいないぜ」


「大丈夫?」


「心配するな。足元に気を付けろよ」



 若い三人の男女が、懐中電灯を片手に現場へとやって来た。

 先頭の男は手を差し出して、後ろの少女をエスコートした。


「近くまで、行ってみよう」



 先に立って歩き出した男たちは、意味あり気に視線を交わし、ニヤリとほくそ笑んだ。



 顔見知りから言葉巧みに誘われて、ここまで来てしまった少女は、まだ高校生だった。


「遺跡を見に行こうぜ」



 少女を誘った男は、三好と名乗った。

 背が高く、金回りが良く、気前も良い。ちょっと危険な雰囲気を(まと)う年上の男は、同級生にない魅力を持っているように思えた。本人いわく有名大学の二年生ということだ。少女の同級生たちは、三好の車に乗り込む少女を半ば軽蔑し、半ば羨望の眼で見ていた。


 夏休みのある日、三好は変わった場所へ行こうと、少女に持ちかけた。


「どこへ?」


「公園の遺跡。知ってるだろ? すごいパワースポットだって評判なんだぜ。俺の友達と一緒に三人で行ってみないか」



 少女は三好の友人とも面識があった。相良という金髪の男性だ。最初に会った時、連絡先をしつこく聞かれたが教えなかった。少女は軽そうに見えて意外とガードが固い。



「関係者以外は立ち入り禁止なんでしょ? 捕まったりしない?」


「だから、夜中に行くんだよ」


 少女の勘は、危険かもしれないと告げていた。


 しかし一方では「私が嫌がることを、彼らがするはずはない」という自信もあった。男たちは折に触れて少女に好意を示し、競うように求愛もしていた。だから、二人きりにさえならなければ、むしろ安全だとも思っていた。

 真夜中の遺跡探訪は、少女にとって、ちょっとした冒険に過ぎなかったのだ。


 その一方で、男たちは少女の考えなどお見通しだった。可愛いことを鼻にかけ、男を手玉に取ろうとする高校生を逆にいたぶってやろうと考えて、人気(ひとけ)のない場所に誘ったのだ。



 全容を現しつつあるストーンサークルは、月明かりの下で(おぼろ)げに輝いている。

 幻想的な光景だった。


「すてき・・・」



 少女は壮大な遺跡を前にして、溜息をついた。

 あながち月の光を反射しているだけとは言えない、不思議な輝きである。むしろ、石そのものが、光を発しているように見えた。


 我を忘れて遺跡を眺めていた少女は、突然後ろから羽交い絞めにされて悲鳴を上げた。身体に回された男の手から意図を察して、死に物狂いで抵抗した。


 華奢きゃしゃな女の子から思いがけない反発を受けて、三好は少なからず驚いた。場所と時間を考えれば、少女がこういう展開も予想しているだろう、最初は抵抗しても、あきらめて身を任せるだろうと踏んでいたのだ。狼狽して腕をゆるめた隙に、振り回された少女の拳が顎に当たり、とっさに彼女を突き飛ばしてしまった。


「あっ・・・」



 発掘現場は至る所に深い穴が開いている。少女は頭から真っ逆さまに落ちていった。


「ってて・・・いてえ、ちくしょう、顎を殴られた」


「ダセえな、しっかりしろよ。おい、懐中電灯は? 真っ暗だぜ」



 二人の男は灯りを求めて右往左往した。三好が持っていた懐中電灯は、はずみで遠くに飛んでしまったらしく、近くには見当たらなかった。


 満月が雲間から顔を出した。月明かりが遺跡周辺を照らし出す。

 ふと顔を上げた三好の眼に、靴の脱げた少女の右足が映った。穴の縁から伸びた白い足は、ピクリともせず天を指している。


「・・・おい。大丈夫か。おい」



 つま先で女の足を軽くつついた。

 反応がない。


「おい・・・」



 三好は茫然と足元を見つめていた。髭を蓄えた面立ちはまだ若い。二十歳を出ていないだろう。左耳に十字架のピアスが光っている。


「どうした? ゲ・・・」



 地面に生えた足を見て、相良は腰が引けた。


「動かねえぜ。まさか死んだ?」


「・・・わからん」


「やばいよ。どうすんだよ」


「知るか!」


「お前が無茶するからだ」



 痩身の金髪男が今にも泣き出しそうな声を上げた。


「まだ何もしてねえって。こいつが勝手に落ちたんだ。バカめ」


 言い捨てて、三好は一歩二歩と後退(あとずさ)り、くるりと背を向け一目散に走り出した。


「おい、待てよ」



 金髪があわてて後を追う。

 立ち入り禁止のテープを乗り越え、二人は、あっという間に見えなくなった。


 真っ暗な穴の中に、少女は一人で取り残された。


 男から逃れようともがいた時、少女は強く押されたと感じた。ほんの一瞬身体が浮いて、星空が見えたと思ったら視界が暗転し、首と肩に激しい衝撃を受けた。何かの折れる嫌な音が、聞こえたような気もする。真っ暗で何も見えず、言葉を発しようにも口が開かない。頬に当たる土がヒンヤリと冷たかった。


(あたし、死ぬのかしら)


 急速に遠のいてゆく意識の底で、少女は激しく後悔していた。大切な人の顔が浮かんでは消える。既に痛みは感じられない。


(死にたく・・・な・・・い・・・・)


 目尻から流れ落ちる涙の感覚が、少女の最後の記憶となった。


 月が雲に隠れ、辺りは再び闇に包まれた。遠くから虫の音だけが聞こえている。

 地面から生えた細い足は、ビクリと一度だけ痙攣し、それきり動くことはなかった。




 穴の底で、少女の意識が失われた頃。

 明日(あした)()(せい)()(あら)()(ゆう)(すけ)は携帯電話でメッセージを交換し、落ち合う場所と時刻の最終確認を終えたところであった。


(予定通りでいいか?)


(おうb)



 約束の二十三時を前に、二人はそっと家を抜け出した。昼はジョギングや散歩をする人でにぎわう公園沿いの道路も、この時刻には人通りが絶えていた。自然林の広がる公園側には街灯の光も届かず、道路をはさんだ住宅地側とは一線を画している。


 途中で誰に会う事もなく、目指すコンビニに到着した二人は、店内でお互いの姿を認め合って相好を崩した。


「予定通りだ」


「ああ」



 森林公園で発掘された遺跡のニュースは、日本全国に広く知れ渡っている。もちろんそれは、晴太や祐介を含む周辺住人も例外ではない。

 近隣の学校は、今が夏休みにも関わらず、


(調査の妨げになってはいけない)


(発掘現場は崩落の危険がある)


 と強く注意を喚起し、遺跡に近づくことを禁止していた。


 だが、行くなと言われれば、行きたくなるのが人情というものだ。

 高校二年の晴太と祐介は、紋切型の注意事項を後生大事に守るほど、幼くもなければ素直でもなかった。


「例の遺跡、見たくないか」


「見たい」



 言うまでもなかった。二人は視線を交わし、ニヤリとほくそ笑んだ。


 昼間は大人の眼が光っている。行動するなら夜しかないだろう。とはいえ、懐中電灯持参で忍び込むなど、もってのほかだ。ここに怪しい者がいますよと言っているに等しい。万が一、警備員や警察官がいれば、即捕まってしまう。


 二人は天気予報をチェックしながら、決行日時を相談した。

 今宵は満月で晴天の予報が出ている。懐中電灯なしでも足元が見えるだろう。夏休みだから明日の心配はいらない。


「行くか」


「行こう」



 話は決まった。

 今が旬のストーンサークルを見るには、正に打ってつけの晩であった。要は誰にも見つからなければいいのだ。

 

 深夜に家を抜け出して規則を破るスリルと、未知のものに触れるワクワクとで、少年たちの期待はいやが上にも膨れ上がった。


「夏休みも終わりだし、ちょうど良かった」


「ちょうどって、なにが?」


「そこは、ほら、なんとなく」


「ぷっ・・・なんだそりゃ」



 遺跡への道すがら、さして意味のない会話に笑い合った。こうして友人と過ごす時、晴太は生き返る心地がした。


 親の意図を汲んで進学校へ進んだまでは納得していた彼であったが、入学直後から、規則にしばられた高校生活が息苦しいと感じ始め、二年生になった頃には行き詰まりを感じていた。

 勉強、部活動、生徒会、友人関係、その他諸々。皆が楽しい、大切だということに、晴太はなぜか興味が湧かない。何で大切なのか理由を問わず、議論もせず、盲目的に信じている気がして、首肯する気になれなかった。むしろ反発さえ覚えた。

 誰も口にしないが、実は大人も子供も、社会全体が旧態依然とした価値観に囚われて、現実とのギャップを前に、身動き一つままならないのではないか。

 周りの大人たちを見れば、それもまた無理からぬ事という気がした。学生時代に始まる長い競争の末に、大なり小なり、効率と成果の数値しか見ない人間になるのだ。一歩踏み出せば別世界が広がっているかもしれないのに、レールから外れることを恐れ、誰も外に眼を向けようとしない。

 晴太は通勤途中のサラリーマンを見ると、デスマスクを連想してしまう。虚ろな眼は何も見ていないし、大切なものは何も映らない、そんな気がした。


 このまま黙って時間が過ぎれば、数年後には自分たちもまた、彼らの仲間入りをすることになるだろう。若くして魂が死ぬ。生ける屍になる。想像するだに恐ろしい。


「それなら、自分で道を探すしかないと思うんだ」


「ほう。言ってくれるね」



 情報を共有する術が書物しかなく、経験が何よりも大切だった時代と、現代は違う。老いも若きも、ネットを使えば情報量は同じだ。今は情報の取捨選択能力の高い者が、より正解に近づくと晴太は思っている。


 学校の先生は、しかつめらしく「大人の言う事は聞いておけ」などと言う。偉そうに何を言っても嘘っぽいこと(はなは)だしい。晴太の担任は、大学を卒業して四年余り。まだ世間的には若造(わかぞう)の部類だ。

 それで本当に大人と言えるのか。有り得ない。

 本人はどう思っているか知らないが、そんな人間の言う事を聞けるわけがない。だいたい、子供が何も知らないと思ったら大間違いだ。自称大人が考えるよりも、ずっと多くを僕たちは知っている。


 さりとて、情報さえあれば十分とは言えないことも分かっている。どんな経験にも何かしらの意味はあるだろう。高校生相手に一方通行の授業をするだけの経験でも、たぶん無いよりはマシだ。


「最終的には、自分の選択が自分の在り様を決めるのさ」



 選択結果が吉と出るか凶と出るかは、自分にしか分からない。他の人間が決めることでもない。


「だから、自分に起こるあらゆる事象について、自分にも責任がある。周りに流されず、後悔しない選択をすべきだ。そのためには考えること。考え続けることが大切だよ」


 そこを理解しないと、失敗を他人のせいにしかねない。


「いいこと言うじゃん。でもさ、偉そうに言っても、結局は何も分かってないだろ」


「まあね」



 二人は声を殺して笑った。真夜中の住宅街を歩きつつ、こんな話を大真面目にすることが、わけもなく楽しい。


「ハハハ・・・晴太は頭でっかちだからな」


「そうかな」


「そうさ。特に異性について知らなさすぎる。今から少しずつ学ぶべきだと思うぞ」


「ほっとけ」



 深夜に近い街路は、見渡す限り人っ子一人いなかった。動くものは自分たちしか存在しない。今だけは、この世界全てが我々のものだ。晴太は心の中で快哉を叫んだ。


「ところでさ・・・」



 言いかけて、唐突に晴太が歩みを止めた。


「どうした?」


「あれ」



 晴太の指さす方向に、ぼんやりと白っぽい人影が見えた。百メートルは離れていないだろう。


「女の人かな?」


「そうらしい」



 この近辺は道路の片側が大きな自然公園に面している。公園側には街灯が無く、ほとんど真っ暗だ。


「変だと思わないか」


「・・・思う」



 不自然なほどに歩みが遅い。しかも一歩ごとに身体が上下する。怪我をしているのか、それとも足が不自由なのか。車道を挟んで公園側を歩むその人影は、ゆっくりではあるが着実に、晴太と祐介の方へ近づいていた。


 長い髪に細い手足の女性らしいと、そこまで見分けられた時、二人は目を瞠った。


「首が・・・折れている?」


「まさか」



 暗くてはっきり見えないが、ちょっと首を傾げたという雰囲気ではなかった。

 街灯と街灯の間を埋める闇の中を、女はゆっくりと動いた。気がつけば、片側一車線の車道を挟んで、十メートル余りしか離れていない。断続的に足を引きずる音が聞こえた。


「ヤバい・・・」



 祐介の声が震えていた。

 逃げるなら今だ。

 しかし、逃げ出そうにも足がすくんで動けなかった。人は想定外の恐怖に遭遇すると、何もできないものらしい。


 不意に女は立ち止まり、頭を持ち上げた。表情は見えないが顔はこちらを向いている。


 晴太と祐介は声のない悲鳴を上げ、その場に凍りついた。冷や汗がわき腹を流れ落ち、言いようのない悪寒が背筋から脳天へと駆け抜けた。恐ろしさの余り、呼吸も瞬きもできなかった。


 このまま永遠に続くかと思われた沈黙の後、再び女は動き出した。それまでより幾分軽い足取りで闇の中へ溶け込み、すぐに見えなくなった。



 リリリ、コロコロ・・・リリリ・・・。


 虫の声が聞こえる。

 路上に立ち竦んでいた二人は、深く息を吸い、震えるような溜息をついた。

 終わってみれば、まるで夢の中にいたような気がした。辺りは森閑として猫の子一匹いない。


「・・・晴太」


「あ・・・うん」


 祐介が白い顔で振り向いた。



「見たか」


「見た」


「幽霊かな」


 晴太は、しばし考えてから答えた。



「足音が聞こえたから人間だよ。それに、なんだか見覚えがあるような・・・」


 祐介の(おもて)に、怯えにも似た驚愕の色が走る。



「お前、顔を見たのか」


「ああ」


「ど、どんなだった?」


「ぼんやりとだけど、僕らと同じ年頃の女子みたいな・・・」


「驚いた。いい度胸してるよ。俺は恐くて目をつぶっていた」


「・・・実を言うと、恐すぎて固まっていたから、目をつぶることも出来なかった」


「なあんだ。ハハ・・ハ・・・」


「へへ・・・」


 空々しい笑い声が闇に吸い込まれた。すぐに訪れた沈黙に耐えられず、二人とも急いで話を継いだ。



「歩きながら話そう」


「だな」


 二人はコンビニ方面へ戻ることにした。ともすれば駆け出しそうになるのをこらえ、あえて歩いた。ここで走れば、恐怖に負けて叫び出してしまいそうだ。



「それで、見覚えがあるって、どういうこと?」


「ええと・・・そう、誰かに似ているような気がしたんだ」


 足を止めずに、晴太はポンと手を打った。


「誰かって、友達・・・?」


「うん。でも自信ない。誰であるにしても・・・様子が変だった」


 祐介も同意して頷いた。

 それは疑うべくもない。二人は顔を見合わせてゴクリと生唾を呑みこんだ。



「それから、服に泥がついていた。靴も片方しか履いていなかったみたいだ」


「お前、本当に良く見ていたな」



 苦い笑顔で祐介が頭を振る様は、半ば呆れている証拠だと思われた。

 ほどなくコンビニの前に辿り着いた二人は、店員の動く姿を見てホッと息をついた。かなりの時間が経っているように感じられたが、時計の針はここを出発してから数分しか進んでいない。期せずして冥界に迷い込み、命からがら脱出した気分だった。

 祐介は店の前でしゃがみ込んだ。


「はぁ・・・何もしていないのに疲れた」


「同感」



 晴太の膝は、まだ細かく震えている。

 林の甘い香りを乗せた夜風は、秋の気配を感じさせるほどに涼しい。三日続いた熱帯夜も、今宵はひとまず小休止といったところである。


「ところでさ・・・・」


「うん?」


「せっかくここまで来たけど、遺跡見物はやめないか」


「僕も、そう思った」



 渡りに船だ。物見遊山気分は、きれいに消し飛んでいた。本音を言えば、一刻も早くこの場を去ってしまいたい。


「じゃあな」


「ああ、また学校で」



 晴太と祐介はきまり悪そうに小さく笑い、そそくさと帰途についた。

 雲の切れ目から見事な満月が現れ、公園一帯を隈なく照らしている。街灯の光が届かないコンビニ脇の細い路地にも、ほんのりと光が差している。月明かりで目を覚ましたのか、真夜中だというのに、どこかでカラスがギャーと鳴いた。


 何度も振り返りつつ、足早に去る少年らの後ろ姿には、遺跡探訪を断念した未練など微塵も感じられなかった。





 翌日。

 遺跡の発掘現場で、複数の足跡が見つかった。前夜の侵入者が残したものだ。足跡を見つけた関係者は、痛く憤慨した。


「まったく、けしからん。かけがえのない文化遺産を、なんだと思っているのか」



 T大教授の浜辺は、憤懣やるかたなく足跡をにらみ、温厚そうな丸顔を紅潮させて嘆いた。

「踏み荒らされた形跡はありますけど、遺跡そのものは無傷ですよ、教授」

 助手の井川が、まあまあと宥める。

 短気で太り(じし)の浜辺と、鷹揚で長身痩躯の井川は、見た目も性格も正反対だ。知らない人が見れば()りが合わないと思うだろう。実のところ、互いの不足を知っている二人は、とても馬が合うのだった。


「他に被害はないのかね」


 眉間に皺を寄せて、教授は尋ねた。


「異常が認められたのは、一カ所だけです。ちょっと見物して帰ったのでしょう。それから、靴が片方落ちていました」


「なんだって?」


 教授は思わず聞き直した。



「女性用の靴が、右片方だけ落ちていました。二十四センチの赤いミュールです」


「なんだ、それは」


「さあ・・・」



 井川は長い首を捻った。ユーモラスだ。顔も首も長いから、初対面の人は例外なく馬を連想する。


「夜間の警備員が必要だな」


 浜辺教授は短い腕を組み、至極、真面目に言った。



「予算があれば、そうしたいですね」


「む・・・」



 痛いところを突かれて、教授は口を閉じた。

 昨今、考古学を取り巻く状況は厳しい。その理由は、経済活動とつながりが薄いからであった。ありていに言えば金儲けにならない学問なので、予算を削られる一方なのだ。昼間はともかく、夜間の警備員を雇う金など、あろうはずもなかった。


「いたしかたない。無駄かもしれんが、役所に打診してみよう。井川君、連絡を頼む」



 ダメ元でも、話はしておいた方が良いだろう。労を惜しんで、貴重な古代遺跡を破損してからでは遅い。遺跡の替えは利かないのだから。


「わかりました」


 井川助手は携帯電話を取り出した。



 一昨日のこと。

 全容が見えてきた遺跡の発掘現場で、井川は、ストーンサークル中央付近のくぼみに気がついた。その一カ所だけ、盃形の黒い土が残っている。土部分の直径は二十センチほどと、遺跡の規模からすれば眼につくほどの大きさではなかった。


 人に頼むまでもないと考えた井川は、自らササラを使って土を取り除こうとした。すぐに終わるだろうと思っていたが、案に相違して、なかなか底が見えなかった。どうやら、この部分だけが深い穴になっているようだ。


 掘り始めて三時間、作業を終えた井川が額の汗を拭い、水の入ったペットボトルをゴクゴクと一気に半分ほど飲み干した。苦労して掘り終えた穴は、底までの深さが一メートルもあった。全体に凹凸が少ない遺跡構造において、例外的な造りである。


「なぜ、ここにだけ穴があいているんでしょう」


「さて・・・なぜかのう」


 浜辺教授も、首を捻るばかりだ。



「ドローンを使ってみよう。上空から見れば、何か分かるかもしれん」



 教授の指示で複数のドローンが飛ばされ、様々な高度と角度から遺跡は撮影された。昔なら測量結果を図面に起こすところだが、今は取得したデータをパソコンへ送り、ディスプレイに表示すれば済む。アナログ世代の教授にとっては誠にありがたい時代である。


 ドローンで撮影した画像は、地上からでは見えない景色を見せてくれた。



「おお・・・」


 期せずしてどよめきが広がった。自然林に囲まれた直径百メートルの幾何学的な文様が、くっきりと浮かび上がっている。緑と灰白色のコントラストが美しい。


 ディスプレイに人だかりがしているところへ、別の作業グループを束ねる鈴木助手が顔を出した。


「教授、少し離れた場所から、変わった石が見つかりました。来て頂けますか」


「おお、すぐに行こう」



 教授は周辺にも貴重な遺跡が眠っていると推測し、ストーンサークルを中心に半径三百メートルの範囲を発掘の対象と考えていた。

 幸いなことに、現場は全て市が所有する自然公園の敷地である。発掘範囲を広げたとしても、作業に大きな支障はない。作業員は教授の指示に従い、複数のグループに分かれて調査と発掘を進めている。

 鈴木助手のいう変わった石は、地下埋設物の調査中に、サークルから南へ数十メートルほど離れた場所で見つかった。


「この石かね」


「はい」


 縦横三メートルほどの台座の上に、円筒状の石が横たわるように置かれていた。つい先ほど全容を現したらしい。


「金属探知にかかったので掘ってみたのですが、わりと浅いところにあったので、すぐに作業が終わりました。見た目と手触りは石のようです」


「ふうむ・・・」



 長さは一メートル、直径はニ十センチ。全体的に青い石柱である。

 台座には、ストーンサークルと同じ灰白色の滑らかな石が使われている。上部面に金の象嵌らしき文様が見えた。


「装飾がありますね。祭壇でしょうか」


「うむ。そういう見方もあるのう。もしそうなら、石が御神体になる。それも珍しくはないことじゃ」


 長く土中に眠っていたであろう円筒状の石は、泥と埃を洗い落とされ、鮮やかな青色の地肌を現した。見る者を魅了せずにはおかない、神秘的なブルーだ。


「これは美しい」


 浜辺教授は、誰にともなく呟いた。



「ラピスラズリかな?」


「日本には鉱脈がないですよ。メノウや水晶も考えられますが、こういう色は見たことがない」


 地質、石質については、鈴木助手が詳しい。



「ふむ」


「はるばる中央アジア辺りから、海を越えて運び込まれたのでしょうか」


「かもしれんのう」


「それにしても、見事な研磨技術です。ちょっと見た感じでは傷一つない。これまた驚きだ。というより不思議ですね」


「さよう。今回の発見は、何から何まで不思議なことばかりじゃ」



 ストーンサークルを構成する石は花崗岩と酷似しているが、ダイヤモンドに相当する硬度であることが判明していた。つまり未知の岩石ということだ。それだけではない。遺跡の造られた時代は、少なくとも数千万年前という結果が出ている。放射年代測定法を信じるならば、ストーンサークルは、まだ恐竜が闊歩していた時代の産物ということになる。常識で考えれば何かの誤りであろう。しかし、どちらの分析も三度行われ、三度とも同じ値が出ていた。



 仮設事務所の映像解析チームから「青い円筒石は、ストーンサークルの一部ではないか」という指摘があったのは、その日の夕方だった。


 映像解析の責任者、藤堂十三チーフは、眼光鋭くディスプレイを見つめ、


「御覧ください」


 二つの静止画を示した。


「これは?」


「右が遺跡上空からの映像です。左が祭壇上部の文様です」


「よく似ているな」


「全く同じと言って良いでしょう」


 藤堂は透過処理された二つの画像を重ねた。寸分たがわず一致している。規模の違いは別として、描かれたものが同じであることは明白だった。


「規則的で左右(シンメ)対称(トリー)に見えますが、一部に例外があります。この部分です」


 藤堂は、祭壇の画像を指でなぞった。



「九つの同心円が、金色の象嵌細工で描かれています。非常に精緻なものです。これを見て、どう思われます?」


「そうさのう・・・」


 浜辺教授は腕組みをして、画面に見入った。同心円は一定間隔ではない。幅の狭いところもあれば、広いところもある。



 おまえに心があるのなら

 わたしの声が聞こえよう



 教授は、ややしばらくして、


「・・・太陽系、かな?」


「はい。私も同感です」


 藤堂は思いのほか白い歯を見せて、破顔した。


「太陽と惑星を示す丸い点も、惑星間の距離も、正確な比率で造られています。これは古代エジプトに匹敵する・・・いや、それ以上の天文学知識が、太古の日本にもあったという証拠ではないでしょうか」


 興奮する藤堂とは対照的に、浜辺教授の表情は冷めていた。


「面白い。だが、単なる偶然とも考えられる。あまり性急に判断せぬがよかろう」


「ええ、それはもちろん・・・」


 藤堂は少々鼻白む思いで周囲のメンバーを見回し、言葉を継いだ。


「もう一つ、よろしいですか」


「続けてくれ」


「仮に、文様が太陽系を示すとして、改めて祭壇の図を見てみると・・・」


 藤堂が示した祭壇の画像には、赤い丸で囲まれた箇所があった。その中に、小さな青い点が見えている。



「このように色の違う部分が一カ所だけあります。同心円の内側から三番目。太陽系で言えば地球の位置です。祭壇の地球は、直径数ミリの青い石が埋め込まれています。一方のストーンサークルですが、地球にあたる部分は、井川さんが見つけた例の窪みがあります」


「ふむ」


「片や青い石で地球を表現し、片や窪みだけ。他は同じなのに、そこだけが違う。おかしいと思いませんか」


 藤堂はそこで話を区切り、皆に考える猶予を与えた。


「もしやと思いまして、発見された青い石柱と、ストーンサークルの窪みの大きさを比較してみました」


 映像解析責任者の勘は、見事に当たっていた。石柱の直径と長さは、窪みの直径と深さに一致したのだ。

 藤堂は、どうですかと胸を張った。


「両者が一致したことには、重要な意味があると思われます。石柱はストーンサークルに納まるべきピースです」



 おまえに知恵があるのなら

 わたしを元へもどしませ



 藤堂は、ピースをはめてストーンサークルを完成させましょうと提案した。

 だが、浜辺教授は首を縦に振らなかった。


「関連性が分かれば十分だ。今はそのままにしておこう」


「しかし・・・」


「石柱は、長く土中にあって、(もろ)くなっている可能性もある」


 迂闊(うかつ)に動かして破損してはならないという浜辺教授の判断に、多くの者が同意を示した。


「石を分析した後で、また相談しようではないか」


 言われてみれば、もっともな意見である。


 不承不承(ふしょうぶしょう)同意した藤堂であったが、自分の発見を形にしてみたいという思いは捨てがたく、折を見て実現しようと考えていた。


 後に藤堂は、こう語っている。


「石を見ていると、誰かが自分に語りかけました」



 おまえに心があるのなら

 わたしの声が聞こえよう

 おまえに知恵があるのなら

 わたしを元へもどしませ

 納めるべきをみつけませ

 納まるべきをさがしませ



 奇妙な旋律に乗って繰り返される言葉が、藤堂の頭に浮かんだ。


「でも、回りには誰もいないんです。声は間違いなく、あの石から聞こえていました」


 自分は選ばれたのだと感じて嬉しかったとも、藤堂は言っている。



 この時、遺跡には誰も知らない秘密があった。遺跡は日にわずか数ミリずつ、石組が上昇していた。たとえ発掘されなくとも、何年か、何十年か先には、その姿を地上に現したことだろう。




 日没後の発掘現場は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

 誰もいない仮設事務所も、静寂に支配されている。時折聞こえる細い虫の声だけが、生き物の気配を感じさせた。

 白くて丸い月が、灰白色の祭壇に横たわる石柱を照らしていた。月明かりの下に(たたず)む青い石は、長い間土中で眠っていたとは思えない(あで)やかさであった。

 そのかたわらに、何やらうごめく影が見える。


「誰もいませんね・・・・」


 キョロキョロと辺りを見回し、人がいないことを確かめた藤堂は、前もって用意していた土砂運搬用の「もっこ」を手に、ひょいと祭壇に上がった。ヘッドライトのスイッチを入れ、足元を照らすと、青く美しい御神体が待っていた。



「さあ、元の場所へ帰りましょうか、御姫様」


 傷つけないよう慎重に石柱をずらし、もっこを巻いて、少しずつ動かしてみた。大きさから想像していたよりも軽い。それでも、重量は百キロ近くあるだろう。


「む・・・」


 気合を入れて石柱を持ち上げ、御姫様抱っこの恰好で、そろりと歩きだした。


「よし」


 行ける。

 祭壇と地面との段差は二十センチほどしかない。これなら石柱を抱えていても、どうにか降りられそうだ。

 藤堂は宝物のように石柱を抱え、一歩ずつ足元を確かめながらストーンサークルの窪みへと進んだ。その距離、およそ百二十メートル。途中で三度の休憩を入れ、どうにかサークルの窪みへたどり着いた彼は、その横に石柱を置いて深く息をついた。高校大学を通じて登山で鍛え上げた彼にとっても、これは容易な仕事ではない。


 ここからが問題だ。石柱を傷つけずに、どうやって窪みへ嵌め込むか。指のかかりそうな凹みは、石柱のどこにもない。とりあえず、もっこを首にかけて石柱を吊り上げ、立てたまでは良かったが、そのままでは中に入らない。もっこの厚みを許さないほど、窪みの直径と、石柱の直径はピタリと一致している。


「真上から落とすしかないな」


 藤堂は、もっこを首にかけ、石柱を両腕に抱いて持ち上げた。穴の縁にそうっと石柱を置き、肩で支えながら少しずつ、もっこをずらして行く。石を傷つけないよう、十分に注意を払った。藤堂の息が上がり、額から顎にかけて汗の雫が流れては落ちる。


 難しいからあきらめようとは全く思わなかった。何よりも、ストーンサークルを完成させたい一心であった。


 あと少しというところで、石が穴の縁に当たって音を立てた。藤堂が「いかん」と臍を噛んだ時にはもう遅い。石柱はスルリともっこを抜けて、落ちてしまった。すかさず足元へ目を向けると、石はスッポリと穴の中に納まっている。なぜか石と石のぶつかり合う音は聞こえなかった。

 手こずる様子を見かねた石柱が、自分自身の意志で動いたかのようであった。


「ふう・・・」


 流れる汗を袖で拭い、藤堂は大きく肩で息をした。身体の奥に、安堵と満足がじんわりと広がってゆく。腰を伸ばし、首を回すと、コキコキと関節の鳴る音がした。


「これでストーンサークルは完成だ。あるべき姿に戻ったのだ」


 ふと見上げた夜空に、無数の星々が(またた)いていた。自然林の中にある発掘現場周辺は、人工の灯りが無いために市街地より暗く、そのぶん星が鮮明に見える。大きな上弦の月が、中天にかかろうとしていた。


 美しいと藤堂は思った。人類はずっとこうして月を見上げ、その遥か以前から月は地上を展望していたのだ。無限に広がる宇宙の神秘に比べたら、地面を掘り返して過去の遺物を調査する作業が、いかにも些末なことに思えてくる。


 星空を仰ぐ彼の足元で、前触れもなく小さな光が「ぽっ」と灯った。ホタルより小さく、ぼんやりと弱々しい光は、ストーンサークルの上をゆっくりと流れ、やがて溢れ出す湧き水のようにさらさらと広がっていった。


 一仕事終えた充足感に満たされて、藤堂は(きびす)を返した。あれほどストーンサークルを完成させたいと執着していたのに、背後に(ほの)(しろ)く浮かび上がる遺跡の様には、とうとう気づかないまま、彼は発掘現場を後にしたのだった。



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