侯爵令息は伯爵令嬢と婚約締結をする
マーティン・ミゲルは侯爵家の嫡男である。
少し長めの漆黒の髪と切れ長の青い双眸をした美男子で、あまり感情を表に出さないにも係わらず女子生徒からの人気が高かった。だが女子にも男子にも同じように接していたため男子生徒からの評判も良かった。そのため学園の最終学年で彼が生徒会長に推薦されたことは当然の成り行きだった。
年度初めの生徒会は忙しい。
他の役員を先に帰しキリのいい所まで仕事を終えたマーティンは寮へ帰るべく、暮れなずむ校舎脇の小路を足早に歩いていた。
ふとそこで柱の陰に隠れるように立つ一人の女子生徒を見つける。
マーティンに背を向けて中庭を見ている女子生徒は綺麗なストレートの長い濃紺の髪で、時折その髪が風に吹かれてサラサラと靡いている。マーティンはその後ろ姿に見覚えがあった。
女子生徒は同じ生徒会のメンバーであるメルディーネだった。
(彼女は他の役員と少し前に帰ったはずだったが何故こんなところに?)
マーティンは訝る。それほどメルディーネはじっと中庭を凝視していたのだ。
一体何を見ているのかが気になって、マーティンはメルディーネへ近づく。
彼女の背後へ近づき視線の先の中庭の生垣の隙間を覗いてマーティンは眉を顰めた。
メルディーネが凝視していた先には女子生徒と男子生徒が抱き合っている光景があった。夕暮れ、中庭、生垣の間、と人気もなく盛り上がるシチュエーションなのは解るが学園に何しに来ているんだと言いたい。
マーティンたちが見ていることなど思ってもいないのだろう。徐に顔を上げた女子生徒は男子生徒にむかって唇を軽く突き出している。それに応えるようにキスをした男子生徒の顔を見てマーティンは心の中で頭を抱えた。
男子生徒はレオナルド・ラウスという子爵家の令息だった。甘いマスクと少しやんちゃなレオナルドは女子生徒から人気があったが、すぐ付き合う、すぐ手を出す、すぐ捨てる、の三拍子揃った屑男として有名だった。
しかも彼には婚約者がいた。
それが今、マーティンの目の前にいる女子生徒、メルディーネ・サリス伯爵令嬢だった。
レオナルドがどんなに浮気をしても変わらず婚約者に尽くしているメルディーネの噂はマーティンも聞いたことがあったが…。
(さすがにコレはダメだろう。完全に現行犯逮捕だ…)
マーティンは修羅場に巻き込まれる前にこのまま黙って引き返そうと考え後退ったが、運の悪いことに彼の足元で小枝がポキリと小さな音を立てた。
小さな音だったので濃厚なキスを交わしているレオナルド達には気づかれなかったが、マーティンの前にいたメルディーネは、ハッとして振り返りマーティンの顔を見るとバツが悪そうに笑った。
「マーティン様…変なところを見られてしまいましたね」
「いえ…」
「会長のお仕事は済んだのですか?」
「まぁキリがいい所までは…」
「さすがですね。お疲れさまでした」
小声だがにこやかに話すメルディーネにマーティンは居心地が悪いものを感じて、つい余計なことを口走ってしまう。
「…あの男は君の婚約者だと思ったのですが、君はその…怒らないのですか?」
「…怒ったら、もっと嫌われてしまいますから」
「嫌う?君が彼を嫌いになるのではなくて?」
マーティンの言葉にメルディーネは驚いたように目を瞬かせると困ったように微笑み首を横に振った。
「それは…ないですね」
「だが好きな男が…その…他の女性としているのに君は…いや、何でもありません」
そこまで言ってからマーティンは中庭の生垣へ目をやった。
第三者がこれ以上聞くのは野暮だろうし、当人がいいと言ってるのだから追及するべきではないと判断した。それにメルディーネがこの調子では例えレオナルドがこちらに気づいても修羅場になることはなさそうだと考えた。
メルディーネはそんなマーティンに再び微笑むと寮への小路を歩き出す。
歩きながらメルディーネは小さくポツリと呟いた。
「レオナルド様のこと…よくはないですけど…私にはないから仕方ないんです」
「ない?」(何が?)
メルディーネが言った言葉が理解できずにマーティンが怪訝な顔をすると、彼女は視線を落とし無意識に身体に手を当てた。その手を当てた先を見てマーティンは気が付いた。
メルディーネは男子生徒からとても人気があった。滑らかなストレートの長い濃紺の髪にぱっちりとした水色の瞳、瑞々しい肌は透き通るほど白くきめ細やかで小さなバラ色の唇は紅をささなくても色鮮やかで艶やかだった。
外見的な面でいえば先程レオナルドと抱き合っていた女子生徒に負けている要素は見つからない。ただ一つを除いて。
(胸か…)
気づいてしまって恥ずかしくなりマーティンはパッと目をそらす。
メルディーネの胸は絶壁だった。細身なので仕方がないといえばそうなのだが見事な絶壁っぷりだった。彼女を好きだと言っている男子生徒もそれだけはフォローできないようだった。最も彼らは「チッパイ最高!」と力説していたが。
レオナルドと抱き合っていた女子生徒は巨乳だった。
メルディーネが何をもって『ない』と言っているのか理解したものの、身体的なことのため下手なことは言えずフォローも出来ず口ごもるマーティンに、メルディーネは人差し指を口元へたて微笑んだ。
「マーティン様、さっき見たことは秘密にしてくださいね」
「え?」
「レオナルド様にこれ以上変な噂が立つのは嫌なので」
「君がそれでいいのなら私はいいが…」
「ありがとうございます」
にっこりと笑ったメルディーネだったがその笑顔が何だか寂しそうに見えてマーティンの胸は何故だかチクリと痛んだ。
◇◇◇
生徒会の仕事も軌道に乗ってきた頃、メルディーネが少しソワソワした様子で窓から中庭を覗いていた。あれからマーティンは気づいたらメルディーネを目で追うようになっていた。
レオナルドへの態度と清楚な見た目から大人しそうな印象のメルディーネだったが、自分の意見はきちんと言えるし行動力もあった。生徒会を通じて一緒に過ごす時間が増える間に、いつしかマーティンは彼女が気になるようになっていった。
その彼女が今日はどこか落ち着かないように見えた。メルディーネの手には小ぶりの袋があり彼女は大事そうにそれを抱え窓の外を気にしているようだった。
袋と時計と窓の外を見て逡巡しているような様子のメルディーネを不思議に思いマーティンは声をかける。
「メルディーネ、落ち着かないようだけどどうしました?その袋は?」
マーティンの問いに肩を震わせたメルディーネだったが、すぐに照れたような笑顔を見せた。
「あっ…これはクッキーです」
「クッキー?もしかして自分で焼いたとかですか?」
「ええ、まあ…婚約者にあげようと思いまして…」
そう言うメルディーネにマーティンの胸がゴトリと重くなる。
しかしそんな様子はおくびにも出さずに笑顔を向ける。
「彼は中庭にいるようですね。渡しに行きたいのでしょう?」
「そうなのですが、まだ生徒会の仕事がありますし」
「今日の仕事はあらかた済みましたから、メルディーネはもう上がっていいですよ」
「でも…」
「早く行かないと、君の婚約者はどこかへ遊びに行ってしまうかもしれないのでしょう?」
「…はい」
項垂れるメルディーネにマーティンの胸の重さは増していった。
何故ここまで婚約者に想われているのにレオナルドが彼女を蔑ろにするのか意味が解らなかった。
それでも表面上は笑顔を張り付けて躊躇うメルディーネを送り出す。
メルディーネはマーティンに生徒会室の外へ追いやられた後も少し迷っていたが、お辞儀をして足早に中庭へ向かって行った。
彼女を見送るとマーティンは手にした書類を読むふりをしながら中庭が見える窓辺へ移動し外を覗いた。
視線の先には茶髪の男子生徒が気怠げにベンチへ座っていた。
中庭のベンチへメルディーネが小走りで駆けてゆく。
レオナルドを見つけたメルディーネが嬉しそうに袋を彼に向って差し出した。
「レオナルド様、良かったらこれをめしあ…」
「レオ様~、これから一緒にカフェに行く約束だったわよね?」
メルディーネが言い終わる前に彼女の後ろから女子生徒の声がかかる。中庭は細い小路だったためレオナルドの元へ一直線にやってきた女子生徒は通り過ぎ様メルディーネにぶつかってしまった。その拍子にメルディーネが持っていた袋が落ち、それに気が付かなかった女子生徒が踏みつけてしまう。
グシャっと音がして女子生徒が慌てて足をあげた。
「ええ!?なにコレ?何か踏んじゃった!」
「あ…」
「あれ?もしかして貴女のだった?ごめんね。弁償しようか?」
「…いえ、いいです。大したものではないので…」
「そう?それなら良かった」
「メルディーネ、それは…」
「何でもありません。お邪魔してすみませんでした。私、もう行きますね」
踏まれてしまった袋を拾い上げるとメルディーネは足早に立ち去る。レオナルドは何か言いたそうな顔をしたが結局メルディーネを追いかけることなく、腕に絡みついた女子生徒とともに中庭を後にした。
生徒会室から事の成り行きを盗み見ていたマーティンはメルディーネの持っていた袋が女子生徒に踏まれたのを見た瞬間階段を駆け下りていた。
息を切らし中庭へ来ると生垣の陰でメルディーネが俯いていた。
何とも言えない感情が噴き出し、ツカツカと彼女の元まで歩いてゆくとその手から袋を取り上げ砕けてしまったクッキーを取り出すとパクっと頬張る。
「マーティン様!?」
驚くメルディーネにマーティンはクッキーを頬張りながら謝罪する。
「勝手に食べてしまってすみません」
「いえ、それはいいのですが…その…踏まれてしまったので汚いです」
「袋に入っていたので問題ないでしょう」
「ですが砕けてしまっていますし…」
「食べやすくなったと思えば問題ありません。…うん、美味しいです」
「マーティン様…ありがとうございます」
そう言ってふわりと笑ったメルディーネにマーティンは自分の恋心を自覚した。彼女のその笑顔をいつも見ていたいとそう思った。
「メルディーネがせっかく作ったお菓子ですからね…私が全て食べますよ」
マーティンはそう呟くとサクサクとクッキーを咀嚼していった。
それからマーティンはレオナルドの行動を片っ端から調べ上げた。
調べれば調べるほど屑みたいな男だった。だが奴がメルディーネを悪し様に言うときは決まって違う男が彼女を褒めた時だということに気が付いた。所謂拗らせ男なわけだが、メルディーネはレオナルドが貧乳のせいで自分を嫌っていると思っている。
「バカだな。だから俺に横から掻っ攫われるんだよ」
黒い笑みを浮かべたマーティンはポツリと呟いた。
◇◇◇
「サーカスですか?」
「うん、そう。国中を巡業していて、今ちょうどこの王都に来ているそうなんです。良ければ生徒会のみんなで見に行こうかと思って」
「さんせーい!!」
マーティンの言葉に真っ先に会計の女子生徒が手を挙げる。
他の役員たちも次々に参加すると言うのでメルディーネもそれならと頷いた。
だが彼らは当日来ることはない。何故ならメルディーネ以外全員マーティンによって買収済だからである。
日頃からレオナルドの素行に嫌悪感を抱いていた彼らはメルディーネを奴から解放したいと言ったらすぐに協力してくれた。
当日二人きりなことに戸惑うメルディーネを無理やり納得させサーカス会場へ向かう。
伸ばした皮膚で曲芸をする女性や、セクシーな衣装で妖艶な踊りを披露する踊り子、空中ブランコを披露する子供と様々な芸を見ている間に彼女の遠慮は吹っ飛んだらしい。
演目が終わり興奮したように話すメルディーネとサーカス小屋を退出する途中、マーティンは茶色の髪を見つける。
冷ややかな笑顔を浮かべ奴が見える位置へメルディーネを誘導すると、彼女の瞳にこのあいだ見た女性とは違う女性の肩を抱いたレオナルドが映しだされた。
唇を噛んだメルディーネにマーティンはさも今レオナルド達に気が付いた体を装って気まずい表情をしてみせる。
「また…違う女性ですね」
「そうですね…マーティン様、男性はやっぱり胸の大きな女性が好きなんでしょうか?」
「へ?」
やけに胸を強調している服を着た女性と歩くレオナルドは、本人にその気がなくても巨乳好きだと思われても仕方がない。
意図的に彼らが見えるように誘導したとはいえ、まさかメルディーネにそんな質問を直球で聞かれるとは思っていなかったマーティンはポカンとしてしまう。
「あっ!…すみません。変なことを聞きました。忘れてください!」
「あ~うん…、でも巨乳好きって実際はそんなにいないと思いますよ」
「ソウデスカ」
慌てるメルディーネにマーティンは正直に答えたのだが彼女は乾いた笑いを浮かべて遠くを見やった。
(どうしよう…信じてない)
焦ったマーティンだったがこの際ずっと疑問だったことを聞くことにする。
「メルディーネ、前から聞きたかったんですが君がそんなにレオナルドに拘るのはどうしてなんですか?」
「え?」
「私は浮気をされても君が彼を好きでいる理由がわかりません。私なら婚約者を悲しませるようなことはしないのに…」
不愉快も顕にマーティンが問うとメルディーネは困ったように微笑んで小さく呟いた。
「レオナルド様は陰口を言わないから…」
「陰口?」
「昔、友人だと思っていた子に陰口を言われて傷ついたことがあったんです。でもレオナルド様はそんな私を励ましてくれて。真っすぐな瞳で俺は絶対に陰口だけは言わないって言ってくれて、凄く嬉しかったんです」
メルディーネはそう言うとキッパリとマーティンへ向かい言い切った。
「だから…レオナルド様のことが好きなんです」
メルディーネの言葉にマーティンの胸が抉られたように痛む。だが同時にどうしても彼女を手に入れたいという気持ちは増した。
「もしメルディーネがレオナルドと婚約解消を望むなら私は協力は惜しまないつもりですよ?」
マーティンがそう言うとメルディーネは驚いたように瞳を瞬かせ悲し気に微笑んだ。
メルディーネを送り自室のベッドへゴロンっと横になったマーティンは昼間聞いた言葉を思い出していた。
「陰口か…」
レオナルドの素行調査の書類を眺めたマーティンは思案気に眉をよせた。
◇◇◇
卒業パーティーの打ち合わせのため放課後遅くまで居残り作業をしていたマーティンとメルディーネは寮への小路を歩いていた。
そこでマーティンははっとしたようにメルディーネを振り返る。
「すみませんメルディーネ、君に貸していた辞書なんですけど月曜までにどうしても調べたいことがありまして、今日か明日に返してもらえると有難いんですが…」
マーティンの言葉にメルディーネが「まぁ」と慌てる。
「私ったらずっとお借りしたままでしたね。その辞書なら休み時間に眺めているのが楽しくて教室に置きっ放しにしていました。今から取ってくるので男子寮へお届けするのは明日になってしまいますが…」
「構いません。それよりも今から教室へ行くとなると寮の門限がギリギリになってしまいますね…」
「脚力には自信があるんで平気です!それに明日と明後日は週末休みで学校に入れないので今日中にとってこないと」
「申し訳ない。私がもっと早くに伝えればよかったですね」
申し訳なさそうに謝罪するマーティンにメルディーネが胸の前で両手を振る。
「いいえ。異国の言葉が面白くて私が長く借りすぎてしまったのがいけないんです。マーティン様のせいではありません」
「教室まで一緒に行きたいのですが私はこれから男子寮でミーティングが入ってしまっていて…」
「大丈夫です。それでは私はここで失礼しますね。お疲れさまでしたマーティン様」
「メルディーネもお疲れさまです。気をつけて行ってきてくださいね」
立ち去るメルディーネを見送ってマーティンは口角をあげた。
今頃教室では彼女の婚約者たちが賭けポーカーに興じていることだろう。彼らは週末に定期的に賭けポーカーをして少ない仕送りを増やしたり更に少なくしたりしていた。不毛にしか思えないが彼らなりの楽しみの一つなのだろう。気の置けない友人たちと盛り上がって、つい余計な事でも言ってくれれば儲けものだ。そうなるようにそれとなく彼の友人の一人にメルディーネの話をするように仕向けておいたが、さてどうなるか?
この手がダメならまたすぐに違う手を考えればいい。そう考えたマーティンは沈みゆく夕日に不敵に笑った。
メルディーネが貸していた辞書を返してきたのは約束通り翌日のことだった。
辞書には手紙が添えられていて、男子寮の入り口で無言で辞書と手紙を渡してきたメルディーネの瞼は少し腫れているようだった。そのことにマーティンは胸が痛んだが何も言わずに受け取るとメルディーネはホッとしたような表情で女子寮の方へ帰って行った。
メルディーネを見送り自室へ戻ったマーティンは逸る気持ちを抑えて封を切る。
予想通り手紙の内容はレオナルドと婚約を解消するために協力してほしいという内容だった。
◇◇◇
週があけ放課後メルディーネを生徒会室へ呼び出したマーティンは焦燥した様子の彼女に少しだけ胸を痛めた。
彼女を手に入れるためとはいえ結局彼女を傷つけたのは自分も一緒だ。後ろめたさで何から話そうかと逡巡しているとメルディーネが顔をあげた。
「私…心のどこかでレオナルド様はいつか私のことを好きになってくれるって思っていたんです。でも陰口を言われるほど私のことを疎ましく思っていたなんて、悲しすぎて…」
「メルディーネ…」
マーティンが堪らずメルディーネを引き寄せようとしたところで彼女が屈託なく笑った。
「…一周まわって、どうでもよくなってしまいました!」
「えええ!!!???」
ガクッと片膝を下げたマーティンにメルディーネは捲し立てる。
「考えてみれば巨乳好きなレオナルド様に貧乳の私がいくら言い寄ったって無駄なんですよ!それに気づかない私って本当にバカですよね。努力したって胸なんてどうにもならないのに!リンゴもメロンもスイカも食べ応えがあって美味しいですもの!ブドウなんて一口で終わりですもんね!でもちゃんと美味しいんだから!!シャインマスカットなんて一粒300メートルなんだから!」
「メ、メルディーネ、お、落ち着いて?」
それシャインマスカットじゃなくて某お菓子メーカーのキャラメルというツッコミは入れられなかった。
「は~スッとした!本当はずっと我慢してたんです」
本当にすっきりした表情で微笑むメルディーネにマーティンの心臓が跳ねる。
「好きです、メルディーネ」
気が付いたら告白していた。
「え?ええっ!?えええっ!!」
零れんばかりに水色の瞳を見開くメルディーネを正面からマーティンが見つめる。
「ずっと好きでした。こんな時に言うのは卑怯かもしれませんけどレオナルドとの婚約解消が成立したら私と婚約していただけませんか?」
「で、でもそんな都合のいい話なんて…。それに私、マーティン様には恥ずかしい所を何度も見せてしまっているのにどうして…」
「好きになるのに理由はいりませんよ、メルディーネ。でも敢えて言うなら私は君の笑顔に惹かれました。私は君が隣で笑っていてくれるのであれば侯爵位さえいりません。すぐに返事はしなくていいですから私とのこと真剣に考えてくださいね」
「えっと…」
瞳を彷徨わせるメルディーネにマーティンは優しく微笑むと頭を振った。
「それにしても彼の女性遍歴には目を疑います。メルディーネはレオナルドへ仕返ししたいとは思わないのですか?」
「う~ん、どうでしょう。でも、私が何を言ってもきっとレオナルド様は平気です。むしろ婚約解消されて喜ぶのではないでしょうか?」
そう言いながらもメルディーネは机の上にあったいらない書類を無意識にビリビリと引き裂いている。
解りやすいメルディーネの行動にマーティンは苦笑した。
「そうでしょうか?でもそれならいっそ最後に盛大なプレゼントでもしてあげるのはどうでしょう?」
「プレゼントですか?」
少し不服気味に眉を寄せるメルディーネにマーティンは笑う。
「ええ。卒業記念に女性を胸でしか見ていないレオナルドに素敵な噂をプレゼントしてあげるのですよ」
「噂ですか?」
「幸い今王都にはミゲル侯爵家で懇意にしているサーカス団が逗留していますからね」
「ああ、先日ご一緒したサーカス団はミゲル侯爵家で後援していたのですね」
「はい。彼らは優秀ですよ。特に団長の着ぐるみ作成能力は秀逸です」
「確かにとても素晴らしかったです。でもレオナルド様へのプレゼントに何故サーカス団の方が話が出てくるのです?」
「それは彼女たちに会ってから、じっくりと話しあうことにしましょう」
マーティンは黒い笑みを浮かべるとメルディーネの手をとり、サーカス団の楽屋へ連れ出した。
◇◇◇
その後メルディーネの話を聞いたサーカス団の3人の女性が卒業パーティーでノリノリで一芝居うってくれたこともありレオナルドは「巨乳好きでゲテモノ好きなため伯爵令嬢に婚約解消された近年稀にみる大バカ者」のレッテルが貼られた。
マーティンは最初の告白以降毎日メルディーネに愛を囁き続け、その間もしっかりと外堀を埋め続けた結果無事に彼女との婚約にこぎ着けた。
そして今日はメルディーネとの待ちに待った正式な婚約締結の日。
ミゲル侯爵邸を訪れた1人の大柄な女性とマーティンは応接室で対峙していた。
「ご苦労様でした。もう明後日には立つんですよね?」
「ええ。この街での興行はお終い。たくさん稼がせて貰ったし、材料費無制限で楽しいおもちゃも作れたし、思わぬ臨時収入も入ったしね。うちのエースたちの演技完璧だったでしょう?」
「はい。おかげで奴の噂は75日では消えないでしょうね。また王都に戻ったときには贔屓にしますよ」
「うふふ。侯爵家との縁の他に伯爵家とも仲良くできるなんて心強いわ。メルディーネ様によろしくね。コンプレックスを馬鹿にするような人間がいたら男だろうと女だろうといつでもぶっ飛ばしてあ・げ・る」
大柄な女性は濃い目のアイシャドウを塗った瞼でウインクをすると、アタッシュケースを抱え満面の笑みを浮かべて退室して行った。
「陰口なんて言うのは愚か者だ。言ってはいけないことは墓場まで持っていくに限る」
1人部屋に残されたマーティンはそう呟くと愛しい婚約者に会うために立ち上がる。
こうして侯爵令息と伯爵令嬢の婚約は締結されたのである。
ご高覧いただきまして、ありがとうございました。