58話 もとめられること
最近遅れがちで申し訳ありませんorz
「なぁ、なにかわかったのかい? こんな具体的な質問をするってことは」
「……多少は知識に有る、な」
カタリナは俺の様子から何かを感じ取ったらしいが、それでも俺は言葉を濁すしか無い。
確かに、俺は脚気に対してそれなりの知識を持っている。なんせ脚気は日本医療史において”色々な意味”で重要となってくる病気だったからな。
症状は全身のだるさやむくみに始まり、神経が傷害され足がおぼつかなくなったりさっきしたように膝を叩いても反射的にあがらなくなったりする。そしてそのうち血管がまともに収縮しなくなった結果、心臓が無理に拍動して血液を全身に送り出そうとして負荷がかかりすぎ心不全となって死んでいく。
それこそかつて、脚気は結核と並んで日本の国民病であり三代将軍徳川家光、十四代将軍徳川家茂なども脚気で死んだとされ、さらに明治時代になると日露戦争では陸軍でおよそ二十五万人が発症し、戦死者四万人弱のうちおよそ六割が脚気が死因という”亡国病”とまで言われたことがある病だ。
だが、そんな恐ろしい病気である脚気は、俺にとって過去の病でもある。なにせ原因と治療方法がこれ以上無いほどはっきりとしているからだ。
脚気の原因はごくごくシンプル、ビタミンの一つであるビタミンB1の不足だ。かつての日本人の食生活ではビタミンが不足しがちであり、玄米にはまだ含まれていたのでなんとかなっていたのだが白米を常食するようになってから決定的に不足するようになってしまったのだ。
だから治療そのものは正直簡単だ。ビタミンB1を摂取してもらえばいいのだからビタミンB1が豊富な食材を集めて食べさせればいい。
ここが僻地ならそれも難しかっただろうがエスパガルは貿易都市、栄養学は詳しくないがそれでもビタミンB1が豊富に含まれている食材についてはいくつか知識もあるし脚気対策のメニューについてもいくらか知っている。
それこそ、海上自衛隊でも名物となっている海軍カレーだってもとを辿れば脚気対策としてまずい麦飯とタンパク質をいかに食べさせるかということに行き着くのだからその知恵を借りてもいいな。
そう原因も治療方法もはっきりとしているのだが問題がある。とても単純で、それ故に奥が深い問題がそれは……
「なら、教えてくれよ! これは呪いなのか? それともアンタもオコメのせいだっていうのかい⁉」
どうやって脚気が呪いではないと、そして米のせいではないと納得してもらえばいいかということだ。
なんせ、日本の医療史において脚気が特別でありつづけている理由の中でも大きなものの一つが”脚気論争”とよばれる脚気の原因がなんなのか医学界を真っ二つに割りつづけたことだからな。
脚気が江戸患いと呼ばれていたのは玄米食が中心だった江戸時代はそれこそ白米を日常的に食べるのは江戸くらいだったからなのだが、明治時代に入ると軍が兵士欲しさに軍に入れば糧食は白米である、ということを謳い文句に人員をかき集めた結果、軍部で脚気が大流行するはめになった。
これを受けて海軍では経験則から脚気の流行は米食のせいと考え食事の改善をはじめ、一方陸軍は当時の帝大で主流だった脚気は”脚気菌”のせいだと考えその発見に全力をあげた。
そしてお互い持論を譲らず泥沼化したのだがこの背景に海軍は薩摩閥であり医官のトップも薩摩出身で母校は英国医学が教えられている鹿児島医学校、そして陸軍の中枢は長州閥で医官は帝大、そして帝大ではドイツ医学が中心でというドロドロの権力闘争があってその中心に森鴎外がいたりして……医者に政治はついてまわるってのはいろんな医療ドラマなんかじゃお約束だが根っこがここまで派手にやらかしてたら否定しづら……
って、思考が脱線しすぎたな。ともかくあれだ、きちんと医学教育を受けた才人、それこそ授業のすべてをドイツ語でこなしてきた帝大の医師たちですらドツボった脚気の原因やら治療法についてどう納得してもらえばいいのかだ。
たちが悪いことに「オコメが原因」とドランが触れ回っていることは完全な間違いではないのだからな。
今回の脚気の大きな要因はパン食のころ摂取できていたビタミンB1が白米に魚という伝統的な日本食を真似た食事にした結果摂取できなくなった結果とみて間違いないからな。
おまけにビタミンB1は「動いた時のエネルギーを作るために消費される」性質と、「アルコールや糖質の分解に使用する」性質があるので、米をバクバク大量に食べる大食らいほど、そしてよく働いたり大酒飲みだったりするいわゆる健康に自信がありそうな人ほど脚気になりやすいときたものだ。
そりゃはたから見たら呪いにもみえるし米を食べたら病気になる、なんて思われても仕方ないよな。
……さて、現状認識と現実逃避はこれくらいにしないとな。この誤解をどうやって解いていくためにもいうべきことはいわないとな。
「とりあえず、今の食事をやめることからはじめるべきだな」
「……アンタも、こうなったのはオコメのせいだって言いたいんだね。でもね? オコメを食べてる現地人たちはこんなことにはなってないんだよ? おまけに現地ではあんまりやってない、外側の殻や汚れをとってより美味しく手間隙をかけているってのに」
それなんだよ、その取り除いている米糠に大事な栄養がつまっているんだよ……っていえたら楽なんだがな。
もしカタリナが米を玄米で食べることを選んでいたら、そして玄米だけではビタミンB1は足りないのでそれを補うことになるぬか漬け文化も一緒に持ち帰っていたらまだ良かったんだろうがそれもない状態で和食を形だけ真似したらこうなってもしかたないな。
なんというか、ちゃんとした知識のない転生者がうかつに昔の和食こそ至高として導入した失敗例みたいになってしまっているんだよなぁ。
ともかく説得しないといけないんだが……
「オコメが原因と安易にいうつもりはないさ。ただ、オコメを食べるようにして食べだした人がこうなっているんだからそこは認めるべきだろ?」
「……たしかに言う通りかもしれない。だが安易にそれをやるとドランのやつらの言い分が正しいと認めることになっちまう。だれもオコメを、そしてこの航路で仕入れたものを買わなくなる」
ああ、やっぱりこうなるか。コレラのときのマーサさんは 回復魔法師として、そして慈善事業として患者を見ていたから患者を救うことだけ考えてくれた。だから説得は容易だった。
けど、カタリナは違う。カタリナは商会を背負っている。それが医学的に正しいことであってもその行為をした結果社会的信用を失ったり失点となってしまえばそのダメージは計り知れない。それこそ商会を乗っ取られたり人生そのものが破綻することに直結する。それはある意味死ぬより辛いことと言える。
「本当に、本当に他に手がないっていうならそうするよ? 家族である従業員を見殺しにするようなやつに銭を扱う資格はないからね。でも、でもまだないのかい? 他になにか手は……アタシができることならなんだってするから、なぁ知恵を貸してくれよ」
ここで最悪家族のために自分を犠牲にする覚悟があるカタリナ、それは立派だけど……ああ、本当に難儀だ。目の前の患者を救うことだけ考えればいいわけじゃないというのは。
脚気論争は泥沼&泥沼の政争ですからねぇ。いやぁお札になるからっていうのだ北里柴三郎について調べたらもうドロドロどろりでしたわ……
続きはいつもどおりに……!




