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互いの立場を知らぬまま

 異民族の男はジンランと名乗った。今日ロクシャンから着いたばかりなのだという事、便宜上とは言え許嫁を騙った事を素直に詫びてくれた。


 フェンはフェンで、名を明かした。通常、公主は化粧領の領地で呼ばれる。フェンというのはごく親しい者達だけに通じる名前であって、そのように呼ぶのは皇族か一部の貴族だけだった。(不本意ながらシャングもその中に入っていた)


 フェンという名はありふれていて、その名だけで公主だという事はわからない。


「いいのよ、だってあいつが私を婚約者呼ばわりするのも私の同意どころか家族の同意すらとれていないんだから」


 歩きながら、フェンは頬をふくらませる。逃げていた時のフェンは真剣そのもので、凛とした美しさがあったが、今のフェンはどこか子供っぽいかわいらしさがあった。


 ジンランはフェンの面差しの中にリュセの面影を見出していた。リュセより二つか三つほど歳下だろうか、だがこうしているともっと幼く見えるな、と、ジンランは思いながら、半泣きで自分の後を追ってくる幼いリュセを懐かしく思い出していた。


「……どうしたの?」


 ふっと優しい視線を向けられた事に気づいたフェンが恥ずかしそうに尋ねてきた。


「……いや、何でもないんだ、不躾にすまない」


 ジンランから半歩遅れる距離でついてくるフェンが照れて足を止めたので、自然とジンランの歩みを止めた。


 初対面の相手の手をとる事をためらって、ジンランはしきりに後をついて来るフェンに気を使ってくれていた。


 そのようにもどかしく距離をとって歩いているうちに、フェンが在所としてやって来たのは紫垣王府だった。


「……ここが? 君は紫垣王府の者なのか?」


 それまでの和やかな様子から、どこか厳しい面持ちに変わったジンランが詰問するようにフェンに言った。


「え……ええ」


 予想していなかったジンランの変貌に、フェンは自分こそが紫垣王の妹にして世に言うところの猩紅公主(しょこうこうしゅ)こそ自分であるという事を言い出す事ができなかった。


 胸に焼けた石を押し付けられたような痛みを感じて押し黙ると、ジンランは己の物言いに気づき、あわてて謝罪した。


「悪かった、ひどい言い方をしたな」


「紫垣王に何か因縁が?」


 恐る恐るフェンが尋ねると、ジンランはあからさまに狼狽えた様子を見せた。


「何でもない! ……何でも、ないんだ」


 どう考えても何でも無いという様子では無かったがそれ以上の追求を拒むようなジンランの物言いにフェンはそれ以上問いかける事ができなくなってしまった。


 公主であるフェンの言うことを聞かぬ者は居ない。兄や父、祖父といった血縁の長者は別として、長兄の紫垣王府の者も、次兄の紺青王(こんせいおう)も、そしてかつては皇太子であった父の宮においても、フェンのわがままは聞き届けられた。


 今も、ジンランに対して身分を明かせば丁重に扱われるのかもしれない。けれどフェンはそうしたいと思えなかった。


 立場も身分も知らないジンランに、素の自分を見て欲しいと思ったのかもしれない、ぼんやりとフェンは思った。


 けれど、何故そんな風に思えたかは、わからなかった。


「あの……助けてもらったお礼を……」


 そう言いかけるフェンに対してジンランが言った。


「いや、そこまでの事は……」


 やんわりと断ろうとするジンランの手をとってフェンはずい、と顔を近づけた。


「いえ、それでは気がすみませんから!」


 真剣に言うフェンの迫力に圧倒されたのか、たじろいで後退りしながらジンランが言った。


「……では、町を案内してもらえるだろうか、俺は今日都に着いたばかりで勝手がわからない、君は……」


「まかせて! 私はここで産まれて育ったの!」


 そう言い切って、フェンはジンランと別れた。三日後、今日と同じ時間に紫垣王府の前でと約束をして、ジンランは去っていった。


 フェンはジンランの背中が見えなくなるまで見送り続けた。


--


 ジンランは戸惑っていた。どうしてあんな約束をしてしまったのかと。フェンと名乗った紫垣王府に縁あると言っていた娘の正体に思いを巡らせる。


 縁談という事はリュセのように紫垣王の宮女候補では無いという事だ、女官か、それに準ずる立場の者、縁談があるという事は良家の子女といったところだろうかと推測した。貴族の娘が行儀見習いの為にしかるべき宮に仕えるという話は時折聞く話だ。


 その中には主のお手つきになる事を見越したものもあるらしいが、フェンの様子を見るとそういった意図をもった立場ではないように思える。


 どこか幼さの残るフェンに、そうした務めは似合わない、何故かそう信じたかった。


 ならば、どこかでリュセと知り合うかもしれない。


 宮女として奥に入ってしまえば、リュセに会うことはかなわないだろうが、フェンをつなぎにする事ができれば……。


 そんな打算からジンランはフェンと縁を続ける事に決めた。リュセが紫垣王に見初められ、枕席に侍る事になると思うと未だに心が乱れる、忘れなくてはと思えば思うほどに、隠そうとすればするほどに、秘めた思いが育ってしまいそうで、自分で自分が怖くなるジンランは、正しくリュセの近況を知る為のつなぎとしてフェンに一縷の望みを託す事に決めた。


 思う所のある紫垣王の名が出たところで必要以上に取り乱した所を見せてしまった。フェンに不審に思われたであろう事は悔やまれたが、何か理由をみつくろって信頼を得る必要があるはずだ、そう考えながらジンランは帰途についた。


 戻ると、父は未だ戻らず、ジンランに替わってロクシャンに戻る手はずになっている兄が、慌ただしく帰郷の準備をしていた。


 ジンランとは母の違う、父にとっては正室の子である兄は、ようやく決起しようとしている父の為に働ける事がうれしいようだった。


 兄はジンランを側室の子として蔑んだりはしない。だが、長子としての覚悟からか、父が挙兵するだろうと見て、少し興奮しているようでもあった。


 人質交換をしていきなり挙兵をするほど父が短絡的とも思えないジンランは、だからといって兄を滑稽だとも思えなかった。


 ロクシャンで生まれ育ち、都の気風が肌に合わないとしきりに書簡で嘆いていた兄は、故郷に戻る事がともかく、うれしいようだ。


 辺境で生まれ育ち、武芸に秀でている兄は、己の美点を見せるどころか、慣れぬ書画や囲碁、貴族的な立ち居振る舞いを強要される事に耐えかねていたのだろう。


 自分の替りに都に残るジンランに悪いと思ってはいるようだったが、それを上回るはしゃぎように、都での日々がいかに兄にとって不慣れで、受け入れがたいものだったという事がよくわかった。


 武器や弾薬、密かに集めてきたしかるべき時の準備を、怠りなくとりおこなってきた兄は、確かに父の片腕にふさわしいように思えた。


 ……ならば自分は都でどう振る舞うべきなのだろう。


 未だ妓楼に入り浸る父はジンランには別の期待をしているようで、それを言いあぐねているという事にも気づいていた。


 ジンランに許される好きにふるまえる時間はそう多くは無いだろう。


 ジンランはその限られた短い時間を、リュセの為に使うと、心に決めていた。


 会ったことも無い紫垣王に対しては、リュセに無体を働く男として見る事しかできなかったが、信頼に足りる人物なのならば……。


 だが、心からリュセを任せると言葉にできる自信はジンランにはまだ無かった。

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