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公主、恋に落ちる

 ああよかった、追いつかれる前にたどり着けた。フェンは城門の警備兵を見つけ、助けを求めようと息を整えた。


 追ってくる二人と、さらにその向こうにいるであろうシャングも最早脅威では無いのだ。


「警備のお方、狼藉者に追われております、どうかしかるべき対処を」


 フェンは自分の身分を明かさなかった。何がしかあった際に公主の身に何かあったと不要な咎を追わせたくないという配慮だった。そもそも、仮に公主と名乗ったところで、身の証をたてるものなど持ってはいないという事もあった。


「どうした、お嬢さん、酔漢にでも絡まれたか」


「そんなに息を切らせて、さぞかし怖い思いをしただろう、もう安心だ、我らにまかせてくれ」


 警備の二人の言葉が身にしみて、フェンは安堵した。ああよかった、そう思ったのだが……。


「……おい、あれはもしや」


 二人の警備兵、長身で痩せぎすの方が、短身ふとっちょの相棒に囁いた。


「おっと、あのお方は……」


 どうも不穏な様子の二人のやりとりにフェンは少しだけ身構えた。


「お嬢さん、あなたの素性は、どこの者だい」


 何やらいぶかしむようにして痩せぎすの方がフェンに詰問した。


「私は……」


 素直に公主と名乗るべきか、迷っている間にシャングも追いついて来た。


「おやおや、婚約者殿、いささか戯れが過ぎるのでは? お役目を持った兵殿をわずらわせてはいけないよ」


 猫撫で声でシャングが言った。ねばつくような物言いに嫌悪感を覚えたフェンはぞっとして身を固くする。


「誰が婚約者よ! 勝手な事を言わないで! お願いです、どうか私をあの狼藉者達からお護り下さい、せめて家の者が迎えに来るまでこちらでお匿い下さい」


 フェンは懇願したが、警備兵二人はどうやらシャングと面識があるようだった。


「お嬢さん、どこのどなたかは知らないが、あのお方は皇后陛下のご一族に名を連ねるお方、そこらのゴロツキとはわけが違う、きっと何か誤解があったのだろう、きちんと話をされてはいかがか?」


 ふとっちょは素性のはっきりしないフェンに対しても慇懃では無く丁寧に諭すように言った。けれど今はそんな配慮がフェンにとってはもどかしかった。


「違うのです、あの男は私の婚約者などでは無く……」


「兵士殿、婚約者は急な事で少し戸惑っている様子、取り乱しているところをこれ以上お見せするのも不調法ゆえ、家人に連れて帰らせます」


 フェンはシャングの笑顔に背筋に冷たいものを注がれたような嫌悪感を感じつつも追手の男二人によって取り押さえられてしまった。


 するとシャングが兵士二人に何事かを耳打ちしている姿が見えた。シャングの言葉は聞こえないものの、やせぎすとふとっちょの兵士がそれぞれ大げさに相槌をうつものだから、フェンは絶望のあまり悪態をつく事すらできなくなってしまった。


「そうですな、若い娘御は戸惑われるのも無理は無い」


「いや、しかし美しく溌剌としたお嬢さんだ、シャング殿がうらやましい」


 ふとっちょは、何か下品な話でも吹きこまれたのか、シャングに調子を合わせながらも、少々照れながらそんな事を言った。


 元々の知り合いだったのか、兵士はフェンの言葉では無くシャングの言葉を信じてしまったのだ。


「さあ、帰りましょう、夜はまだ長いのです、何、怖いのは最初だけですよ、私は女を喜ばせる技に長けておりますから、不安に思う事など何一つありませんからね」


 フェンはぞっとした、名前だけでも『婚約者』などと言われるだけでも気色が悪いのに、シャングはこれを好機とばかりに既成事実を作ろうとしているようだった。


 これでは逃げるどころか今夜のうちにフェンの人生は歪められてしまう。舌を噛み切るか、自害するほか逃げる術は無いのだろうか。


 絶望しかかったフェンは今度こそ逃げられないのではとあきらめかけた。その時だった。


「お待ち下さい、その娘御は我が許嫁にこざいます」


 それは本当に突然の事だった。声の主は長身、明るい薄茶の髪に緑の瞳の持ち主だった。


 艷やかで響く声は、一目で異民族だとわかる風貌をしていた。


 その場の全員が呆気にとられている間にその男はすたすたと間に入り、フェンの両手をそれぞれ使っていた男たちの手からフェンを救い出してしまった。


「ば……馬鹿ッ! お前達、何ぼーっとしてるんだッ!」


 最初に我に返ったシャングが言葉を発した頃には、フェンは男二人の手から救い出された後だった。異民族の男はフェンを背後にかばうようにしながら、言った。


「だから言っただろう、この娘は我が許嫁だと」


 繰り返し言う異民族の男の正体にいち早く気づいたのかシャングは人の悪い笑みを浮かべた。


「その瞳の色、その風貌……そうか、お前が……、だがいいのか? そんな世迷い言を、そなたのお父上が困るのでは無いのかな」


「あなたは俺をご存知なようだが、俺はあなたを知らない、だがこれだけはわかる、多勢に無勢で力ない娘御に不埒な真似をしようとする卑劣漢と縁を通じる事は今後も無い」


 冷淡に異民族の男が言ってのけた。


「おのれ……立場もわきまえず……」


 悪態をつきながらシャングが腰に履いた剣に手をかける。


「おっと、それを抜かれるおつもりなら辞めた方がよいだろう、俺はあんたを知らないが、あんたは俺を知っているようだ、もし仮に、今あんたが先にそれを抜いたなら、俺は躊躇わずにあんたの首をはねる、そうされたくなくば名を名乗れ、名を聞けば、俺も自分の立場をわきまえよう、だが、名乗らずに俺に対して剣を向ければ、たとえそれが皇帝陛下であったとしても、俺は対峙する事を躊躇わないだろう」


 異民族の男は一息に言い切った。


 さすがのシャングも剣を抜く事を躊躇っているようで、カタカタと鍔のあたりで金具のこすれる音をたてるばかり。


 フェンは、異民族の男の正体には思い至って居なかった。辺境を守る城塞都市には帰順した侵略者達の末裔もいると聴く。シンチェン国に忠誠を近い、武をもって国を守る事を受け入れた者達は、宮城を守る兵士たちとは比べ物にならにほど屈強である、とも。


 シャングと違い、フェンは男の正体はわからなかった。わずかな手がかりからその素性を推理する他無い。


 だが、確実な事が一つだけあった。


 長身碧眼、明るい干し草のような色の髪の青年は、恐らく今この場にいる誰よりも強い。護身の為にわずかではあるが武術の手ほどきを兄二人から受けているフェンは、相手の力量を推し量る事しかできなかったが、佇まいと隙の無さは間違いなく武術の熟練さのそれだった。


 シャングは、フェンの許嫁と言ってのけたその男の立場を知っていた、そしてそれがフェンを救う為の方便だという事にも気づいていた。しかし、わずかな可能性に思いを巡らせた。


 今回の縁談は皇后一族から申し出たものだった。それを断る為に『彼』を担ぎだしたという可能性は否定できない。


 都において、紫垣王兄妹の脅威が皇后の一族であるならば、『彼ら』は皇族そのものにとっての脅威だった。婚姻によってその縁を強化しようとしたとしても不思議では無い。


 そしてそれは、紫垣王や皇后といった宮中に内在する火種などとは比べ物にならないほど、国を滅ぼしかねない火種にもなり得る。


「引き上げるぞ、お前らッ!」


 ふいにシャングが取り巻き二人に言った。


「えええええ?! ……よろしいのですか?」

「だって今日は……」


「ええい、やかましい、これ以上私に恥をかかせるな! ……行くぞ!」


 繰り返されるシャングの言葉にフェンを追っていた男達もとぼとぼと主の後を追い始めた。


 シャングは別れ際に振り返ってまさに捨て科白といった様子で吐き捨てた。


「これで終わったと思うなよ、私は貴女をあきらめたわけではないからな」


 絡みついてくるような視線から逃げるように、フェンは異民族の男の影に姿を隠した。


「さて、お嬢さん、俺を信用してくれるならばお宅までお送りしましょう、どうもそこの兵士殿達は持ち場を離れるわけにはいかないようなので」


 言外に役立たずという含みを持たせながら異民族の男が言い、そこはフェンも異論の無いところのようでばつの悪そうな顔で互いを見た後にごまかすように薄っぺらい笑みを見せた。


 異民族の男はため息を一つつき、そして、


「……では、行きましょうか」


 と、柔らかく微笑んだ。


 先ほどシャングに見せた苛烈なまでの冷徹さから打って変わった柔らかさに、フェンは鼓動が速度をあげていく事を自覚した。


 気が付かなかったけれど、異民族の男の緑色の瞳を縁取る睫毛は男にしては長く、目元はどこまでも涼しげだった。


 美形の兄二人を見慣れたフェンが見ても、その男の顔立ちは整ったものだった。


 初めて会った男の顔を、これほどまでに好ましいと思う事があるのだろうか。フェンは自分自身に問いかけた。

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