出会い
ロクシャンから都までの道のりは至って平穏だった。それだけに、シン家を襲った賊の正体は行きずりとは思えなくなっていた。
野盗の類が徘徊しているわけでは無いというのならば、外から来たのではないのではなかろうか。考えれば考えるほどジンランは父を疑わしく思うのだが、その目的はわからない。
たとえば、リュセが宮女になる事を最初から拒んでいたのであれば、未練や退路を断つ為にそのような手段に出る可能性も考えられなくは無い。しかし、その為に長年の盟友とも言えるシン一族の者達を皆殺しにするだろうか。
父カザンは割に合わない事はしない。必要があったとするならば代償はもっと大きく無ければ吊り合わない。
「着いたようですね」
馬車から顔を出したリュセが無感動な様子で言った。笑顔も喜びも無い、目的地に着いたという事実だけを口にしているようだった。
かつては快活で、溌溂とした笑みのリュセを知っているジンランは辛いばかりだった。
--
「お兄様、では、どうかお元気で」
白い顔をしたリュセが言った。本来であれば、聡明な笑顔を見せるはずのリュセでは無い事が、ジンランの気持ちをかき乱す。
生気の無いリュセならば、紫垣王の目に止まらないかもしれない。そうなれば、リュセ当人がそう望んだように暇乞いをした宮女がそうするように、近隣の子女へ教養を着ける為の教師としての道もあるかもしれない。彼女自身がそう望んだように。
あり得ない事かもしれないが、それならそれで待ち続ける覚悟はあった。
「ああ、また……」
次に会う時、自分はリュセにどうあって欲しいのだろう。そう自問しながらジンランはリュセを見送った。
都に居れば、垣間見る機会もあるかもしれない。わずかな望みにすがるような気持ちで、ジンランはリュセを見送った。
--
紫垣王府を後にしたジンランは、久しぶりの都を満喫している父を横目に別行動をとる事にした。人質と言っても幽閉されるわけでは無い。恐らく今は兄が滞在しているであろう屋敷に入れ替わりで入り、所在を明らかにし、都から出ないのであれば、日常生活は不便無く送れるはずだった。
父のように妓楼をうろつく気分にもなれず、即位間もない新帝を祝う為の騒ぎを見物し、街をそぞろ眺めていると、歓声と共に天灯がいっせいに飛び立つのが見えた。
暖められた空気が軽くなって灯火ごと宙を舞っていく姿は壮観で、さすが都はやる事が派手だとぼんやり眺めていた刹那、人混みの流れを逆走するように駆けていく娘の姿が目に入った。
見ると、数人の男達から追いかけられているようで、脇目もふらずに城外へ向かって駆けている。
いい走りぶりだ、と、まずジンランは思った。背後にせまる追手を気にしながらなのが惜しいほどに、しなやかな手足、育ちの良さそうな装束の娘なのに、装束の事など気に求めない様子で、風の隙間に入り込み、風圧に背中を押されるように駆けていく姿は、駿馬か牝鹿のようだった。
タンッ! と、飛び上がり、障害物となっていた荷物を飛び越える様子は伝承にある女仙のようだった。ひらひらとした裾がはためいて、鳥か蝶に思え、ジンランは娘の顔をじっと見た。
幼さの残る面差しではあったが、意志が強く、芯の通ったような凛々しさに、ジンランは瞳を奪われた。
軽やかに舞うように逃げている娘を、ごろつきというには少しばかり上品な身なりの男達が追っている。比較的足の早そうな二人と、さらに遅れながら先行する男達に文句を言う短躯矮小、一瞬少年を思わせるような矮躯にもかかわらず、頭髪はまばらで、頭だけは老人のようだった。
妓楼から逃げた妓女を追う楼主、……にしては追う方も追われる方も着ているものが上物だ。
新帝即位に湧く城下町で祝賀の式典に気を取られる事もなく追い駆けっこをしている比較的身なりのよい一団というのは、なんとも剣呑だ。
ジンランは暇にまかせて逃げる女とそれを追う男達を追って行った。
途中、追手の首魁らしく男を追い抜き、先行する男二人を抜き去ると、城門の警備兵に助けを求めている女の姿が見えた。
なるほど、城門を守る武官に助けを求めたか、と、事の収束を予感して立ち去ろうとした時だった。