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絲束の賊

「てっとり早く、あいつの女にしちまうってのは、それはそれで悪い事じゃあないんだけどね」


 頭目の妻の部屋は、頭目の居た部屋よりもよほど物が少なかった。頭目の妻というからには、戦利品なども多くあるのかと思いきや、あるのは地図や、測量の道具らしきもの、書物の類ばかりだった。


「驚いたかい?」


「いえ……これらは、奥方様が?」


「よしとくれよ、奥方様なんて、あたしはバンラ、鬼蜘蛛のバンラ、なんて通り名もあるがね」


「鬼蜘蛛……って……女の方だったんですか?」


「ほう? あんた、その通り名を知ってるのかい?」


「いえ、偶々、人に聞いて……」


「昔の話だからねえ」


「絲束、……そうか、そういう事か」


 フェンがひとりごちると、バンラが腰の剣を抜いてフェンの喉元に突き立てた。


「……ッ」


 あと半歩手前に居たならば、フェンは喉元を掻き切られていただろう。一歩も動けないままフェンがバンラを見ると、女丈夫は愉快そうに剣を引いた。


「……わかんないなあ、あんた、見た目と随分違うねえ、都に居た事があるのかい? それとも、年寄りと仲がいいとか?」


「……祖父、から、聞いたことがあったので」


 鬼蜘蛛のバンラの名を聞いたのは、まさに、今は太上皇帝となった祖父からだった。だが、本当に目の前の人物が鬼蜘蛛のバンラであったならば、見た目に反してかなりの年齢だという事になる。


 その名の盗賊が都を騒がせたのは、太上皇帝が皇帝であった頃の話だからだ。自分より少しだけ年長、ほどに思っていたフェンは、眼前の人物が祖父と同世代には思えなかった。


「あの、もしかしてバンラ殿は二代目、とか?」


「いいや、違うよ?」


「バンラ殿はおいくつで……」


 ふとした好奇心で尋ねたフェンは、バンラが微笑みをうかべながらもこめかみがひくつかせ、怒りを抑えるようなそぶりをしている事に気づき、それ以上問う事を辞めた。


 女性に年齢を聞くべきでは無い。それは年若いフェンにはまだ不要な配慮だった。


 絲束の賊と鬼蜘蛛、そう言われると名前まで一貫しているようにフェンは思えた。


 けれど、鬼蜘蛛は義賊のはずでは無かったのか、皇族の誘拐をしたのが絲束の賊であったなら、それは義憤に駆られたからなのか。


 フェンは自ら鬼蜘蛛と名乗った年齢不詳の女丈夫に聞いてみたかった。


「公主誘拐などとは、鬼蜘蛛らしくないのでは?」


「何で、そう思うんだい? お嬢ちゃん」


「鬼蜘蛛は、盗賊ではありますが、人を攫ったり、身代金を請求したりはしていないと聞いています、ですから、らしくないなと」


「ほう? よく知ってるねえ! お嬢ちゃんこそ、そう見えて、既に齢四十を超えているとか?」


「残念ですが違います」


「じゃあ何で?」


「……祖父に、聞いたので」


「ほう?」


 思わず言ってしまってフェンは後悔した。


「お前、ロクシャンの娘では無いのか、都の者か……」


 油断のならない相手だ、と、フェンは思った。頭目よりもよほど頭が働くし、これではどちらが頭目なのか。ジンランは彼女相手によく逃げおおせたなと驚いた。


 多くを語るとボロが出そうだ、と、思いながら、フェンはどうやってここから逃げおおせるべきか考えていた。


 一旦仲間になっておいて、時期を見るか、無能者と思わせて放り出されるか。


 けれど、放り出されるならばよいが、無能者として片付けられるのだとしたらそれは困るとも思った。


 ならば、バンラに取り入っておく方がよいのではという考えに至った。

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