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公主一人

 やってみれば案外なんとかなるものだ、と、フェンは思っていた。


 幸い、厩舎の見張りは一人だった。


 リュセが声をかけている間にジンランがリュセをのせて脱出、あわてた見張りにフェンが当身を食らわせるという形で、二人を乗せた馬は、あっという間に賊のアジトを後にした。


 一瞬、駆け抜けていく馬上のジンランと目が合ったような気がした。


 私は、ジンランに託したのだ。


 兄の思い人を。


 けれど、こうも思った。


 リュセを思い、ロクシャンから出てきたジンラン、思い、焦がれて会いたかった彼女を連れて、逃げてしまうのではないだろうかと。


 今はまたとない好機なのだ。


 ここで、私が死んだら、ジンランは何の憂いも無く、リュセと結ばれるかもしれない。


 そう思うと、力が抜けた。


 必死で奮い起こしていた気持ちは、あっけなく折れた。


 ただ、自分をごまかしていたのかもしれない。


 ジンランの前で公主として恥じない自分で居たかっただけなのかもしれない。


 溢れそうな涙を堪えながら、フェンは必死で立っていた。


 今ならば、見張りを運良くのしたフェンは、この隙に一頭拝借して逃げる事を考えた。


 間もなく兄達の追手もやってくるはず。


 このままここに居るのは得策では無い。


 しかし、フェンの思惑はうまくはいかなかった。


 ジンランは、頭目の命を奪っては居なかった。


 意識を取り戻した頭目が、厩舎へ自分を襲撃した者たちを追いかけて来たからだった。


--


 どさり、と、フェンは再び先程押し倒された寝台に落とされた。


 恐らく、不意をつかれた事を他の者に知られたくなかったのだろう。頭目は一人だった。しかしフェンの腕では、さすがの頭目には敵わなかった。


 身体の自由を奪われて、再び貞操の危機に晒されていた。


「……まったく、どうなってんだ、お前はジンランの仲間か? 公主を助ける為の囮か? え? どうなんだ? 取り残された哀れな女盗賊殿は」


 フェンは、顔を背けながら、公主の名乗りをあげるべきか迷っていた。


 公主と名乗る事で、命と貞操の危険から逃れる事はできるかもしれない。


 だが、本来の宝が、自分から目の前にやって来たと言って、果たして信じてもらえるものだろうか?


「……何故だ? 何故猩紅公主を攫った」


 フェンとしては、自分がさらわれる理由くらいは知りたかった。時間を稼ぐ為に、頭目に尋ねる。


「攫った……って、ついさっきジンランに連れ戻されたじゃねえか、お前、何も聞かされていないのか? 女奴隷か? それともジンランの妾か?」


 頭目は、フェンの事を完全に捨て駒だと考えているようだった。


 こうなってくると、貞操の危機については回避する事は難しそうだった。


 フェンは、どこか自暴自棄になってもいた。


 シャングに狙われた事に、あれほど嫌悪感を抱いていたというのに。


 どこの馬の骨とも知れない盗賊の頭に、身の純潔を散らされそうになっているのに。


 ジンランが相手で無いのならば、もうどうなってもかまわない、という気持ちになっていた。


 ああ、嫌だ。


 と、視線を背ける。


 ジンランの腰に腕を回して、しっかりと馬にのっていたリュセの姿が思い浮かぶ。


 美しい一対、似合いの二人。


 こんな事なら、ジンランに身を捧げてしまえばよかった。


 とも思った。


 形ばかりとはいえ、リュセとジンランは夫婦だったのだから。


 抵抗をして見せた先ほどとは打って変わって無抵抗なフェンに気が削がれたのか、頭目は今ひとつ気が乗らないようにも見えた。


「何だ、お前、ジンランに置いて行かれて拗ねているのか?」


「……違う」


「確かに、あの猩紅公主は美しかった……、ジンランとは似合いの一対だからな」


 そんな事、知っている。

 

 知っているが、誰かに言われると、正論なだけに身に堪えた。


「……どうせ、私は美しくないもの」


 言葉に出してしまうと、気持ちが溢れ出して止まらなくなった。


 涙がぼろぼろとこぼれておちていく。


「どうせ、ジンランには似合わないッ……」


 駄々を捏ねる幼子のようにぐずり始めたフェンに、頭目は大いに気持ちを削がれた。


「お……おい、泣くな、泣くなよ、お前だって、美しいではないか、背は少し高いが、身体つきは悪くない」


「適当な事言わないでッ、どうせ私なんて、ガサツだし、裁縫も料理も上手く無いし、何の取り柄もなくて……」


 フェンが、起き上がっておいおい泣き始めると、ほとほと困ったという様子で頭目は子供をあやすようにフェンの気を引こうとし始めた。


「泣くな、おい、腹は減ってないか? 何か飲むか? そうだ、酒はどうだ? お前、酒は飲めるか?」


 おろおろと頭目がフェンをあやすと、頭目同用、当て身か打撲をかかえたであろう、頭目の奥方が、打たれたところをさすりながら現れた。


「……何やってんだい、アンタ」


「お前こそ、まんまとジンランに逃げられやがって!」


「ちょっと油断しただけよ! あんな上玉久しぶりだったんだからね?」


「ほおお? どうだ、ジンランは、良かったか?」


「事に及ぶ前にガツーンさ、残念だけどね」


「何だ、だらしえねなあ」


「そういうアンタはどうなんだい、というか、何でこの娘だけ残ってるのさ、……まさかアンタ、この娘に手ぇ出して……」


「違うわっ!!」


「そうでしょうか、さっき目一杯不埒をなさるようでしたが」


 フェンが言うと、頭目の妻は、


「ほらごらん!」


 と言って頭目に掴みかかった。


 しばし、妻の仕置が始まった。フェンはもしかすると今は逃亡の好機なのではと思いはしたが、ジンランとリュセが逃げおおせるまでは時間を稼がなくてはならないと思い踏みとどまった。


 後は、それまでは恐怖の対象でしかなかった頭目夫婦が妙に微笑ましく見えて、少しだけ安心してしまったせいもあった。


 頭目よりも、その妻の方が強いのだろうか、と、フェンが見守っていると、本当に妻の方が勝ってしまった。


「……さて、あんたはどうしてやろうかね?」


 頭目の方はすっかり戦意をなくした様子で床に座り込んでいた。


「どうする? 仲間に入りたかったんだろう? あたしらの」


 そうだった、元々、絲束の賊に入るための土産としてジンランを連れて来たという事にしたのだったと思い返した。


「いいんですか、……その、私は……」


「あんた、ジンランにたぶらかされたんだろ?」


「へ……?」


「猩紅公主を救う為に利用されたんだろうって事さ」


「えーっと、ああ、……はい、そうです」


 頭目の妻に押し切られるような形でフェンは思わず同意してしまった。


「あんな美形に頼まれたら、たいていの女は言うこと聞いちまうだろうさ、……で? どうだい? 口吸いくらいはしてもらったのかい?」


「い……いやいや、そんな、私は何も」


 フェンが真っ赤になった顔をぶんぶんと横に振ると、頭目の妻は人好きする笑顔で言った。


「なんだ、惚れちまったのかい、惚れた男に騙されたとは、間抜けな事だ……だが、気に入った、たまにはあんたみたいに無垢な小娘がいてもいいだろう、……あんた」


「はいいいいっ!!」


 頭目が震え上がって返事をした。


「この娘はあたしが貰う、手ぇ出すんじゃないよ」


 そう言い置くと、頭目の妻はフェンを自分の部屋へ招くと言って連れ出した。


 思いがけない展開になったが、少なくとも貞操の危機からは免れたと、フェンは安堵した。

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