消えたシャングとリュセ
フェンは、ジンランに対してどんな顔をしていいのかわからなかった。一度湧き上がった疑惑を打ち消すには安心できる材料が少なすぎる。
だが、間を置かずに、門の外に繋いでおいた馬を見て、シュウ達も現れた。
怪我人の治療や、都の警備隊への連絡などは、てきぱきとシュウが連れてきた配下の者達がやってくれ、フェンはジンランとシュウと共に生き残った者たちから話を聞くことができた。
フェンは後ろめたい思いから、ジンランとはやや距離を置いた。
ジンランはフェンの拒絶に気づいていたようではあったが、その場でそれを問題にするような事はせず、話を聞くことに専念しているようだった。
曰く、シャングがリュセと思しき女性を拉致した事は確かなようだった。
家人も、平時であれば主のした事を隠さなくてはなるまいと思うのだろうが、同じ家人達が傷つけられ、主人もまた拐かされた今となってはすべてを話して助けを求めるより無いと判断したのだろう。
「旦那様が、女性を連れていらした事は間違いありません」
家人は言った。
そして、話を聞くだに恐ろしいが、シャングがそうして美女をかどわかしてくる事は珍しい事では無いのだとも。
ジンランとフェンが同時に反応した。
シュウだけが取り乱さず、話を聞き続けるている。リュセがさらわれた事について何も思うところが無いのか、と、フェンは兄の薄情さにあきれそうになったが、兄をよく知っているフェンは、最優先させるべき事が何かをわかっているのだと考えて、自らも気持ちを切り替えなくてはと背筋を伸ばした。
同様に考えたのか、ジンランも不安を払うように頭を振った。
そして、再び外が慌ただしくなると、シュウの片腕とも言える男がシュウに耳打ちした。
「紫垣王、どうか俺も共に」
男の声は聞こえなかったのだろうが、何かを察したジンランが言った。
「いえ、手勢はすでに先駆けています、あなたはフェンを連れて王府にお戻り下さい」
「ですが!」
言いかけて、ジンランは一度フェンを見て、改めた。
今、妻であるフェンを放ってリュセの後を追いかけるのはジンランの役目では無いのだ。
「紫垣王、リュセは……俺にとっては妹同然の者、どうか……」
シュウは、うなずいて、同様に返した。
「フェンを……妹を頼みます」
奇しくも、互いの妹を託し合う形になったジンランとシュウは、視線だけを合わせて、シュウは外へ、ジンランはフェンへ向き直るようにして離別した。
しかし、そうは言ってもジンランがリュセを案じている事がフェンにはわかった。
「いいのですか?」
「今はすぐに後を追う事が肝要です、紫垣王には手勢もおります、俺一人では……」
「今すぐ追いかければ間に合うかもしれません」
「ですが……」
ここへ来て、いまだに言いよどむジンランに、フェンはどうにもいらいらしてきた。
先程までは、策謀して、リュセを攫ったのでは、シャングの家人を斬ったのではと思い、恐れすら抱いていた相手だというのに。
パシィィィィーーーーーーーン!!
と、小気味良い音が響いた。
フェンの平手打ちがジンランの頬に炸裂した。
「いいから、私の後に着いて来てッ!!」
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したたか頬を打たれて呆然としているジンランを連れて、門の外に来ると、フェンが乗ってきた馬はそのままになっていた。兄はどうやら別の馬で行ったらしい。
フェンは呆然とするジンランを引きずって馬にのせ、二人は馬上の人になった。
こうなっては会話もままならないが、フェンはかえってそれがありがたかった。ジンランの方が体が大きい為、手綱はジンランがとる他無い。
馬上にあっては馬を走らせる事にのみ意識を向ける他無いゆえに、二人は無言でシュウ達一行を追いかけた。
二人のせているにもかかわらず、紫垣王の愛馬は駆けに駆けた。
途中、シュウ一行から遅れをとったであろう配下を捕まえて、シュウ達がどこへ向かったかも掴む事ができた。
柳江の沼沢地、屠蘇山と呼ばれる多島域は、ならず者達が根城にしている事で名を馳せていた。
作物が育たない不毛の地ではあるが、沼沢地であるがゆえに、大軍をもって攻める事が難しい。多島の中を頻繁に移動している為に本拠地がわからない。
いくつかの団体を掃討しても散り散りになり、再び盗賊団を成す様は、散らした蜘蛛の子達のようである事から、絲束の賊と呼ばれていた。
沼沢地へ向かう街道で兄達は野営をはるという。
何の準備も無いフェンとジンランは、市中に宿をとる事にした。
シャングであれば一刻の猶予も無いと考えていたフェンだったが、盗賊であれば話は別だった。身代金をとるにしろ、どこかへ売り払うにしろ、盗賊にとっては、攫った質は宝玉と等しい。
あたら乱暴蹂躙はしないのではというのが、シュウの考えなのだろう。
フェンも同様に考えた。
皮肉にも、リュセをかどわかしたのがシャングであるならば、何をするかわからなかったが、盗賊の方がある意味信頼に足りるという事であるらしい。
利に聡く、それをなりわいにしている絲束の賊は調達方法こそ法に反していたが、商いについては誠実であるというところが、一掃する事ができない理由の一つでもあった。
凶作の年、災害の年、食い詰めた者たちが行き着く最後の地。
王都が救いきれない民の救済の最後の網になっているというところは、紫垣王であるシュウとしては悩ましくもあるのだろう。
だが、なにゆえ、中央の陰謀とは距離を置いているはずの絲束の団が、まさに今、王都の火種の一つとも言って良い猩紅公主とシャングを攫ったかまでは読みきれずに居た。
フェンは、目的が自分であるならば、リュセと引き換えになる事も厭うまいと考えていた。シャングと共にいなくてはならないのはごめんだが、取引のできる相手のはずだ。
相手の申し出がどうなるかはわからないにしろ、いきなり命を奪われる事は無いだろう。だが、本来の目的である猩紅公主では無いことが発覚した事で、リュセの生命が脅かされていないかが気になった。
絲束の賊であれば、無益な殺生はしないだろう、そう言ったのはジンランだった。
だが、理性でそう理解できたところで、感情は納得できまい。
「……一人で行く気ですか?」
宿の部屋は一つにした。夜中にジンランが一人で出ていくのでは無いかと予想し、そしてその通りになった。
「これ以上貴女を巻き込むわけには……」
部屋は暗く、ジンランの表情がわからない。けれど、フェンをないがしろにしているわけではないようだった。
「何を言っているんです、私こそ当事者です、本来の賊の目的は私。リュセを救いたいと思うのならば、私を連れて行かなくては意味がありません」
「ですが!」
「私なら、大丈夫です」
そう言いながら、フェンは震えが止まらなかった。怖くないと言えば嘘だ。今、自分の姿が見えなくてよかったと思いながら、声を張る。
自分は公主なのだから、と。
唐突に、フェンはジンランに抱きしめられた。
「何を……」
拒絶し、身を引き剥がそうとする前に、フェンの身体はジンランの腕の中にすっぽり収まっていた。
「震えているじゃないですか……」
抱き込められたようで、フェンの耳元にジンランの吐息がかかる。
ジンランの熱がフェンの耳朶を伝い、身体が熱を帯びてくる。
「怖いからではありません、少し身体が冷えただけです」
フェンは、顔を上げる事ができなかった。不本意ではあったが、ジンランの胸に顔を埋める事になる。
トクトクとなる心臓の音が、自分のものなのか、ジンランのものなのかわからなかった。
フェンを抱くジンランの腕に力が込められた。
フェンは、ジンランは恐怖に震える自分をいたわってくれているのだと思った。
こんなにも側近く、ジンランの腕の中にあっても、ジンランの心に居るのはリュセなのだと考えると、胸が苦しくなるのに、ずっとこのまま、ジンランの腕の中で護られていたいと願ってしまう気持ちを止める事ができなかった。
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野営地は既に引き払われており、夜陰に乗じて兄たちも屠蘇山へ向かったのだとフェンは思った。
騎乗している背後にいるジンランの事がひどく気にかかる。
宿に落ち着くまでは、一心不乱に駆けていたせいで、余計な事を考えずにすんでいたが、一度気になってしまうと、背後にある胸板の安定感であったり、馬を駆る腕であったりジンランに包み込まれているという感覚が、心地よすぎて、考えなくてはならない色々な事を忘れてしまいそうになる。
絲束の賊達が、進んで自分をさらおうとする目的は何だろうか。
シュウならばともかく。
そこで初めてフェンは自分を拉致する価値に思い当たった。
実はどちらでもよかったのだとしたら?
宮女候補達はまだ絞られていない。三人いるにはいるが、兄が誰を寵愛するかはわからない。もっと言ってしまえば、皇后の身内、宰相の縁者、ロクシャン文官の娘の中で、可能性が高いものとするならば、チェーツゥかジエンがふさわしいのではなかろうか。
急がなくてはならない。
「ジンラン、急ぎましょう」
フェンの顔つきが変わった事に、ジンランも気づいた。
「本当の目的は、兄です、紫垣王です」




