わがまま公主の縁談
「いやです、絶対にイヤ」
縁談を持ってきた家令はフェンの性格を熟知していたせいか、予想通りの反応だと思いながらそれを表には出さず、無言で平伏し続けた。
「どうして私があんな……」
言いかけて縁談相手の顔を思い出しぞっとしながら家令相手にまくしたてる。
「皇太子妃の親族である事を鼻にかけているだけの顔も悪ければ性格はもっと悪い、豚もどきに嫁がなくてはならないの!!」
言い返せばその百倍以上言い返される事がわかっている。家令はあくまでも無言を通した。
それでも、無言の相手に対してまくしたてなくてはいられない程に提示された縁談相手はひどかったのだ。
皇太子妃、今は立后して皇后になった女は、フェン達兄妹から母を奪った憎い敵でもある。もちろん表立って敵対するような事はできないが。
そんな皇后の一族の男、官吏登用試験にかすりもせず、皇后の口利きでようやく官職を得たようなアホボンの妻になれとは、父は母だけでなく娘の尊厳すら奪う気持ちなのか。
「もういい、お祖父様に直談判してくるわッ!」
フェンは、数多くいる孫の中で先代皇帝、今となっては太上皇となった祖父に最も気に入られているという自負がある。もちろん幼い頃に比べてそうそうわがままは言えないものの、今回はこれからの半生がかかっている。少々のわがままは受け入れられなくては困るのだ。
家令を押しのけて部屋を出たところで、フェンを訪ねてきたとおぼしき相手とぶつかった。
長身の胸にぶつかり、抱きとめられて見上げると、そこに居たのは兄一だった。
「……どこへ行く気だ、フェン」
「やっぱり、来てよかった」
兄一の背後には兄二も居た。
「兄上達……、お二人とも、ご自分のお相手を探すのにお忙しいのでは? 今をときめく皇太子候補第一位の兄上ならば、さぞやよりどりみどりでしょーねッ! 私と違って!」
満面の不機嫌を隠そうともしない妹に二人の兄はやれやれと互いを見合った。祖父同様、兄二人はこの妹をもてあまし気味ではあるもののかわいく思ってはいるのだ。
同母の兄妹、策謀うずまく宮中において、血縁という繋がりで信頼できる確かな存在達を、兄達と妹はとても大切にしていたのだった。
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家令は黙って絶えた甲斐があったと公子二人の来訪を期にお茶の準備をと言ってその場を辞した。
家令はそうやっていつも兄妹へ格別の配慮を見せる。元は母の遠縁にあたる者で、母が失脚し、出家した後も兄妹達を見守り続けるているのだった。
兄一ことシュウは祖父である太上皇帝の覚えもめでたく女の孫の中で一番かわいがられたのがフェンならば男の孫の中で一番かわいがられているのがこの兄だった。
武勇に優れ、今は都の守備隊長も兼任している。最も皇太子に近いところにいる公子だが、祖父の後押しだけではいまひとつ決め手に欠けている。今の所皇后に子は居ないが、皇后としてみれば自分の腹を痛めた子を帝位につけたいと思っているのだろう。
ゆえに、フェン達三兄妹は何かと皇后からは冷遇されている。もちろん、表立ってでは無くて影でこっそりと、だが。
新帝である父が英明であったならば、皇后の野心に対してもう少し思いを巡らせたのだろうが残念な事に三兄妹の生母、元皇太子妃であった妻を出家させてしまう結果からしても、あてにならないのは明白だった。
「いいわね、シュウにーさまは、今宮女集めをされているんでしょう? 国中から皇太子妃になりたい女達が集まってよりどりみどり、選び放題じゃないの」
思い切り皮肉を込めてフェンが言った。
「……フェン、お前な……」
苦々しい顔をしつつも、妹が言ったのは一面事実であるので兄としては返しようが無い。
「フェン、兄上がそんな状況を喜んでいると思うのか? 一目惚れした相手を探し続けて、未だに妾の一人も居ない兄上が」
兄に助け舟とばかりに兄二ことセイが言った。
必死でシュウをかばおうとするセイにフェンは冷たい視線を送って言った。
「ああそうね、セイ兄上は意中の方へ申し込まれたばかりとか、首尾はどうなの? 断られた?」
「……いやー、それは……」
自分が知らないとでも思っているのかしら、甘いわ、と、言わんばかりにフェンはセイが意中の相手に求婚して聞き入れられたという事を知っていた。
「シュウ兄様は選べるし、セイ兄様は選んだ方を娶る事が決まってる、なのにどうして私だけがまるで生け贄のようにならなくてはいけないの!! 」
泣きそうなところを堪えて顔を真っ赤にしてフェンが言った。
「お前なー、シュウ兄貴だって政敵の娘を娶る事になってるんだから……」
「でも沢山いるうちの一人でしょう? 私は違うわ! 唯一無二の夫が……あんな……」
フェンの言葉にシュウとセイもフェンの相手であるチビ、ハゲ、デブの三拍子揃ったシャングの容貌を浮かべた。見た目の残念な小男は、性格も悪かった。
フェンはわなわなと肩を震わせてその場から逃げ出した。
兄二人は打ちひしがれている妹をどうしてやる事も出来ず、無力さゆえにため息をつく事しかできなかった。
「……シュウ兄貴、どうにかならないのか、あれじゃあフェンが哀れに過ぎる」
自分だけが意中の相手を娶る事が決まっているセイは、妹にすまないと思ってはいるのだが、兄の栄達を考えると責任持って辞めさせるという事ができない。
「俺のところにも皇后の縁者は嫁いでくる、それだけでは繋がりが弱い、という事だが……いや、確かにフェンは同意できぬか……」
フェンの縁談はシュウ達からもちかけたものでは無かった、皇后からの要望だった。あるいは断る事も見越しての仕込みなのかもしれない。
「妹を犠牲にする兄か、恨み言のひとつふたつはどうという事は無いが……」
男である自分たちと違い、妹にはせめて好いた相手と添わせてやりたかった。
「わがままだという事は本人もわかってはいるのだろうがな……」
長兄のシュウも次兄のセイも、結局のところ祖父同様妹には甘い兄だった。ただ一人、父である皇帝だけが暗愚であり、その事がそもそもの悲劇の元だった。
「皇后の差金って事くらい気づいてもよさそうなものなのに……」
偉大なる父……。
そう、シュウ達にとっては祖父にあたる太上皇帝は偉大すぎて、新帝は父である太上皇帝を超える事ばかりに気持ちが行き過ぎている。名声も何も、ただ一人の皇帝であるならば、一番に考えなくてはならないのは民の事であろうに。
「血の繋がった娘の気持ちひとつ慮れないお方が民の事など考えられるものか」
弟がそう毒づいた事をたしなめる事もせずに、長兄は走り去る妹の影を見つめ続けた。
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フェンは、祖父の元へは行かなかった。祖父は皇帝であった頃の方がまだ近づきやすかったのでは無いかと、怒り、腹立ちまぎれに城門から城下町へ出ると、うんざりするほど世間は平和で、道行くだれもが幸せそうに見える。
新帝即位を祝う為に、祭りのようになっている市中をフェンだけが城を一顧だにせずにあてもなく歩いていた。
どこか静かなところへ行きたいと歩いたのに、どこも人で溢れかえっている。やむをえず宮殿へ戻ろうと思い直した瞬間、何者かが後を着けている事に気づいた。
考え過ぎかもしれないと、着いてくる者を探るふりをして屋台をのぞき足を止める。サンザシの飴がけを買おうとしたが銭を持っていない事に気づいて注文をあきらめると、待っていたかのように近づいてくる男たちが姿を見せた。
「やあ、そこにいるのは我が婚約者殿ではありませんか」
表れたのは忌まわしくも呪わしい、フェンにとっては縁談の相手、兄をしてチビデブハゲの三重苦と言わしめたシャングその人であった。
いつから着けて来ていたのか、まさか宮からではあるまいなと思ってフェンはぞっとした。
「あら、そんな奇特な方がいらっしゃるの? どちらに? 私にも紹介して下さらない?」
出来る限り目を合わせまいと、フェンは明後日の方を向いて話をしていたが、シャングはゆっくりと、しかし確実にフェンへ近づき巧みに視界に入って来る。
逃げるようにフェンが視線を外し続けるにも限界があり、ついにまともに向き合う形になってしまった。
「いるだろう? 今、ここに、私の目の前にいる可憐な花が」
本人は風雅のつもりなのだろうが、もってまわった言い方はフェンを苛つかせた。けれど歯の浮くような言葉はフェンの常であれば鋭いはずの舌鋒をも止めさせた。
フェンが無言である事に気をよくしたのか、調子にのってシャングは続けた。
「そう、君は美しい花……そして、私はそんな君に惹かれてやってきた蝶々、ああ、どうか、君の湛えるその蜜を、私に一口啜らせておくれ」
ねばついて、にちゃあと音をたてそうな視線が、まるで絡みついてくるようで、フェンは羽虫を払うようにシャングの発した言葉を払いのけてしまいたかった。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、逃げたいと思っても、シャングの取り巻きの男が三人、既にフェンの退路を絶っていた。
まさか町中で拐かされると思っていなかったフェンは共もつけずに一人で宮を出てきた事を後悔していた。
「き……気色の悪い事を言わないで! 誰があなたなどに……!!」
フェンは公主ではあるが、母が出家した事もあり、宮中での立場は高くは無い。太上皇帝のお気に入りといってもあくまでそれは気持ちの上での事。祖父はかわいがってはくれるがフェン達兄妹はいたずらに官位をねだったりはしていなかった。しかしこのような形でないがしろにされるくらいなら、どこか化粧領くらいは拝領しておくべきだったと悔いた。
「あなたがた兄妹のお立場は微妙だ、シュウは武勇に長けてはいるが、それがゆえに陛下には疎んじられている、……違いますか?」
父が兄に対して敵愾心を持っている事など、宮中の皆が気づいている事だった。そもそも父は本来皇太子だった兄の死によって立場を得たようなもので、より父に贔屓をされていた兄の死によって替りに皇太子になったも同然。
言葉にはしなかったが、父が皇太子になったのは祖父がシュウを次代の皇帝と見越して中継ぎ程度にしか考えていないとささやく者もいるほどだ。
そのように言われておもしろいと思う者がいるだろうか。
父は自らの子に対して、かつては兄に向けていたのと同様の引け目を感じたのか、ますます皇后に御しやすい暗君への道をひた走っていた。
「それが何よ、兄は兄、私は私よ、皇位につけない、後ろ盾も無い公主なんて、何の役にも立たないでしょう、放っておいてちょうだい」
思いがけず出たその言葉は本心だった。政争の道具になるくらいなら宮を出てしまえばよいのだ。身の立て方も知らぬ小娘らしい浅はかさではあったが、どうやっても目の前の男に嫁ぐ事よりひどい人生など無いはずだと考えればどんな苦労さえ絶えられそうだった。
「何をおっしゃる、あなたにはその美貌があるじゃないですか」
にやにやと下卑た笑いを浮かべながらシャングが指を伸ばしフェンの顎をとろうとした。
「何をするの、やめて!!」
フェンが身を翻して逃げようとしたところを、退路をたっていた男二人が押さえつけた。両腕をとられて逃げ場を失ったフェンの顎にシャングの指が伸びる。
こうなったら指に噛み付いてやろうとフェンはシャングを睨みつけた。
「ああ……いいですね、その顔、そのキツイ眼差し、やはりあなたは皇帝のお血筋だ、その気位の高さ、ゾクゾクしますよ、そこいらの妓楼にだってあなたのように気の強い女はいません」
チビデブハゲのシャングはもうフェンを手に入れた気持ちになって舌なめずりでもしそうな様子だった。
フェンは言葉でシャングの相手をしながら視線の端で退路を探った。フェンを捕らえている男たちはフェンをあなどって軽く手をとってはいるだけだ。振りほどけない強さでは無かった。けれど機会は一度だけだ。一度逃げ出そうとして失敗すれば、男達は本気でフェンを身動きできないようになるだろう。
何かするなら今しか無かった。
幸いシャングはフェンに集中していたが、とりまきの男たちはそこまで真剣に事にあたっているようでは無いらしい。
チラチラと着飾ってさざめくように歩く女達の方へ気を取られていたり、屋台を気にしている者も居た。
ふいに、うわあ! と歓声があがり、一斉に天灯が浮かび上がった。
フェンは好機を逃さなかった。一瞬その場にいた全員が天灯に気を取られていると見るや、力が弱そうな方の男に体当たりして突き飛ばし、そのまま振り返らずに駈け出した。
「おい! 捕まえろ! お前たち!」
慇懃に振舞っていたシャングが口汚く叫ぶ。
一刻も早く人混みに紛れなくては、そして一刻も早く城門へ。門兵を見つけて事情を説明すれば、そうそう無体は働かれないはず。その一心でフェンは駆けに駆けた。