二人だけの夜
リュセは猩紅公主としてフェンの室へ。一人にしておくわけにもいかない為、フーチンはリュセの元へ残った。幸い、フェンとリュセが意気投合している事は王府の皆が知っており、リュセの侍女がフェンの元へ居る事に不自然さは無かった。
一方、リュセの、宮女として与えられた一室に、フェンとジンランが詰める事になった。
リュセの護衛にジンランが着くという事については、二人が共に育った事や、ロクシャンの出身である事もあり、不審に思われる事も無かった。
宮女の元に武官が着くという事に、物申すものも居なくは無かったが、正式に宮女になる前から男を出入りさせるなど、と、眉をひそめるのはもっぱらジエンやチェーツゥであり、かえってそうした事をふしだらだと言って回る事でリュセの評判を下げてやりたいという意味では歓迎されているようですらあった。
「……私、犯人はあの二人のどちらかなんだと思ってた」
衣を破ったり、あざ笑ったり、だが、毒をもるのは少し行動が飛躍しすぎているようにも思えた。
「そうですね、護衛が付けば、暗殺の機会を伺うのは難しくなるでしょうし……」
「ジンラン、誰が聞いているかわからないわ、リュセとは兄妹のように育ったのでしょう? もっと砕けた言葉を使ってもらわないと」
フェンに言われて、ジンランは二三度咳き込んでから、
「それが牽制になって、未遂に終わってくればいいんだが」
「……そうね、でも、災いの種を取り除く事はできない……」
フェンは今、自分はどう振る舞うのが最もよいのか迷っていた。
ジンランと共に過ごせる事を単純にうれしいと思う自分。
自分を守ると言い出してくれた事を喜んでいる自分。
「……私、ジンランに気を使ったつもりだったんだけど」
「どういう意味だ?」
「だって、ジンランはリュセの事を……」
「な……ッ、どうして、それを……」
「わかるわ、貴方の紫垣王府へのこだわり方、初めて会った時から、もしかしたら、と、思って、リュセを見て確信したわ」
見ていれば、わかる。
見続けるのが辛いほどに……。
フェンは、自分が悲しそうな顔をしているように見えていないように必死で表情を取り繕った。
そして、そのように取り繕いながらも、ジンランが自分を見ていないのでは無いか、一人で不要にジンランの視線を気にしたところで、自分の方へはひとかけらの興味を持たれていないのかと思うと悲しくもあった。
「俺は今、君の夫だ、妻を危険にさらす事はできない」
今、という言葉に、二人の関係が今ひとときだけの事なのだと思いながらも、フェンは喜びで泣き出しそうだった。
妻を守ると、そして自分を妻だと。
その言葉だけで、自分は耐えられる。そうも思った。
本来であれば、リュセにひたむきに向けられるはずの恋情。そのたったひとかけらが、今自分を守ると言ってくれている。
フェンは、こぼれでる笑みをおさえる事ができず、泣きそうな顔で笑った。
「……ありがとう、うれしい」
感謝以上の気持ちがこもってしまった事をフェンは自覚したが、きっとジンランは気づかない。
だって、ジンランが愛しているのはリュセだから。
うれしいと思いながらも、どこか苦い感情が混ざるのはどうにもならない事だと思いながら。
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問題は、寝台だった。
聞けば、リュセはフーチンと共に眠っていたらしい。それほど、リュセの為に用意された室は簡素なものだった。
小柄なフーチンとであればそれほど窮屈では無いだろうが、フェンは兄たち譲りのせいか女にしては上背がある。
ジンランについては言うまでもなく、鍛え上げられた武人としての体は、一人でかろうじて収まるかどうかというところだった。
否応なくジンランは床に寝ようと敷物などを準備し始めた。
「ちょっと待って! ジンラン、床で眠るつもり?」
「俺は武人だ、野営する事も多い、屋根もあり、雨風もしのげるここならば、外よりもずっといい」
ジンランは、この場で眠ることには抵抗が無いらしい。フェンとしては、同室で眠るだけでもかなり動揺しているのだけれど、近距離である事には特に屈託は無いようだった。
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……そして、床に入ったが……。
(眠れない、眠れるはずが無い)
ロクシャン府での新床よりもフェンは緊張していた。あの時は、同じ部屋といってもかなり広い。だが、今、フェンの眠る寝台のすぐ下でジンランが眠っているのだ。
うっかりいびきをかいてしまったり、歯ぎしりをしたり、……放屁などしてしまったら……。
聞かれたくない。どれも聞かれたくない。
聞かれたくないと思いながら、ジンランであればいびきの音でも歯ぎしりの音でも聞いてみたいと思うから不思議だ。
フェンが緊張して、何度も寝返りをうっているのに、ジンランはすでに安らかな寝息をたてているようだ。
武人らしく、眠れる時には短い時間であっても体の疲れをとる為に眠れるのかもしれない。
自分はこんなふうに色々考えて、すぐに寝付けないのに、ジンランはすぐに眠っているというのが憎らしくもあった。
月夜なのか、明り取りから差し込む月光でジンランの横顔がうっすらと照らされている。整った顔立ちが、薄明かりの中に陰影を作っていた。
触れてはいけないと思いながら、その髪に触れてみたいと思わずにはいられなかった。
恐る恐る手を差し伸べてみる。
気づかれるだろうか。
気づかれないだろうか。
もしかしたら、気づいて欲しいと思っているのかもしれない。
触れるか触れないか、際のところへ手を差し伸べて、あと一息、というところで、パタパタと外から足音が聞こえてきた。飛び退るように手を引っ込めて、まるで眠っていたように起き上がったふりを装ったところで、飛び込んできたのはフーチンだった。
「猩紅公主様ッ!!」
「フーチン! 今私とリュセは……」
入れ替わっているのだから、と、続ける前にフーチンが寝台に飛びのってきた。ひどく急いでいるのと、顔が真っ青だった。
「……リュセ様が……拐われてしまいました!!」
フェンの言わんとする事を悟ったのか、外へ声が漏れないように、声を抑える。フェンの顔を見て安堵したのか、フーチンはぽろぽろと涙を流し始めた。
「落ち着いて、フーチン、どうして?! 賊はリュセと私が入れ替わっている事を知っていたの?」
フーチンは泣きながら顔をふった。
「違うのです、賊は猩紅公主様だと思いこんでリュセ様を……」
何と言う事だ、フェンは思った。安全の為に入れ替わったはずなのに、時を同じくしてフェンもまた賊に狙われていたなんて。
「ジンランっ!!」
そう、声をかけた時には、既にジンランの姿は無かった。一足飛びに、フェンの室、つまりはリュセが今夜眠っていたはずの部屋へ向かったのだ。




