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元・婚約者はたくらむ

「もう手遅れじゃないですか」


 シャングは着替えず、寝間着のまま朝から杯を傾けている。ため息と愚痴の続く主に対して召使いのシアドゥは冷たく言い放った。


 シャングが結婚を望んでいた猩紅公主ことフェンは、先日ロクシャン守備隊長、カザン将軍の次男、ジンランへ嫁いでしまった。これは皇后一族に名を連ねるシャングの、ひいては皇后に対しての明確な叛意であるとあからさまに不満をしたためたが、伯母である皇后はシャングの手紙に答えてはくれなかった。


「今度行動を起こせば紫垣王だけでなくロクシャンも敵に回す事になりますよ? そんな事になったらぼっちゃまこそご一族から縁を切られてしまいます」


 シアドゥに言われるまでもなく、シャングはその事を最も恐れていた。官吏登用試験を受けたところで及第できる自信も無く、武力において秀でたところも無い。シャングは皇后一族に名を連ねてはいるが、財産があるわけでも無い。


 皇后が暗殺でもされたならば、簡単に立場が危うくなるような立場であった。


 だからこそ、皇后の威光が効いているうちに皇族と縁をつなげておきたかった。


 そしてそれ以上にシャングはフェンを妻にしたいと強く願っていた。


 自分を見る時のフェンの眼差し。秀でる所が無く、皇后の威を借りる事しかできないシャングを見つめる軽蔑を含んだ眼差しを、屈服させたいと思っていた。


 フェン以外に公主はいるが、世事にうとく、ぽやんとして面白みの無さそうな女ばかりで、唯一屈服させたいと考えたのがフェンだった。


 蔑んだ男に組み敷かれた時、あの気位の高そうな公主が閨でどのように取り乱すのか、そう考えるとシャングの中で昏い欲望がざわつく。


「勝ち目があるとは思えないんですけどねえ……ジンランはあのような外見ですが、まさに美丈夫といった様子で、妙齢な女性であれば惹かれずにはいられないでしょうが……」


 ちらり、と、シャングを見てシアドゥがため息をつく。


「ぼっちゃまは……ねえ……、薄い頭髪、寸足らずの割に太い胴回り、……どうですか、頭髪と寸足らずはどうにもなりませんが、せめてもう少し運動なさって身体を引き締めるというのは」


「お前、主人に対してなんだその言いようは」


 シアドゥといえば、出っ歯でシャングと背丈もそうかわらない。口は悪いが働き者らしく身体はひきしまっており、頭髪もまだ薄くはなっていない。自慢できる面相では無いが、少なくとも見た目で主に劣っているとは思っていないようなふしがあった。


「私は事実を言っているまで、残念ながらぼっちゃまが好んで周りに置かれるのはそうした事を敢えて口には出さないお優しい方々ばかりですので、せめて私くらいは正しいありようを申し上げませんと」


 ぬけぬけと言うが、シアドゥは気働きのできる召使いで、口は悪いがシャングの身の回りを整えるのに手抜かりは無い。口の悪さをおぎなってあまりある仕事ぶりは、シアドゥの有能さを物語っていた。


「皇后様のご威光もいつまで続くかわかりませんし、ご威光があるうちにもっと勝算のある縁談に集中なさっては?」


「う……うるさい、お前、皇后陛下に対してその言いようは失礼だとは思わないのか」


「自分の力でどうにもならない事は、最悪の事態になった時を想定して準備をしておくのが肝要です、私は陛下の失脚を望んでいるのではありません、もしそうなった場合の事は考えておくべきだと申し上げているのです、人の心はうつろうものですから」


「そうだ、人の心は変わるんだ、フェンの気持ちだって……」


「まあ、ぼっちゃまが何を信じておいででも私にどうこう申し上げる事はできませんが……」


 シアドゥは、しかしこれだけは言っておかなくてはという様子で真面目くさってとどめの一言を告げた。


「既に嫁がれた女性に対しての振る舞いは倫理にもとる以前に懲罰対象であるという事をお忘れなく」


 法によって定められている事だとシアドゥは暗に示した。シャングが少々の無法は皇后の口利きで何とでもなると考えている事を見透かした上での事だった。

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