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恋心を知る者

 リュセは数多くあるフェンの装束の中から淡い青色の組み合わせを選んだ。比較的濃いはっきりした色味を選びがちなフェンとしてはあまり着ない組み合わせではあったが、肌の白さが引き立つのには驚いた。


 リュセ曰く、肌の色に合う色なのだという事だった。


 これまで好きな色にこだわっていた。儀式などの場合は身に付けるべき衣装が決まっていてあまり考える事は無かったが、好きな色と似合う色は違うのかもしれないとフェンは初めて思った。


 侍女にも似合うかどうか尋ねる事は無かったし、己の我を通し続けていたからだ。


 なのに今、不思議とリュセの言葉は耳に届いた。フーチンもすっかり元気を取り戻したのか、あーでもないこーでもないと組み合わせを考えるリュセとフェンに混ざっていっぱしに意見なども言っていた。


 リュセはリュセで好いたお方に会われるのですね、と、柔らかな笑顔でうれしそうに尋ねてきた。


 リュセやフーチンとそのようにしてジンランと会う為の装束を整える事はとても楽しかったが、会う相手をジンランだと言うべきかどうか考えた結果、具体的な人物については告げないままとした。


 ジンランとリュセに面識があるかどうかはわからない、素直に聞いてみれば全く関係無いという答えが返ってくるかもしれなかったし、フェンの想像が的中するのかもしれない。


 確かめてしまえばわだかまりなくリュセともっと仲良くなる事もできたろうに、フェンはそれを確かめる勇気を出すことができなかった。


 もしジンランの思い人がリュセであったなら、素直にかなわないと認める事ができるだろうか。


 ――多分、できない。


 フェンは思った。


 そして、認める事ができないということは、あれほど軽蔑し、腹をたてたジエンとチェーツゥと同じところへ落ちてしまうのではないだろうか。


 フェンは、リュセと仲良くなりたいという反面、かなわないという事実と対峙できる自信が持てなかった。


 リュセは装束を損壊された件を紫垣王へは伝えて欲しくないと言っていた。フーチンが心配するからという事もあったし、弱音を吐きたくないときっぱりと言ったのだ。


 フェンの申し出た数日分を借り受ける件には同意してくれたが、仕立屋は不要だとも。見るも無残だと思えた衣装も、リュセ曰く細かく引き裂かれてはいないのだという。


「……もし私ならば修復不能なほどに細切れにしますが、この程度、甘い甘い」


 そう言って微笑むリュセは独特の凄みがあり、フェンは頼もしいと思いながらも恐ろしいとも思った。


 フェンの目から見てリュセはジエンやチェーツゥでは相手にならないほどに上手なのではないだろうか。だが、そのような圧倒的な力の差を敢えて見せつけるような愚策も踏まないと。


 助け舟を出したつもりで助けられたのはフェン自身の方かも、と、リュセと対立したくは無い、と、フェンはしみじみ思った。


--


 だから、ジンランが待ち合わせの刻限に現れて、わずかに衣装に目を奪われたようになった時に、うれしいと思う反面、リュセの気配に気づかれたのではないかとひやりともした。


 ジンランが何か言わんとして口をもごもごさせるのはおもしろくも愛らしかったが、結局言葉にはならず、フェンを褒めようとしたのか、リュセの選んだ装束の組み合わせに何かを感じたのかはわからなかった。


 フェンに対しての言葉ならよいが、リュセという娘をご存知かと尋ねられた時に、すらすらと嘘が出るとも思えない。


 フェンは、沈黙するしかできなかった。


 自ら確かめる事もできずにびくびくと事が明らかになる事を恐れるなど、自分らしくないというのに。


 フェンは思ったことをはっきり伝える事をよしとしていた。けれど今はそれができない。このまま、中途半端な感情のままにジンランに惹かれていく事は不本意なはずなのに、甘い夢に酔っていたいと思ってしまった。


 どうしてジンランに対してだけこんな風になってしまうのか、再会できるとなった時にどうして心が踊るのか。


 理由を知っているような、知らないような、知るのが怖いような気持ちに、フェンは名前を付けずにいた。


 それは、決定的な何かを知る事であっさり壊れてしまうような繊細な感情で、壊れそうなものならいっそ壊してしまえばいいというフェンの少し乱暴な日頃の傾向とは異なっていた。


「私が案内できる場所はそう多くは無いけれど、ジンランは何を知りたい?」


 町の事なら何でも聞いて、と、胸を張りたいところだったが、フェンは素直に言った。生まれ育った場所ではあるが、あくまでもフェンは公主で、隅から隅まで知っている、とは言えない。若い娘が出入りを憚られる場所も町の中にはあり、そうした要求をされては困ると先回りをしたのだった。


「そうですね、知識の集まる場所……ではどうでしょうか」


 ジンランはそうしたフェンの言葉を好ましいととらえた。当たり前の事ではあるのだが、できない事はできないと素直に言葉にできるフェンを羨ましくも思った。


 もちろん、ジンランはフェンの悩みには気づいていない。フェンからリュセの事を聞けないかと思ってはいたが、宮女候補として紫垣王府にいるリュセに、同郷とはいえ男から照会があったなどとわかれば、リュセの品位に傷がつくのではないかと思ったからだった。


 ――結局、フェンはフェンで、ジンランはジンランで、互いにリュセとの接点には触れぬまま、当初の目的である、ロクシャンから来たばかりのジンランにフェンが町を案内するという事に終始する事になった。


 知識の集まる所と言われてフェンがジンランに提案したのは『水月楼』という茶店と『竹林庵』という古書店だった。水月楼は文人や役人試験受験者がよく訪れる場所であり、国中からやって来る賢人達の憩いの場だった。近くには塾もあるのだが、そこは入塾試験を通った者しか出入りができない。だが水月楼にはこれから試験を受ける者、試験に落ちた者、かつては役人試験を目指していたが夢破れて今は別の仕事に就いている者が集まる場所でもあった。


 一方『竹林庵』の方は古書店と名乗っているものの、『所有』の為にやってくる客は少なく、多くの者達が読み終えた本を売り買いする、一種の図書館のような機能を持つ場所となっていた。


 有名な詩人の若い頃の習作が掛けてあり、その達筆ぶりを目にする事もできる『竹林庵』もまた、都の知の集積場所となっていた。


 どこかしらで始まる政治談義を目当てにこっそり宮中の役人が身分を隠してもぐりこんでいる事もあるその場所は、フェンの兄二人が頻繁に立ち寄る場所でもあった。


 もちろん、身分は隠している。それゆえに、フェンもまた、シュウとセイというどこかのぼんぼんの妹という事で多少の馴染み客も居た。


 長身に碧眼、武人然としたジンランには少し不似合いな場所かもしれないが、水月楼も竹林庵も兵士が紛れていたりもするので、フェンが思っていたほどにジンランが浮き上がる事は無かった。


 ジンランはどちらの場所でも積極的に話の輪に入っていった。目をひく外見のジンランだったが、水月楼も竹林庵も積極的なジンランを快く受け入れ、フェンは自分が随行する必要は無かったのではと思うほどだった。


「いや、あなたが一言口添えしてくれたおかげですよ」


 二軒を周った後、お礼に食事をご馳走させて欲しいというジンランに、フェンが紹介した店でジンランはうれしそうに言った。


「でも、あなただったらどこへ行っても快く受け入れられると思いましたよ?」


 フェン推薦の店は兄たちも贔屓にしている羊の肉を使った肉料理の店で、肉を柔らかく、独特の香辛料で味付けした名物の煮込みは、それを食べる為だけに来る客もいるほどなのだが、店の規模が小さく、路地裏の少しわかりにくい場所にある為、知る人ぞ知るといった感じの名店だった。


 ジンランは店の雰囲気がフェンとそぐわない事に驚き、食べてみてその美味に驚いたようだった。紫垣王府に縁があると言い、身なりも良いフェンと、その店はあまりそぐわないように思えた。


「いえ、俺の容貌では受け入れられない事の方が多いので、すんなり受け入れてもらえたのは貴女の同行があったからです、助かりました」


 そう言って微笑むジンランの顔は麗しく、フェンは真っ直ぐに向けられた笑顔に鼓動が増していく事を自覚した。


 女相手であれば有効なジンランの美貌も男相手ではあまり意味を成さないのかもしれない、むしろ第一印象は悪いのかもしれなかった。ただ一度話をすればジンランの人柄で受け入れられたと考えれば、ジンランの言うとおりフェンの橋渡しも無意味では無かったという事なのかもしれない。


 水月楼にしろ竹林庵にしろ兄二人にくっついていって親しんだ場所にすぎず、フェンそのものは学問に対してそれほど造形が深いわけではなかった。しかしどちらの場所も、難しい話を解りやすく説明してくれる者はおり、そうした者達に手ほどきを受けたおかげでフェンもいっぱしの教養を身につける事ができた。その点については、兄二人に感謝しなければなるまい。


 今もその縁があったからこそジンランから感謝されているのだ。


 助けられただけでなく、ジンランの役に立てた事はフェンにとっても喜びだった。


「ロクシャンは交通の要衝であり、人の行き来も多い為、物資については不自由しませんが、都のように学問を修める者がおりませんので、知の集積が無いのです、今日だけでもロクシャンではすぐに身につかないような気付きがたくさんありました」


 武人のような佇まいでありながらジンランは学問の素養もあるようだった。


「それにしても……」


 並んだ料理を食べて、盃を干すと、ジンランは再び感心したように言った。


「どの料理も実に美味です、貴女のような方がこうした庶民的な店にもお詳しいとは……」


「ああ、それは兄が……」


「兄上がいらっしゃるのですか」


「ええ二人、どちらの兄もこの店が気に入りで……」


 店の味を褒められてうれしいと思いながら、フェンは兄二人と出くわさないかだけは不安だった。シュウとセイは城下で身分を明かしてはいないが、ジンラン自身が紫垣王の顔を知っている可能性はありそうだ。


 ロクシャンから来た武官となれば、立場上は辺境軍に属しているはずで、遠征軍として出征経験のある公子二人の顔を憶えている可能性は大いにある。


「失礼ですが、お兄上は軍属ですか?」


 早速痛いところをつかれてフェンがしどろもどろになりながらそうだと答えると、何故かジンランは納得したように言った。


「なんというかこの店の料理は野営地などで食べるものに似ていまして、手が込んでいないというわけではないのです、軍の料理番には腕のよい者も多く、簡素な調理方法で美味いものを作るものが多いのです」


「そうなんですか」


「ええ、ですからフェン殿の兄上方も従軍経験がおありなのかと」


「……そうですね、何年か前に」


 数年前、ロクシャン周辺は隣国からの襲撃にあった。その時都からの援軍を指揮したのはフェンの兄紫垣王と紺青王だった。女であるフェンは都で兄二人の帰郷を待った。無事に戻った時はそれは安心したものだったが、年頃から言ってもジンランと兄達は面識があってもおかしくは無い。


 苦笑いするフェンは、ジンランの背後に数名と連れ立ってやって来た紺青王こと兄のセイの姿を見つけて固まった。


 しまった、兄達の行動への目配せが不足していた、と、瞬時にフェンは思った。紫垣王こと長兄のシュウは現在宮女対応の真っ最中であり、外へ遊びにでる時間など無いはずだが、次兄の兄は違っていた。


 今、自分がどう振る舞うべきか、フェンはいくつかの場合にわけて考察した。


 その一、ジンランに気づかれないよう兄に釘を刺しに行く。


 ただしその場合、今自分とジンランが連れ立っている事の説明を兄にしなくてはならない。年頃の公主が城下をふらついているのもあまり外聞はよくないが、男と一緒となるとひとことで説明するのは難しそうだ。


 その二、思い切って二人を会わせてしまう。


 同時期に同じ場所に派兵されていた可能性は高いが面識があるとは限らない。まして、将軍として皆の前に立っていた長兄のシュウに比べて、次兄のセイは一平卒だった。かといって最前線に出ていた可能性は低い。セイは身分を明かしていないので、良家の兄妹という事で通そうと思えば通せない事は無い。


 ただし、予想に反してジンランとセイに面識があったり、ジンランがセイの立場を知っていた場合、紫垣王府の前で身分を明かさなかった事がわかってしまう。


 理由を説明したところでジンランの理解を得る事ができるだろうか。


 表面的には納得してくれるのだろう、けれどフェンが嘘をついた事をよくは思われないのではないだろうか。


 フェンは、少し考えすぎてしまった。


 ――その結果。


「あれ? フェンじゃないか? なんだ、一人か?」


 フェンの表情を読むなどという高等技術のできない次兄がにこやかに話かけてきた。こうなるとその二発動しか無いのだが……。


「もしや、紺青王ではありませんか?」


 ジンランがセイに向かって話かけると、セイの方もジンランに気づいたように答えて言った。


「あなたは……驚いた、いつロクシャンから? お泊りはどちらへ?」


 と、双方面識がある事がわかってしまった。


 しまったぁーーーー、面識有りだったあああああああ!!!!!


 と、フェンがものすごい顔をしたので、紺青王ことセイは貼り付いた笑顔を見せた。その一瞬、フェンはセイの横に回りこみ、脇腹を小突いた。


「あなたとは兄でも妹でもありません」


 ジンランに気づかれないようにフェンがセイの脇腹をギリギリとつねると、


「はぁ? お前何言って……って痛痛痛痛ッ!」


 と、セイが痛みに顔を歪ませながらフェンの行動の意味をつかめないまま言うことに従うように無言になった。


「どうかされましたか?」


 ジンランが尋ねるとフェンとセイは声を揃えて、


「何でも!!」


 と答えた。


--


 ――どうしてこんな事に……フェンはジンランに店の味を褒められた反面、どうして兄が立ち寄りそうな店にジンランを案内してしまったのかと後悔していた。


 セイはセイで、妹の様子を不審に思ったものの、懐かしい知己が遠方より来た事に喜び相席を求めてきた。


「ああ、でも女人と一緒のところでは無粋かな?」


 あくまでも他人で通せというフェンにようやく何かを感じ取ったセイが皮肉たっぷりに言うと、


「こちらは、ええっと……」


 フェンを紹介しようとするも、結局自分の立場について語っていなかった事を思い出し、あわてて自ら言い繕った。


「は……はじめまして、フェンと申します、紫垣王府で女官をしております」


「フェン殿、紫垣王府で女官ですか、そうですか、兄上のところで……ねえ」


 含み笑いを押し殺しながらセイが言うと、今度はジンランが顔を明るくした。


「やはり、紫垣王府の! フェン殿、貴女はリュセという名の宮女候補をご存知ないですか?」


 ああ……やっぱりそうなのだ、と、フェンは恐れていた事が予想通りだったのだと思った。


 リュセの品の良い顔立ち、少々の嫌がらせなどにたじろがない強さ、凛々しいたたずまいが浮かぶ。ジンランに並び立つリュセの姿は何と似合いだろうか、と。


 けれど、リュセは兄の、紫垣王シュウの妻になるべくしてやってきたはずなのだ。


「え……ええ」


 これ以上嘘を重ねる事はできない、そう思いながらフェンは素直に答えた。


「そうですか、やはり……」


 紫垣王府へ伝手ができた事を喜んでいるジンランに対して、フェンはそれ以上何も言う事はできなかった。


 先ほどまで二人で食事をしていた時には無かった苦々しさが焦げ付いたように心の奥へ沈んでいくようで、フェンは呆然とジンランを盗み見るようにして見つめていた。


 どことなく面白がっている様子のセイと早々に別れるべく、フェンはジンランを引っ張るように伴って店を出た。


 フェンは今のところ出自と立場だけ嘘をついているが、これ以上の嘘を重ねたくなかったからだ。


 紫垣王府まで送ると申し出てくれたジンランと一緒に歩いているだけでじんわりと幸せが広がる。


 フェンは己の気持ちに『恋心』という名前をつける他ないのだと実感した。


 ジンランの一挙手、一頭足を盗み見るようにして見つめる。もっとずっと側に居たいと思っても、これ以上ジンランを引き止める術をフェンは持ちあわせて居ないのだ。


「……フェン殿、その、会ったばかりのあなたにこのような事を頼むのは不躾だと思うんだが……」


 立ち止まったジンランが懐から何か書簡のようなものを取り出した。


 まさか、ジンランも自分を、と、顔を真っ赤に染めながらフェンは顔を上げて、ジンランの書簡を受け取った。


「……これを、リュセに渡してはくれないだろうか」


 恥ずかしそうにそう言いながらジンランから書簡を受け取った時に、心が急速に冷えていくのを感じながら、フェンは残された意地で笑顔を壊さず耐えたのだった。

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