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心にかかる美女の面影

 ロンシャン、シン・クーリュー息女リュセは、恐らくはゴリ押しで紛れ込んできたジエンやチェーツゥとは比べ物にならないほどに紫垣王の妻にふさわしい娘にフェンは見えた。


 いずれは姉と呼ばなくてはならない相手として誰がよいかと尋ねられればフェンはリュセと答えただろう。


 少なくともジエンもチェーツゥも面識があって、さんざんフェンを軽んじてきた二人だった。初めから嫌いな相手が二人いれば、残る一人を贔屓したくなるのは仕方のない事だ。


 だが、一つ気になっているのはリュセがロンシャンから来たという事だ。もちろん、時折聞こえて来た『一家惨殺』という剣呑な言葉も気にはなっていたが、フェンの今の一番の関心事は紫垣王府という言葉で表情を変えたジンランの事だった。


 思う相手への、勘のようなものでフェンは推量していた。


 ジンランが気にかけている相手がリュセで、兄の宮女となった事をよく思っていないのだとしたら。

 

 整った秀麗な容貌のジンランと凛としたリュセの姿を交互に思い浮かべて二人があまりにも似合っている事にフェンは愕然となった。


 ただ出会っただけの相手だった。ろくに話もしていない、好ましいと思っただけの、通りすがりの人。それでも、思う相手がいるのだと想像してみただけでこんなにも胸が痛むなんて。


 ――いや。


 フェンは自らを鼓舞するように脈打つ心臓の上に握った拳をあててみた。


 限られた要素をつなげただけの、いわばこれは妄想に過ぎない。リュセには侍女もいるはずだ。ロクシャンから来た女だって、もっと他にいるのかもしれない。


 ジンランの心にかかる事が女だとは限らない。もっと他に何か、たとえば兄、紫垣王自身なのかも。


 そう、フェンはいくつもいくつも泡のように妄想を膨らませては自らパチンパチンと割っていくようにひとつひとつを潰していく。


 ただ、ジンランが紫垣王及びその関係者に対して悪感情を持っていたという仮定は揺るがず、自分が紫垣王シュウの実妹である事は厳然たる事実としてフェンの心に影を落とすのだった。


--


 フェンは寝不足の目を擦りながら、手持ちの装束をひっぱりだしてああでも無いこうでも無いと悩んでいた。


 単純に一番上等なもの、というわけにはいかない。公主であるフェンの手持ちの衣装の中で最も上等なものといえば、国事かそれに準ずる行事に参列する際に身につけるようなものだ、町の中で身につけるのは不似合いであるし、場に合わない衣装はどれだけ上等なものだったとしてもちぐはぐでおかしなものになる。


 かといって普段着となると、それはそれで面白みに欠ける。それでは背景の中に埋没してしまって、ジンランの記憶の片隅にすら残らないのでは無いか。


 フェンはジンランに覚えていて欲しいと思っていた。


 ジンランほどの美丈夫であれば、きっと美姫から引く手あまただろう。フェンは自分を特別不美人とは思っていないが、かといってリュセのような麗人と並べば記憶にすら残らないような印象の薄い顔立ちだ。縁談もフェンの立場ゆえにきたものであり、公主という身分をとっぱらい、フェンそのものの魅力で何かを勝ち得た事も無い。


 誰かに助けてもらうにも、侍女にはそんな相談もできないし、兄達にはもっと話せない。ほとほと困っているところで、外から押し殺したようにすすり泣く声が聞こえてきた。


 一瞬、フェンは自分の心の声だろうかと口を引き結んで無言になったが、泣き声はやまない。外に誰かいるのだろうかと部屋を出ると、回廊から見える池のほとりで泣いている少女の姿があった。


 端女だろうが、邸内の庭で泣いたりはしないはず、さらに紫垣王府の者ならば、フェンも一度くらいは顔を見たことがあるだろうが、その少女は初めて見る顔だった。


 新参の下女かと話しかけると、少女はビクリと体を震わせて怯えたようにフェンを見た。


「あああああ! 奥様、申し訳ありません、その、邸内で迷子になってしまって」


 あわてて平伏する少女の横に座ってフェンは優しく手をとった。


 見ればまだ十歳をいくつか超えたくらいの幼い娘なのに、舌足らずながらもきれいな言葉を使おうとしているところがいじらしく憐れを誘った。


「驚かないで、私は紫垣王の妹、フェンです、この家の女主人では無いし、あなたをどうこうできるような立場の者ではありません、それより、迷子になったの? 邸内の事ならわかります、送って行ってあげますよ」


 フェンがそう優しく言うと、少女は泣きながらようやく助かったと安堵の表情を見せた。泣き笑いの顔はたいそうかわいらしく、フェンは思わず抱きしめたい衝動にかられた。


 その時だった、少し離れたところから、誰かを探す声が聞こえてきた。


「フーチン? どこ?」


 聞こえてきた声に少女は身を固くした。探してもらえてうれしいという顔と、どこかばつの悪そうな複雑な顔だった。


「どうしたの? あれはあなたを探す声では無いの?」


 フェンが言うと、少女はどうしていいのかわからないようできょろきょろとあたりを見回した。逃げようとしているのか、留まるべきか、すぐに判断ができないような様子に、フェンは回廊に戻って声の主と対峙した。


「あなたは……」


 声の主は兄の宮女候補三人の一人、リュセだった。


「これは……猩紅公主でいらっしゃいますか?」


 リュセはフェンを知っている様子で頭を下げた。


「お初にお目にかかります、このたび宮女試験を受けております、ロクシャン長官シン・クーリューが娘、リュセと申します」


「あ……はじめまして、フェンです……ってご存知のようですね」


「先程紫垣王様より……申し訳ありません、声を張り上げて……、侍女の姿が見えず、王府内をさ迷っているかと思いまして探しに……」


 すると、フェンの背後に隠れるようにしていたフーチンがぴょこりと顔を出した。


「フーチン! ああ、よかった、探していたのよ?」


 腰を落としフーチンの目線に合わせたリュセに安堵したのかフーチンは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。


「お嬢様、申し訳ありません、私が至らないせいで……」


 泣きじゃくるフーチンをリュセはそっと抱きしめた。


「あなたのせいではないの、だから自分を責めるのはやめなさい」


 二人のやりとりに何かがあった事を察してフェンが尋ねた。


「どうしたの? 王府内で何か不都合が?」


 リュセ同様フーチンを責める口調にならないよう配慮しながら聞くフェンに、フーチンは安心したのか素直に理由を言った。


「わ……私がっ、目を離した隙にリュセ様のお衣装が……」


 驚いてフェンがリュセの顔を見ると、リュセは困ったような顔をしてフーチンの言葉を補った。


「この娘のせいではないのです、いただいたお部屋に置いておりました着替えが……その……」


 説明しようとするリュセに、直接見せていただいた方が話が速いから、と、フェンはリュセの部屋へ同行した。


--


 それはまさに『惨状』という言葉が相応しい状況だった。衣は引き裂かれ、ずたずたになり、ご丁寧に寝台の上に放置されていた。 


「私……わたしッ……」


 改めて目の当たりにした情景にフーチンが再び自分を責めて泣き出した。


「フーチンのせいでは無いのです、どなたか高名な方からとの伝言で呼び出され、ここを離れた間の出来事なのですから」


 リュセの話を聞くと、留守番をしていたフーチンに呼び出しがかかり、戻ってくるとこの惨状だったという。ロクシャンから出てきたばかりだろう、まだ幼いフーチンは言われた事に従う他なかっただろうに、ひどい事をする、とフェンは思った。


 そして、このどう考えても嫌がらせとしか思えない行為を行ったのはあと二人の宮女候補、ジエンとチェーツゥのどちらかなのだろうという事も。


 下着も夜着も何もかもがこのような状況では、明日から困るであろう事は明白。今着ている服を着続けたところで、機会を見つけて恥をかかせようという魂胆は見え透いていた。


「……せない」


「猩紅公主?」


「こんなの絶対許せないッ!」


 フェンはまるで自分がされた事のように腹が立った。兄に言うのが効果的だろうかとも思ったが、恐らく証拠などは残していないのだろう。ならば他の方法であの二人を見返してやりたかった。


「リュセさん、いえ、リュセと呼んでもいい?」


 唐突に言われてリュセは即答できずただ驚いている様子だったが、気にせずフェンは続けた。


「私の事もフェンでいいから、ともかく明日からの装束については私が何とかします、着いてきて」


 フェンはリュセの腕をとり、引き寄せて、再び泣きそうになっているフーチンにも着いてくるように言い、大股で歩き始めた。


 フェンの部屋の寝台にもリュセの部屋と同様に装束が広げられていたが、破かれてはいなかった。


「これはもしかして……」


 既に何事を察したリュセが気づいたように言った。


「私のものでよければ持って行って、当然仕立屋は呼ぶけれどそれまでの繋ぎとして、で、替りと言っては何なんだけどお願いがあるの……」


 気まずそうに微笑むフェンはリュセにあるお願いをした。

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