気持ちが伝わっても留められない。
人生を謳歌するといえば、自身に責任を問われることがない学生時代を思い浮かべることが多いと思う。そして、人並みに過ごしていれば色恋の一つや二つはあってしかるべきだとも思う。
私もその一人だ。
ただ、人より多く告白されていただけで、別に普通といえば普通だ。
でも、あの頃の私は人生を謳歌なんかしていない。いや、出来ていない。そもそも、あの頃は毎日悲観的に考えがちで上手く過ごせてはいなかった。
理由はわからないでもない。
毎週、誰かしらに告白され、毎度毎度断っていたのだから。
真剣に見つめられ、想いを吐露し、涙を流すことを知っていても、告白してくる。
それも、気のない人に毎週。しかも、これは最低の頻度であり、多い時は週三回は告白される。
同級生、先輩、後輩、しまいには他校の人。
それでも、断るしかない。安易に受けてしまったら後悔させてしまうから。というのは体のいい答えで、実際は傷つきたくなかったからだ。
これが高校生の間、三年間続く。
1番少ないのは6月、8月。多いのは7月、12月、3月。
これが経験則でわかるぐらいには、告白された。
自慢ではないが、立派な経験だったと思いたい。
こういう人生を歩むと、「モテたのだから人気者だったでしょ?」や「友達も多そうだね」と皮肉がよく飛んでくるが、残念ながら皮肉は皮肉だ。
実際は、男子からはモテるからと妬まれ、会話などを楽しめた試しがない。女子からは遠巻きに見られ、近づいて来た子は大抵告白する前提で絡んでくる。
それでも、世間体を守るため、私を好きな多勢に嫌われないように、授業なんかは体良く付き合う。誰にも嫌われないように、敵を作らないように、周りは動く。私の方が多勢に無勢だと気を遣ってくれる人はいなかった。
何回かいっそ適当な人の告白を受けようか悩んだことはあるが、いつも結果は同じで「傷つきたくなかったから辞めた」だ。
臆病なだけと罵られてもいい。それほどに、付き合いたいと思ったことは無い。
たとえ、本気でも、遊びでも、お金を積まれても、身体だけと誘われても、泣き叫び暴言を吐かれても、私は変わらなかった。
ただ、それは誇りでもある。
さて、それではあの頃の悲しい話はおしまいにして未来の話でもしよう。あの頃の想いを留めておくと今を生きるのが困難になるし、告白してきた多数の人達は私のことなどもう忘れていることだろう。
そうして、隣にいる君を眺めながら、起こさないように小さな声で
「ずっと前から好きでした」
なんて、つぶやいて朝を迎えた。