表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/61

2-B 帝室庁の話

 2台の車は、東京タワーのすぐ近くにある、ビルの駐車場に停められた。

 この場所から東京タワーを見上げると、てっぺんは大展望台に隠れて見えない。それくらい、鉄塔が間近だということだ。


 初恵、影郎、それから担架に乗せられたらんと晴日はビルに入り、エレベータで7階に上がった。

 エレベータの操作盤には、地下2階から地上10階までのボタンがある。


 4人が入った部屋は、診察室や手術室の類ではない。ふつうのオフィスだ。

 彼らが来たとき、そこには誰もいなかった。

 広さは、大会社や警察署のオフィスと同じくらい。だが事務机の数は10台もなく、開放感があった。

 大きなホワイトボードが、入り口付近と奥を、緩く隔てている。観葉植物の鉢、加湿器、ソファといったものも置かれ、殺風景にならぬよう配慮されている。

 らんと晴日には、見慣れた光景だ。初めてここに来た影郎は、落ちつかない面持ちだ。


 前二者は、入り口にほど近いいすに座らされた。影郎には、そこから白板を挟んだ、反対側の席を、初恵が勧めた。


「それで、どこが痛いの?」


 初恵が問うた。


 らんは、(はかま)の裾に通された紐を緩めて、これをたくし上げた。彼女の袴は指貫(さしぬき)みたいに、紐で裾を絞れるようになっているのだ。


「右足の足首。何か、ひねったみたい」


 そう言いながららんは、着物をはだけさせて左の前身頃(みごろ)を、肩からひじにかけて脱いだ。


「あと、左の二の腕。うわ、めっちゃすりむいとるやん」


 患部を初めて目にし、思わぬ出血に、けが人自身が驚く。


「私も右足首。あざができてるわ」


 晴日は痛い箇所を指し示した。

 彼女の衣の裾は、直綴(じきとつ)裙子(くんず)のような形状だ。もっと分かりやすくいうと、プリーツスカートみたいなデザインになっている。


「うわ、痛そう! ようそれで、自分で歩けるとかゆうたなあ」


 らんが、晴日のあざをのぞきこんだ。


 初恵は傷口を消毒したり、包帯で足首を固定したり、といった処置をした。


 それが終わらないうちに、オフィスに誰かが飛びこんできた。


「晴日、らん! 大丈夫かい?」


 声の主は、30才になったかなっていないかぐらいの男性だ。

 端正な顔立ちで、身長は180センチメートル近くある。新入社員のような、ぴかぴかの背広を着ている。


「シンゴは、心配し過ぎなんやって」


 らんが言った。

 いま彼女が呼んだように、この男の名が辰午だ。先ほどらんが、電話をかけた相手だ。


「いや、これまで1度もこんなことなかったからさ」


「ようゆうわ。今までやって、どこもケガしてへんのに、いつもパニクっとったクセに」


「そりゃそうだけど……」


 辰午は言葉に詰まる。


「はい、手当て終わり! 歩いても大丈夫だけど、2、3日は走ったり、運動したりしちゃダメよ」


 初恵がらんの膝こぞうを、平手で打った。景気のいい音が鳴る。むろん、痛くはない程度に加減されている。


「今回の相手は、そんなに強かったのかい?」


 辰午が尋ねた。


「全然。ウチらだけでも完封できるはずやった。けど、ちょっと詰めが甘かったかな。最後の最後で油断してん」


 本当は、らんと晴日が負傷したのは、全面的に影郎のせいだ。しかし、らんはそのことには触れなかった。


「そうか。――ところで、そちらは?」


 辰午は、先刻校庭で初恵がやったのと同じように、目で影郎を示す。

 影郎はすぐに、自身に話題が及んだことに、気づいたようだ。


「ああそうそう。式神にとどめ刺したの、こいつねん。やから、『もしかしたら魔法使いかも』思うて、ついてきてもろうたんや」


「え!? ほ、本当に?」


 辰午は、がぜん色めき立った。


「あんた、ちょっとこっち来てくれる?」


 らんは影郎に手招きした。

 影郎は直ちに立ち上がり、らんたちの間近くまで歩いてきた。


「適当に座っていいよ」


 辰午が周囲の事務机に目をやる。下にいすがあるから、それを使ってほしい、という趣旨だ。


「はい」


 影郎は、目にとまった事務机の1つから、キャスターつきのいすを引っ張り出し、それに腰かけた。


「僕は桜井辰午。君のお名前、教えてくれるかな」


 辰午もいすに座った。


「人見影郎です」


 少年は答える。


「ウチらと同じクラスみたいねん」


 らんが補足した。


「わたしは鈴城(すずしろ)初恵よ。よろしくね」


 初恵は、自身の胸にとめてある名札を指さした。


「1つ、訊いていいですか」


 影郎が再び口を開いた。


「何なりと」


 辰午が答える。


「さっき、『魔法』って言いましたよね」


「ああ、まずはそっからか」辰午が手を叩く。「僕らの間では、『事象の予測と制御に関する、実用に供し得る技術であって、自然科学の見地から、相関関係または因果関係の証明を経ないもの』を、魔法と呼んでいるんだ。『実用に供し得る』っていう限定があるから、効果のない迷信は含まないよ。それに、『自然科学の見地からの証明を経ない』必要があるから、風水とか近代魔術の一部みたいに、心理学の分野なんかで説明できるものは、除かれるよね」


「まあ要は、科学技術とパラレルねん。科学かって、将来なにが起こるんか予想したり、あわよくば思い通りのことを起こしたりするために、自然の法則を探っていくやろ? で、非科学的やけど確かに有効な技術を寄せ集めたもんが、魔法っちゅうこっちゃ」


 らんが、噛み砕いて説明した。


「そんなものが本当にある、と――?」


 影郎が重ねて問う。


「あるで。どこにでもあるようなモンとちゃうけど、現にウチと晴日が使えるんやし。あんたもさっき、見たやろ?」


 その後らんは、影郎が魔法使いではないかと、自分たちが考えた理由を挙げた。

十絶陣(じゅうぜつじん)〉の中に進入できたこと。式神が見えていたこと。式神にとどめを刺したこと。その際に白い光を放っていたこと。

 以上の4つだ。


「今らんが言ったことに、間違いはない?」


 辰午が影郎に確認した。


「はい。ただ、白い光があったかは覚えていません。それと、あの蛇を踏みつけたりしたのは、魔法じゃないと思いますよ」


「いや。魔法やないと、式神はよう倒さんねん」


 らんが口を挟んだ。


「式神?」


「本当は、〈陰陽道〉に固有の概念なんだけど、僕らは『人が呼び出し、または創り出して使役する霊』一般を、式神って呼んでるんだ。西洋の魔術で呼び出す、精霊や悪魔なんかも、式神だね。夕方、君たちが戦った奴もそうだよ。式神も含めて、霊には物理的な現象は、全く影響しないんだ。ほら、幽霊を殴ろうとしても、すり抜けそうなイメージがするでしょ?」


 式神についても、辰午が説明した。


「でも、魔法によって引き起こされた現象は、霊にも影響があるの。だから、ただ踏みつけただけに見えても、現に式神を倒したのなら、何かの魔法が作用したと考えられる、てワケなの」


 晴日がつけ加えた。


「でも俺、魔法なんて使えませんよ」


 影郎は少し、困惑したようすだ。


「誰だって、やろうと思った通りのことが、最初からできるワケじゃないよ。楽器とか、スポーツだってそうでしょ? 魔法だと、意識的に使えるようになるための訓練をしない間は、本人も気づかないうちに、発動してしまうことがあるらしいんだ」


 そう言うと辰午は立ち上がって、部屋の奥のほうへ行ってしまった。


「魔法って、誰でも使えるものなの?」


 影郎が、らんと晴日に尋ねる。


「いや。限られた人間しか、よう使わんよ。もし誰でも使えるんやったら、さっきシンゴがゆうとった、長ったらしい定義からも外れるしな。誰がやってもおんなじ結果が発生する、客観的な法則を解明するんが自然科学やから、もしも誰にでも使える魔法があったら、それは科学的に証明できてまうねん」


「前に、おばーちゃんから聞いたんだけど、おばーちゃん、100才まで生きた中で、国内の魔法使いは、10人も見なかったんだって。それくらい、魔法が使える人は少ないんだと思うわ」


 晴日が付言する。


「ちなみに、魔法が使える資質のこと、ウチら仙骨って呼んどるわ」


「コーヒーを入れたよ」


 辰午が、湯気の立つコーヒーカップを5つ、トレーにのせて戻ってきた。

 カップはいずれも、真っ白で柄のない、武骨なものだ。強化ガラス製で、手触りなどは陶器に近いが、落としても割れなさそうだ。

 辰午はトレーを、事務机の1つにそっと置いた。


「そう言えば喉からから……」


「お、シンゴ。気ぃ利くやん」


「わたしまでありがとうございます」


 晴日、らん、初恵が、次々にカップをとった。


「すいません」


 続けて影郎も。


 最後に残った器を手に持ち、辰午が口を開いた。


「影郎くん。突然なんだけど、ここで魔法を勉強して、晴日たちと一緒に働いてみる気はないかい?」


「あちちちち! シンゴ!? いきなり何ゆうとん?」


 あまりに唐突な話だったため、らんは驚きのあまり、飲み物を少しこぼした。


「どういう仕事なんですか?」


 影郎は少なからず、興味を示している。


「そうだね、まずは帝室庁のことから、話したらいいのかな。――ここは帝室庁といって、内閣府の外局で、元々は皇室に関する事務を、宮内庁と分掌していたんだ」


 辰午は、ついたての代わりになっていたホワイトボードを手で押してきて、再び着席した。


「帝室庁? 初めて聞きました」


 影郎は目をしばたたかせる。


「公開されてへんからな。その秘匿性のおかげで、国内法に触れそうなことも、ムリなく扱える。やから、管轄事項がどんどん増えてきて、今は国家戦略に関する、色んなことやっとるんやって」


 らんが言った。


「それで、僕らが所属しているのは、帝室庁の中でも侍衛(じえい)典儀(てんぎ)課。僕がここの課長だよ。侍衛部は、当初は皇居警察本部と、別に皇室の身辺警護をやっていたんだけど、今は政府要人や、国賓の警護もするね。典儀課は、きょう君が見たように、皇室のかたや政府要人に向けて放たれた式神を、退治するところだよ。――儀式や行幸の日どりとか、外国を訪問するスケジュールに関して、宮内庁や外務省に、助言をすることもあるけど」


 辰午が白板に、部署の名称と、所掌事務を書いていく。「宣示(せんし)部:国内外の世論の誘導」、「諜知(ちょうち)部:いわゆる諜報機関」、などといった文字が並ぶ。


 侍衛部以外の部署は、実のところらんもよく知らない。

 帝室庁は、国家が重要とみなした事項を幅広く扱うので、部ごとの独立性が極めて高いからだ。当然、どの局も管轄が非常に専門的なため、異動はほとんどない。


「まあゆうたら、典儀課は陰陽寮を、現代に蘇らせたようなもんやな」


 らんは、白板に書かれた「典儀課」という文字を指さした。


「あ、ちなみにわたしだけ、所属は医事部だからね。帝室庁全体の職員の、福利厚生が所管。まあわたしはほぼ、典儀課に常駐してるけど。それと、この建物は帝室庁の庁舎で、7階のこの部屋が、典儀課のオフィスよ」


 初恵は、空になったコーヒーカップを、トレーに戻した。


「式神なんて、誰が放つんですか?」


 影郎が尋ねた。


「それが分かったら、苦労せえへんねんけどな。日本政府か、要人個人に対して害意のある魔法使い、としかよう言わんわ」


 らんが皮肉たっぷりに、溜め息をつく。


 影郎は不意に目線を落として、黙りこんだ。

 仕事内容などが分かったので、任官するか否かを検討しているのだろう、とらんは思った。


「分かりました。やってみようと思います」


 わずか2、3分で、影郎は承諾した。いくら何でも、決めるのが早すぎやしないか。


「ええっ!?」


 晴日が、とんきょう声を上げる。


「シンゴ。あんたまさか、コーヒーに変な薬でも入れたん?」


 らんは辰午を、不信の目で見た。発言そのものは冗談だが。


「言うことを聞かせる薬って、どんな薬だい? あと、もし薬を入れてたんだったら、そのカップを直接手渡すから」


 辰午は大まじめに答える。


「親御さん、心配せえへんの?」


 らんが影郎に問うた。軽はずみに同意したのではないかを、確かめる趣旨だ。


「大丈夫。お父さんずっと中国にいて、帰ってこないし。お母さんは俺が3才のときに、お父さんと離婚して以来、会ってないし」


「そうだ、言い忘れてた。実は、帝室庁の設置の根拠法は、秘密条約なんだ。だから、その存在が明るみに出れば、解体される可能性が大きい。ここの職員はみんな、いつ失業するか分からないっていう程度の覚悟は持って、仕事をしているよ。特に典儀課は、政教分離に正面から反するから、真っ先に潰されるだろうね。だから、もし『公務員は身分が安定するから』みたいなことを考えているんだったら、悪いけど任官はお薦めできないよ」


 辰午が念を押す。


「いいです。それでも」


 影郎は即答した。


「じゃあ決まりだね」辰午は心なしか嬉しそうだ。「ということで晴日、らん。しばらくの間、影郎くんに魔法の手ほどきをしてくれないかな?」


「はあっ!? でもウチ、人にもの教えるの得意やないで」


 らんは、気が乗らなかった。


「そうは行かないよ。どんな仕事だって、後輩に指導はしなきゃいけないものさ。それに、『仙骨のある人が魔法を制御できなかったら、本人や周囲に危険を及ぼすことがある』って、むかし芽実(めぐみ)さんが言ってただろ?」


「でもシンゴぉ……」


「じゃ、職務命令で」


 辰午は言った。命令しているとは思えないような、爽やかな笑顔と、甘ったるい声でだ。


「職務命令? ふーん。そんな高圧的な態度に出るん」


「しかたないだろ。僕は魔法使いじゃないから、教えられないんだし」


「ちぇっ! しゃあないなあ」


 らんは、いかにもしぶしぶといった声と表情で、承諾した。本当は初めから、ダダをこねてもムダだと、分かっていたのだが。

 晴日も、同意を目で伝える。


「それじゃあ影郎くん。明日、学校が終わったら、晴日たちとここに来てくれるかな?」


 辰午は影郎に向き直った。


「はい」


 影郎はうなずく。


「もう済んだかしら? わたし、影郎くんを送っていくわ」


 初恵が、自動車の鍵を辰午に示す。


「ありがとう。じゃあお願いするよ」


「家まで送るわ。どの辺りにあるの?」


 初恵が立ち上がって、影郎に問う。


阿佐ヶ谷(あさがや)駅の近くです」


 影郎も立ち上がる。


「杉並区か。いい所よね」


 2人は部屋を後にした。

 らん、晴日、辰午の3人は、座ったままそれを見送った。


「それで、どうして高校の校庭なんかで、戦ったんだい?」


 辰午がくるりと、晴日たちのほうを向いた。


「だって、あそこ使えへんかったら、戦える広い場所、霞ケ浦(かすみがうら)まで行かなないんやもん」


 らんが弁明する。


「だからって、私有地を勝手に使っちゃ、ダメじゃないか」


「私たち、あそこの生徒なのよ。入ってもいい場所じゃない?」


 晴日も一緒になって、言いわけをする。


「学校からしたら、役人としての仕事に使うのまで、許可した覚えはないよ」


「厳しいなあ、シンゴは」


 らんはタジタジになる。


「君たちだって、もしある日、何の前触れもなく警察官が家に来て、『中に万引き犯が隠れているかもしれないから、捜索させろ』とか言って、ずかずか上がりこんできたらイヤだろう? 『私のプライバシーはどうでもいいワケ?』とか、『その程度の事件で赤の他人を巻きこむな』とか、思わない?」


「まあ、そうやけど……」


「それと似たようなものだよ。学校に言わせれば、『除霊だか何だか知らないが、そんな得体の知れないことで、うちの敷地を使わないでくれる?』ってなるの!」


「うう。式神の通り道があとちょっとだけ南にずれとったら、上野公園で戦えたんに……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ