13-C 生き霊との戦い
高校生5人は、先ほどの部屋に着替えなどを置いて、名古屋の観光に出かけた。霊が昼間に現れることは、まずないからだ。
当初の予定だと、名古屋に着いた初日は、自由時間にならないはずだった。なので晴日たちは、遊びにあてられる時間が増えたことを、喜んだ。
辰午と初恵は、別行動をとった。
その間2人が何をしていたのか、後日いくら問いただしても教えてくれなかったので、晴日たちは色々と、あらぬ噂を立てた。
だからって「2人でラブホテル」はないだろう、と影郎は思った。
5人がこの日、訪れたのは栄だ。
テレビ塔、オアシス21、観覧車といった定番の名所を見たあと、付近に林立する大型商業施設を、片っ端から潰していった。
西の空に日が傾くころ、5人はいったん、県警本部に戻った。そこで着替えを済ませ、霊を待ち構える場所へ移動した。
ライナは、九頭竜と戦ったときと同じ、淡い桃色のシュミーズやボディスといったものを身につけた。
今回晴日たちが選んだのは、名古屋市千種区にある公園だ。東山動物園が目と鼻の先にあり、名古屋大学もそう遠くない。
園内は、墓地に池にちょっとした林と、さまざまなエリアに分かれる。
5人が陣どったのは、林と池の間にある広場だ。
公園を南北に分断する車道との境目や、広場自体を貫く遊歩道に沿って、桜の木が植えられている。足下は芝生だ。
夏休みなだけあって、夕刻になっても、大勢の人がいた。
それでもらんが〈十絶陣〉を敷設すると、あっという間に散ってしまった。
影郎たちはいつものように、〈十絶陣〉中央の区画に立ち、互いから距離をとった。
晴日、らん、早月は、お決まりの陣形を作った。その後ろに、影郎とライナが控える。5人は、東の方角に対面した。
九頭竜のときと同様に、ライナは〈守護〉の呪歌を吟じた。
大都会の真ん中とはいえ、だだっ広い公園だ。
人がいなくなれば聞こえるのは、風が木立を吹き抜ける音と、セミの鳴き声くらいだ。
日が暮れ、空全体が紺色に染まるころ、5人の前方に、光が見えた。
それは、ありていにいえば、火の玉だ。
バスケットボール程度の大きさで、その表面全体にもれなく着火したものを想像すれば、実物から、そう大きくは外れない。
色は絶えず、変化し続けている。真っ白になったかと思えば、青白くなったり、紫に近い色を帯びたりする。
何よりもその飛びかたが、鬼火の怪異さを特徴づける。
高速で進んでいたのに突然ぴたりと静止したり、ジグザグに動いたり、一瞬で数十センチメートル離れた所に飛び移ったりする。いずれも、鳥や人工物には、まねができない運動だ。
今の影郎たちのように、初めから霊だと決めてかからなければ、まずはUFOを思い浮かべるところだろう。
もっとも、これまでに影郎が見てきた式神たちと比べると、お世辞にも手強そうとはいえない。
「これって……」
らんが、両翼の晴日と早月に目をやった。
「式神とは、違う」
晴日の顔を、緊張が走る。
どういうことなのか、影郎には全く理解できない。
彼は式神でない霊を、今までに1度も見ていない。そういうものが存在するのか、という疑問を持ったことすらないのだ。
それに、目の前の人魂は、これまでの晴日たちの戦いぶりからすれば、一瞬で消し去ってしまえそうにしか見えない。彼女らが何をそんなに恐れているのか、影郎にはさっぱり理解しかねた。
「もしかして、生き霊?」
早月の声がふるえている。
生き霊が何なのかくらい、影郎だって知っている。恨みを持った相手を祟るために、生きた人の体から抜け出た霊魂のことだ。
だが、たかが生者の魂ふぜいに、晴日たち3人がここまで悚然とするとは、どういうわけなのか。
「強いのか?」
影郎は問う。
「いや、全然」
らんは、相手を見すえたままだ。
「だったら、さっさと終わらせればいいじゃん」
「できへん」
「何で?」
「あれ生き霊なんやで? あれを滅ぼしたら、人が死ぬ」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「分からん」
燐火が、〈十絶陣〉に進入した。
らんはそれが飛行する区画に、〈烈焔陣〉を敷く。
生き霊の進む先の地面を、らんが桧扇で示す。するとその場所から、炎がふき上がった。
狐火はたちまち停止し、別の方向に進もうとする。すると、それが通過するであろう地点に、らんがまたも猛火の壁を作る。
このようなイタチごっこが、いつ果てるとなく続いた。
「どうしよう……」
シブの好敵手は、フレイルを持った手を下ろし、呟く。
「もしあれを素通りさせたら、どうなるんだ?」
影郎はらんと早月の間から、2人よりも若干前にしゃしゃり出た。
「そりゃもちろん、萩原さんが死ぬだろうさ。1晩で一気呵成に亡くなるのか、数日間かけて、徐々に衰弱していくのかは、知らないよ。そんなこと試せないし、試したこともないから」
「萩原さんとあの人を恨んでる人間とだったら、萩原さんを助ければいいだけの話だろ?」
「簡単に言わないでよ! ヤだよ、自分のやったことが原因で、人が死ぬなんて。いくら仕事だからって、何でこの先ずっと、そんなもの背負ってかなきゃならないの?」
「お前らがやったなんて誰も分かんないだろ」
「罪に問われなくても、こんな後味の悪いことはしたくないんだってば!」
「ふだん何もためらわずに式神を倒すのに、いつから聖人君子になったんだ?」
「人が死ぬのと式神が消えるのと、一緒にしないでよ! 式神は人どころか、動物でも誰かの持ち物でもないんだよ? 人の命と、ぜんぜん値打ちが違うじゃない」
「聞き分けのない奴だなあ!」
今の影郎には、早月たちはダダをこねる子供のように思えた。幼稚な倫理観をふりかざして、職務放棄をしようとしているようにしか見えなかった。
「ライナちゃん、〈退去〉の呪歌で追い返せないかしら?」
晴日は後ろをふり向くことなく、ライナに提案する。
「できることはできます。でも、一時しのぎにしかならないと思いますよ。本当にただ、元いた場所に戻すだけで、そのあと相手がまたやってこないことを、保証するものではありませんから」
ライナは晴日とらんの間に進み出る。だが、影郎とは違って、2人よりも前には出なかった。
「それで、どうするんだ、あれ? このままじゃ、らちが明かないぞ」
影郎は、晴日のほうを見た。
「いま考えてるわよ」
晴日は相変わらず、火の玉に視線を注ぐ。
「いい考えが浮かぶ見こみはあるのか? 相手を傷つけずに、永久にお引きとり願う魔法なんて、どうせないんだろ?」
「それは、そうだけど……」
「だったらもう、萩原さんがとり殺されるか、俺たちの知らない場所で知らない人が死ぬか、その二択しかないだろ? どっちのほうがマシだよ?」
「どうしてそんなにスパッと割り切れるの!? 影郎はじゃあ、もし〈帰神法〉が成功したら、躊躇なくあれをひねり潰すの?」
「当たり前だ」
「ひどい……。影郎っていつも、そんな人じゃないのに」
「影郎! そっち行った。よけぇ!」
らんが叫ぶ。
影郎は、はっと気づいて前を向いた。いつの間にか、人魂が〈烈焔陣〉を突破し、彼の目前まで迫っていた。
燐火は影郎と接触し、燃え上がるようにして、その体を包みこむ。よける間もなかった。
少しも熱くはない。逆に、凍りつくような冷たさだ。
影郎は、「死」に直接触れるかのような感覚を催した。それは、悲しみ、無念さ、不快感、恐怖、後悔など、あらゆるネガティブな感情を、混ぜこぜにしたようなものだ。
影郎はその場にくずおれた。というよりも、自分がどのような姿勢をとっているのかということに対し、関心がなくなった。
代わりに彼の意識を占めたのは、生き霊の記憶と感情だった。
後者の大部分を占めるのは、嫉妬と復讐心だ。しかし少なからず、復讐そのものと、その対象に対する愛着も含まれていた。
昏倒するとき、草の先に首筋や腕をつつかれた。その箇所が痛い。ないしは痒い。
晴日、らん、早月、ライナがかけ寄ってくる。足音が聞こえる。
「影郎!? 大丈夫?」
「こんなときに冗談とかやめてや。……目ぇ開けて」
「見て! 影郎の周り、白く光ってる」
「もしかして、生き霊にとりつかれたんじゃ……?」
4人が口々に叫んだ。
誰かが、彼の体を抱きかかえたらしい。背中に、ほんのりと温もりが伝わる。
だが、これらの感覚は全て、影郎には遠くで生起しているできごとのように、感じられた。彼にとって重要なのは今や、萩原に復讐し、忌々しい過去を清算することだけだった。




