12-F 嶺との和解
影郎たちが建物からの脱出に成功したのは、午後10時過ぎだった。
校門を出たばかりのところで、影郎は後ろをふり返った。
文化祭についての会議が行われていると思しき部屋の電気は、まだついていた。
晴日と早月は、校門のすぐ外で待っていた。
2人と再会したのと入れ替わりに、直子は帰ってしまった。家が茨城県にあり、今すぐ帰宅しないと大変なことになる、とのことだ。
残りの6人も、駅を目指して、上野公園になだれこんだ。
らんのアパートは本来、逆方向の日暮里駅近くにある。しかし彼女は今、早月やライナと共に、晴日の家で寝泊まりしている。
夜の10時を回っているというのに、園内は賑やかだ。
大学のサークルが、芝生で宴会をやっている。かと思えば、遊歩道でスケートボードや、ジャグリングの練習をする者もいる。
「ねえ、らんちゃん」
嶺がらんを呼び止めた。
らんは演技かと思うくらい、大げさに飛び上がる。
「ど、どうしたん?」
「さっきの、あなたがやったんでしょ?」
嶺はらんに、真剣なまなざしを投げかける。
「さっきのって?」
らんの目は、大きく見開かれている。
「2階で、警備員に見つかりそうになったときよ。向こうはライトを持っていたのに、わたしたちの居場所が死角になるわけ、ないじゃない」
「それは……」
らんは返答に窮した。
「そりゃまあ、隠しごとなんて、たとえ家族の間でも、あって当然だと思うわ。でも、あれはわたしにまで、秘密にしておかなきゃならないこと?」
らんたちはまたも、何も言えなかった。
らんたち3人が、自分が魔法使いであることを嶺に知られるのを、極端に恐れていることは、影郎も知っている。
自分が嶺の立場に立って、らんたちについてどんな評価や判断をするかを想像すれば、むりからぬことだ。特にらんにとっては、嶺は晴日や早月よりも、つき合いの長い友達だ。失うのは、あまりにも痛い。
影郎は、どうにかして嶺の気をそらすことができないか、などと考えた。だが、良案は浮かばない。
「らん、もしかして〈隠身法〉を?」
早月が晴日に耳打ちする。その声は、影郎にも聞きとれた。
やがて、らんがおもむろに口を開く。
「なあ、嶺。嶺はさ……、魔法って信じる?」
「魔法? うーん、『さっきのが魔法です』って言われたら信じるけど、それ以外はちょっと――。まさか、あれがそうだって言うの?」
嶺の顔色が、やや険しくなる。
それに正比例して、らんの表情は恐れに染まっていく。晴日と早月も同様だ。
「そや。ウチら5人、みんな魔法使いねん」
らんが言った。
「わたし以外みんな……?」
嶺の声が、衝撃と不信感でふるえる。
「それもあって、今までよう言わんかった」
「いつからそうだったの?」
「ウチはあんたと知り合うた直後、影郎は今年の4月、ほかはウチより前や」
「そんなに長いこと、わたしに隠してたの?」
「内緒にしとったのは事実やけど、裏であんたのこと笑うとったとかやないで! これだけは信じてや」
らんは振り絞るようにして、それだけ言った。
「じゃあ、どうして?」
「だって、怖いやん。ふつうの人にはようせんくて、原理も解明されてへんようなことができる人間なんて。人から気味悪がられて当然やん。ウチからしたら、あんたからそうされるんが怖かってん」
「なるほど、そういうこと……」
嶺は目を閉じて、うなずいた。らんの言い分を、そしゃくしたようすだ。
「嶺……。今、ウチらのこと、どう思うとる?」
「やっぱり、魔法が使えるからって理由で、みんなのこと怖がると思われたことは、ちょっと悲しいわ」
嶺は再び目を開く。声は、普段の状態に戻っていた。
「じゃあ、怖くはない、ちゅうこと?」
「だから、そんなふうに思わないで。そっちのほうが、よっぽどこたえるから」
「そうか……。よかった」
らんは指で目をこすった。涙をふきとったらしい。しかし、顔は笑っている。
晴日と早月も同様だ。
「らんちゃんたちなら、魔法で誰かに害を加えたり、しないでしょ? それが確信できるぐらいには、わたし、長くみんなのそばにいたつもりよ」
「あんた、ホンマにええ子やなあ。やから、あんたとこれからも、一緒におりたいんやけど」
「人にはできないことができる魔法使いから、そんなこと言われるなんて、光栄だわ」
「誇ってええと思うよ」
「だいたい、らんちゃんたちに限って、人さまに迷惑をかけるような度胸も、ないでしょ?」
「さっき、思いっきり建造物侵入やらかしたとこなんやけどな」
「ま、まあそうだけど……。それで、あのときはどんな魔法を使ったの?」
嶺に問われるまま、らんは先刻の魔法について、説明した。
らんが使ったのは、〈隠身法〉といって、姿を消す魔法だ。
透明にするというよりは、「光学的な観測をされない、という性質を付加する」といったほうが正確だ。さればこそ、術がかかっている間も、自身はものを見ることができるし、目を閉じれば何も見えなくなる。
「もしかして、先月、吉祥寺のコンビニで強盗に入られたときも?」
嶺はさらに質問を重ねる。まるで、童心に帰ったかのように、はしゃいでいる。
「そうだよ。あのときは、ボクも魔法を使ったんだったかな」
早月が言った。
「じゃあ、映画を観た後も?」
「あのとき? 何かあったっけ?」
「ほら、内容について話してたときよ。わたし、『象を持ち上げて飛ぶ程度じゃ、大したことねえな』っていう声が聞こえた、とか言ったじゃない? あの声もそうなの?」
「あれは違うよ。いちいち魔法で伝える内容でもないし」
「それもそうか……。それにしてもすごいのね、2人とも。もしわたしにピッタリな魔法があったら、わたしにも使ってね」
「任せて。嶺のためだったら、どんなことでも、とまでは言わないけど、たいがいのことはするよ。――運動能力を一時的に引き上げる魔法なんか、スポーツの大会で役に立ちそうだけど、やっぱり嶺はそういうのには頼らないよね?」
早月が言及した魔法は、〈野牛〉のルーンだ。
「そうね、要らないわ。自分の力で勝たなきゃ、意味ないもの」
「だよね。ボクも嶺のそういうとこ、好きだよ」
「じゃあもう1つ訊くけど、あなたたちのアルバイトって、もしかして魔法を使う仕事なのかな?」
嶺の質問は、またも早月たちの秘密の核心をついていた。
早月はしばし、晴日やらんと、互いの顔を見合わせた。
やがて、晴日とらんは早月に対してうなずいた。
「早月の判断に任せる」という趣旨と解したのか、早月は嶺に真実を告げた。
「実はボクら、国の機関に勤めてるんだ。それで、警察が見つけられない被疑者とか凶器とかを探したり、行幸なり行啓なりの日どりを決めたりしてるの。あと、別の魔法使いが、議員さんとか検事さんに送りこんだ霊を、駆除したり」
「霊を駆除? それって、危険な仕事なの?」
嶺の目が大きくなる。心配しているのか、瞳がうるんでいるように見える。
「まあ、絶対にケガしないとは、限らないわ。よほどのことがない限り、大丈夫だと思うけど」
晴日が、代わって答えた。
「その仕事、辞められないの?」
「辞めようと思ったら、いつでも辞められるわ。でも、私たちにしか、できない仕事なの。それに、誰かがやらないといけないことだから、辞めるわけにはいかないの」
「そう……。その、ムリしないでね」
嶺はこれ以上、食い下がらなかった。だが、まだ何か言いたそうだ。
らんたちが危険を伴う仕事をすることについて、嶺が好意的でないことは、影郎にさえ察しがついた。
らんたちは誰も、嶺に対し、口外しないよう求めたりはしなかった。その点は、太薙に自分たちが魔法使いであることを白状したときとは違った。
いちいち念を押さなくても、嶺ならば自身の信用にかけて、ほかにもらしたりはしないだろう。
この点も、影郎の想像の範囲内だ。
このあと嶺やライナは、晴日と早月に、2人とはぐれてから校舎でどんなことが起こったのか、つぶさに語り始めた。
10時45分ごろ、6人は公園を出て、上野駅に向かった。上野公園は、11時で閉園だからだ。
公園と駅を隔てる車道を渡る途中、ライナが言った。
「直子さんが撮った写真のもやみたいなのですけど、あれ、虫だと思います」
「分かるの!?」
晴日は目を丸くする。
「断言はできませんけど、多分」
「でも、どうして虫のせいで、煙が写るの?」
「カメラから近すぎると、ピントのずれがひどくて、ああなるんですって。撮影する瞬間に真ん前を横切ったのに、気がつかなかったんじゃないでしょうか。虫なら公園にもわんさかいましたから、あり得なくはないと思いますよ」
「三笠さんにも、言えばよかったのに」
「ごめんなさい。自信がなかったんです。――今でもありませんけど。」
こうして、心霊現象にまつわる最後の謎も、あっさり解けてしまったのだった。
6人は、上野駅で京浜東北線に乗った。
東京駅で、嶺を除く5人が下車した。影郎は中央線で新宿方面に、他の4人は総武線で千葉方面に向かった。
嶺だけは京浜線に乗ったまま、蒲田駅へ行った。そこが、彼女の自宅に最も近い駅だという。
晴日たちは後日、写真に関してライナが話したことを、直子に報告した。
彼女の落胆ぶりは、計り知れなかった。




