12-E 肝試し当日
翌々日の夜8時ごろ、影郎、晴日、らん、早月、嶺、ライナ、直子の7人は、校門の前にいた。
「それにしても、人見くんも来てくれて、助かるわ。こういうときに男の子が1人いると、心強いわよね」
直子が影郎の肩を、ポンポンと叩く。
「逆によけい怖なるかもしれんで。こいつ、ちょっとした霊媒体質で、ときどき何かが乗り移ったみたいなことゆうんやから」
らんは、手で口を覆った。にやついた顔を隠しているのだと、見なくても分かる。
それから、影郎は霊媒体質も何も、霊媒そのものである。
「えー? 例えばどんなこと言うの?」
「過激発言。それも、周りにおるウチらが他人のふりしたなるような」
「おいこら、ちょっと待て。それって――」
影郎はいきり立った。だが、「それ」の内容を自ら言えるはずがない。
晴日と早月は、くすくす笑っている。
らんが言及しているのは、影郎がときどきやらかす問題発言だ。
彼がそれを口走るのは、霊に憑依されている間などではなく、通常の意識下にあるときだ。本来、霊媒体質とは、何の関係もない。
要するに、らんはからかっているのだ。
「ねえ、嶺ちゃん。本当に来てよかったの?」
晴日が嶺の肩にもたれ、耳打ちする。
「本当のこと言うと、虚病を使うことも視野に入れたわ」
嶺は冗談ぽく笑った。
(体調不良を装って、ずる休みをすることは考えたんだ……)
影郎は思った。
といっても、結局こうして正直にはせ参ずるあたり、前にらんが嶺のことを、「頼まれたらよう断らん子」と評していたのも、もっともな話だ。
直子の言った通り、いつもは閉鎖されるはずの校門が、開放されていた。
また、遅くともこの時刻までには、職員も全員が帰宅して、校舎は真っ暗になるはずだ。それなのに、2階にある部屋の1つに、電気が灯っている。文化祭実行委員会が開かれているのだろう。
「さて、まずは記念樹よね」
直子はスマートフォンで、問題の木を2、3回、撮影した。
「何か写っとる?」
らんが、直子のスマートフォンをのぞきこむ。
「何も」
直子は画面を見つめたまま、首を横に振った。
「で、やっぱ中に入るん?」
「決まってるでしょ」
直子は意気ごんだ。
7人は、夜の校舎に侵入した。
成鸞館高校の廊下と階段の多くは、曲線的な作りになっている。
おまけに、同一の階にある2か所を往来するのに、いったん階段で別のフロアへ行かなければならない場合がある。例えば、1階から2階へ上がるにしても、使う階段によって、行ける部屋が全く違う、などということが起こる。早い話が、迷路のような構造をしているのだ。
影郎は入学式の日に、通学証明書を発行してくれる場所を探した際、イヤというほど思い知った。
日中でさえ、地図がなければたやすく道に迷ってしまう建物だ。あまつさえ今は夜だ。
7人は校舎に入って10分と経たず、迷子になった。30分後には、晴日、早月とはぐれてしまった。
「直子。ウチら今、どこにおるん?」
歩きながら、らんが言った。
「分かんないわよお」
その前を行く直子は、ふり向かず答える。
「じゃあ、今まで来た道も?」
らんの質問に、直子は無言でうなずく。
「まあ、三笠さんに任せきりにしたわたしたちも悪いわね」
嶺がらんに、落ちつくよう促した。
「とりあえず、今わたくしたちが2階にいるのは確かです」
「あれ、そうだっけ? 俺てっきり、もう3階まで来たのかと思った」
ライナと影郎のやりとりが続く。
文化祭実行委員会が使用していると思しき部屋を除き、教室も廊下も、完全に消灯されている。光源ときたら、非常口を示す緑色のランプだけだ。
影郎たちは、初めのうちこそ時折、スマートフォンを懐中電灯がわりに使用した。
だがそのうち、それもやらなくなった。電池の消耗が激しいからだ。
一行が全員黙っているときに聞こえるのは、彼らの足音と、何かの機械から出ているらしき、低くうなるような音だけだ。
こんな状況だというのに、影郎は少しも恐怖を感じていなかった。ここにいる7人のうち4人は、力を合わせれば、巨大な多頭の竜さえ圧倒してしまうような強者なのだから。――そのうち2人と、離れ離れになったにせよ、だ。
「もうこうなったら、適当に歩き回るしかないんちゃう? 砂漠とか雪山で遭難したんやないんやから、水分も体力も、気にする必要ないやろ」
らんは言った。
「とにかく、講堂のある3階を目指しましょうか。見つけた階段を片っ端から上って、講堂がなければまた下りましょう」
直子が先頭に立って号令した。これに異を唱える者はいなかった。
晴日と早月には、らんが電話で、先に外で待っているよう、言った。
この薄暗い校内で、互いの居場所を把握するのは、不可能に近いからだ。幸い、晴日と早月は一緒にいるとのことだ。
2階と3階の間を3往復、加えて1階と2階の間を2往復した。しかし、それでも講堂にはたどりつけなかった。時刻はすでに、9時を回っている。
5人は今、2階から3階へ行く階段のうち、3番目に見つけたものを上り、そこから講堂にたどりつけず、2階に戻ったところだ。
そろそろ、足が疲れたり、腹が減ったりして、イライラが募ってくるころだ。
「あーもうっ! 何なのよ、この学校! 使い勝手が悪いにもほどがあるわよ!」
直子がついに、ガマンしきれなくなって叫んだ。
「そこに誰かいるのか?」
前方から、男の声が聞こえた。
影郎たちは一斉に前を、それもあたう限り遠くを見た。
彼らが歩いていた廊下は、およそ20メートル先で、右に折れ曲がっている。
このカーブの外側に相当する壁の1点に、白い光が当たっていた。
光は上下左右に、激しく揺れている。懐中電灯から発せられたものらしい。
「文化祭関係者か?」
前方から、同じ人物の声がした。
同時に、足音もし始める。恐らく、警備員か見回りの教員だ。
「大きな声、出すからですよお!」
「おい、どうすんだよ? 見つかるとヤバいぞ」
「退学処分とか……?」
「え? ちょっと! 一発で退学とか、冗談じゃないわよ!」
ライナ、影郎、嶺、直子が口々に、しかし小声で言った。
「みんな、静かに。絶対みつからへんから、音だけ出さんといて」
らんが4人を、手で制した。
この状況をやり過ごせる魔法があるのだろうと、影郎はすぐに察した。
そのうち、らんの向こうにある壁が、体ごしに見えるようになった。らんの体が、背景に溶けるようにして、薄らいでいく。
しまいには、完全に見えなくなった。
ライナや直子など、他の者も同様だ。
影郎は、自分の手を目の前にかざしてみた。しかし、手は目に映らなかった。
どうやら、らんが全員の体を透明にしたようだ。
網膜まで透明になると、網膜に映るべき光が素通りして、目が見えなくなるはずだ。しかしそうならないところが、いかにも魔法らしい。
やがて、懐中電灯を持った男の姿が見えた。
どこかの警備会社の制服らしきものを着ている。ライトをこちらに向けているので、顔などは全く分からない。
彼は真っ先に、影郎の居場所を照らした。
暗闇に慣れた目に、強い光をまともに当てられたため、影郎はまぶしくて、思わず目を閉じた。
まぶたも透明なはずなのに、何も見えなくなった。
男が明かりを影郎からそらすと、影郎は再び目を開けた。
制服の人物は、こちらに向かって歩いてきた。
影郎は廊下の、自身の進行方向を向いて左のすみに、身を潜める。
警備員は、影郎の目と鼻の先で立ち止まり、灯りで周囲を、くまなく照らした。
「おかしいな。確かにこの辺りから聞こえたのに」
影郎はしばらく、息を殺して縮こまった。
男はかなり長いこと、影郎の目と鼻の先にいた。
そこで首を傾げたり、いちど光を当てた所に、再びライトを向けたりした。だがやがて、諦めがついたのか、影郎の前を通り過ぎ、彼らが来た道を歩いていった。
警備員が見えなくなると、廊下の、影郎とは反対側のすみに、らんの姿が現れ始めた。同時に、嶺、ライナ、直子も視界に入る。
影郎は再度、己の手に目を落とした。今度は、はっきりと視認できた。
「今の、何だったの? どうしてわたしたち、見つからなかったのよ?」
直子がきょろきょろと辺りを見回す。
「あの光の角度やと、ちょうどここが死角になるような気ぃしてん。大当たりやったわ」
らんは、はじめに警備員が歩いてきた方向、すなわち自分たちの進行方向にある、非常口のランプを指さした。
そこから出ている緑色の光は、小刻みに弱くなったり、強くなったりをくり返している。電球が、今にも切れそうなのだ。
「すごい。そうだったんだ!」
直子はたいそう感心した。
らんの説明が出任せだと、影郎には分かった。
5人は再び歩き出す。
カーブを曲がった先に階段があった。それを上ったところに、講堂の入り口が見える。
「やっと見つかったわ!」
直子は最初の「やっと」こそ、感激のあまり大声で言った。しかしすぐに我に返り、その先は声を潜めた。
影郎たちは、講堂の中に入った。ここも例によって、光源は非常口のランプだけだ。
一行は広間を突っ切り、舞台袖に滑りこんだ。
「多分この扉ね」
直子が指さしたのは、舞台袖からステージに上がる、階段の脇にある戸だ。
高さは1.5メートルほど。マリンブルーのペンキが塗られている。
外開きで、ノブはレバーのような形ではなく、丸い。
「開けるの?」
嶺が尋ねる。
「当然よ。ここまで来たんだもの」
直子は、ドアノブに手をかけた。
他の者は黙して、彼女を見守る。
直子のかたずを飲みこむ音が、影郎にも聞こえた。
直子は決心したのか、若干うわ向き加減になって、一気に扉を引いた。
ぐぐっときしむ音を、舞台袖にこだまさせながら、ドアが開く。
影郎の目に、最初に飛びこんできたのは、青白い顔をした人間だった。
身長は小学校低学年ほどで、がりがりにやせ細っている。容貌は若そうなのに、髪は1本も生えていない。瞳の全体が見えるくらい目を大きく開き、瞬きもしないでこちらを見つめている。
足先が床から少し離れ、からだ全体がゆらゆらと動いている。
「ひっ!」
直子はとっさに、扉を閉めて素早くこちらをふり向いた。
釣られて影郎もふり返った。
だが彼の後ろでは、らんとライナが無表情のまま立っている。
嶺は、一瞬だけ踵を返そうとした。だが、らんたちの平然としたようすに気がついてか、再び前に向き直った。
「よう見えへんかったから、もっかい開けて」
らんが静かに言った。
「え? でも……」
直子はためらう。
「一瞬しか見てへんねんから、さっきのが何なんか分からんやん。それに、現に今、何も戸ぉ開けようとしてへんし、叩く気配もないし。何なら、ウチが開けるで」
「じ、じゃあお願いするわ」
直子はしぶしぶ、ドアの前を譲った。
らんがその前に進み出、そのあとにライナが続く。
らんはノブを引っつかむや、ひと呼吸も置かずに、扉を開けた。
先ほどと同じ人型のものが、空中で揺れる。ところが、2、3秒もしないうちに動かなくなった。
「えっと電気は、と……。あ、これね」
ライナが壁を手探りして照明のスイッチを見つけ、オンにした。
物置き部屋の中を、光が満たす。
影郎はまたも明るさに耐えられず、目の前に手をかざした。
室内は、ものであふれ返っていた。
パイプいす、球技のスコアボード、バレーボールのネット、トロンボーンのケースなどが確認できる。
なぜ高校に置いてあるのかよく分からないものも、見受けられる。大玉転がしの玉、ゴルフクラブ、船の碇などだ。
影郎がさいぜん人だと思ったのは、ただのマネキンだった。
大人の体格だが、身長は1.2メートルかそこらだ。そのため、首や手が異様に細いように見える。
金属のアームで、宙に吊り下げられている。そのためわずかな風でも、ふらふらと揺れる。
今は青白くなどはなく、電球と同じ淡黄色だ。
「嘘……。マネキン?」
直子が呆然と呟く。
「ま、そんなところやな」
らんは、やれやれと首を振った。
マネキンの付近には、無数の小道具が散乱している。衣装、仮面、いかにも魔女が空を飛ぶのに使いそうなホウキ、などだ。
「演劇部が使うのかしら」
嶺と全く同じことを、今まさに影郎も考えていた。
「じ、じゃあ、扉を開けたときに動いたのはどうして?」
直子はまだどこか、未練がましそうだ。
「気圧が変わったからじゃないでしょうか」
ライナが、自信のないようすで答える。
「さっき青白かったのは――」
直子が言い終わるよりも先に、らんが部屋の灯りを切った。
すると、マネキンは最初見たときのように、青白く光り始めた。よく見ると、青よりも緑色に近かった。非常口のランプと同じ色だ。
影郎は後ろを向いた。
壁の角に鏡が立てかけてあって、その中に非常口のランプが見える。講堂の入り口にあるランプを映しているらしい。
「つまり、この光が鏡に反射してマネキンに当たって、マネキンが青っぽく見えた、てことですか?」
ライナが全容をまとめた。
「何……、だ……」
直子はいちばん近くの壁にもたれ、そのまま膝を曲げて、ずるずると腰を下ろした。
一同は講堂を去り、校舎の出口を探した。来た道を覚えていないので、またも階段を上ったり下りたりの、くり返しとなった。
1階の廊下を歩いているとき、ふとライナが口を開いた。
「非常口の明かり、どこにいても見えますよね。どこへ逃げても光に照らされて、それで追いかけられているようにカン違いしたんですかね?」
1階まで青白い光に追跡されたとする体験の真相も、判明した。




