10-C モレヤの神との戦い
影郎たちは、めいめい戦うときの服装に身を包むと、再び上野公園にやってきた。
影郎は黒い狩衣、晴日は赤い直綴、らんは黄色い狩衣、早月は青いダッフルコートに、それぞれ似せた衣装をまとっている。
彼らは、公園を南西から北東の方向に貫く、園内で最も大きな遊歩道の中央を占領し、ここに〈十絶陣〉を展開した。面する方角は、南西だ。
4人の前に姿を現した式神は、これまでに影郎が見てきた中でも、とびきりシュールな外見をしていた。
人間のように、四肢と頭があって、2本の足で直立している。だが背は低く、寸胴な体格だ。
手足の指は分かれておらず、顔に鼻と口と耳らしきものはない。ちょうど、子供が作った泥人形を思わせる体つき、といえる。
体の表面は、薄い灰色。さながら、河原に落ちている石のような見た目だ。
髪、眉毛、まつ毛その他、体毛は1本も生えていない。またヒダル神と同様、衣服らしきものを何も着ていない。
右腕には、晴日のものに似た環が、はまっている。真ちゅう色をした晴日の圈とは違い、こちらは鉄でできているかに見える。
「何やろ、あれ? 初めて見る奴やわ」
「見当さえつけられないなんて、厄介ね」
らんと晴日が、困った顔をした。
「鉄の環しか手がかりはないけど、1つだけ思い当たるのがあるよ。洩矢神じゃないかな?」
自信がなさそうにだが、早月が言う。
「なるほど! そう言えば、おばーちゃんのファイルにも、そんなんのっとったっけ」
らんは指をはじいた。
「ねえ、モレヤの神ってどんなのだっけ?」
晴日が尋ねる。
「縄文時代に、諏訪の辺りで信仰されていた神だよ。後から建御名方っていう神様が出雲から来て、それとの戦いに敗れて諏訪を明けわたした、ていう神話があるらしいんだ」
「へえ」
「でも、モレヤの神と断言するには、根拠が足りないな。どのみち弱点を探る助けにはならないし」
「なら、ヒダル神のときと、おんなじ戦法でええんとちゃう?」
らんは桧扇を高々とさし上げた。いつでも魔法を使う準備ができている、という意思表示のようだ。
早月がモレヤの神ではないかと推量した式神は今、〈十絶陣〉外側のラインを踏みこえた。
歩く速さは、大人の小走り程度だ。
「来たわ」
晴日が圈を構える。
「ほな、今度はウチから行くわ」
らんは〈十絶陣〉を操り、正面の区画に第4の陣、〈風吼陣〉を敷いた。
影郎たちの髪が揺れ、周囲の木の葉がざわめいた。陣の内部では、強風が吹き荒れていると見える。
らんが扇で敵を指した。
砂や紙くずや、前年の冬に片づけられなかったと思しき枯れ葉などが吹き上がり、霊の周囲で乱舞した。それらは次第に、モレヤの神の周囲に群がっていき、つむじ風に乗って敵を包みこんだ。
だが式神のほうに変化はない。歩みも先ほどと、全く同じペースだ。
「効いてへんのかなあ? 風の魔法なんに」
らんは時を移さず桧扇を操り、別の陣に切り替えようとする。
その間に早月は、フレイルに〈水〉のルーンを装填し、攻撃の用意を整えていた。
シブの好敵手は、得物をうち振る。
水の魔法を宿した棍は、円弧のような軌道を描いて相手の斜め上から迫り、その胸部を打ちすえた。
式神の表面は、石が水に濡れたときのように、色が濃くなった。だがやはり、その動きは止まらない。
「水が効果ないとすると、五行四大は土? それとも木?」
早月は、多節棍を自分のほうに引き寄せ、次なる魔法の発動にとりかかる。
「土だと仮定して、木の魔法で行くわ」
晴日は前回に引き続き、〈マヘンドラストラ〉の神呪を詠唱した。
その手に握られた円盤が、紫色に発光する。
晴日はそれを、相手に向けて投げつけた。
雷鳴がこだまし、視界が真白く染まる。
間もなく音と光が止み、辺りが元通り静まり返った。
モレヤの神は、うつ伏せに倒れた。背中からは煙が上がる。だが、その体に動きはない。
〈十絶陣〉の中央まで、あと5メートルばかりという距離だ。
「まだ分からんな。消えるまで待と」
らんが両隣の2人に、安心するには早い旨を告げる。
2人も、霊を見すえたまま、うなずく。
ところが、いくら待っても式神はそのままだ。
「生きてるのかな? 念のため、追撃してみよう」
早月は2、3歩前に進み出て、倒れた相手に、さらなる攻撃を試みる。敵の体を〈イバラ〉の雷電が走り、〈知恵〉の疾風が吹き抜け、〈松明〉の猛火が包んだ。
(そこまでするか……?)
影郎は思った。
先刻、自分が悪者だと言ってはばからなかった早月ではある。だがそれでも、動かない相手を一方的になぶるようすは、見ていて気持ちのよいものではなかった。
このような残虐な行為は、彼女に似つかわしくない。
しかし、モレヤの神は、一向に消え去る気配がない。死んでいるようにしか見えないが、とにかくその場に存在していた。
「もうっ! 何なんだよお!」
早月が苛立ちもあらわに、武器に新たな〈ルーン〉を入れようとした。
その矢先、式神が飛び起き、早月を目がけて、猛然とかけ出した。
「あっ――」
早月はこれに気づく。
だが、あまりに出し抜けのことだったため、対応できない。どう目し、ただその場に固まるだけだ。
敵は、鉄の環のはまった右手を横ざまに掲げ、早月の間近に迫る。
「早月!」
影郎が、早月の前に飛び出した。
考えるよりも、先に体が動いた。自分の中の何かが、彼にそうさせた。
「か……、影郎?」
後ろで、早月が呟く。
「止まれ!」
らんが叫んだ。その声は若干、しゃがれている。
同時に、霊の動きがぴたりと止まる。
鬼女との戦いでも使われた、〈定身の術〉だ。
「影郎、伏せて!」
晴日が叫んだ。
影郎は晴日の意図を察し、その場で身を低くする。
彼の頭上を、晴日の円盤がかすめた。それは、いまだ金縛りの解けぬモレヤの神に命中した。
最前と同一の、電光と轟音。
晴日が、2つ目の〈マヘンドラストラ〉を放ったのだ。
今度こそ、そこに敵の姿はなかった。
影郎は、間髪をいれず後ろをふり向き、早月のぶじを確かめる。
早月は尻餅をついて、両足を投げ出していた。
まだ目が大きく開かれたまま、恐怖に凍りついている。顔色も、ふだん以上に白い。
一言も発しないどころか、息をしているようにも見えない。
まるで彼女も、〈定身の術〉をかけられたかのようだ。
「早月? おい、大丈夫なのか!?」
影郎は、早月の肩を揺する。
彼女にケガがないか、一刻も早く知りたい。それしか考えていなかった。
だが相変わらず、早月は動かない。
「早月、何とか言えよ!」
「大丈夫や。何もされてへん。やから、そっとしてあげ」
らんが言った。
影郎はその言葉で我に返り、早月から2、3歩はなれる。
代わりに、らんが早月に近づき、その後ろで膝をついた。
晴日は早月の正面に回る。
「早月……。ぶじでよかった」
らんは、後ろから早月の首に両腕を回して、その体を抱き締める。
少し経つと、早月のほおに赤みが戻ってきた。手の指や膝も、わずかに動いている。そのうち、自身の肩に乗ったらんの腕に、ふるえる己の手を重ねる。
「死……、ぬかと……、思った」
絞り出すように、これだけ言った。
「そんなことされてたまるかい。ウチの〈定身の術〉、忘れんといてや」
らんは早月を抱く腕に、力を込める。
「よかった……、本当に」
晴日は少し、涙ぐんでいた。
「それにしても、影郎。あんた、ムチャなことするなあ」
らんは早月に寄り添ったまま、影郎に目を向けた。
「俺の判断じゃない。何かの霊が、乗り移ったんだと思う」
影郎の記憶によれば確かに、早月をかばったとき、頭の中は真っ白だった。
「それはないと思うわ。私、後ろで見てたけど、影郎の体、光ってなかったもの」
晴日は言った。
「まあでも、あれはええ判断やったと思うで。結果的に必要にはならへんかったけど、早月を守ろうとしてくれたんは、ウチとしても嬉しいわ」
らんが影郎を褒めた。
その後早月は、5分くらいかけて話せるようになり、10分程度で立って歩けるようになった。
4人は電車で帝室庁に向かうべく、公園の遊歩道を、上野駅の方向へ歩き始めた。
「今回はダサダサだったな」
早月が、多少不機嫌そうに言った。このときはすでに、いつものようすに戻っていた。
「ダサダサ?」
他の3人が一斉に尋ねる。
「詰めが甘くて式神をしとめ損なうし。それに、いくら虚をつかれたからって、あんな格好で動けなくなるなんて、あり得ないよ。おまけに、晴日がとどめを刺した後も、しばらくあのまんまだったじゃん。もう、穴があったら入りたいよ」
「早月ちゃん、いつもかっこよすぎだから、たまにはああいうこともないと、私の立場がなくなっちゃうわよ」
晴日は早月を慰めようとする。
「か、かっこよすぎとか、そそそんなことないよぉ!」
早月の顔が、一気に真っ赤に染まる。
「それと、今あんた『詰めが甘い』ゆうたけど、ウチはそうは思わんで。逆に『いくら何でもやり過ぎちゃう?』って思いながら見とってん」
らんが言った。
「ああ、俺もだ」
「実は私も」
影郎と晴日が同調する。
「そ、そう? じゃあ、今回の相手は特別、強かったのかな」
「ところで影郎」らんが影郎のほうを向いた。「あんた、さっき訊こうとしとったことの答え、今ので分かったんとちゃう?」
「さっき? 何の話、してたっけ?」
影郎は、らんの言う「さっき」が、いつの時点を指しているかも分からなかった。
「学校へ着替えに行く前や。あんた、力が強いモンの思い通りになる世の中になっても、ウチらやったらうまくやっていけるんやないか、みたいなことゆうてへんかった?」
「ああ、それのことか。で、今ので答えが分かるって、どういうことだ?」
「魔法ってな、発動してから効果が出るまでに、どうしてもタイムラグがあるんや。式神が起き上がったとき、早月がよう対応せんかったんも、そのせいやし。やから、相手が鉄砲もっとったり、後ろから急に襲われたりしたら、どうしようもないんやわ。戦国時代みたいな、『やるかやられるか』って状況やと、いくら魔法があったって、よう安心して過ごさんねん」
「強い魔法があっても、いつケンカを吹っかけられるか分からない乱世だと、安全を確保できないから、腕っ節の強さだけがモノを言う時代に戻るのは、勘弁してほしい、てこと?」
「そうゆうこっちゃ」
「なるほどな……」
影郎は先月、晴日たちや嶺と吉祥寺を遊び歩いた折、もしもいま過ごしているような日々を守ることに直結するのならば、何度死線をくぐることになっても、いいと思った。
今日、晴日たちが戦いに身を投じる理由が、ようやく分かった。3人も、自分と似たような動機で行動しているのだと、影郎は感じた。
ここに至って彼はやっと、晴日らがケガをしたり死にかけたり、挙げ句の果てに自らを悪の手先と認定せざるを得なくなっても、なお戦おうとする気持ちを理解できた。
前方に、公園の出口が見えてきた。その先には、上野の街明かりがもれていた。




