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1-D ヤトの神との戦い(2)

 席替えが終わると、予告通り放課となった。午後2時30分を回ったところだ。


 影郎は、通学証明書を発行してもらうため、校舎の中を東奔西走していた。通学定期券の購入に必要なのだ。


 3階にある職員室を見つけるのに、20分を要した。

 職員室で、通学証明書が欲しい旨を告げ、その手の事務に通じている先生に言づけてもらうのに、10分強もかかった。

 その教員から、「通学証明書の発行は職員室ではなく1階の事務室でおこなっている」と教えられてから、事務室を探し当てるまでに、軽く30分は空費した。


 事務室に着きはしたものの、担当者が証明書のどこに学校の印章を押せばいいか、忘れていた。彼は書類をひっくり返して、要覧を探し回った。

 結局、判を押してもらうまでに、40分以上待たされた。


 その後も、似たようなごてごてが立て続けに発生した。おかげで、影郎が通学証明書を手にしたときには、5時半を少し過ぎていた。


「いくら何でも手際が悪すぎだろ! 今日いちにち、ムダになったじゃないか」


 影郎は小走りしながら、ぶつくさ不平をもらした。

 職員室や事務室を探すのに、異様に手間どっているが、彼は別段、方向オンチではない。

 道に迷ったのは、校舎の設計に起因する所が大きい。


 ナル高の校舎は、廊下や階段に、やたらと曲線が採用されている。そのせいで、歩いていると、方向感覚が狂いやすい。

 加えて、同一のフロアにある部屋同士が、廊下でつながっておらず、階段を経由しなければ、行き来できない場合がある。

 ということは、目的の部屋がある階に到着しても、間違った階段を選んで昇降していれば、全くの徒労に終わることがある、ともいえる。

 外観はすこぶるおシャレだが、実用に供するには、はなはだ不便だ。


 影郎は事務室から、同じ1階にある玄関に至るのにも、四苦八苦した。


 靴を履き替えて、校舎の外に出たころには、夜の帳が下り始めていた。

 玄関と校門の間にある広場には、人っ子1人いない。

 都会のど真ん中といっても、上野公園のようなだだっ広い空間が、近くにある。

 繁華街からもれるネオンの明かりや、自動車のヘッドライトは、ここまでは届かない。付近には街灯もまばらだ。そのため、辺りは薄暗かった。


(おかしいな。何か静かだ)


 影郎は、焦りや苛立ちからようやく解放され、周囲の状況に注意を向けられる程度には、冷静になっていた。

 そのとき、校庭が何やら明るくなっていることに、気がついた。

 玄関を出てすぐ左手に向かうと、グラウンドに抜けられる。彼は光の正体が気になって、運動場に近づいていった。


「え?」


 影郎はあっけにとられた。


 校庭には、着物姿の女の子が、2人いるだけだ。

 1人は、直綴(じきとつ)という法衣のデザインを部分的にとり入れた、真紅の衣をまとっていた。

 もう1人は、昔の貴族が着ていた狩衣と、指貫(さしぬき)を模した山吹色の服だ。


 グラウンド全体のうち、校舎側の半分には白い線が引かれている。それは光を放っている。

 影郎が知りたがった光の出所は、これだった。

 線は、9つの真四角を描く。

 2人の少女は、中心の正方形のさらに中央で、南西を向いて立っていた。


 影郎は2人に近寄った。

 顔を視認できる距離まで接近して初めて、2人が見覚えのある人物であることが分かった。


(ん? あいつらって――)


 クラスの自己紹介で、始めのほうに先生に呼ばれていた子だ。のみならず、今朝、学校の敷地に入った後、最初に接触した者のうち2人だ。

 名前は確か、天宮晴日と海堂らん。


「何しとるん、こんなとこで? 6時になったら校門、閉まるで。早よ帰りぃ」


 らんが影郎に気づき、この場を去るよう促した。倍音を多く含み、少しの声量でも遠くまで届きそうな、朗々とした声だ。


「お前らだって1年だろ。何の用でここにいるんだよ?」


 影郎も、負けじと言い返す。


「ま、ええからええから。ほら、いったいった」


 らんに鼻であしらわれ、影郎はいくぶん憤りを覚えた。

 だが同時に、今しがたのとりつく島もないようすでは、抗議したところで相手にされるはずがないということも、察しがついた。

 影郎はしかたなく、怒りを腹の中に収めて退散した。2人の足下に光る筋のことは、明日にでも訊けばよい。


 運動場のすみまで離れてから、影郎はもう1度だけ、ふり向いて2人のほうを見やった。

 すると、信じられない光景が、彼の目に飛びこんだ。


「何だ、あれは!?」


 驚怖のあまり、これはほとんど声にならなかった。


 影郎が晴日とらんに背を向けてから、今いる場所に達するまでの、わずか1分足らずの間に、校庭に巨大な蛇が現れていた。

 大蛇はグラウンドの、影郎が立つ位置とは反対側のすみにいた。

 長さは少なくとも、10メートル。体色は黄色と黒。

 頭から生えた2本の長い角が、このくちなわが自然界に存在するものでないことの、何よりの証拠だ。


「……晴日、来たで」


「らんちゃん、何だろうあれ? ヤトノカミの絵に近いようだけど」


「分からんな。でも、見た感じは蛇や。五行四大はたぶん、木ぃやろ」


 らんと晴日は恐れるようすもなく、互いに意を通じ合う。

 らんの手には桧扇が、晴日の手には真ちゅう色の環が握られている。


 ヤトの神であろうと思料された蛇は、体を左右にくねらせながら、移動し始めた。まっすぐ前に進むのではなく、弧を描くように、地面を滑った。

 そして、地面に引かれた光の線を、踏みこえた。線が切り分ける、9つの区画のうちの1つ、〈烈焔陣〉に進入した。


 晴日とらんも、直ちに応戦する。

 らんが長虫の足下を、桧扇でぴたりと指し示した。

 その場所から、マゼンタ色の火炎が立ち上る。

 天をつく炎の中で、大蛇ののたくる姿が、ゆらゆらと見え隠れする。


 影郎はそのさまを、食い入るように見つめた。そうしながらも、自分の目が信用できなくなってきていた。


「この学校、特撮研究会なんて、なかったよな」


 己に向けて、話しかける。

 仮にそのようなサークルが存在したとしても、もしもそれの活動なのであれば、周りにカメラや照明を持った部員がいるはずだ。


 晴日は金属の円盤を捧げ持ち、〈アグネヤストラ〉を起動する呪文を吟じた。


――諸神と人とのみ使いに、お神酒を奉ります。されば、()どもに敵意を向ける者の貨財を、(その)神が()み尽くさんことを。僕どもをいかなる窮途からも、脱せしめんことを。舟(ばつ)にて瀬を渡すごと、諸々の禍害の果てる(ところ)へと、運び出されんことを――


 耳元で囁くかのような、線の細い声だ。

 晴日の環は、薄青色に発光し始める。

 彼女はそれを、右手の人さし指に引っかけて回転させる。その手を前方に突き出すようにして、〈アストラ〉をヤトの神に向けて投じた。


 一方らんは、光の帯で仕切られた9つの区画それぞれに満ちている元素の位置を、素早く入れ替え、〈十絶陣〉を変形させた。

 今や、〈烈焔陣〉は2人のいる中央の区画に退き、蛇のいる場所は〈金光陣〉に切り替わっていた。

 らんは〈金光陣〉を使用するタイミングを、今や遅しとうかがう。


〈アグネヤストラ〉を装填した円盤が、大蛇に当たってはじけた。

 青白い火球が、大きく膨れ上がる。その球面は、〈金光陣〉の敷かれた区画を、たやすくこえた。


 ここでらんは扇を開いて、〈金光陣〉を発動させた。

 21枚ある大気の鏡が長虫をとり巻き、それに向けて、〈アグネヤストラ〉の光を集約させる。


 炎はさらに勢いを増して、燃え上がった。

 何かのはじける音が、辺りに響く。地面が揺れているのではないか、と錯覚しかねないほどの重低音だ。

 周囲の空気も、非常に高温となる。影郎は、鼻先がちりちりと焼けこげるような感じがし、恐怖を覚えた。


 やがて火勢が弱まり、ヤトの神の状態を視認できるまでになった。

 蛇の体の表面は、半分以上がとけてなくなっている。動きも最初のときと比べると、かなり鈍い。

 このまま放っておいても、遅かれ早かれ息絶えるのではないか、とも思えた。


「行ける!」


 晴日が安堵の表情を浮かべた。2人は長虫に、とどめの一撃を加えようとしていた。


(逃げるなら、今だ!)


 影郎は、心の中で叫んだ。そして、運動場の中央に向かって走り出した。

 物騒な武器を手にして、異形の怪物と戦っている少女の手を、引いて逃げる算段だ。この余計なお節介が、かえって2人を窮地に追いこむとは、思ってもいなかった。


「おい、お前ら何やってるんだ!? 何だよ、あの化け物は。――逃げなきゃ!」


 影郎が、今度は実際に叫んだ。


 晴日とらんは、完全に虚を突かれた形になった。


「あなた……、あれが見えるの?」


 晴日が呟く。


 一矢報いる好機を、手負いの長虫は逃さなかった。蛇は、人間の胴ほどもある太い尻尾で、2人を吹き飛ばした。


 か細い声だけを残して、少女の華奢な体が宙を舞う。

 落下したあと何度か弾んだり転がったりをくり返し、ようやく停止した。

 2人が倒れるのと時を同じくして、校庭に巡らされていた、〈十絶陣〉の光の筋が、消失した。すでに日は、とっぷりと暮れていた。


「おい、大丈夫か?」


 影郎は、2人の元にかけ寄り、身をこごめた。


「こんのボケが! 何で早よ帰らんねん!?」


 らんが影郎を、きっと睨みつける。

 らんは自力で上体を起こし、立て膝をついていた。

 だが立つことはできないようすだ。左の上腕を、右手でかばうように抑え、痛みに顔を引きつらせている。


「らんちゃん……、1人で逃げて」


 晴日があえぐ。

 息も絶え絶えといった感じの、風音混じりの声だ。あお向けに転がったまま、微動だにしない。焦点の合わない目つきで、虚空を見上げていた。


「あかん。足ひねったみたいや。よう動かさん」


 らんは答える。


 そうこうする間にも、ヤトの神は3人に迫る。身を引きずるような足どりで、非常に緩慢にだが、確実に距離を詰めてきている。

 その目には、怒りの炎が燃えていた。


「あとちょっとやったんに……。邪魔されへんかったら、楽勝やったんに!」


 らんは目に涙を浮かべ、恨めしそうに言った。


 彼女のかこち泣きを見るまでもなく、影郎は罪の意識にかられていた。同時に、いま自分は何をすればよいか、思案した。


 2人を抱え上げて逃げるのは、明らかに困難だ。

 とはいえ、どちらか1人ならば、助けられそうだ。

 相手は満身創痍のようだから、いっそのこと、自分が徒手空拳で立ち向かっても、ひょっとしたら勝てるかもしれない。逃げるのが先決ならば、敵の息の根を止めなくても、動けなくなるまで痛めつければ、十分だ。

 それとも、この場は見なかったことにして、自分1人で立ち去るのが、最も安全か……。


――(わっぱ)意礼(おれ)が身()、しばし借り受けるぞ――


 そのとき、影郎の心の中で、野太くいかめしい声が響いた。

 直後に、何かが影郎の心の中に入ってきた。それまで彼を支配していた、後悔と戸惑いは、頭の片すみに引っこむ。それらに、瞋恚(しんい)と敵がい心が、とって代わった。


 影郎はおもむろに立ち上がる。操り人形みたいに、少しうつむいた格好で、だ。

 垂れたこうべの奥から、蛇をはったと見すえた。その体の周囲を、煙のような白い光が揺らめく。


『式神。あがうしはく(つち)を踏みしだいた、そのあがないをよこせ』


 影郎は、低い声で告げた。

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