9-C 映画館にて
一行は最初、映画館に入った。このとき、時刻は10時過ぎだ。
映画館というと、建物なりフロアなりに入ると最初、チケット売り場のある広いホールに至る。
そこはやたら天井が高くて、公開されている作品の予告映像が、巨大なモニタに映し出されている。また、ポップコーン、パンフレット、上映作品のグッズなどを販売する店が、一角を占める。
影郎たちはそのホールの、チケット売り場がある方向とは、反対側の壁に群がっていた。その壁に、現在または近日公開される映画のポスターが、貼られているのだ。
「どれを見よう?」
早月は壁からちょっと距離をとって、貼り紙を見比べる。
「こんなんどうや?」
らんはポスターのうち1つに近づいて、それを指さした。
全体的に黒色の割合が高く、あらすじやキャストなどは、白抜きで書かれている。タイトルは、赤くおどろおどろしい文字で「傀儡2」とある。
「なになに? 『村民わずか120人の閉鎖的な村・比野元村の人々は、理想を説く新入りの若者を、村の代表に推戴する。しかし、その直後から頻発する、きな臭い怪事件。村はやがて、破局への坂道を転がり始める。身近な所からひたひたと進む、日常の崩壊を描いたリアリスティック・ホラー、待望の続編』だって」
早月が、宣伝文を読み上げた。
「ダメ! これだけは絶対にイヤよ!」
晴日が早月と貼り紙の間に割って入り、壁に背を向けて立ちはだかった。
「何で?」
らんと早月が同時に尋ねる。
「分かってるなら、訊かないでよ!」
晴日は正面から答えようとしない。
「要するに、ホラーが苦手ってことか」
影郎には、それが意外でしかたがなかった。
平素は式神を少しも恐れず、まとめて焼き払う晴日が、作りものの恐怖映画に拒否反応を示すなど。
「違うの! 血が飛び出たりするシーンがダメなだけで、霊が怖いんじゃないのっ!」
晴日はムキになって、言いわけする。
(別に弁解する必要があるようなことじゃないだろうに)
影郎は思った。
「まあでも、別のにしましょう」
嶺はらんたちをなだめる。
「ちぇっ。しゃあないなあ」
「ざーんねん」
らんと早月は、いかにもしぶしぶ説き伏せられたようなリアクションをした。
2人とて、最初からこれを観るつもりだったわけではあるまい。
「早月が機械に弱くて、晴日がホラー嫌い……。らんにもそういうのってないの?」
影郎はさり気なく訊いてみた。
「そんなん知って何になるん?」
らんは、相当うっとうしそうに問い返してきた。
「いや、別に。笑えるような回答が帰ってきそうな気がしただけ」
逆に影郎のほうが、釈明の必要に迫られる。
「らんちゃん、少女マンガを読むと、もどかしくて、じんましんが出るんだって」
晴日があっさりばらしてしまった。らんは明らかに、知られたくなさそうだったのに。
「何じゃ、そりゃ!?」
影郎は、素っとん狂な声を上げる。発疹まで出るとは、どういう体質なのだろうか。
「あんたって奴は……」
らんはわなわなとふるえた。
「お?」
影郎は、別のポスターに目を止めた。
「タイビンの枯れ木の陰で」という題名らしい。
モノクロで、古びた雰囲気を演出するためか、あえて画質を粗くしてある。軍服を着た男たちが、民間人に銃を突きつけているようすが、写っている。
影郎は宣伝文を目で追う。
『その日、わたしたちの村は、地獄になった――。「ソクラテース」のオーランド・スタインと、「奈落のラグナロク」のノーマン・コープランドが手を組み、誰も知らないもう1つのベトナム戦争を描く。単に戦争の惨禍を訴えるにとどまらず、人権がいかに躊躇なく蹂躙され得るものであるかを暴き立てた問題作。「人類には、決して隠蔽してはならない負の歴史がいくつかある。これはその最たるものの1つだ」――ガブリエル・バーンズ』
「人見くん」
名前を呼ばれて、影郎はふり向く。その先にいたのは、嶺だった。
「何?」
「その、こういうのに興味を持つのは立派なことだと思うけど、今日はやめないかしら? 気分が暗くなりそうだし、戦争映画となると血も出そうだし。ね?」
嶺は申しわけなさそうに、おずおずと言う。
影郎だって、彼女の主張には全面的に賛成だ。
「いや、全くその通りだと思う。俺もただ目にとまっただけで、実際に観るつもりじゃなかったよ」
「ごめんなさいね」
(宇吹さん、やっぱり立派な人だな)
自分が注意されたにもかかわらず、影郎はかえって嶺に対し、好感を持った。
「これなんかいいんじゃない?」
嶺が別の貼り紙の前に立って、他の4人を手招きする。
彼女が指さしたのは、先ほどの2枚とは打って変わって、色彩的なポスターだ。オレンジ色の夕日と、黄金の砂丘が、美しいコントラストをなしている。タイトルは、「アラビアンナイト3D」とある。
「えっと、『ムンバイで生まれた気鋭の監督ソーラーブ・メータが、ハリウッドのVFXスタッフを率い、映像化不可能といわれた中東の傑作に挑む。北米では公開後1週間で、興行収入記録の塗り替えに成功した話題作』。へえ、これもいいね」
またも早月が、宣伝文を声に出した。
「ええやん、これにしよ」
「私もこれなら観たいわ」
他の者も口々に賛成し、全会一致でこの作品を鑑賞することに決まった。
影郎は内心、少々がっかりした。また誰かと誰かの意見がぶつかることを、期待していたのだ。
「ラッキーだわ。次の上映は15分後だって。チケットを買いましょ」
嶺を先頭に、5人はチケット売り場の前にできていた列につく。
それから3時間余りのち、影郎たちは映画を見終わって、ホールに戻ってきた。
「期待通りだったわね」
晴日は伸びをした。
「ハリウッド映画って、ストーリーが浅い印象があったけど、やっぱ原作つきは強いね」
早月はちょっとした批評家気分だ。
「3Dって酔いやすいんだな。俺ちょっと気分わるくなった」
影郎は、飲み残しのメロンソーダを空にする。
「大丈夫?」
嶺が心配そうに、影郎の顔をのぞきこむ。
「ああ。外の空気を吸えば、すぐに治る」
影郎にとっては、けさ頭痛を訴えていた彼女のほうが心配だ。
「それにしてもあのシーン、気持ちよかったわ」
らんがスマートフォンをいじる。SNSで、映画の感想についての投稿でも探しているのだろうか。
「ロック鳥に捕まって空を飛ぶとこ?」
晴日がらんの肩ごしに、画面を注視する。
「もちろん。ホンマに空、飛んどるような気分やったわ」
「象を抱えたまま舞い上がって、地面に叩きつけて食べるとか、すごい想像力だよね」
早月がそう言った後、4、5秒の沈黙があった。
「え、何? 人見くん? それどういうこと?」
嶺がいきなり、影郎に聞き返した。
「は? 俺、何も言ってないぞ」
影郎は、さっぱり意味が分からない。
「本当に? 今、『象を持ち上げて飛ぶ程度じゃ、大したことねえな』って言わなかったかしら?」
「言ってない。どう考えても大したことにしか思えない」
影郎は同意を求めて、晴日たちの顔を見る。
「ウチ、なんにも聞こえてへんで」
らんは言った。
晴日と早月も首を振る。
「おかしいな。空耳かしら」
嶺は首を傾げた。
「ま、影郎ならいかにも、言いそうな内容やけどな」
らんがちゃかす。
「悪かったな。日ごろネガティブなことばっか言ってて」
「何や、あんた。自覚あったん?」
「くう……」
影郎はじだんだを踏んだ。まんまとらんの誘導に乗ってしまったことに、気づいたからだ。
「もうとっくにお昼だね。ちょっと遅いけど、どっか食べに行こ」
早月は腕時計をちらと見た。
こうして5人は、映画館を後にした。




