9-A 週末の約束
6月の頭に、またも席替えが行われた。その結果、影郎は最前列ど真ん中の席を引き当てた。
晴日、らん、早月などは全員ばらばらの位置で、いずれも影郎からは遠かった。
この月に影郎たちが対峙したのは、饕餮ばかりだ。毎回10匹から20匹の群で現れるのだが、決まってものの数秒で、決着がついてしまう。
式神がトウテツだと分かった瞬間、晴日たちは、露骨にかったるそうな顔をする。何せ、晴日の〈アグネヤストラ〉、らんの〈烈焔陣〉、早月の〈松明〉と〈ナナカマド〉のうち、どれか1発でも決まれば、まとめて焼き払える程度の相手なのだ。
ただし、戦えない影郎に対し、例外なく集中攻撃を試みる底意地の悪さだけは、3人の恐怖の的だった。
日増しに退屈さを募らせていく晴日たちを見て影郎は、立て続けにトウテツばかり送りこんでくるのは、何かしらの心理的効果を狙ってのことではなかろうか、と怪しんだ。
もちろん、油断は禁物だとは、3人にすでに伝えてある。
6月も下旬に入ると、学校では1学期期末試験の準備をする者が、ちらほらと見られるようになった。
月曜日の休み時間、影郎は後ろを向いて教室中を見回し、そろそろ自分も試験勉強を始めたほうがいいのだろうか、などと考えていた。
そういう彼自身の机には、〈鬼道〉に関する本の写しが置いてある。授業が終わるや否や、引き出しの中から抜きとったのだ。
不意に前方から、誰かが肩を叩いた。
元の姿勢に戻ると、その先には3人の邪悪な魔法使い。……ではなくて、見慣れた3人の顔があった。
影郎の肩に手をのせているのは、藍色の瞳に、長いブロンドの持ち主。――早月だ。
3人の後ろには、ウェーブのかかった髪を肩まで伸ばした、トビ色の瞳の少女もいる。宇吹嶺だ。
「何か用?」
影郎は今さらながら、自分は喋っている相手が女性だというだけで、一言一言が短くなってしまうことに、気づいた。
以前にらんから、寡黙だと指摘されたのも、道理だ。
「来週の土曜、ヒマ?」
らんが影郎の机に両手をついて、体重をかけた。
このようなことを訊かれれば、いくら影郎だって、遊びにでも誘われるのではないか、と期待してしまう。
そして今回に限っていえば、それはほどなく、実現した。
「特に予定はないけど?」
「じゃあ、街に行こうよ」
早月が言った。
「街ってどこ?」
影郎は内心、飛び上がらんばかりだった。結論はすでに出ている。
だが、あけすけに嬉しがると変に見られるなどと考え、わざと用心深く、探りを入れるかのような対応をとったのだ。
「それもこれから決めるの」
晴日が、スマートフォンを手にとる。
影郎はこのとき初めて、晴日が髪を2つに束ねていることに、意識が向いた。
早月が帰国する前後から、いく度か目に入ってはいた。しかし、影郎はこれまで、気にとめたことがなかった。
「で、どうするん? 来る? 来ぉへん?」
らんが答えを迫る。
「じゃあ……、行く」
影郎はちょっと悩むふりをしたのち、ゆっくりとうなずいた。ややこしい奴だと、自分でも思った。
「次は行き先ね」
嶺が晴日、らん、早月の顔を順に見た。
「それはもう決めてあるわ。海浜幕張にしましょう」
晴日はスマートフォンの画面を、他の4人に示した。活気ある街のようすが写っている。
「吉祥寺なんてどうや? 最近おシャレな店とか、増えてきとるみたいやで」
ほぼ同時に、らんもスマートフォンを突き出す。
「…………」
晴日とらんは、互いに顔を見合わせた。
「別にそこまで強くこだわってるワケじゃないけど、予報だと東京よりも千葉のほうが、天気がいいみたいよ」
「ウチかって、千葉のそこが絶対イヤっちゅうんやないで。けどさ、『ちょっと見るモン少ないんちゃうかなあ』思うねん」
いずれも、妥協があり得る旨を示唆しつつ、自己の主張を譲らない。
「土曜は海浜公園で、ジャズのイベントがあるそうよ」
「吉祥寺やったら、割とラクに中野とか八王子とかにも行けて、時間余ったら1日で2か所回れるで」
「らんちゃんたちって、3人のうち、絶対に誰か2人は衝突するわよね……」
嶺は心持ち、呆れ気味だ。
「確かに」
影郎も、これまでに何度か、そういう状況に遭遇したことがある。
「みんなはどっちがいい?」
晴日とらんは、影郎たちに意見を求めた。
いずれそうなる気が、影郎にはしていた。
「俺どっちも行ったことないから、どっちがいいか全然分かんない」
影郎は即、棄権した。
「あんた、阿佐ヶ谷に住んどるんやろ? 吉祥寺にも行ったことないん?」
らんは、愕然とした表情を浮かべる。
驚くこと自体はむりもない気がする。が、その顔はいくら何でも大げさだろう、と影郎は思った。
「ない。自慢じゃないが」
「私、どっちでもいいわ」
嶺は影郎にならった。
もしも彼女と早月の票が分かれると、2対2になって、収拾がつかなくなる。それを危惧したのだろう。
「早月ちゃんは?」
晴日は早月の顔をずいと見る。影郎だったら、たじろいでしまいそうな剣幕だ。
「何? ボクにキャスティングボート投げさせてくれるの?」
早月はちょっと、ニヤニヤしている。
「そうゆうこっちゃ。ズバッと入れたって」
らんが促す。
「ダメだよ、軽々しく他人にそんなの握らせちゃ」
早月の笑みが一段と強まる。
「早月ちゃんだからいいの!」
晴日は、じれったくなっていると見える。
「ふふっ。そう?」早月は嬉しそうに笑った。「じゃあ、今回は吉祥寺にしよっ。受験が終わった直後は木更津へ行ったから、今度は東京ってことで」
「おっしゃ!」
らんは右手を握り締めて、ガッツポーズをした。
「早月ちゃん、いつの間にらんちゃんに買収されたの?」
晴日は不信感もあらわに、早月を見つめる。
「ち、ちょっと待って。ボクにならキャスティングボートを託していい、て言ったの晴日でしょ? しかもしばらく1人になってたのボクだから、買収するなら晴日がらんをでしょ」
早月は、大慌てで弁明を試みる。
晴日は破顔一笑した。先ほどの険悪な目つきは、演技だったのだ。
「というか、行き先でもめるんだったら、別々に行けばいいんじゃないか?」
影郎は突っこんだ。
「それじゃ意味ないやん。欲しいモン買うだけが目的なら、通販ですますわ」
らんがすぐさま言い返す。
「それにね、土曜の降水率は東京だと30パーセントだから、晴日ちゃんがいないと、らんちゃんは外出できないの。ねー?」
嶺はらんのほうを向いた。
らんはきまりが悪そうに、嶺と目を合わせまいとする。
「どういうことだ?」
影郎は、事情が全く飲みこめない。
「あ、聞いてなかった? らんって重度の雨女で、逆に晴日は、超がつくほどの晴れ女なんだよ」
早月が説明した。
「というと?」
「えっとね、降水率が30パーセント以上の日にらんが外出したら、決まって雨が降るんだよ。で、60パーセント以下だと、晴日が外にいる間は、なぜか雨が止むの」
「あっ! どうりで」
「何か、心当たりがあった?」
影郎が思い出したのは、4月に晴日が学校を欠席して、自分とらんがその見舞いに行った、帰りのできごとだ。
雨に降られてネブラスカ・バーガーに逃げこんだとき、らんが朝のニュースで降水率が何パーセントだったか、訊いてきた。影郎が30パーセントだと答えると、らんは意味ありげに、「しもうたな」と呟いたのだ。
だけど、待てよ?
「じゃあ、晴日とらんが同時に外出したら、どうなるんだ?」
矛盾の故事を知っていれば、必然的にこの疑問が生じる。影郎とて、例外ではない。
「その日の降水率によるよ。30だと8回とも晴れ、40だと11回中3回雨、50だと7回中3回雨……」
早月は、メモ帳に目をやりつつ言った。
「いちいち統計をとってるのか……」
「統計っていうほどのものじゃないよ。標本の大きさが、お話にならないんだもん」
「まあとりあえず、明日の降水率は30だから、晴日ちゃんがいれば大丈夫よ」
嶺がちらとらんを見た。
「人のこと、疫病神みたいに言わんといてくれる?」
らんは複雑な面持ちだ。
「けどさあ……。それだったら、晴日はらんの足下を見て、もっと自分の主張を強く通せばよかったんじゃないの?」
影郎はさらに追及する。
「そんなことしたら晴日、二度とらんに誘ってもらえなくなるじゃん。それに2人とも、話そのものを楽しんでるだけで、行き先にはそんなに関心はないよ」
早月はメモ帳をカバンに入れた。
(面倒臭い奴ら……)
そう思いながらも、ふり回されるのがマンザラでもない影郎であった。
待ち合わせは、吉祥寺駅北口に、午前9時と定められた。
嶺は最後に、夜から体操部のミーティングがあるので、夕方までしか一緒にいられないことを、言い添えた。




