8-C トコヨの神との戦い
5月はほとんど、式神が来なかった。ヒダル神以後、この月に唯一戦った相手が、虫の幼虫に似た姿の式神だ。
同月下旬の火曜日、晴日、らん、早月、影郎の4人は、東京都日野市のほぼ北端、立川市との境界付近に来ていた。
多摩川の右岸で、先月鬼女と戦った場所よりも、かなり上流に位置する。今回も、足下は芝生だ。
この日は、小雨が降っていた。
早月は青のダッフルコートを、前回と同様にマントのように羽織るのではなく、全てのトグルをとめた上で、フードもかぶっていた。
膝下まで達する、丈の長い外套は、いかにも魔術師のローブのような印象を与える。フードに隠れて見えないが、今回もポニーテールを下ろして、三つ編みにしていた。
影郎は、黒い狩衣と指貫を、身にまとっている。
いつものように、らんが〈十絶陣〉を敷く。
中央の区画に、4人は陣どった。陣を維持し、制御するらんが真ん中。その両脇を、晴日と早月ががっちり固める。
今回、彼らの前に現れた霊は、一言でいえば巨大な芋虫だ。
体型は、芋虫と聞いて真っ先に連想される、ずんぐりしたものだ。
体節の数は、10余り。
地の色は黄緑だが、背中に黒い横じまが走る。縞には、オレンジ色の点が見られる。
人間の胴体よりも、かなり太い。長さは少なくとも、2メートルにはなる。
約言するに、キアゲハの五齢幼虫を巨大にしたようなものだ。
通常の大きさならば、よく見えないような小さな器官や、その微細な動きが、この大きさになると、はっきり分かってしまう。
晴日にとって、気持ちが悪いことこの上なかった。
「常世神か」
らんが言った。
「まず間違いないね」
早月が同調する。
「じゃあ、五行四大は土よね。木の魔法が効くわ」
晴日が他の2人を見回す。
「全員で木ぃの魔法、使うてみるか。比和の関係にある魔法を同時に撃ったら、互いを補強し合うて、個別に放つんよりも、トータルダメージ大きなるで」
「それでも大丈夫だと思うけど、万一たおしきれなくて、反撃されると怖いよ。ヒダル神のときみたいに、タイミングをずらさない?」
早月は慎重派だ。
「晴日はどう思う?」
らんが晴日の目を見やる。
「私は……、らんちゃんの案でいいと思う。あの芋虫、敏捷そうには見えないし」
晴日はらんを支持した。
「じゃ、そうしよっか。せーので行くよ」
2対1に分かれた時点で、早月はあっさりと自論を撤回した。これはいつものことだ。
作戦会議は、1分たらずで終了した。
トコヨの神はまだ、〈十絶陣〉の外にいる。
早速らんは、桧扇で〈十絶陣〉を変形させた。
トコヨの神が目指す区画、すなわち晴日たちの正面に、第3の陣〈天絶陣〉を展開する。
晴日は圈を手にとり、帝釈天に奉献された呪文を口ずさむ。
――神官たちよ、其神にお神酒を供しなさい。其神は欲しておられます。其神は総てを知暁され、なす所に一切の不足は見られません。たやすく贄を手にされるでしょう。何人にも追従することのない、森厳なる祀典の主宰者は。
底知れぬお神酒の空け手のみ前に進み出なさい。お神酒のつゆと共に。剛健なる震霆の覇者のみ前に。あふれんばかりのお神酒で満ちた器を手に。
あふれ出るお神酒を手に、いましが其神のみ前に進むときには、聡明なる震霆の覇者は、いましの願いを知り抜いておられます。そして敵の鎮圧者は、定めてそれを叶えられます。どのようなことを望もうとも。
神官たちよ、其神に供物を捧げなさい。そして其神が何時も、克し得るいかなる敵の悪意からも、僕どもをお守りくださらんことを――
晴日の円盤は〈マヘンドラストラ〉を宿し、薄紫色に輝き始めた。
早月もフレイルを構える。
その周りを、硬貨よりもふた回りほど大きい、20個を下らぬ輝石が輪のようにとり囲み、回転した。
同時に、木の枝らしきものがおよそ20本現れる。それはルーン・ストーンの輪と交差する、別の円になって回り出した。
いずれも、長さと太さは早月の中指と同程度だ。
「今回は〈樫〉だね」
早月の言葉に呼応して、枝の円から1本が抜ける。枝には、2本の長い縦線と、これに対して左から下ろされた、2本の短い垂線が刻まれている。
枝は早月が持つ振り杖のうち、その手に握られていないほうの棍に、セットされた。
トコヨの神が、〈十絶陣〉に入りこむ。
「行くよ。……せー」
「……のー」
「……でっ!」
らんは、桧扇の先で天を指し示し、それを式神のいる方向に向けて、一気にふり下ろす。
敵の真上に稲妻が発生した。〈天絶陣〉の雷だ。
晴日は〈マヘンドラストラ〉、すなわち帝釈天の矢を投擲した。
環は周囲に電流をまとい、敵めがけて突進する。
早月は得物をふるう。
〈ダル〉が装着された棍もまた、晴日の〈アストラ〉と並んで霊に迫った。
3つの雷の魔法は、同時にトコヨの神に到達した。その瞬間、辺りを真っ白な光が包み、爆鳴が響いた。
晴日は音圧で、体が跳ね飛ばされそうになった。
光が止むと、トコヨの神の姿はなかった。ただ、たった今までそれがいた地点の草が黒く焼けこげ、煙を上げていた。
「終わったね。それじゃあ、帰りますか」
早月が晴日とらんに声をかけた。
「影郎、行きましょう」
晴日は後ろをふり向く。
そこで、影郎はやや険しい顔をして、突っ立っていた。
何を考えているのかは、晴日には推し量れない。だが少なくとも、3人ほどいい気分でないのは明白だ。
「どうしたん?」
らんが尋ねる。
「お前ら、つくづく恐ろしいな」
影郎が微動だにせず呟いた。
「それさあ、ふつうの人間に言われたって何とも思わないんだけどね……。よりによって、同じ魔法使いから言われたかないね」
「っちゅーか、ウチからしたら、〈帰神法〉が発動しとるときのあんたのほうが、よっぽど怖いわ。ウチらがよう倒さんモンを軽々と倒しよるし、おまけに頭と手ぇ、ダラーンってなっとるし」
早月、次いでらんがやり返した。




