1-B 入学式
時系列は、同日の朝までさかのぼる。
この日は台東区にある、東京成鸞館高校の入学式だ。ために、学校の敷地の中と周辺では、真新しい制服を着た新入生が、至る所に見受けられた。
都会の高校ともなれば、一般に、長い並木道など付属しないものだ。しかし並木道の代わりは、上野公園がよく務めた。上野駅を出た後、公園を突っ切ると、学校までの近道になるのだ。
上野公園というと、この時季は、花見客で足の踏み場もないありさまになる。
ところが今年は、例年と比べ、桜の開花がずっと早かった。それで、4月に入ったころには早くも、8割がた散ってしまっていた。
おかげでこの日、園内は比較的閑散としていた。
大抵の新1年生は、保護者なり、同じ中学校から進学した同級生なり、はたまた予備校の講師なり、誰かしらと一緒に歩いている。
だがその中に1人だけ、連れ合いのいない者がいる。人見影郎だ。
彼は上野公園を通り過ぎる間ずっと無言で、成鸞館の校門を抜けるまで、顔色ひとつ変えなかった。
校門と玄関口の間に、ちょっとした空間がある。ちょうど、キャッチボールができそうな広さだ。
影郎がそこを半分ばかり通過したとき、不意に誰かが、彼の真ん前を斜めに横切った。影郎の右後方から、左前方へと滑りこんだ。
それは、1人の女子生徒だ。ぱっちり開いた大きな目と、首筋にもかからないくらいの短髪が、快活そうなイメージを醸す。
気分が高揚したそのようすから察するに、彼女も新入生のようだ。
「みんな、ここで写真撮ろう!」
その女の子は何かを指さしながら、いまだ影郎の後ろにいる3、4人の女の子に向かって、関西弁のイントネーションで呼びかける。
指し示す先は、1本の木だ。
広場の脇に設けられた植えこみに、それは立っている。他の植え木よりも、突出して大きい。傍らには、「東京成鸞館高校開校記念 昭和56年植樹」と書かれた立て札がある。
「もう。らんちゃん、邪魔になってるわよ」
影郎の後ろから別の少女が、先ほどの子をいさめた。
こちらは、うるんだまん丸い目の持ち主。肩甲骨のいちばん下の辺りまで、髪を伸ばしている。どちらかというと、大人しそうな印象を与える少女だ。
「あら? ごめんなー」
らんと呼ばれた女の子は、影郎のほうを向いて、片手だけ合掌するときのように、垂直にして見せた。
「あ、ああ」
影郎は一言、これだけ発した。
先刻から少しも喋らずにいたせいで、喉がざらざらして、声が出にくい。
「晴日も早く入って」
別の女子生徒が、スマートフォンを振る。
「はあい」
晴日と呼ばれた子、つまり先ほどらんに注意していた長髪の女の子は、影郎の邪魔にならないよう、その後ろから植えこみに立ち入った。
「ほら、嶺も早く」
スマートフォンを持つ子がなおも、二言三言口にする。
それを尻目に、影郎は足早に、校舎の中に入っていった。もしも写真を撮ってほしいとせがまれたら、面倒だ。
「早月ちゃんもいたらよかったのに。一緒に写りたかったな」
「ホンマやな」
女子の一群は、まだ影郎の後ろで騒いでいた。




