4-E 残業
影郎たちは、新木場駅までひた走った。
そこから電車に乗って、結果報告のため帝室庁を目指した。
ホームや車内で、晴日とらんの着物を見て、「あら可愛らしい」とか、「風流だなあ」などと言う人はいた。しかし、誰一人彼らを怪しみはしなかった。
3人が典儀課に到着したとき、時刻は午後8時前だった。
オフィスでは桜井辰午が、コンピュータでテレビを観ていた。
テレビでは、特別報道番組が流れていた。「お台場近くで謎の爆発か!?」とのテロップが踊る。
画面の中央には、スマートフォンで撮影されたと見える、縦長の画像が映されている。
ビルとビルの間で真っ白な光が膨れ上がり、2、3回明滅して止んだ。
今度は炎が上がり、夜空を赤く照らし出す。煙がもくもくと立ち上る。
そのうち火炎が、ごく狭い地点とその上空に集まってゆき、渦を巻いているみたいになった。
それは1分かそこら荒れ狂ったのち、消えてしまった。
火や光の大部分が、ビルの陰に隠れている。このことから映像は、現場からかなり離れた場所で撮られたものだと分かる。
「すげー! こんなの初めて見た」、「これってヤバいんじゃね?」、「テロでもあったのかな」などといった声も、収録されている。どうやら、撮影者が吹きこんだものらしい。
「ずい分と、ハデにやってくれたね……」
辰午が晴日たちのほうを向いた。
怒っているふうではない。が、「ややこしいことが起こった」、といった表情をしている。
「ごめんなあ。晴日が前回のうっぷん晴らしも兼ねて、景気よくぶっ放し過ぎてん」
らんが右手を、合掌するときのように立てた。
「わ、私のせいにするのっ!?」
晴日が、肩をびくつかせてらんを見る。
「あの……」影郎が辰午に尋ねた。「何が問題なんでしょう? 特に何か壊したわけではないのに」
「ああ、いやね。爆発は一応、『帝室庁の職務を遂行する過程で』起こったことに、変わりはないでしょ? だから、マスメディアが原因を追及していくうちに、帝室庁の存在にぶつからないとも限らないからね。――まあ大丈夫だとは思うけど」
辰午は、見たところそこまで深刻そうな態度ではない。
「帝室庁のことを一般人に知られるのがイヤなら、いっそ報道管制とか敷いたらいいんじゃないですか?」
影郎が重ねて問うた。
「おいおい。どうやって規制するつもりやねん? テレビ局に頭下げて、『帝室庁のことは国民に知らせんといてくれます?』とでもゆうん?」
らんは、何かを期待でもしているかのように、にやついている。
「うーん……。例えば、報道した記者を逮捕する、とか?」
具体的な方策として、影郎にはこれくらいしか浮かばなかった。
「あんた正気か? ここ日本やで。いくらお上でも、そんなことできるワケないやん!」
「え? え?」
影郎はまだ、らんが何を言いたいのか、飲みこめない。
「報道の内容を理由に、記者を逮捕するなんて、ゲシュタポと一緒やん。ただでさえ日本、『花見の風習は特攻隊の象徴や』とか、『ランドセルや修学旅行は軍国主義教育の象徴や』とか、難クセつけられとるんやで。この上やることの中身が、ナチスとおんなじとかゆうたらどうなる? 形だけ戦前のマネするんとは、比べモンにならんくらい、ヤバいで」
「えっ、そうなの? そりゃ困るな」
影郎は己の不明を恥じた。
「過激なことゆうやっちゃなあ、ホンマ」
らんがなおも追撃する。
その目はさも、せっかく見つけたからかうネタを、みすみす逃してなるものか、とでも言いたげだ。
「危険だわ。これからはちょっと離れて歩きましょう」
晴日までが悪乗りをする。
「まあ、外国からの誹謗がどうとか、ナチスがやったからダメとかいうのよりも、問題の所在は、もっと地味で身近なものなんだよね」
辰午が言った。
「え、そうなん?」
らんも知らなかったようすだ。
辰午が語り始めた。
「選挙をする意味がなくなっちゃうんだよ。これは架空の例だけど、もしも与党は原発を稼働させたいと思ってて、野党は停止させたいと思ってたとするよ。それで仮に、新聞やテレビなんかで、『原発はなくしたほうがいい』とか言うのを、国が禁止できたとしたら、選挙じゃ野党が圧倒的に不利だよね。せっかく高い費用を出して選挙してるのに、実質的に一党独裁と変わらない、とかいったら泣けてくるでしょ? だからふつうの国なら、誰でも好きなように言いたいことを言える状態は、確保してるんだ」
「『原発をなくしたほうがいい』みたいな社説とかを禁止したらマズい、というのは分かりました。でも、『今夜お台場で爆発がありました』みたいな、単なる事件の報道を制限するだけなら、そういう心配はないんじゃないですか?」
「うーん。誰にも指摘されずに、自分でその点に気づくなんて、すごいじゃないか。現に大学の講義とかでも、教えられてることなんだよ、コレ」
そのあと辰午は、架空の例をいま1つ引き合いに出して、説明した。
それは次のようなものだ。
――ある日、どこかで大地震が起こって、あちこちの建物が倒壊したが、自衛隊が迅速に出動して救助に当たり、多くの人命が救われたとする。
しかし同日、別の地域で、護衛艦が漁船と衝突して漁船が沈み、乗っていた人が死んでしまったとする。
もしもこのとき、地震のニュースを大々的に報じる一方で、漁船のニュースには少し触れる程度ですませば、それによって間接的に、「自衛隊は人の命を救うのが任務だから、存続させたほうがいい」、というメッセージを送ることができる。
逆に、漁船の件を大きくとり上げて、地震の件を軽く流せば、「自衛隊は人殺しのような集団だから、解散させるべき」、と言うのと等しい効果が出る。
また、仮に漁船の事件が、「進行方向に照らせば、護衛艦が優先であって、漁船が停まらなくてはならないケースだった」、という事情があったとする。同じように漁船のニュースを報じるのでも、この点を強調するか黙殺するかによっても、異なるメッセージを発信できる――
「まあそういうワケで、事実を淡々と報道するのに関しても、社説と同等の自由を保障しなくちゃいけないんだ」
「けどそれやと、報道される内容に、偏りが出るんとちゃう?」
今度は影郎ではなく、らんが指摘した。
「というと?」
「テレビ局が自分らの主義主張を後押しするようなニュースばっか流して、ホンマに視聴者が知りたい情報は、ことの重大さに関わらず提供せえへん、みたいな。国にとって都合の悪い報道をさせへんのはあかんとしても、中立の立場から番組つくるくらいは、義務づけてもええんとちゃうん?」
「そういう意見ももちろんあるよ。現に電波法にも、努力義務だけど、そういう趣旨の規定はあるし。でも個人的には、番組は偏っているのが当然、というか中立であることは原理的に不可能だと思う。放送時間には限りがあるんだから、とり上げる事件を取捨選択する過程で、どうしても作為が入るしね。それに、中途半端に中立だと信頼するから、視聴者はニュースをう呑みにするのであって、『局にもそれぞれの立場がある』っていう認識が広がれば、みんな『どこの局が本当のことをいっているのだろう』って、考えながらテレビを観るようになるでしょ?」
「へえ」
「まあ、大学で専門的に研究しているような人たちの間でも、争いのあるところだから、僕の個人的な見解だってことは、改めて強調しておくけど」
らんと辰午が話している間も、テレビの番組は、爆発の報道で持ち切りだった。辰午が自衛隊のたとえ話を終えたときは、どこかの大学の教授がスタジオに呼ばれ、「小規模な火炎旋風が発生した可能性がある」などと言っていた。
『森林火災などで、一帯の酸素が短時間で消費されると、周囲から風が吹きこんできて、上昇気流が発生します。その上昇気流に乗って炎自体も舞い上がり、あたかも炎の竜巻のような状態になることがあります』
教授が大マジメに解説する。
(さすがに、これじゃないだろう。でも、これと間違えられるようなものを発生させた晴日って一体……)
影郎の全身を、悪寒が走った。
このあと番組は、関東大震災のときに実際に発生したという火炎旋風を、CGで再現したものの映像を流した。
「ほんじゃ、記録つけるかな」
らんは別のコンピュータを立ち上げ、表計算ソフトウェアのファイルを開いた。
出てきたウィンドウのいちばん上には、年月日、式神、数、決まり技、備考、といった項目名が、網かけで書かれている。
らんは素早く、画面を下から上に送った。
セルが埋まっているいちばん下の行には、入学式の日付のほか、夜刀神、1、〈帰神法〉、などと打ちこまれている。
らんはその1つ下の行に、今日の日付、トウテツ、10から20、〈スルヤストラ〉と打った。
「晴日、いちおう確認して」
らんは机から少し離れ、画面を見るよう晴日に促した。
「うん、大丈夫。合ってる」
画面を一瞥して、晴日はうなずく。
「業務日報みたいなのも、つけてたんだ」
影郎も、画面を注視した。
「そりゃそうや。それから――」
らんはオフィスの壁際に寄せられた、アルミニウムのラックから、ぶ厚いファイルをとり出し、机の上に置いた。
ファイルはA4サイズの用紙をとじられるものだ。
電話帳よりも厚みがある。いくつかのページに、ふせんが貼られている。
らんは、ふせんのついたページの1つを開く。
そのページには、夕方戦ったのとよく似た人面の羊の図や、それについての解説がのっていた。いちばん上に、ひときわ大きな字で、「饕餮」と見出しがそえられている。
らんがそのページをめくると、次のページは表になっていた。年月日と、魔法の技と思しき名前が、びっしりと手書きされている。最後の部分には、今年の2月24日と、〈ケン〉という文字がある。
らんはその下の欄にボールペンで、今日の日付と、〈スルヤストラ〉との文字を書き加えた。
「これな、おばーちゃんがまとめたんやで。5年くらいかけて」
らんはファイルの別のページを開いた。
そこには、入学式の日に見たような、角のある蛇の絵がのっている。見出しには、「夜刀神」とある。
「これと同じファイルが、全部で6つあるのよ。世界中の伝承に出てくる怪物とか精霊とかの、図と情報がのってるの。初めて戦う相手でも、対策が立てやすいようにって。今までこれに、何度たすけられたか知れないわ」
晴日が言った。
影郎は、表計算ソフトウェアのファイルや、いま目にしているファイルの表に、戦ったとき使用した魔法の名称も書き記してあった理由を、理解した。
相手の弱点を記録するためだ。
「あと、もう1つ訊いていい?」
「何や?」
らんがファイルを閉じる。
「ヤトの神とかいうのと戦ったときも、けっこう炎が上がってたよな。けど、あれは別にニュースにならなかった。それは何で?」
「ああ、それ? 〈十絶陣〉のおかげや。ほら。戦う前、ウチ『周りから〈気〉ぃ集める』とか、ゆうとったやんか。〈十絶陣〉はその辺一帯の気ぃを中にかき集めて、種類ごとに9つの区画に配置するんや。やからあれの中やと、同じ性質の気ぃの濃度が、ほかの場所よりもめっちゃ高なるねん。逆に〈十絶陣〉の周囲は、異常に気ぃの濃度が低い、と」
らんはさっき使ったコンピュータを、シャットダウンする作業に入る。
電源を切る間、晴日が続きを話した。
「でも自然の状態だと、気の濃度はあそこまで、極端に上がったり下がったりしないわ。それで、この多すぎるか少なすぎる気が、人にはものすごく不快に感じるの。〈十絶陣〉に近づいたり、ましてや中に入ったりすることは、あり得ないわ。敷く前からいた人は『ここにいると、何となく気分が悪い』って感じて、離れていくのよ」
「仙骨のあるモンは、『何かがいつもと違う』っちゅう程度しか、感じへんねんけどな。多分、こうゆうことに対して、耐性みたいなモンがつくんとちゃうかな?」
らんは、コンピュータの電源が完全に落ちたことを、確認する。
「で、今日は爆発の規模があまりにも大きすぎて、仙骨がない人間でもいられるくらい遠くからでも、見えてしまった、と」
言いながら影郎は、あることを思い出していた。
それは、晴日たちがヤトの神と戦ったあと、影郎を辰午に会わせたときに、彼が魔法使いだと思われる理由の1つとして、彼が〈十絶陣〉の中に入れた点を挙げていた、ということだ。これも、今2人がした話と、整合する。
「そゆこと」
らんが答えた。




