4-D トウテツとの戦い
翌日には、晴日は全快して登校した。
それから何ごともなく1週間が過ぎ去り、日曜日になった。らんの予告した、式神退治の日だ。
影郎、晴日、らんの3人は、江東区の南端にある、埋め立て地に来ていた。
時刻は午後6時前。空が暗くなっていくころだ。
付近に倉庫や工場といった、産業関連の施設が密集する中に、ポツンと巨大な空き地が存在する。広さは東京ドームにして、約4つ分だ。
敷地内に、建物は1つもない。雑草が生い茂り、広大な荒れ地と化している。
そのちょっと南は、海だ。
影郎たちは、その真ん中に陣どった。
「でかいなあ……」
影郎が驚嘆して、辺りを見回す。
「ここは国有地やからな。ウチらがいくら暴れても、怒られへん」
らんが笑った。
「SSSの活動のために用意された、とか?」
「なワケないやろ。大方、何かの施設を作るために国の所有にしとるけど、予算が足りへんくて放置されとるとか、その辺ちゃう?」
らんが肩をすくめた。
晴日はまた、学校の教室にいるときと同様、あまり喋らない。
彼女が饒舌になる契機を、影郎はまだ把握しかねていた。
「ところで、何でそんな格好をしてるのか、訊いていいか?」
影郎が、2人の同僚に尋ねた。
晴日とらんはこの日、入学式の夕方と同じ着物に、身を包んでいた。
晴日は、直綴をイメージした赤色の服。らんは、狩衣と指貫に似せた、黄色の衣装だ。
「イメージを固定するため、かな」
らんが答える。
「イメージ?」
影郎は目をしばたたかせた。
「魔法に限った話ちゃうけど、人が目的を達成しようとするときに重要なんは、望ましい状態を、具体的に思い浮かべることねん。どれだけ強う願うかとか、結果の到来を確信するかやのうて、どれだけ詳細なイメージがわくかが重要なんや」
「聞いたことない? 入試とか資格試験を受けるときは、志望校にかよったり、憧れの職種で活躍する自分の姿を思い描いたりするといい、とか。すごい発明や発見は、『あれをこうするにはどんなにしたらいいんだろう?』って長年考えてたら、ある日とつぜん夢の中でアイデアが浮かんで見つかることがある、とか」
晴日がつけ加えた。
「ああ、入試の話は聞いたことがある」
影郎は、側頭に右手をやる。
「で、魔法のコツもイメージねん。自分が何をしたいかを明確にするんが、何よりも大事。やから、魔法を使うときに身につける服を決めといて、実際に使うときは、その服着て雷を落としたり、風を吹かせたりする自分の姿を思い描いたらええ、ちゅう理屈や」
「ふーん」
影郎は腕をくんで、頭を2度振った。
「影郎くんにも、そのうち衣装が支給されると思うわよ。だから、どういう格好だと、自分がそれを着て、魔法を使うところを想像しやすいか、今のうちに考えといてね。恥ずかしくて、思い浮かべるのさえ躊躇するような服はダメよ」
「まあ、あんたがええんやったら、ミクラちゃんみたいなハデなコスチュームで来てくれても、ウチはかまへんで」
ミクラという名前に、影郎は聞き覚えがあった。
確か、入学式の翌日に、真具那が列挙したマンガの題名の1つだ。正式には、「魔法少女申命記ミクラ」。
「お前、そんなの読んでたのか」
影郎は、露骨にイヤな顔をした。
「いや。今朝テレビつけたら、たまたまアニメやっとってん」
「ああ。何だ、びっくりした」
興味はない、と知って影郎は安心した。
改めて、彼は2人の衣装を、しげしげと眺めた。
いずれも着物姿で、特に宝石やリボンといった類のものは、つけていない。卒業式や成人式のような晴れの場はもちろん、それ以外のときでも、これを着こんで外を出歩いて、恥ずかしいことはない。
和服に詳しくない人ならば、「歌舞伎でもやっている家柄の子なのかなあ」とでも思うことだろう。
「さてと。ほなそろそろ、〈十絶陣〉敷こか」
らんは桧扇をとり出した。
閉じた状態のそれを右手に持ち、腕をまっすぐ前に伸ばす。そしてその場で、ゆっくりと1回転した。
90度おきに、らんは一瞬だけ、動きを止めた。
扇が向けられた方向では、地面の上に、白い直線が現れる。それは淡い光を放っていた。
らんがぴたりと静止するたび、ラインは直角に折れ曲がる。
らんが1回転すると、白い線は真四角につながった。
最後に彼女が桧扇を開いたとき、縦と横のラインが2本ずつ、格子状に引かれ、図形は9つの正方形に区画された。
かくして、入学式の日の夕方、影郎が目撃した光の陣が形成された。
ただし、高校のグラウンドいっぱいの広さだった前回のものよりも、今回の図形のほうが、格段に広い。いま敷設された陣は、広い空き地のほぼ全体を、覆っている。
次いでらんは、再び扇を閉じ、右腕を真上にふり上げた。
そして空をかき混ぜるかのように、手を回した。上から見て、反時計回りの方向だ。
影郎を包む空気の質が、さっきまでと打って変わったことが、彼にも分かった。
空気が重く張りつめ、何だか耳が痛い気がする。
高層ビルの最上階から、エレベータで1階に降りたときの感じに似ている。だが、それとも若干ちがう。
「何だ、これ?」
「違和感するやろ? これな、周りの〈気〉ぃを陣の中に集めとんねん」
らんが影郎のほうを見た。まだ、手を高々とあげている。
「〈気〉?」
影郎は問う。
「まあゆうたら、一種のエネルギーやな。国によって、マナとかプラーナとも呼ぶけど」
らんはようやく、扇を下ろした。
「事象を制御する魔法を使うためのエネルギー源。でも、ふつうの人間にも影響するわよ。〈気〉の流れが滞った場所に長くいると、不運に見舞われるし、逆にたくさんの〈気〉を浴びた人は、一時的に常人離れした力を発揮したり、カリスマを帯びたりするの」
晴日が詳細に説明した。
そのうち、日はすっかり暮れた。
空は大都会の明かりに照らされてか、黒に染まりきっていない。雲こそまばらだが、星は1つも見えない。
影郎たちは、西の方角を向いた。3人とも真ん中の四角にいて、互いに約5メートルずつ、距離をとった。中央がらん、左が晴日、右が影郎だ。
「何で離れるんだ?」
影郎は晴日たちに問う。
「まとめてやられたら、話にならへんからな」
らんは目だけを影郎に向ける。
晴日とらんはまた、おし黙った。
遠くから、自動車の走る音だけが聞こえる。
式神が、この場所を通過するのが間近なのだと、影郎にも推察できた。
「来たで」
らんが前方を、扇で指した。
らんが示す辺りを影郎が見ると、空き地のすみに影がある。大きさは、彼の胸までぐらいだ。その数、10以上。
「やっとお出ましね――あら?」
晴日が、怪訝そうに首を傾げる。
相手がますます〈十絶陣〉に近づき、影郎もその全身を、捉えることができた。
その姿の不気味さに、彼は思わず身ぶるいした。
3人の前に現れた式神は、羊の胴体に、人の頭をつなげた姿をしていた。
前者は、白い毛で覆われている。けれどもその毛は黄味を帯び、不潔な印象を与える。
人の頭から、角が生えている。こちらは羊らしく、大きく曲がって渦を巻く。
厚ぼったいまぶたの奥からのぞく目は、西洋の寓意画に出てくる、擬人化された「無知」のそれだ。
あごの骨が、よく発達している。口の中から、黄ばんだ鋭い牙が見え隠れする。口に入ったものは何であれ、粉々にできそうだ。
皆が皆、完全に同じ顔をしていた。あたかも、金型で鋳造されたかのようだ。
「何や、饕餮か」
らんは、緊張を解いた。
まるで、物陰から飛び出したものの正体が、仔猫だと分かったときのような、気の抜き具合だ。
(冗談じゃないぞ)
影郎は思った。彼の目には、この異形の怪物が、舐めてかかってよい相手には、到底見えなかった。
「弱いのか?」
影郎は、らんをちらと見る。
「弱くはない。ただ、飽きた。ウチらが戦う相手の8割くらいコレねんもん。ホンマ、性懲りもない奴らやわ」
らんが言い捨てた。
「お腹空いたわね。後でどこか食べに行きましょう」
晴日までが、戦いが終わった後の話をしている。
「いくら何でも、油断し過ぎじゃないか?」
影郎は、不安でしかたがなくなってきた。
「逆よ。あいつら、弱いと思った相手を集中的に襲うから、怖がっているそぶりを見せちゃ、ダメなの」
晴日は真ちゅう色の環を手にとった。
「3分で片づけよ」
らんも桧扇を構え直す。
今の弛緩しきった2人だと、絶対に負ける。そうなる前に、自分が〈巫術〉を行使して戦える状態にならなくちゃ。――影郎はそう思った。
彼は、先刻らんの言った、「魔法のコツはイメージ」という言葉を思い出した。そして、自分の身に強力な霊が降下し、体中に力がみなぎるさまを、想像した。
目を閉じて、呼吸を整え、感覚を研ぎ澄ませ、意識を集中し……、一向に、何かが起こる気配がない。
ひづめの音が聞こえた。
影郎が目を開けてみると、トウテツたちが1匹残らず、こちらに向かって走ってくる。
敵は次々と、〈十絶陣〉に進入した。外側に配置された8つの区画のうち、1つに突っこんだ。
式神の目線は、一見して明らかに、影郎だけに向けられている!
「影郎くんがまだ魔法を使えないこと、感づかれたみたい!」
晴日がらんのほうを見た。
「そうゆうことだけは、的確に嗅ぎつけるやっちゃなあ。イヤになるわ、ホンマ」
らんは舌打ちする。そして、閉じた桧扇の先を、トウテツの付近に向け、次いで自身の右斜め後方を、ぴたりと指し示した。
陣の中を満ちる、重苦しい空気が震動する。そしてらんたちの周りを、風のように吹き荒れた。
らんの前方にあった金の気は今、彼女が指示する右後ろへ去った。代わりに、右斜め前方にいた別の金の気が、正面を占める。
らんは同様の所作を、さらに6回おこなった。
それに伴い〈十絶陣〉の陣容が、目まぐるしく入れ替わる。
らんの前方、すなわちトウテツが向かってくる区画を、火の気が座した。
そしてらんは、扇を先頭の相手に向けた。
その瞬間、敵の足下で紫の炎が巻き起こる。前回と同じ〈十絶陣〉の第9、〈烈焔陣〉が発動したのだ。
焔に巻かれた2、3匹の式神が、上空高く吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。それらが立ち上がる気配はない。
火炎が上がった地点を、後から通過した他のトウテツたちは、一斉に踵を返し、倒れた仲間の元に殺到した。
味方を助けるのか、という影郎の予想を裏切り、〈烈焔陣〉の炎を免れた式神は、はらからの体にかじりついた。彼らは共食いを始めたのだ。
骨をかみ砕く音が、影郎のいる場所にも届いた。食われるものの足が、ぴくぴくとふるえる。
生々しい光景に、影郎はむせ返った。
左にいる晴日とらんをちらと見ると、2人は目をやや伏せて、相手を正視しないようにしていた。
そうしながらも晴日はすでに、日天への祈りの言葉を、唱え始めていた。
右手をさし上げ、指先に環を引っかけている。
――輝く日輪の乗り手の杯に、お神酒をあふれるまで注ぎなさい。贄の儀の主宰者に、不滅の命をお与えになるかたに。されば其神は、おん自らその民草を庇護し、養われましょう。そして万の処にて、光を放たれるのです。
その光は天性より強く、懇篤に遇せられました。ゆえに今や永劫、天のみ柱にかかり、敵、竜、魔、修羅の誅戮者となられたのです。
その光、光の中で最上のもの、優良さにおいて、何者にも後れをとらざるかたは、総ての征服者、富の獲得者、強靭なるおかたと称せられます。万物の照臨者として閃耀する、力強き日輪の乗り手は、その莫大なお力を、尽きせぬきらめきを開示なさいます。
その光輝にて世を悉く照らし、もって汝命は上天に、燦然たる座を占められました。そのご暉光によって、万国の神祇に向けられた敬虔な行いは、あまねく力づけられ、生きとし生けるものは養われるのです――
晴日が詠み進めるごとに、その指先の環は、輝きの度合いを強めていく。
最後は、眩しくて直視できないくらいになった。地上を走る線と同じ、真っ白な光。
円盤に日天の武器、〈スルヤストラ〉が宿ったのだ。
晴日は指先で環を回転させ、これをトウテツに向けて、飛ばした。
目標はまだ、同類相食んでいる。
〈アストラ〉は、式神めがけてまっすぐ飛んでいった。そして、相手のおよそ10メートル上方ではじけた。
初めの一瞬、辺りは真昼のような明るさになった。
影郎はぱっと目を閉じる。
瞑目していたのは、時間的にはごくわずかだ。大量のものが勢いよく燃え盛る音に気づいて、影郎はまぶたを上げた。
〈スルヤストラ〉が炸裂したときの閃光は、すでになくなっていた。
代わりに、ついさっきまで式神たちが、仲間の肉と骨をむさぼり食っていた場所が、火の海になっている。敵がどうなっているのかは、全く分からない。
「やった……わな?」
らんが晴日に近づく。
「大丈夫だと思うけど、念のため、本当に倒したか確認しましょう」
3人は、炎が弱まるのを待った。
ところが、そうなる気配はない。かえって、どんどん火勢が強まっている。いっそう強い風が、吹き始めていた。
「ねえ、ちょっと変じゃない?」
晴日がらんの袖を握り締める。
「見たら分かるわ」
らんの目は、火炎にくぎづけだ。
その間にも風は強まり、紅焔は大きくなっていった。渦を巻いているようにも見える。
「うわわわわ、大変や! もうええ、早よ消さな!」
らんが慌てふためいた。
「分かってるわよぉ!」
晴日の声も、いつになく甲高い。
晴日は別の円盤を手にとり、今度は水天にたてまつる呪文を吟じた。
その間にらんは、桧扇を開いて真上に腕を伸ばし、扇の先端で中天を指した。
そのまま、手を水平の高さまで、一気にふり下ろす。〈三昧神水の法〉を使ったのだ。
瞬間、辺り一面を大量の水が覆った。水は、はじめからその場所にあったかのように、突如として出現した。
影郎たちは、膝のすぐ下まで、水につかった。
火力はいくぶん弱まったが、すでに空高くふき上がっていた炎を、完全に消し止めるには至らない。
ものが燃える音に、水がじゅうじゅうと蒸発する音が加わる。
――水界の王よ。僕が泥土のひとやへまかることの夢にもなきよう、汝命の至慈を請い願います。富める者よ、僕を幸えくださいませ。
僕が心は畏怖により、満ち満ちた嚢のごと、早鐘を叩きます。
富貴にして無垢なるかたよ。僕が弱さのため則に背くことがあろうとも、なお僕を幸えくださいませ。
滄溟のただ中にては、汝命の敬い手とても、乾きに悩まされます。
ただ人なる僕どもが神祇に矛先を向けることがあろうとも、また僕どもが不知に基づき、汝命の定めたるいかなる則をたがえようとも、その不正のゆえに僕どもを咎めたもうな――
晴日は祈祷文の詠唱を終えると、〈バルナストラ〉を装填した環を、直ちに投じた。
水天の武器は、鉛色の光を発しながら、急角度を描いて上空へ飛んでいった。
そして炎の渦のてっぺんで、効果を生じた。
〈三昧神水の法〉がもたらしたのにも増して、膨大な量の水が出現した。
そそり立つ壁のように見える。それが火柱を包みこみ、最後は破裂して、周囲に飛び散った。
影郎たちも、頭から水をかぶった。
2つの水の魔法により、ようやく炎は収まった。
トウテツがいた場所に3人が目を向けると、そこには、真っ黒こげになった燃え殻が10数体、転がっていた。いずれも、原型をとどめていない。
それらは見る間に消えてしまった。さながら、強い風が砂山を吹き飛ばすかのようだ。
「はい、撤収」
らんはかけ出した。晴日もそのあとを追う。
影郎も、遅れまいと走った。
3人とも全力疾走だ。
「これって要するに、見つかるとマズいから逃げてんだよな?」
息を切らしながら、影郎が尋ねる。
「当然や。ほかに何があんねん?」
らんも同じく、途切れ途切れに答えた。




