4-B 晴日の家にて
市川駅で電車を降りると、2人はまず目にとまったスーパーマーケットで、のど飴を買った。袋が黄色で、レモンのイラストが大きく描かれた、いかにもビタミンCが豊富そうに見える商品だ。
店を出たとき、らんはメールで、間もなく到着する旨を、晴日に伝えた。
2人は、駅から南東の方角に向かって、歩いた。晴日の家までの道のりは、しじゅう住宅街の中だった。
「ウチな、晴日は根暗なワケでも、ましてや人間嫌いでもないと思うんや。やから、仲ようしたってな。もし機嫌悪そうに見えたり、あんたと話したがってへんように見えたりしても、とりあえず声かけてみて。ホンマはそうやないと思うから。ウチ、晴日がそんな態度とっとるとこ、見たことないねん」
道すがら、らんは影郎に要請した。
「分かったよ」
晴日の家、つまりかつての芽実の家に到着したのは、午後4時前だった。
駅からの所要時間は、買い物の時間を除けば、およそ15分だ。
1階建ての一軒家。それほど大きくはないが、1人で住むには十分な広さだ。
洋風建築で、壁はクリーム色、屋根は黒だ。玄関のドアは、えんじ色で外開きだ。
らんが呼び鈴を鳴らすと、10秒前後で戸が開いた。向こうから、晴日が顔をのぞかせる。
「いらっしゃい。待ってたわ」
晴日は嬉しそうに、影郎とらんを中に招じ入れる。
「具合どうや?」
らんが、引っさげていたのど飴の袋を、晴日に突き出した。
晴日はそれを受領する。
「熱はもう、下がってるわよ。でも、病み上がりが一番、移りやすいのよね。影郎くんに移さないか、心配だわ」
晴日は、影郎のほうをちらと見た。
「おいおい、ウチのことは心配してへんのかい」
「だって、らんちゃんがカゼ引いたとこ、見たことないんだもの」
「何が言いたいんかな?」
「べっつにぃ」
らんと軽口をやり合うあたり、晴日は至って元気そうだ。
晴日は影郎たちを、居間に通した。
室内には、小物がこれでもかというほど置かれている。サボテンの鉢植え、水晶タンブルで満たされたグラスなどだ。
壁には額ぶちがかかり、中に完成したジグソーパズルの絵がはまっている。CGで描きこまれているのは、気持ちよさそうに海中を泳ぐ、イルカの親子だ。
バラの香りの発生源は、インセンススティックの刺さった、瓶のようだ。
全体的に、ファンシーな品物が多い。
(晴日の趣味なのかな……?)
影郎は思料する。
大きめで木製の長テーブルがある。
その周りに、同じく木でできたいすが、6つ並んでいる。
「どうぞ」
晴日が、机の下からいすを引っ張り出す。
「あれ? 1人暮らしなんじゃないの?」
影郎は着席し、ほかのいすを見回した。
「らんちゃんとか、よく来るから」
「あ、なるほど」
らんなら、友達を引き連れて、大挙して晴日の家に押し寄せかねない、などと影郎は思った。
「コーヒー飲む?」
晴日が尋ねた。
「『飲まん』ゆうても飲ますくせに」
らんも席に着く。
「もう、イジワル」
「さっきのお返しや」
「ふんだ」
晴日はあかんべをしてから、台所に向かう。それから間もなく、台所から訊いてきた。
「お砂糖とミルクはどうする?」
「砂糖は、小さいスプーンにすり切りで1杯。ミルクは2杯」
らんはやけに細かく、砂糖などの分量を指定した。
ミルクについて「杯」という単位を使ったのは、粉ミルクを念頭に置いているからだろう。
「影郎くんは?」
「適当でいいよ」
影郎は答えた。
もう少し待つと、晴日がコーヒーカップを3つ、トレーにのせて、居間に戻ってきた。
そしてトレーを卓の中央に置き、カップを1つずつ、影郎、そしてらんの前に移す。
次いで、最後に残った1つを持って、着席した。
「じゃ、頂きます」
影郎とらんは言った。
影郎がカップを口に運ぶのを、らんはにやにやと眺める。
「何?」
「いや、別に」
影郎は、コーヒーを1口すすった。コーヒーの味が分からないほど、甘かった。
「どうや?」
らんが笑みを崩さぬまま、尋ねる。
「とてつもなく甘い」
「――やって、晴日」
らんは晴日に目を転じた。
「ええっ!? ちょっと苦いかなあって思うくらいしか、お砂糖入れてなかったのに」
晴日は本気で驚いている。
「晴日のは、もっと砂糖が多いのか?」
影郎が恐る恐る尋ねる。
「影郎くんの、3倍くらい入れたわ」
「本当に!?」
影郎は絶句した。
らんは1人、必死で笑いをこらえている。
彼女が砂糖とミルクの量を、具体的な数字で示した理由を、影郎は今さら理解した。
「知ってて、黙ってたのか?」
影郎はらんに、抗議の目を向ける。
「面白そうやったから」
「ごめんなさい。入れ直す?」
晴日が、申しわけなさそうに尋ねる。
「いいよ、いいよ。別にどれだけ甘くても、マズくはないから」
3人ともコーヒーを空にしたころ、らんが口を開いた。
「今日の授業のノート、コピーする? あんたのプリンタ、確かスキャナとコピーの機能もついとるやろ?」
「らんちゃんの字、汚くて読めないじゃない」
晴日はまたも、ことさら毒を含んだ言いかたをした。
「じゃあ俺のは?」
影郎はカバンからノートを出し、開いて見せた。
「あ、これなら読めるわ。コピーさせてくれる?」
晴日はページをめくりながら尋ねた。
「どうぞ」
「ありがとう」
晴日は影郎のノートを抱えて、出窓のほうへ歩いた。
出窓に、プリンタが置かれている。
「おっと、そうや。晴日。嶺からの伝言。『わたしもお見舞いに行きたかった。心配してる』やってよ」
プリンタを操作する晴日に、らんが言った。
「嶺ちゃんは、今日も部活なの?」
「弓道部のミーティングやって」
「大変ね。部活を2つもかけ持ちなんて」
「頼まれたら、よう断らん子ぉやからな。『高校に入ったら、どちらか片方に絞る』ゆうとったけど、案の定どっちの部活からも、熱心に勧誘されたみたいやわ」
「まあ、弓道も体操も、都の大会でベスト16に入るような腕前だから、ムリにでも引き入れたくなる気持ちは分かるけど……」
この2人のやりとりは、影郎にはちんぷんかんぷんだった。




