3-D 日常業務
「さっきのは誰?」
影郎がらんに尋ねた。
「諸葛質広さん。山梨県警の本部長さんや」
「本部長っていったら……」
「県警のトップや」
「すごい! そんな人が来ることがあるんだ」
影郎は感嘆した。
「典儀課のこと、あんまりたくさんの人に知られたら、困るやん。やから、こうゆうことは珍しないで」
「へえ」
「去年、1回だけやけど、海上幕僚長さんが見えて、『領海に入ったまま行方を見失った原潜を、探してくれないか』って言われたことあるで」
らんが続ける。心なしか自慢げだ。
「海上幕僚長って?」
「海上自衛隊のトップやで」
「スケールの大きい話だなあ……。俺には一生、縁がないと思ってた」
「ウチもや。――海上幕僚長さんって、ホンマは軍服を着とるはずねんけど、ここに見えたときは、背広姿やった。何でなんか訊いたら、『制服のまま女子中学生に会ったら威圧感を与えるから、わざわざ着替えてきた』やって。ウチ、軽く感動したわ」
影郎とらんが話しこんでいる間に、晴日は目についたいすに座り、その前の机に設置されているコンピュータの、電源を入れた。
「ああ、そうそう。さっき諸葛さんが言ってたSSSって、典儀課のことか?」
影郎がまた口を開いた。
「そうや。正式名称とちゃうけど、典儀課のこと知っとるモンの間やと、けっこう使われとるで。――何の略やったっけ、晴日?」
「ソーサラス・シークレット・サービスよ。直訳したら、魔道秘密検察局だって。シンゴから聞いた話だと、誰かがふざけて言ったら、語呂がいいからって理由で、周りも使い出した、とか何とか」
答えながら晴日は、ログインするためのパスワードを入力する。
「SSSって、行方不明者とか、事件の証拠を探したりもするんだな」
影郎は、手近ないすに腰を下ろした。
「むしろ式神退治よりも、こっちのほうがメインや。戦ってばっかやったら、とてもやないけど身がもたんわ」
らんは晴日の座っているいすの背もたれに寄りかかり、体重を預ける。
晴日は、デスクトップ上に表示されたアイコンの1つを、クリックした。
何かのソフトウェアが起動され、画面にウィンドウが出現した。
ウィンドウには、ボックスがいくつかある。それぞれのボックスの隣には、Date、Time、Latitude、Longitudeその他の文字が並んだ。
「ほい、これ」
らんが晴日に、先ほどのメモを手渡した。
「ありがとう」
晴日はメモを受けとった。それを見ながら、ボックスのうちいくつかに、数字を入力していく。
「何やってるんだ?」
影郎は立ち上がり、画面に目を向けた。
「〈陰陽道〉と〈宿曜道〉には、生起した事象がどうゆうふうに推移するかとか、重要な変化が起こる時期や方位を特定する方法があるんや。昨日シンゴが、『事象の予測と制御に関する技術』が魔法やってゆうとったやん? 火ぃ起こしたりするんは、制御に関する魔法やけど、いま晴日が使うとるんは、予測の魔法や。やけどこれ使うとき、事象が生起した日時と場所が、分かってへんとあかん。それを入力しとんねん」
らんが晴日の肩ごしに、画面上のボックスを指さす。
「パソコンで魔法!?」
影郎は拍子抜けして、どっかと腰を落とした。
「別に魔法使いやからって、文明の利器に頼ったらあかんワケやないやろ? 魔法もパソコンも、人間が発明した点はおんなじやし。手で計算するよりも、こっちのほうがだんぜん速いで。ホンマ、科学万能やわ」
「まさか魔法使いから、『科学万能』なんて言葉が聞けるとはな」
「少なくとも、魔法よりは科学のほうが、よっぽどできること多いで。その上、どっちでもできることは、たいがい科学でやったほうが、早いしラクや」
「自虐的だなあ、おい」
「自虐は日本人の美徳や。――話、戻すけど、昨日みたいに式神が来る日ぃと方角も、今やっとるんとおんなじ方法で特定するんやで。生起した事象として、何かの事件を選ぶと、今みたいに解決の糸口なんかが示されるけど、事象として個人を選んだら、その人に及ぶ災厄とかを予知できるっちゅうワケや」
らんが言い終わるのとほぼ同時に、晴日が立ち上がった。
「らんちゃん。私のは、入力し終わったわ」
「おう。じゃ次はウチやな」
代わりにらんが、コンピュータに向かう。
「私、iPS細胞って、私たちができることよりもよっぽど魔法みたいだな、て思うの。傷口が塞がるのを早める魔法はあるけど、魔法だと壊れた臓器を1から作り直すなんて、とてもムリなんだもの」
晴日が言った。
(ノーベル賞をとるような日本人の鑑みたいな人は、さぞかし自虐的なんだろうよ)
影郎は、心の中で呟く。
「なあ、晴日」
らんが晴日の袖を引っ張った。
「なあに?」
「午後11時から子ぇの刻やろ? けど、子ぇの刻が始まるのと同時に、日付も切り替わるんかなあ。それとも、日付の境目はあくまで午前0時なんけ?」
「私も分かんない。おばーちゃんのPDFに、書いてないかしら?」
「そやな。見てみるか」
らんは最小化ボタンを押して、ウィンドウを画面いちばん下のタスクバーに畳んだ。次いで、デスクトップ上にある、PDFファイルのアイコンをクリックした。
新たに出現したウィンドウには、文字と図表がびっしり書かれている。
らんは画面を、下から上にどんどん送っていく。そして、ある場所でその手を止めた。
「お、書いてある。やっぱ11時から翌日やわ」
「今度は何?」
影郎は座ったまま、画面に注視する。
「国内の陰陽師は長いこと、平安時代にある1人の天才が残したレジュメに、無批判に従うとってん。でもその間に、明の時代の中国で、陰陽道の予測技術に、革命的な進歩があったんやって。おばーちゃん、そのことに誰よりも早う気ぃついて、台湾まで出向いて、その技術を習得してん。その要点をまとめたんが、このPDFや」
「台湾? 北京とか上海じゃなくて、どうしてわざわざそっちに行ったんだ?」
「ちょうど1970年代やったらしいからな」
「どういうことだ?」
「中国って、60年代から70年代にかけて、もんのすごい権力闘争があったんやって。一説やと、2千万人くらい人が死んだとか。あと、その間に古い文化が徹底的に破壊されてもうて、影響を受けへんかったんは台湾と、当時イギリスの植民地やった香港くらいらしいわ」
「なるほど、それで台湾か……」
「やから、ウチがおばーちゃんから習うた陰陽道は、古代の日本に伝わって、独自に発達した、純粋な陰陽道やないねん。近代まで本場中国で培われて、文革を免れた台湾から、新たに輸入した要素も多々あるんや」
らんや晴日が、先ほども言及していた「おばーちゃん」について、影郎は、それが魔法使いらしいということは、文脈から察した。しかし彼はこの人物を、晴日の本当の祖母なのだろうと思っていた。
そのとき影郎は、何かが自分の中に入ってきた気がした。
この感じは、以前も体験したことがある。夕べ、晴日とらんが式神に倒された直後だ。
影郎は前回と同様、自分の首が座っていないことに気がついた。ところが、それを直そうと思うほどには、このことに注意が向かなかった。
いまだ冷めやらぬ恐怖と、激しい怒りの感情が、ふつふつとわき上がる。
「影郎!? どうしたん、あんた?」
「もしかして昨日と同じ?」
異変を察知した、らんと晴日がさざめく。
しかしその声は、影郎には遠くで発せられているように聞こえた。
「晴日、シンゴ呼んできて!」
「うん」
晴日が慌てて、オフィスを飛び出した。
『早く、私を家に帰してよ』
影郎の口をついて、この言葉が出た。
女性の言葉づかいで話すのが恥ずかしい、という思いも少しはあった。だが、「どうしてもこれを言わなければならない」、という衝動が勝った。
間もなく晴日が、辰午を連れて戻ってきた。
何ごとかと、諸葛も部屋に入る。
「影郎? あんたなん?」
らんが心配そうに、影郎の顔をのぞきこむ。
『違う。そんな名前じゃない。私は渡橋千鶴』
影郎は、首を横に振った。
「信じられない……。行方不明者の名前だ。さっき言わなかったのに」
諸葛は呆然としている。
「あんた、今どこにおるん?」
らんが尋ねた。
『山の中』
影郎は再びうつむく。
「どの山?」
『分からないわよ。駅前のホテルの近くで、車に乗せられて、大通りを通って、駅からどんどん離れていったの。突き当たりに神社があって、そこを左折したら、後はひたすら同じ道。途中しばらく川に沿って進んだわ。その川を何度か渡った』
「待てよ? その景色、見たことがあるぞ」
諸葛はカバンから、タブレット型コンピュータをとり出して、素早く操作した。
「分かるんですか?」
らんは、諸葛のほうを向いて尋ねる。
「まだ確定はしていないがね。ぼくの地元だよ」
諸葛は皆に見えるよう、タブレットを掲げた。
画面には、地図が表示されている。下端に甲府駅がある。
諸葛は指で、画面を上から下に送りながら、話し始めた。
「もし、彼の言う『駅』が甲府駅で、『大通り』が北口から伸びている県道31号線だとしたら、『神社』は武田神社、『川』は荒川になる」
「影郎の話と、ピッタリやわ」
『そのうち、川からも離れて山道になったわ。峠みたいな所をこえると、左折して細道に入って、そこをしばらく行ったら、車から降ろされた。そこから、左手の山の中に連れていかれた』
影郎の語りが、だんだん速くなる。
「『峠』は太良峠か。そこをこえて左の細道の脇にあるのは……帯那山か!」
諸葛が地図上で、指を走らせる速度も上がる。
『そこで私、殺されたのよ!』
影郎が、一段と強い口調で言った。怒りと怖さで、爆発しそうだ。
晴日とらんの顔から、血の気が引く。殺された、という言葉に反応したのだろうか。
「あなたを連れ去ったのはどんな人物か、覚えているかね?」
諸葛が影郎に尋ねた。
『分からない』
影郎はイヤイヤをする。
「連れこまれた車は?」
『知らない。早く家に帰して。お母さんに会わせてよっ!』
それだけ言うと、卒前と影郎の体から、全ての力が抜けた。影郎は、いすから転げ落ちて、正気づいた。
「今のはその……」
影郎は座り直して赤面した。いすから落ちたことではなく、たった今まで女性の口調を使い、半ば錯乱した状態で喋っていたことが、恥ずかしかったためだ。
影郎は今のできごとを、全て記憶していた。
「あんた……、巫師やったんか」
らんが呟いた。
「あ、そうだ! 私たちのパソコンはどこを指してる?」
晴日が、先ほどまで自分たちが操作していたコンピュータのほうを向いた。
画面は真っ黒だった。省電力モードに入ったからだ。
「おお、そやった!」
らんがマウスを少し動かすと、スリープ状態が解除された。
PDFファイルのウィンドウが、表示される。
らんはタスクバーをクリックして、最初に立ち上げたソフトウェアを広げた。
新たに出てきたウィンドウは、全てのボックスが、数字で埋まっている。その隣で、STARTと書かれたボタンが点滅している。
らんがSTARTボタンを押すと、ウィンドウは山梨県の地図に切り替わった。
陸地が緑色、河川や湖が水色で塗られている。市町村の境界は、黒だ。
甲府市内の1点から上に向かって、黄色の非常に細い扇形が伸び、韮崎市内の1点からは、同様の赤い扇形が、右に伸びている。
2つの図形は、甲府市北部で交わる。その部分はオレンジ色で塗られていた。
「やはり帯那山か。ちょっと部下に指示を出してくるよ」
諸葛は、カバンから携帯電話をとり出し、オフィスを出た。




