1-A ヤトの神との戦い(1)
夕日はビルの陰に隠れ、4月の空は、夜の色に染まっていく。
高校のグラウンドにいるのは、2人の少女と、1人の少年だけだ。
前者は、校庭の中央付近にたたずみ、何かの到来を待っている。
1人は赤い法衣をまとい、いま1人は黄色い狩衣に身を包む。彼女らが対面するのは、南西の方角だ。
西の空では、最後の残照が消えかかっていた。
少年は、運動場のすみから、そのようすを見守る。
少女はいずれも、彼の存在に気づいていない。
地面には、白い光の筋が巡る。
光は、縦横それぞれ3つずつ、計9つの正方形を描く。それらがなす大きな真四角は、グラウンドの校舎側半分を、覆わんばかりの大きさだ。
2人の少女は、真ん中の正方形の、さらに中心部にいる。
「……晴日、来たで」
黄色い着物の子が、隣にいる赤い衣の少女にささやく。そして、校庭の反対側を見やるよう、促した。
2人が視線を移した先には、1匹の大きな蛇がいた。
「らんちゃん、何だろうあれ? 夜刀神の絵に近いようだけど」
晴日と呼ばれたほう、すなわち赤い衣装の人物が問うた。目線は大蛇に向けたままだ。
「分からんな。でも、見た感じは蛇や。五行四大はたぶん、木ぃやろ」
らんと呼ばれた者、黄色い服の少女も、同様に長虫を注視しつつ、答える。
晴日がヤトの神ではないかと言ったその蛇は、ゆっくりと這って、2人に近づいていく。
鎌首をもたげた際の頭頂の高さは、彼女らの胸くらい。体の太さは、2人よりもほんの少し、細い程度だ。長さは正確には分からないが、10メートルを下らないことは明白だ。
地色は朽ち葉色。これに、黒い網目状の模様が走る。
何よりもこの大蛇を特徴づけるのは、頭に生えた乳白色の角だ。
両目のすぐ後ろから、斜め上に向かって1本ずつ伸びている。長さは、大人の腕ほどだ。
先ほど晴日が、ヤトの神のようだと言った決め手が、この2本の角だ。
「陣の中に入ったら、ウチが〈烈焔陣〉で足止めするさかい、その間に〈アグネヤストラ〉準備して」
らんが晴日に、作戦を伝える。その右手には、桧扇が閉じた状態で握られている。
扇は、らんのひじから手首までくらいの長さだ。メカニカルな、くすんだくろがね色をしていた。
「うん」
晴日が同意の合図を送る。
ヤトの神が、外側の正方形の1辺を成す、光の線をこえた。
敵の体の、およそ3分の1が陣に進入した。
そのとき、らんは桧扇の先を、蛇の真下の地面に向けた。
長虫の足下から、突如として紫の炎がふき上がる。
〈十絶陣〉の第9、〈烈焔陣〉の炎が、ヤトの神の体全体を包んだ。火炎は、5メートルほど上空にまで達した。
幾重にも蛇をとり囲む。戦いの開始を喜ぶかのように、躍動する。
焔の中で大蛇が身をよじった。熱さに苦しんでいるようだ。
土煙が上がる。だがその程度では、火勢はいささかも減ぜられない。
ヤトの神の暴れる姿自体も、高熱のため揺らいで見える。
その間に、晴日は真ちゅう色の環を手にとり、火天に捧げられた祈祷文を、口ずさんだ。
環の直径は、レーザーディスクと同等だ。断面の太さは、人間の小指とほぼ同じ。
晴日はそれを、右手の人さし指にかけ、その手を上斜め前方に、さし上げた。
「撃つときは合図して。ウチは〈金光陣〉に切り替える」
らんが晴日に目くばせする。
晴日は、呪文を詠唱しながら、うなずいた。
その間もくちなわは、紅焔の中でのたうち回る。
多少は陣の内部に歩を進め、晴日たちとの距離も縮まった。それでも、内側を走る光の帯までは、まだ遠い。
「らんちゃん、もういいわ」
神呪を誦し終えた晴日が、らんに呼びかけた。
右手の円盤は火天の武器、すなわち〈アグネヤストラ〉を宿し、青白い光をぼうっと放っている。
「頼むで」
らんは、扇の先でヤトの神のいる付近を、指し示す。続けて、何かをその場所からとりのけるかのように、扇の向きを右斜め後ろにずらした。
その瞬間、大蛇の体を包んでいた炎は、ぱっと消え失せた。
自由になった蛇は、晴日たちとの距離を詰め始める。
らんはさらに、同じ動作を2回くり返した。
「行くわよ」
晴日は、手首のスナップを使い、人さし指を中心に、円盤を回転させた。最後にひじを伸ばして、くちなわ目がけて投擲する。
光る環は高速で回転しながら、長虫のほうへ、まっすぐ飛んでいく。
その間らんは、扇をぴたりとヤトの神に向けたまま、タイミングを見計らっていた。
大蛇は、晴日たちのいる内側の陣まで、人間の歩幅で10数歩というところに迫った。
ここで晴日の投げた円盤が、蛇に命中した。〈アグネヤストラ〉が炸裂した。
青白い光が、長虫の全身を飲みこむ。蛇を中心に、巨大な火球が形成される。
火の玉の一端は、晴日たちと大蛇を隔てる光の筋の中まで、入りこんだ。他の一端は、運動場のすみまで届きそうだ。
たそがれの暗がりに慣れた目では、正視できぬような閃光が、辺りを包んだ。
「今や!」
らんが、桧扇をばっと開く。
すると、ヤトの神の周りを漂う空気が、一瞬で鏡のようになり、〈アグネヤストラ〉の光を反射した。
〈十絶陣〉の第6、〈金光陣〉。その内部に形成された大気の鏡は、全部で20余枚。1つ1つは円形で、くちなわを包囲するようにして、1例に並んでいる。
鏡にはじかれた光は全て、大蛇に向かう。
光の当たった箇所が、高温になる。最前の〈烈焔陣〉や、〈アグネヤストラ〉による加熱とも相まって、蛇の周囲は、人がいられないほどの温度に達した。
大蛇はもがく。
だがもはや、先刻ほどの勢いはない。黒と黄のうろこは、すでに半分以上が焼けただれていた。
「行ける!」
勝利、というよりは、眼前の危険が自分たちだけで対処できる程度のものであると確信した晴日の顔に、喜色が浮かぶ。
「おい、お前ら何やってるんだ!? 何だよ、あの化け物は。――逃げなきゃ!」
そのとき、グラウンドのすみにいた少年が、大声で呼ばわった。そうしながら、後ろから晴日とらんに、かけ寄った。
2人はあっけにとられて、声がするほうをふり返る。付近には、誰もいないものと思っていた。
しかし、2人が驚いた理由は別にあった。
「あなた……、あれが見えるの?」
晴日が呆然と呟く。
そのせつな、ヤトの神が最後の力をふり絞り、その太い尾で、晴日とらんをまとめて薙ぎ払った。
「……はっ!」
声にならない悲鳴を残し、2人は木の葉のように吹き飛んだ。
地面に叩きつけられる。その体は、何度か跳ね返りつつ、転がった。
晴日とらんが倒れるのと同時に、彼女らを二重にとり囲んでいた光の線、すなわち〈十絶陣〉と他の空間を画する境界も、消えてなくなった。
校庭は、元の真っ暗闇に戻った。
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