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04 問題の発覚

 コトン、コトンと木箱が外廊下の簀子(すのこ)の板床に降ろされた遠慮がちな音がした。

 その音で山吹の少将は宿直(とのい)明けの仮寝から、ゆっくり目が覚めた。寝ぼけてぼんやりとした視線の先に、自分の掌よりもさらに小さな愛らしい顔が見える。むにゅっと不快気に顔が顰められたと思ったら、黒々とした目がパッチリと見開き、点の様に塗られた紅色の口が大きく開く。

 

「ぶ、無礼者~!!」


 その小さなお姿からは信じられない程の大きな甲高い悲鳴が上がった。さらに泣き怒った顔をしながら、梅の花びらのような手が、ぺちりぺちりと山吹の少将の顔を叩く。渾身の力を込めているのかもしれないが、全く痛くはない。


「若様! いかがされました!?」

「そこに女人が!?」


 まるで耳元で雄鶏が鬨の声を上げたかの様なけたたましさに、山吹の少将は寝る前の事を思い出し、ガバッと飛び起きた。咄嗟に人形姫を掴んで、有無を言わせずに上掛けの下へと押し込み隠す。

 ありえない女の悲鳴に驚いた乳母やその娘の右近(うこん)の君が、外御簾(そとみす)を掻き分けるかのように部屋に滑り込んできて、几帳を払い除ける。間一髪のところで、寝床へ乱入してきた二人に見つからずに済み、少将は内心で冷や汗をかいた。

 菖蒲の君は突然の少将の乱暴に怒っているのか、抑え込んでいる手の下でバタバタ子猫のようにもがいている。


「若様? 今、女人の声が!?」

「何でもない! ……ちょっと、怖い夢を見ただけなんだ」


 女房二人の声で、状況を察したのか、人形姫の動きがピタリと止まった。


 若君の視線を泳がせての下手な言い訳を不審に思ったのか、右近がそっと寝床に近寄り、グシャリと乱れた上掛けを遠慮なくめくる。女人を隠しているのでは、と疑ったらしい。だが、引っ張るとぺたりと平らかに広がる寝床を見て、誰も潜んでいない事を明らかにする。

 確かに普通の人は隠れてはいない。小さな人形姫は上手くその小さな体を隠してくれたらしい。チラチラ横目で寝床の様子を山吹の少将は確認しつつ、女房達の気を逸らせようとした。


「そ、その、昨夜、後宮で肝試しをしたから、夢で思い出して……。でも、私は大丈夫だから! いいから着替えを! それから、頼んだ物は用意できた? あ、右近、後でごろごろしたいから、寝床はそのままにしておいてくれ」

「はい、わかりました。……では少し整えておくだけにします」


 さっさと寝具を整える右近を気にし、普段通りを装いつつもソワソワしながら何かを誤魔化す若君に、乳母の君は内心ため息をつく。まだまだ未熟な若者だ、追及してはならないと。


(ああ、難しいお年頃になられたのね、若様……。右近にも、乳姉妹とはいえ遠慮なく寝床を探って、繊細な男心を傷つけるような真似はさせないよう、後でいい聞かせなくては……)


 何でもないとにこやかに首を振り、さり気無くかつ急いで、菖蒲の君が隠れている寝床から少将は離れた。軽やかに立ち上がって、心配する乳母の君に自分は元気だと見せつけ、寝床を隠す几帳(きちょう)の前に回り込む。

 乳母も右近も、若君の態度を不審に思いながらも、またまたいつもの様に手際よく二人掛かりで、夜着から気楽な狩衣(かりぎぬ)に着替えさせた。


 上手く誤魔化せたと落ち着いて一息つくように山吹の少将が腰を下ろすと、狩衣の背がツンツンと引っ張られ、菖蒲の君が、自分はここにいると伝えてきた。狩衣の陰に上手く身を隠しているようだ。

 

「若様、こちらの箱が姉君方の物でございます」


 外に控えさせていたのか、乳母の君が声を掛けると、右近が外御簾を巻き上げる。すると三人の従者達が、それぞれ抱えるほどの大きさの古びた三つの木箱を部屋の中に運び込んだ。大中小の大きさの違いがある。山吹の少将の目の前にそれらを置くと、従者達は静かに部屋を出て行った。

 昔を懐かしむように顔を綻ばせながら、乳母の君が大きな箱のふたを開ける。

 

「御覧なさいませ、若君。こちらの大きな箱は、弘徽殿(こきでん)の女御様のものです。実にご立派ですよ」

「どれどれ、わ~、大きい! 普通より大きいのではないか?」


 山吹の少将と二人の女房の三人で、箱の中から一つずつ、納められていた物を丁寧に取り出す。それらは、姉の幼い頃の人形遊びのお道具だった。

 雛人形のための食器やその膳、火鉢、鏡台、空っぽだが貝遊びの貝桶、文台(ぶんだい)、長持ち、箪笥、重箱などだ。木製の物は全て黒漆塗りに蒔絵飾りが施され、畳の台座、几帳(きちょう)屏風(びょうぶ)なども本物そっくりだ。しかも家具調度品は雛人形の大きさに合わせて作ったのか、普通の貴族の姫君が持つ物よりはるかに大きい。

 

(良かった、食器が菖蒲の君の大きさに合う。あ、立派な扇もいくつか入ってる。後で差し上げよう、姫君には欠かせない小道具だよね。袿袖に隠れるのも可愛いけど……)

 

「なにせ、弘徽殿の女御様は右大臣様にとっては最初の御子様で、さらに生まれた時から帝に入内するのが決まっておりました。若君のお祖父様が特別注文された品と聞いております。質も大きさも他家より立派にと。これで女御に相応しい嗜みを身に着けて欲しいと願われたそうです」

「へ~、生まれた時から大変だね、姉上は。でも、あまり使ってないのかな? 思ったより痛んでないよね」

「お人形ではよく遊ばれましたが、調度品はほとんどが飾るだけですので……」

「そうか、そうだね。で、この中くらいの大きさの箱は……?」


 二つ目の箱も似たような物が入っているのかと予想して開けて見る。すると様々な色や模様の布が沢山入っている事に少将は驚いた。取り出して広げてみると、全て人形用の(うちき)などの衣装である。凝り性なのか、何故か色とりどりの内着の(ひとえ)や袴まである。袿の色柄の重ねなども楽しんでいたようだった。

 

(あっ! これ、菖蒲の君に合うかも!)


「ほほほ、驚かれましたか、若君。これらは、中務宮(なかつかさのみや)とご結婚された二の姉姫様の手作りのご衣裳ですよ。あの姫様は、人形の着せ替え遊びが大変お好きだったそうです。幼い頃からこうして人形のご衣裳を縫う事で、縫い物好きになられたそうです。今でも、四季折々に、若君のご衣裳を贈ってきて下さいますでしょう?」

「そうだね。二の姉上は縫い物がお上手だ。母上のいない私のために、よく衣装を手ずから仕立てて下さった」


 では次は、と一番小さな箱を開けて見る。すると、中には冊子、組み合わせて漢字を作って遊ぶ古い紙かるた、碁石、貝合(かいあわせ)などの遊戯道具が入っていた。しかも冊子に書かれているのは、どう見ても子供の幼く拙い字である。

 

麗景殿(れいけいでん)の女御様の物ですね。あの姫様はこうした遊戯や物語がお好きでしたから。あと、こちらは姫様の字の練習でしょうか? 誰かの見本の字がありますが、これは幼い男の子の字ですね。ほほほ、誰に字を習われたのか。ずいぶんたくさん練習させられたご様子ですわ」

「そう言えば、麗景殿(れいけいでん)の女御様とは、囲碁とか、かるたとかで一緒に遊んだな……。年齢も一番近いし」


 にやにや含み笑いをする乳母の君を不思議に思いつつも、幼い頃に一緒に遊んだ姉達との想い出に懐かしくなる。山吹の少将の心がほっこり温かくなった。母親の様に可愛がられたり、年齢の近い子供同士で一緒に遊んだのだ。母はいなくても、こうして愛情深い姉達によく慰められたものだった。

 ツンツンと、また狩衣の背が引っ張られ、ハッと過去から今に戻り背筋を伸ばす。またツンツンされる。


(そうだった、懐かしむために持って来させた箱じゃない。菖蒲の君がじれてきている。急いで人払いしなければ……)


「あ~、私は急いでお文を書かなければならなかったんだ! じっくりゆっくり考えてから書きたいから、一人にしてくれないか? ご公務に関わるから、呟きも聞かれたくないんだ。人払いしてくれ」

「お昼まで仮寝されていたのに、お急ぎなのですか? 一体何を……、いえ、差し出がましい事を申し上げました。右近、私達は下がりましょう」

「……はい。お急ぎなのに、じっくりゆっくりなのですね。では、失礼します」


 無理矢理な人払いの言い訳に対する二人の嫌味を少将得意のニコニコ笑顔で封じる。親子そっくりのチロリンの眼差しを受け止めつつも、二人をさっさと部屋から追い出した。シュルシュルと袴や衣が滑る音が確かに遠ざかったのを確認する。

 

「菖蒲の君、もう出てきても大丈夫だよ」



 もそもそと背の狩衣の下から一番内着の(ひとえ)に袴姿で、小さな菖蒲の君が現れた。上着に袿すら纏っていない。高貴な姫には相応しくない姿が不満なのか、口を尖らせツンと顔を逸らしている。

 

「何とかするから、菖蒲の君、大丈夫だよ。ほら、扇があるよ。素晴らしい造りだろう? 姉上の物なんだ。それに姫君にぴったりのご衣裳もこんなにあるよ」

「おお、扇か! 無くて実に不便だったわ! それに少々古びているが、私は寛大なのでこの衣装で許します。少将、早く私に相応しい衣装を着つける女房を呼んで」


 姉が縫った袿などを次々と前に並べてみせると、菖蒲の君はパーっと華やいだ笑顔になる。手渡された扇で半分顔を隠しながら、袿の色柄の重ねを次々と試してみて楽しんでいる。だが、こうして菖蒲の君のご機嫌が直った一方で、山吹の少将は世話をする者がいない事に戸惑う。


「う……。ですが、女房は……」

「私の世話をする女房がいないというの!? 私は高貴な姫に相応しく身支度をせねばならないのに、女房がいないのでは困るわ! この衣装をどうやって身に纏えというのよ! ここは天下の右大臣邸でしょう? 客人をもてなす女房ぐらい手配しなさい!」

「で、では……」


 これから自分が言い出そうとしている事を思うと、山吹の少将の顔がカーッと熱くなる。きっと真っ赤になっているに違いない。

 なぜなら、なぜなら、と自分に言い訳をしてしまう。

 

「菖蒲の君のお世話は私がします! なぜなら、女房に菖蒲の君を会せる訳にはいかないからです! どうかご容赦を!」

「そなたが?」

「はい! ご、ご衣裳も私が着付けさせて頂きます! 御髪も私が……!」


 男でありながら妻でもない姫君の衣装に触れるなど、あまりの恥ずかしさから山吹の少将は熱くなった頭をガバリと下げてしまった。なぜか同情心でお世話しているはずの少将の方が、頭を下げて頼み込む形になってしまう。とてもではないが、可愛らし気に扇を振り回して文句を言う菖蒲の君の顔が見れなくなってしまったのだ。


「ぶ、無礼者! 男に着付けを任せよと申すのか! 私は高貴な姫だと言っているでしょう! キー!」

「す、すみません! でも、これをお許し頂かねば、菖蒲の君はそのお姿のまま過ごされる事になってしまうのです。どうか、どうかご容赦を!」

「そんな! でも、しかし……?」

「その他は十分なお道具を揃えました! ほら、これがお座り頂く畳の台座に、几帳(きちょう)屏風(びょうぶ)。あと、鏡があります。きちんとお姿が映りますよ」


 咄嗟に鏡の面を袖口で拭いて目の前に出す。菖蒲の君の周囲に几帳、背後に屏風を配置する。あっという間に立派な姫君のお部屋が出来上がる。あとは衣装を身に纏えば完璧だった。

 

「む~。致し方ない。袴はこのままで良い。内着の(ひとえ)からなら許しましょう」

「は、はい、ありがとうございます!」


 少しでも着付けに楽な様にと、畳の台座の上に菖蒲の君は立つ。夫でも親でもない男に着つけてもらう羞恥心から、扇で顔を隠している。だが、上から見下ろす山吹の少将には、顔が真っ赤になっているのが見えてしまった。恥ずかしがられると、対応する者まで恥ずかしく思ってしまう。


 可愛い姫君に衣を纏わせるため、紅い山吹の少将は震える手で小さな(ひとえ)を手に取り、そっと華奢な体に纏わせる。次に同じように袿を重ね、襟や胸元の布を引いては長い裾形を整える。姉達とは違い、あるか無きかの胸に触れてしまうかもと思うと、手先が震えてしまう。整えるたびに袿の上を引き滑る時のシュルッという音が、逆に姫君の衣装を引っ張って脱がせているかの様で、何とも恥ずかしく、頬が燃えるように熱くなる。


「あ、あの、菖蒲の君、苦しくないですか? う、(うちき)を引く力加減が分からないので……」

「え、ええ」


 コクンと恥ずかし気に菖蒲の君が扇の陰で頷く。気のせいかプルプル震えている。

 男が触れる事に怯えているのだろうかと、山吹の少将は不安にも思う。だが、菖蒲の君の顔は紅梅の様に紅く染まっていても、嫌がっているようには見えない。そう、考えることにして次の袿を手に取る。

 

「こ、この袿が良いかな? それともこちらの方が重ねが良いかな?」

「そ、それで良い」

「はい。ではこちらをお召しください」


 次々と器用に山吹の少将は袿を重ねて纏わせていく。最後に上着の小袿(こうちぎ)を着せて、無事衣装が整った。

 

「ああ、よくお似合いですよ、菖蒲の君。では、次はお(ぐし)を整えましょう。とても長いお髪ですから、私がお手入れしましょう。どうぞこちらに背をお向け下さい」

「あ、ああ。お願いします」


 袿を重ねて重くなった衣装のため、動くのに苦労している菖蒲の君に手を貸す。背後に伸びる袿の裾や袴裾を引きながら整える。ふと、山吹の少将は、御簾の外に零れ出ている女房の袿裾を引いて戯れる、後宮の男女の駆け引きを思い出した。まるでそれを模しているかのような、更には髪にまで触れる恋人の逢引きのようだと想像してしまい、櫛をポロリと床に落としてしまった。


「少将?」

「し、失礼しました。菖蒲の君のお髪があまりにも綺麗なので……」


 女の命とも言われる髪に触れているためか、菖蒲の君が不安げに問う。

 山吹の少将は、できるだけ余裕のある大人の態度を取り繕って、穏やかに優しく接するように心がけた。左手で髪を掬い上げ、櫛で少しずつ乱れていた長い髪を心籠めて梳かしていく。梳かす事で、痛がらせるわけにはいかない。山吹の少将だけの大事な可愛い菖蒲の君なのだから。

 気のせいか梳かしている髪にも、扇の陰で真っ赤になって恥ずかしがる菖蒲の君の熱を感じた。

 

「ああ、なんて綺麗な……」


 この姫の全てをお世話ができた事が嬉しかった。姉達とは違い、この姫は山吹の少将に全てを頼っているため、強い男になった気がするのだ。実際には、主である菖蒲の君に仕えている、女房の立場になっている様なものだったが……。

 自分では気づかず、山吹の少将は、大いに満足気な笑みを浮かべていた。


 隣の部屋との境である襖のわずかな隙間から、乳母の君は口を半ば開けつつ、大いに泣きたい気持ちで若君を見守っていた。

 この十七年間、心を籠めてお育てしてきた大事な大事な若君が、桃の花の様に頬を恥ずかし気に染め、まるで生きている姫のご機嫌を取るかの様に語り掛けつつ、雛人形の着せ替えと髪梳きをしているのだ。とても満足そうに。

 

 乳母としては、大問題の発覚だ。不安にならないわけが無かった。

サブタイトルを本当は「乳母は見た」にしたいけど、ネタバレですね。

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