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02 恐怖の一夜

 う、うわ~ん!!

 人々が寝静まったはずの後宮の一角、弘徽殿(こきでん)から穏やかな春の夜を引き裂くかのような泣き声が響き渡った。



 山吹の少将は、恐怖の登花殿(とうかでん)から命懸けの勢いで力いっぱい駆けた。貴族の雅やかさなどかなぐり捨てて、燭台の仄かな明かりが簀子(すのこ)へもれ出ている、姉女御が住まう弘徽殿(こきでん)外御簾(そとみす)の下から滑り込むように飛び込み、力いっぱい叫ぶ。


「お化けが、(あやかし)が!!」

「な、何だ? どうした!」

「山吹の少将? しっかりしろ!」


 肝試しの帰りを待ち構えていた若者達は、大声で喚く山吹の少将のあまりの取り乱し様に驚き、皆腰を浮かせて出迎えた。外御簾(そとみす)の側で、腰が抜けたかのように四つん這いになってゼイゼイと荒い息をする山吹の少将を慌てて囲み、心配する。その友人の一人の束帯の袖を青冷めた山吹の少将がギュッと掴む。


「出た、出たんです!! 怖い者が!」


 公達(きんだち)達は、それぞれ撫でて年下の少年を落ち着かせようとした。肝試しなどと言って、まだ十七歳の少年を怯えさせ過ぎたのかもしれないと、可哀想な事をしたかも、と皆少しだけ後悔する。

 

「え? 怖いもの? 畏れ多いものではなくて?」

「山吹の少将、もしやかと思うが、宣耀殿(せんようでん)で見たものはだな、実はそなたの……」


 ゼイゼイ息切れしながらも、山吹の少将がそうでは無いとブンブン首を横に振った。あんな麗景殿(れいけいでん)の姉女御のいちゃいちゃ騒ぎの事ではないと言いたいのに、怯えて震える口が上手く回らない。


「ち、違います! 怖い者とは……」


 う、うわ~ん!!


 弘徽殿(こきでん)に、穏やかな春の夜を引き裂くかのような赤ん坊の泣き声が、それは大きく響き渡った。そのすぐ後だった。


「夜中に何を騒いでいるのですか! 静かにしなさい! 折角、寝付いた姫宮が、起きてしまったではないの!!」


 ズバンッ!と叩きつけるかのように激しく奥の襖が開けられるや、弘徽殿の女御の怒声が公達達に浴びせられた。後宮で最も恐れられている強者の一人、天虎の女御の登場だった。


 真夜中に赤子を起こされたのがよほど気に障ったらしく、普段の女御ならあり得ない、夜着の上に(うちき)を纏った姿のままだ。その場にいた全ての公達が、畏敬の念から即座に伏して礼を取った。そうしていると慌てて女房達が奥の間から遅れて現れ、高貴な女人に相応しく姿を隠す几帳(きちょう)を女御の前に並べる。その間も、赤子の姫宮はわんわん泣き続け、女御は激しい説教の雷を落とした。


「山吹の少将、叔父の立場でありながら姪宮を泣かすものではない! また騒ぐようなら、弘徽殿(こきでん)での宿直(とのい)は、今後、許しませんからね!」

「申し訳ございません、姉上! もう騒ぎません! で、でも今夜は遊びで騒いでいたのではなくて……」

「お黙り!!」


 妖に会う以上の恐怖の一夜となった。


「弘徽殿様、ものすごく怖かった……」

「ああ。でも、どうやらこれ以上のお咎めはない様だ。良かった……」


 不寝番の挙句の説教で、皆がグッタリしていた。今となっては、しつけの行き届いた美形女房が多くて豪華なもてなしをしてくれるからと、宿直場所に弘徽殿を選んだことを後悔していた。ここにはまだ赤子の姫宮様がおられて、賑やかな若者が集うような所ではなかったのだと、自分たちの考えが足りなかった事を残念に思う。はあ~、とか疲労のため息が、あちこちから小さく漏れ出ていた。


「そう言えば、山吹の少将は何を怖がっていたんだ?」


 紅葉の中将が思い出したかのように、山吹の少将を心配げに見る。普段から年下を可愛がる優しい中将らしい気遣いだった。だが姉女御の雷のおかげで、山吹の少将はすっかり恐怖も吹き飛んで、皆と同じ様にただグッタリ脱力していた。今となってはあのしゃべる雛人形は、夢だったのではないかとも思える。


「いえ、何か見間違えたんだと思います。本当に暗かったので……。中将様、ご心配ありがとうございます」

「そうなら良いが。鬼でも妖でも、何かあったらすぐに言いなさい」


 夜明け前、お役目引継ぎのため、皆がグッタリ感を漂わせつつ弘徽殿を出る。山吹の少将も共に行こうとしたが、ふと歩みを止めた。あの雛人形の事が気になったのだ。あれは、何を見て勘違いしたのか確かめたくなる。

 友人達に用事があるから先に行ってほしいと言い、皆とは逆に弘徽殿の北の貞観殿(じょうがんでん)に向かって簀子(すのこ)を進んだ。


 ふええ、と小さな泣き声がする。真夜中のぐずる赤子の泣き声とも、ましてや猫又もどきの鳴き声とも異なる、心細い悲しみを押し殺した若い娘の泣き声。気の強そうなあの人形姫の声ではないかもと思いつつ、声を頼りに足元をキョロキョロと探す。

 

「いた……。やっぱり、夢ではなかったんだ……」


 貞観殿(じょうがんでん)のある柱の陰、寄り掛かるかの様に小さな雛人形が座っていた。山吹の少将は驚きはしたが、それは恐怖ではなかった。


 そっと近づき簀子(すのこ)に座って覗き込んで見ると、紅い(うちき)の袖に顔を埋めて、「ふええ」と人形姫は泣いていた。朝日の薄明るい光の下で見ると、長い髪も乱れ、身に纏う袿もあちこち汚れてほつれて、ボロボロだった。夜に会った時はあんなにも気が強い態度だっただけに、身を震わせて忍び泣く姿は、とてもとても心細そうで弱々しく可哀想だった。


「え、え~と、小さな(あやかし)のお姫様? どうして泣いているの? 泣くくらいなら、もう元の所に帰ったら?」


 山吹の少将の声に驚いたのか、一瞬だけピョコッと跳び上がり、慌てて袿の袖で涙を拭い、そのまま顔を袖で覆い隠す。泣いていたのが恥ずかしかったらしい。


「私は卑しい(あやかし)などではない、無礼者!」

「では、何者なの?」

「そう言うそなたは何者か? まずはそなたが名乗りなさい!」


 気の強さを取り戻したらしい。弱々し気な風情が消えて、背筋がスッと伸びて堂々とした態度になる。これまで見た限りでも、ちょっとした仕草や振る舞いには、野卑な妖の様子ではなく、多くの人に傅かれて大切に育てられた、裕福かつ高貴な姫君の雰囲気が漂っていた。


(ひょっとして、弘徽殿の姉上が子供の頃ってこんな感じだったかも……?)


 先程自分に雷を落とした、ずっと年上の気の強い姉の子供の頃を思わせる人形姫を見て、思わず山吹の少将は微笑んでしまう。


「失礼しました、姫君。私は右大臣家の長男の少将。皆からは山吹の少将と呼ばれている者です。そして姫君はどちらのお家の姫君でしょうか?」

「そうか、少将か。私は、高貴なる、その……」


 急に困ったように小さな顔の眉間に皺を寄せて、人形姫がモゾモゾしだした。どう言おうか悩んでいるらしく、そして俯いてしまった。山吹の少将も心配になってきた。


「姫君? どうされました?」

「わ、私は高貴なる姫。……だが、分からない。私は私が帰るべき邸がどこなのか、自分の名前も覚えていないのだ。そして昨夜ここで迎えを待っていたが、誰も私を探しに来ない。しようがないから恥を忍んで、通りかかる女房や他の者に迎えを頼もうと声を掛けても、私に気付いたのはそなたのみだった!」


 人々から無視され、相当辛かったのだろう。堪えきれなくなったのか、可愛い人形姫の目から再び真珠の涙がポロリポロリと零れ落ちた。そっと袖で押さえ拭うその仕草にも気品がある。


 そりゃそうだろうな、と山吹の少将は思った。「待て」と呼ばれて振り向いても、声を掛けた相手が足下にいるこんな小さい雛人形とは誰も思わず、気付かなかったのだろう。


「山吹の少将、私を私の邸へ連れて行きなさい。もう、このような所にいるのは嫌!」

「え? でも、どこの家の姫君かわからないんじゃ……」

「連れていきなさい! でないと、でないと、呪ってやるわ!」


 この恐ろしい「呪い」を口にする雛人形から逃れたいなら、昨夜の様にさっさと立ち上がって駆け出すだけで済む。だが、小さな体にとっては何歩も歩く距離なのに、腰を下ろしていた山吹の少将の下へと、ボロボロの袿姿(うちきすがた)雛人形が、長袴と袿裾を掴み引き摺りながらのろりのろりと、それでいて精一杯の速さでやって来た。

 見上げてくるつりあがり気味の愛らしくぱっちり開いた目は、心細げにうるうる潤んでいた。ギュッと山吹の少将の袴裾を握った白く小さな手は、もう置いていかないでと訴えている。この頼り無い姿からすると、『呪い』など到底できそうにない。


 ふと、昨夜の人形姫の状況が思い浮かんだ。その姿を認めたのは、逃げ出してしまった山吹の少将のみ。それまで、またそれからずっと一人でここにいたようだった。

 闇夜に一人で残されて、どんなに恐ろしかっただろうと思う。か弱い姫だったらそのまま死んでしまうかもしれない。公達ですら肝試しで怯えるほどの恐ろしい闇夜を一人で過ごしながらも、強気さを失わないあたり、大したものだと山吹の少将は感心した。


「姫様の『のろい』は怖いですね。では、私が姫様のお家が見つかるまでお世話致しましょう」


 ぱあっと人形姫の顔に喜びの輝きが浮かんだ。そのあまりの愛らしさを目にして、山吹の少将も思わずにこりと微笑み返した。


「姫様を何とお呼びしましょうか?」

「高貴な私に相応しい名が良いな。何が良いか?」


 姫君が無邪気にコテンと小首を傾げる。


(あや)しい姫だから、あやひめ? それとも菖蒲(あやめ)が良いかな? 邪気を祓ってくれる花だし)


 思い付きの元を口にできないながらも、可愛い人形姫には花の名前の方が良いだろう、と山吹の少将は微笑む。


「……『菖蒲(あやめ)の君』ではいかがでしょう?」

菖蒲(あやめ)、高貴な私に似合いの花ね。良い名だ。許す」


 名付ける事で、互いに気持ちも通じた気がして微笑み合う。その小さな菖蒲(あやめ)の君を山吹の少将はそっと両手で大切に掬い上げた。掌の上に行儀よくちょこんと腰を下ろす姿は、子供の様に頭を撫でたくなるような愛らしさだった。


 人形姫を右大臣邸へ連れて行くため、山吹の少将は束帯(そくたい)の上衣の袍袖(ほうそで)で大切に抱き覆い隠して、誰にも知られず後宮から連れ出した。

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