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夜刀神君の秘密

作者: 皇‐涼

「お前、髭ねーのな」

 友人の家に数人で泊まりこみ、徹夜でみんなの課題を手伝った翌日の朝、孝顕たかあき広瀬ひろせにそう言われた。

「うん?」

「ひげ」

 洗面所でシェーバーを使いながら、鏡越しに広瀬が指摘する。隣にいる孝顕は洗面を終え、タオルで顔を拭っていた。

「ああ。無いよ、今は」

「?」

「脱毛したんだよ。永久脱毛ってやつ」

 答えを聞いた友人が、微妙な顔でシェーバを止めた。なんとなく嫌そうな表情だ。それを見て孝顕が笑う。

「髭剃り負けって言うか……髭剃りを使った後、いつも肌が赤くなってね。痛いし痒いしで。それで、病院で処理してもらったんだ」

「へー、いつごろの話? それ」

 納得した広瀬は再び髭を剃り始めた。

 鏡越しに隣の青年を見ると、小脇に抱えていた黒いポーチから何やら取り出している。男性用化粧品というヤツか。

 自分は使っていないが兄は使っている。営業職だからだろう、身だしなみには特に気を使っていた。

「高3の途中から少しずつ始めて、大学部に上がって夏頃には終ったかな。髭が無いと、毎日の手入れが楽だよ」

「へ~。そんなもんかね」

 当たり前になってしまった習慣は特に負担ではないので、広瀬には良く分からない。

 それなりに整ってはいるが地味でもあるのに、夜刀神には妙に女が寄ってくる。こういう気遣いが女にもてるのに貢献してるんだろうかと、密かに考えた。

 剃り残しが無いかどうか、鏡を見ながら指で触りチェックしていく。耳の付け根に近い部分は特に念入りに確認した。

 一方の孝顕は白っぽい半透明の液体を手に取り、両掌に緩く広げてから顔へと乗せている。

 広瀬は窓の枠に置かれた見慣れないビンを横目に見て、あれ? と思った。何かが引っかかる。鏡越しに孝顕を見て、もう一度窓枠に並べられた瓶を見た。丸みを帯びた洒落たデザインに柔らかいパステルカラーの容器。男性用にしては小ぶりの瓶は、どちらかというと女性受けしそうだ。


「………………」


 穴が開くほどラベルを見つめた。ガン見といっても言いだろう。

 そうして思い出した。乳白色の瓶は自分の彼女が使っているのを何度も見たことがある。

「……夜刀神、お前それ……」

「んー?」

 慣れた手つきで丁寧に液体を塗り広げている孝顕は、髪が落ちないように幅広のターバンで上げている。いまだ女性的な柔らかさの抜けない顔つきは、それでも男で、けれど手入れ中の仕草は女のそれに似ていて。

「女性用、か? もしかして……」

 恐る恐る聞いてみる。


「ああ、そうだよ」


 ──認めた。


 ナチュラルに肯定したよ! この男!!


 衝撃を受けて固まる広瀬を横目に、孝顕は平然と言葉を続ける。

「最初は男性用を使ってたんだけど、肌に合うのが見つからなくて。何の気なしに、女の子からちょっと貰って使ってみたら、コレが意外と良くってさ。男性用に比べても肌質や目的に合わせて色んな種類があるし。女性に化粧品を買ってあげる男性って、今はそれほど珍しくないから、僕一人で買いに行っても平気だしね」

 その口調は普段通りで何かを含ませている訳ではなく、孝顕の日常であると分かる。

 鏡を見ながら手のひらで肌を確認し、先ほどとは別の瓶を手にした。粘度の高い透明な液体をやはり手のひらに広げ、その両掌を肌にあてる。皮膚になじませるようにゆったりとした動作で、位置をずらしながら顔全体に手をあててゆく。

 一連の動作がまるっきり自分の彼女と同じで、広瀬は知らず目眩を覚えた。

 いつぞや、女達が騒いでいたのを思い出す。

 夜刀神は近くで見ても肌が恐ろしく綺麗だと。朝起きて肌に触れても髭でざらざらしない上に、滑らかでさわり心地が良くて羨ましいと、コイツと遊んだ事のある女達が噂していたっけ。

 コイツは別に女性的な性格でもなく、ナルシストでもない。むしろかなり男らしい。

 剃刀負けするのなら肌が弱いのだろうし、ならば自分のことを考えてなのだ。変な意味など無いだろう。……んが。

「お前それ……、誰かに見られたりとかしたら……」

 知られていたら、多分夜刀神の評価は180度変わっていたはずだ。おそらく、限りなく駄目な方向に。

「今、広瀬に見られてるよ」

 孝顕は手を止めると、鏡越しに広瀬を見てからおもむろに顔を横へ向けた。隣で固まっている男の目をじっと見つめる。

「だから、二人だけの秘密ね」

 柔らかな低音で呟き、ふわりと笑って見せた孝顕の表情があまりにも蠱惑的で、広瀬は一瞬頭の中が真っ白になる。

「ぉ、ぉおう……」

 操られるようにかくかくと頷いた広瀬を見て、孝顕は笑みを深くした。頭につけたターバンを外し髪を払う。手早く瓶をポーチにしまうと、何食わぬ顔で洗面所から出て行った。

 入れ替わるように他のメンバーが入ってくる。

 シェーバーを手に石化している広瀬を見て、彼らがいぶかしげに声をかけた。

「お~う、どうした~広瀬ぇ」

「! いや、別に。ちょっとまだ、寝ぼけてるみたいだ、俺」

 へらへらと笑い、広瀬はタオルで髭を剃った跡をぬぐった。「せまいぞおら」とせっつかれて洗面所を追い出される。

 居間に行けば台所で冷蔵庫を覗いている孝顕がいた。本来彼は自分達に混じる必要がない。課題はとっくに提出されているからだ。彼がここにいるのは、料理が出来る(しかも上手い)というその一点に尽きる。まあ、ついでに課題を手伝わせる目的もありはしたが。優しいのかどうなのか、こうして自分も含めた馬鹿な連中の面倒を見ていた。

 真っ白いシャツの袖を肘までまくり上げて持参したワインレッドのエプロンを着け、朝っぱらから無駄に爽やかな空気を醸し出している。

 狭い台所を淀みなく動き回る青年の後姿を眺めながら、広瀬は朝食ができるまで時間つぶしの思索を始めた。


 この男は魔物だ。


 夜刀神が本気を出せば、きっと男でも堕とせるに違いない。

 現に、今さっき自分は堕ち掛けた。同性をそういう目で見たことなど一度もないこの俺が。

 洗面所で垣間見た孝顕の笑顔と甘さを含んだ声を思い出す。穏やかであっても深くは人を寄せ付けない、人によっては冷たいと言われる普段の青年と真逆のそれは、ひどく魅力的で思わず手を伸ばしたくなるような色香があった。

 あれが夜刀神の本性なのかどうかは分からないが、普段は周到に隠しているのだ。そして必要になった時だけ、ちらりとそれを覗かせる。


(これじゃあ、女なんて一たまりもないな……)


 女は男よりもはるかに敏感だ。日常の動作に一適二滴色を含ませるだけで、きっと簡単につられてしまう。性質たちの悪いことに、下心のような濁色は見せないのだ。

 そう考えるととんでもない男だ。

 何故女達が孝顕に近寄っていくのか、広瀬は理由の一端を見た気がした。ついでに美肌の理由も。

(女じゃなくて良かった、俺)

 朝食が居間のテーブルに並び始め、腹をすかせた青年達が集まり始めると、立ち上がってテーブルに向かう。


 とりあえず、さっきのことは秘密にしておいてやろう。

 いつか、何かの機会にばらしてやるのだ。


 夜刀神の本性をいつか見たいと思いながら、広瀬は一人ひっそりと笑った。


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