第7話「奈落の大気圏」【Dパート ナンパ男ヨハン】
「おや失礼! あまりにも美しい女性がいたので思わず手を取ってしまいました!」
「おいヨハン、お前まだそのナンパ癖治ってなかったのか」
ヨハンと呼ばれた男はエリィの手を離し、軽部先生の言葉に振り返って乾いた笑いをしながらポリポリとわざとらしく頭を掻いた。
そんなヨハンを無意識に鋭い目つきで睨みつける裕太。
裕太の視線に気づいたのか、ヨハンが再びエリィに向き直り丁寧にお辞儀をする。
「申し遅れてすまない。僕の名はヨハン、誇り高きエレベーターガードの精鋭隊員だ」
「……自分で精鋭って、自称じゃないのか?」
裕太が小馬鹿にするようにそう言うと、ヨハンは露骨に眉をひそめて裕太に近づいた。
「何だね君は、僕の邪魔をしないでいただこうか」
「お前こそ何だよ。銀川に馴れ馴れしく触るんじゃねえ」
「ちょ、ちょっと! ふたりとも落ち着いてぇ!」
向かい合って火花を散らす裕太とヨハンに割り込むようにエリィが仲裁をする。
そしてエリィは裕太の耳元に顔を近づけ、ヨハンに聞こえないように小声で囁く。
「せっかくの修学旅行なんだから、問題を起こすのはいけないと思うわ。あたしを心配してくれるのは嬉しいから、あたしを信じてここは穏便に……ね?」
「お、おう……」
エリィにそう言われて、裕太は改めて自分がエリィの事に対し熱くなってしまったと認識する。
信じてとは言われたものの、それでもヨハンがエリィにベタベタとくっつこうとしているのは見ていて不快だった。
ジュースをズゾゾと音を立てて飲みながら、ふたりの動向を凝視する裕太だったが、そんなことを意に介さないようにヨハンはエリィに馴れ馴れしく話しを続ける。
「時にエリィといったかな? ズバリ、君はヘルヴァニア人だと思うが……違うかな?」
「正解、と言っても半分ねぇ。あたしはお父様が日本人、お母様がヘルヴァニア人で……」
「素晴らしい! 実は僕は純血のヘルヴァニア人でね! この出会いはまさに神が与えてくださった運命なのかもしれない!」
「ちょ、ちょっとぉ。そんな大げさな……」
臭いセリフを恥ずかしげもなく言うヨハンに、エリィもさすがに押され気味のようだった。
しかめ面で見守る裕太の隣に、軽部先生がよっこいしょとオヤジ臭い声を出しながら腰を下ろす。
「……先生、エレベーターガードってあんな奴ばっかりなんですか?」
「あいつが特別なだけだ。その……ヨハンは昔からあんな感じで、俺も教育者として手を焼いたもんだ。まったく、ガードとしての腕は確かなんだがなあ……」
「ガードの腕って? 暴れる不届き者を取り押さえる腕ですか?」
「うんや、キャリーフレームの腕だよ」
はて、と裕太は小首をかしげた。
軌道エレベーターの治安を守るエレベーターガードに、なぜキャリーフレームの操縦技能が必要なのだろうかと。
その疑問に先生ではなく、裕太の話を聞いていたらしいヨハンが振り返り、癪に障るドヤ顔をしながら答え始めた。
「軌道エレベーターというのは宇宙と地上を繋ぐ重要施設ゆえに、不届きな勢力から非常に狙われやすいのだよ。これまでも宇宙海賊や愛国社なんかに度々攻撃をかけられている。そういった連中をキャリーフレームで撃退するのもガードの立派な役目のひとつだ」
「愛国社って、あの反ヘルヴァニア団体の?」
裕太はその名前に聞き覚えがあった。
一昔前に過激な活動をしていたという過激派の団体『愛国社』。
地球にヘルヴァニア人が移住することを良しとせず、世界各地でテロめいた破壊活動を行っていたという。
近年は団体が解散したのか定かではないが、彼らの活動がニュースで放映されることもなくなったのだが。
「ヘルヴァニア人は軌道エレベーターを使って地球に降りていくからな。制圧すればその人数を減らせるとでも思ったのではないか?」
「ふーん……」
裕太が適当に相槌を打つと、興味を失ったのかヨハンは再びエリィの方を向いてくだらない自慢話を再開した。
【5】
飲んでいたジュースの容器が空になったので、裕太は席を立ってドリンクバーへとひとりで向かう。
まさか元教官でもある先生の見ている前で、あのナンパ男が婦女子相手に過激な行為に手を染めることはありえないだろう。
それに、エリィが信じてくれと言ったのに心配をしすぎるのも彼女に対して背任的ではとも感じていた。
裕太は我ながら、ヨハンに対して大げさに考えすぎなのではと思いながら歩いていると、横に6台並んだジューサーバーの前でせっせと容器にジュースを注ぐサツキと、容器がいっぱいに乗ったトレーを持った進次郎の姿を見つけた。
「……何やってんだ?」
「ゆ、裕太! 助けてくれ! サツキちゃんが全部のジュースを飲むって言い出して……!」
「これで3台分は終わりました! 人々に愛される飲み物の数々、きっと私の求める愛の知識へと繋がっているはずです! さあ進次郎さん、次です! 次に行きましょう!」
なにやら意味不明なことを言いながら意気揚々とジュースバーを回るサツキを横目で見つつ、裕太は目的のジューサーバーに容器をセットし、りんごジュースのボタンを押した。
「悪いな進次郎、今はそれどころじゃないんだ。その……お幸せに?」
「裕太ぁぁぁ!!」
進次郎の悲痛な叫びを背に受けつつ、ストローを口に咥えながらエリィの方へと向かう裕太。
先程までの熱烈アプローチは終わったのか、エリィとヨハンは窓際の席で外の風景を見ながらの談笑に移っていた。
ふたりの話が聞こえる位置に裕太は腰掛け、会話に耳を傾ける。
「ねえヨハンさん。ヘルヴァニア人として、地球での生活ってどう?」
「どうと言われてもだなあ……僕は戦後生まれだし。ただ、両親は日本人は気が合うから好きだと言っていたな」
「そうよねぇ。ヘルヴァニア人の気質とか価値観って日本人的だってお父様も言ってたわ。別の星の違う人間同士なのに、不思議よねぇ……」
裕太は会話を聞きながらふと、以前進次郎が言っていた収斂進化の話を思い出した。
収斂進化とは、異なるグループの生き物が同様の状況下に置かれた時に身体的特徴がよく似た形に進化することである。
ヘルヴァニアとの接触以後は惑星単位での文明の発展にも、この考え方が当てはまるのではないかと言われ始めたという。
同じ地球型の惑星で生まれた地球人とヘルヴァニア人が交配が可能なまでに同じ構造の生物となり、またヘルヴァニア語と日本語の言語体系がほぼ完全に同一であったのもまた収斂進化の成せる技なのかもしれない、と。
『裕太、何をボーっとしているのだ?』
急にジェイカイザーに声をかけられ、ポケットから携帯電話を取り出す裕太。
その画面にはなぜか表計算ソフトが映っており、ジェイカイザーが何やらリストのようなものを作っているようだった。
「あ、ああ……さっきからお前が珍しく静かだなあと思って。何やってるんだ?」
『いや、な。進次郎どのが言うには月の都市でしか委託されていない同人誌がかなりの数あるらしくてな。購入予定リストを作っていたのだ』
「どうせエロ同人だろ。ったく進次郎のやつ、余計なこと教えやがって……」
難しいことを頭のなかで考えるという慣れないことをやって頭を痛めた裕太は、ジェイカイザーとの馬鹿らしい話でいい感じにクールダウンすることができた。
改めてエリィとヨハンの方へと裕太が視線を戻すと、ふたりは既に席を立っており、上階へ続く階段の方へと歩きだしていた。
「ヨハンさん、どこに行くの?」
「君、さっきキャリーフレームが好きって言ってただろう? 僕らエレベーターガードの使うキャリーフレームを見せてあげようと思ってね」
「えっ、あたしなんかに見せても大丈夫なのぉ?」
「大丈夫さ! 僕がついてるからね!」
「……じゃあ、俺もついでに見せてもらおうか」
裕太がふたりの背後から威圧感を込めた低い声をかけると、ヨハンが苦笑いをしながら振り返った。
エリィが裕太の腕を掴んで「じゃあ一緒に行きましょう」と言うと、半ば諦めたような様子でヨハンは裕太の同行を許可してくれた。
───Eパートへ続く




