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第40話「ヘルヴァニアの民」【Aパート 火星の大地】

 【1】


 吹き荒む風と、舞い散る赤茶色の砂埃。

 数メートル先が見えない砂嵐と、濁った色の空の下で生活を営むヘルヴァニア人たちが暮らす家々は、建物という体を成していなかった。

 あばら家という言葉が似合う家々の軒下には、旧ヘルヴァニア銀河帝国の国旗がはためいている。

 火星の地表に降り立ったエリィの眼の前に広がっていた光景は、国でも街でもなく、スラムという他に形容することができなかった。


「エリィ・レクス・ヘルヴァニア姫ですね。ようこそ、ネオ・ヘルヴァニアへ」


 エリィを姫と呼び丁寧に頭を下げたのは、メガネを掛けた白衣姿の女性。

 その傍らに真顔で佇むのは、二人の武装した幼い少女。

 ヘルメットから溢れる真紅の髪を見るに、恐らく彼女たちはレーナから聞いたナンバーズというクローン兵士なのだろう。


「私はドクター・レイと申します。姫様、以後お見知りおきを」


 姫、と呼ばれるたびにあまり意識していなかった出自を実感させられる。

 その身に流れるのは、旧ヘルヴァニア銀河帝国の女帝シルヴィアの血。

 半年戦争後にスグルと結ばれ、ひとりの主婦として生きるシルヴィアのもとで、エリィはその出自に縛られない生活を許されていた。

 しかしドクター・レイという女性は、エリィがヘルヴァニアの姫であることを嫌でも思い起こさせたいようだった。


「あたしを無理やりさらったりして、乱暴じゃないの?」

「お連れする際の乱暴に関しては謝罪いたします。けれど、こちらにも時間がありませんので……こちらへ」


 きびすを返し、歩き始めるドクター・レイ。

 エリィは誘拐の際に裕太を撃ったことに関して、怒りの言葉ひとつでも叫ぼうと思った。

 しかし、ナンバーズの手に持つ銃を見て冷静になる。


 相手は人を撃つことをためらわず、暴力的にエリィ自身を誘拐した集団。

 感情に任せた闇雲な動きが、事態の好転につながるとは思えない。

 無事に裕太の下へと帰るためにも、エリィはぐっと怒りをこらえた。


 ドクター・レイの背中を追い、スラム街の中を進む。

 砂よけの頭巾とコートを身にまとったヘルヴァニア人たちが、こちらを見ては頭を次々と下げる。

 初めて出会う人々から向けられる敬意に、エリィは気味の悪さを感じた。


「あたしのこと……知ってるのかしら」

「もちろんですとも。あなた様……エリィ姫の存在は彼らのあこがれであり、精神的支柱ですからね」

「精神的支柱? あたしが? どうして?」

「地球人の手に落ちながらも、敵地で懸命に生き延びる姫君。彼らは姫のことをそう信じているのです」


 何て勝手な、とエリィは心のなかで憤慨した。

 地球は敵地などではないし、むしろ木星に次ぐもう一つの故郷と言っても良い。

 それに愛する裕太はもちろん、敬愛する父親も木星生まれではあるがそのルーツは地球人だ。

 都合のいい伝聞から送られる敬意に、エリィの中で不快感が渦巻いていく。


「こちらにおいでいただいたのも、その事が元で……あ、こらトゥエルブ、どこ行くんですか!」


 突然、ドクター・レイが怒号を飛ばした。

 その理由は、随伴していたナンバーズのひとりが、フラフラとエリィたちの元を離れていったからだろう。

 呼び止められ、渋々といったふうに虚空を指差すトゥエルブと呼ばれた少女。


「だって、チョウチョが……」

「あれは蝶々ではなくカセイサハラです! じゃなくて、任務中は他の事に気を散らさないと教えたでしょう! あ、フィフティーンも石を拾わない!」


 兵士を連れた上官というより、まるで子供を連れた親か先生のようにドクター・レイが二人のナンバーズを叱る。

 彼女の必死な姿としょんぼりする少女たちを見て、その微笑ましさにエリィは思わずプッと笑ってしまった。




    ───Bパートへ続く

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