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第四章

第五章



1 立村上総が受け入れられるひとりの言葉


 時間の問題だろう。美里から「もう付き合いやめようよ」と言われるのは。

 ──それはしかたないよ。俺が当然のことをしてきたんだから。

 それ以上に友だちとしても「付き合い」すら絶たれるかもしれない。上総にとってはそちらの方が眠れぬ理由だった。

 次の日、また次の日、貴史が上総に経過報告をしてくる。

「お前ももう少し反省しろよな。だから言ってるだろ。美里があれだけむくれているのはお前のせいだって。一言言えばいいんだよ。俺が悪かった。もう一度やり直そうとかなあ。昨日も美里言ってたけどな、小学校の頃の仲間でサッカー部の奴がいてさ、そいつと土曜日に会おうかとかとか。まあそいつも俺のダチだから、別に目くじら立てることはねえけどさ。でも、少しは心配しないのかよ」

「いや、放課後のことまでしつこく聞くのは、俺としては失礼だと思うから」

「ふうん、じゃあ俺の知ったことじゃねえな」

 鼻の穴を膨らませ、貴史は顔色変えず背中を向けた。上総ももっと何か、言うべきことが残っているような気がするのだけれども、言葉として出てこなかった。そのうちに隣りの席へ南雲やこずえが来たりしてなあなあになる。


 美里本人はちらっと目を上総に走らせ、

「おはよっ!」

 と短く声をかけるだけだ。「友情」らしきものはかろうじて残っているのだろう。しかし、あいかわらず会話はない。評議委員会の行事も九月中は大きいのが特別ないし、クラスの男女が悩む問題もとりわけてない。十月以降になると、学校祭を始め、クラス合唱コンクール、十一月に予定している二年全校集会の企画立てなどいろいろやることもあるのだが。

 ──できれば、それまでには仲直りしたいとこなんだよな。いいよ、「付き合う」相手じゃないってことだったらそれだってさ。だけど、しゃべれなくなったりするのだけは、なんとかしたいよな。


 土曜日、一気に冷えが回った空気を吸い込み、上総は教室を出た。いつもだったら本条先輩のいる三年A組に駆け込み、

「先輩、卓球やりに行きませんか?」

 と声をかけるのが常だった。一学期まではいつもそうしてきた。卓球というのは口実で、本条先輩の側で話を聞いたりかき回したりするのが楽しいだけだったけれども。大抵の場合、

「またお前かよ。まあいいか。ほら行くぞ」

と、家来の犬を引っ張るごとく連れて行かれた。

 でも、あえて二学期に入ってから、上総は本条先輩から距離を置くようにしていた。やはり三年生なのだ。クラス行事だって忙しいだろう。ふたりの彼女に関してだっていろいろ手間がかかるだろう。何よりも本条先輩は評議委員長だ。生徒会、教師間、その他もろもろの関係事項で大変だろう。一種の部活として機能している評議委員会だけれども、細かい用事はかなりあるらしいのだから。

 図書館に本を返した後、上総は大学のカフェテリアに向かった。

 土曜日の午後、給食の出ない日はうちで食事をするのも面倒なので、いつもこうして食べていた。三百円の焼き魚定食を注文し、洗い場の真っ正面席に座った。遠く窓際の方には、ノートを一冊置いた状態にして大学生たちがおしゃべりに興じていた。大学には「サークル」と呼ばれる非公認部活動のようなものがあり、溜まり場としてカフェテリアの机を占拠しているという話を、聞いたことがあった。


「りっちゃん」

 さっそくご飯をかきこもうとした矢先、目の前ににゅっとラーメンを盆に載せて現われた。南雲が、襟元のボタンをひとつ外したまますとんと、テーブルに置いた。一気に漂う塩ラーメンの匂い。

「お、和食ですな」

「うちで作るのが面倒なものはこうやって食べるんだ」

 上総の顔を様子伺いしながらも、南雲は変わらない笑顔で答えた。

「いつもここで食べるのか? 土曜の午後なんかは」

「いいや、本条先輩がいないから」

 いつもだと南雲も、奈良岡彰子にべったりくっついて帰るのが常なのだが、何かあったのかもしれない。とりあえずは聞かずにおいた。南雲の方から勝手にしゃべってくれた。

「ふうん。俺もさ、今日、彰子さんが別の奴と帰ることになったから、空いてたんだ」

「別の奴って、おい、なぐちゃん」

 ずるっとすすった後、南雲は心配ご無用といった風に口をほころばせた。

「よんどころない事情あってさ。相手も信頼できる奴だから、まず危険はないかなと思ったんだ」

 その辺の事情はよくわからないが、深く追求するのもまずいと思い、上総は焼き魚をゆっくりとほぐし始めた。まずは腹ごしらえをしたかった。育ち盛りの十四才野郎がふたり揃ったら、まずは食うことが先決だ。時々、委員会関係の話を持ち出したり、お互いの知り合いである本条先輩の噂話などもしたりしてしばらくは時間をつぶしていた。


「ところで、りっちゃんに、渡したいものがあるんだ」

 食べ終えた食器類を皿洗いの流し場に置いた後、お茶をそれぞれ用意して席に戻った。熱いお茶がうっとおしくない。やはり秋だった。

「何だよ、いきなり」

 南雲はかばんから茶色い紙袋を取り出した。柄なしのクラフト封筒だった。

「教室で渡すのはやっぱり、次期規律委員長としてまずいだろうと思ってさ。ほら、すぐ見ろよ」

 言う意味がわからず、まずは受け取った。封を開けた後のある袋。さっと抜き出してみたが、瞬時に袋へ戻した。もう一度、覗き込み、他人に表紙が見えないようにもう一度引っ張り出した。

「なぐちゃん、これって、もしかして」

「この前古本屋でりっちゃんの言っていた写真集があったからさ、キープしておいたんだ。ほら、宿泊研修の時言ってただろ。図書券で買うつもりだったけれども、裸の女の子が縄で縛られていたから買わなかったって」

 持っているだけで指先に血がたまりそうだ。かすかに震えているのが上総にはわかった。いけないとわかっていても、表紙の写真から目が離せない。

「あ、な、なぐちゃん、ありがとう。いくらくらいした? 払うよちゃんと」

「じゃあ自動販売機で一本コーラおごってくれるかな。ほんとそのくらいの値段だったよ。俺も中身ちらっと見たけど、ぜんぜんいやらしくなかったよ。まあ実用本にはなりずらかったんだろうなあ」

 かなり動揺していた。宿泊研修二日目、熱を出してホテルで寝込んでいた上総を、南雲がひとり残って馬鹿話に付き合ってくれた。その時たまたま、思春期の男子には必需品と言われる「女性グラビア写真集」の話題となり、

「勇気を振り絞って本屋に行き、自分好みのモデルさんの写真集を買おうとしたが、縄やらロープやらでしばられている写真の表紙を見て怖気づき逃げ出した」ことを告白した。南雲にしか話していない。南雲もばらしていないらしく、その時に「手に入れられたら押さえておく」旨約束してくれた。とっくの昔に忘れたことだと思っていたのだが。

「けど、よく見つけられたなあ」

「モデルさんの名前だけ記憶してたから。それとロープ」

「よく買えたよな。俺なら絶対無理だ」

「だってさ、古本屋だぜ。見たらわかるよ。あんまりスケベな写真じゃなかったしさ。けど、ちょっと意外だったなあ」

 顔色がくるくる変わっているのだろう。面白そうに南雲は上総の顔を見てにやにやしながら、付け加えた。

「清坂さんと似てないよな、あのお姉さん」

 ぽきりと気持ちの芯が折れたような気がした。封筒を持った手がだんだん冷たくなる。言葉が出てこない。しょせん夜の楽しみ用に使用するものなのだから、出すところ出してくれれば関係ない、とでも言えばいいんだろうか。わからなくて思わず唇をかみ締めた。

「関係ないだろ」

「まあ、そうだよな。ごめん」

 南雲はこれ以上追求しなかった。ありがたかった。上総の的にぴたっとささったことが気付かれたのかもしれなかった。そういう時、決して突き立てる言葉を重ねないのが南雲流だった。


「昨日の放課後さ、本条先輩に会ったんだ」

 話をいきなり変えてきた。封筒をかばんにおさめた後で、上総の方からは何も言っていなかった。

「図書館で妙に真面目な顔して勉強していたから、ちょっと邪魔してやろうと思ってさあ。りっちゃんもいるかなと思ったけど、帰ったんだよな」

 あの教室にいるのが苦痛だったのと、本条先輩に声をかけるのもためらわれたからだった。上総は頷いた。言葉はやはり出なかった。

「で、ちょっとだけ話してたんだけどさあ、本条先輩、りっちゃんどうしてるって聞いてきてそれで」

「なんか言ったのか?」

 南雲は言葉を切った。たぶん話をしたのだろう。雰囲気で分かる。それも、あまりめでたくないことをいろいろと、だろう。この二週間、上総がどういう感情を持ってクラスで過ごしているか、たぶん南雲は感じてくれているはずだ。あえて音楽ネタばかり振っているけれども、もしかしたら南雲も、あのことを心のどこかにひっかけているのかもしれない。思わず身構えた。

「うん、言った。嘘言わねえよ。俺の思ってること全部話した」

「まさか、こういう写真集ほしがってるなんて言わなかっただろうな」

 冗談に振り替えたくて、ちゃかした。

「元気ないみたいだとか、疲れているみたいだとか、あとそうだな、でもやっぱりりっちゃん、あんたに原因あるよ、とか。ちょっとだけ悪口も」

 あっけらかんとした顔で話している南雲。悪口と言い切ってしまうところが、大嘘だ。つい口がほころんだ。

「なんだよ、本条先輩に今度会った時、思いっきり殴られそうだな」

「帰ったら電話よこせって伝えてくれって言われたんだ。で、聞きたい? 俺の話したりっちゃんへの悪口」

「悪口ってこっそり言うもんだろ」

「それは陰口。ねちねちしたこと嫌いだから今のうちにばらそうって思ってたんだ」

 どう考えても「悪口」を言おうとする口調ではない。にこにこしたまま、南雲は軽く続けた。

「りっちゃん、やっぱり付き合ってる相手に別の男と付き合っていいと言うのは、殴られて当然だぞ。俺が清坂さんの立場だったら、絶対にぼこぼこにしてると思うなあ」

 昨日こずえに、丸めた教科書で制裁された時の会話を、どうやら南雲も聞きつけていたらしい。

 ──俺は別に、清坂氏と羽飛が付き合ったとしても、今までどおりでいられると思うけどな。

 思い出すとこみあげてきそうになる。

 こずえが怒るのも、南雲に「悪口」として忠告されるのもわからない。

 そんな自分が一番いやだった。

「お前も、やはりそう思うか」

「りっちゃんは思ってないのか」

 うつむき加減で茶碗の中に目を落とした。ほんの少し、茶葉が細かく溜まっている。

「やっぱり変だよな、俺の感じ方は」

「たぶんりっちゃんのことだから別の意味で言ったんだろうって俺は思ってる。感じ方おかしいだなんて言わないって。俺はりっちゃんの味方のつもりだけどただ」

 両手をテーブルの上に乗せ、茶碗の底をちくちくつつきながら南雲はきっぱり言い放った。

「付き合っている本人のいる教室で言うことじゃないよな。その点は反省しろよ」

 すとんと落ちた。納まりよく頷いた。

「なぐちゃんの言う通りだ。俺が馬鹿だった」


 反省ついでに、写真集代替わりのコーラを持ってもう一度上総は戻ってきた。表情は全く変わらない南雲の様子。「悪口」をはっきり面と向かって言われたけれども、腹も立たずに素直に受け取れたのが不思議だった。

 ──心の中で隠しておけばよかったんだ。本当に俺って馬鹿だ。

 隣りで「サンキュー」と受け取る南雲の顔を見て、おそるおそる上総はわびを入れた。

「ごめん、俺がやっぱり」

「俺に謝ることじゃないし、第一謝る必要ねえよ。清坂さん以外にはさ」

「こういうことばっかりやらかしているから、嫌われるんだよな」

 たらたらにやにやしていた南雲の眼が一瞬、きりっと引き締まった。

「嫌われるって、何をさ」

「いや、いろいろと」

 気付かれているにしても、貴史と美里との間の溝を口にはしたくなかった。一言でも認めてしまえば、亀裂が完全なものとして受け取られてしまいそうだった。まだ表向きは何事もなく、さりげなく過ごしているはずなのだ。上総としては、自分からこれ以上物を壊したくなかった。

 南雲が咽元を動かすようにコーラを飲んだ。ふわっとため息をついた。

「本条先輩と話、しててさ、俺も思ったんだけどな。りっちゃんの好みのタイプと清坂さんってかなりずれてるんじゃないか? いや、あの写真集ぱらぱらっと見てて俺も思っただけだからただの勘だけど」

「それは憶測ってもんだよ、なぐちゃん」

 たしなめた。胸のもやもやがかえって膨らみそうだった。

「お前だってそうだろ? この前見せてもらったグラビア写真集に奈良岡さんみたいなタイプ、いないだろ? それと一緒だよ」

「ああ、代わりになる人いないもん。俺にとってはなあ」

 分かりやすい奴だ。南雲が恋人の奈良岡彰子について語る時、切れ味のあるアイドル顔が見事に崩れる。人気ロックグループ「パール・シティー」のボーカルに似ていると、女子が騒ぐのもさもありなん、の顔がだ。和む。

「一つだけ確認していいか? りっちゃん」

「黙秘権だってあるんだからな」

 愛しい人への思いを顔に保たせたまま、南雲は鼻の下をこすり、

「付き合いかけたのは、清坂さんの方からだろう? 向こうの方から言われたんだろ? りっちゃんは、それで受けただけだろ?」

 嘘は許さない、これだけは。そんな声がきこえたような気がした。

「本条先輩から聞いたのか」

 沈黙、コーラの缶を握り締めた後、南雲は口元をほころばせた。

「やっぱし、そっか」

 おどおどしたまなざしに見えたのかもしれない。軽く首を振って南雲が上総に促した。

「りっちゃんこれから卓球場行かないか?」


 クラスの連中には一応、付き合いかけたのが自分の方だということで話をした。美里から告白されて、それでなんとなくそうなってしまったというのが真相だけど、知っているのは自分たちふたりと、羽飛、あとは見抜いてしまった本条先輩くらいだ。南雲にもそのことは話していない。

 ──まさかいえないよな。こちらが流されたなんてさ。

 美里に付き合いをかけられて、一週間後にクラス中に公表した。あの時の美里が見せたはにかみ振り。あれを見てから上総は、美里のことを大切に思おう、他の女子たちよりもきちんとひいきして扱おう、そう決意した。ばかばかしいくらい真剣に、そう思った。それまでは可愛がっていた後輩の杉本梨南からも意識的に距離を取るようにしたし、何か自分の中で何かが起こった時はかならず、美里から話すようにしていたつもりだった。美里に話さないということは、他の女子連中にも打ち明けないこと。こんなに自分のことを心配してくれている相手を、傷つけてはいけない。そう思っていた。

 ──でも、みんな裏目に出てるんだよな。

 上総にとってはそれがわからなかった。どうしても打ち明けてほしくないことだってある。誰にも言いたくないことだってある。美里には言うべきではないと判断して、心に隠したこともある。

 ──大切な相手なんだ。

 ──俺が学校で孤立しそうになっても、味方でいてくれた人だ。

 ──こんな出来の悪い頭を持って、数学の計算もろくにできなくて、人の顔色ばかりうかがっていておどおどしているこんな奴を、嫌わないでくれているんだ。好かれるなんて、奇跡なんだ。

 南雲にはまだ言えない。金輪際口にしてはいけない言葉だと教えられた本心。上総はひそかに繰り返した。

 ──俺は清坂氏に好きになってもらえるようなレベルの人間じゃないんだから。わかってる。ふさわしいのは羽飛みたいな奴なんだって。

2 羽飛貴史がぶつけられたひとりの言葉


 なんど立村をつついても、曖昧な態度しか示さないのに、貴史はだんだんうんざりしていた。菱本先生も一切手出しをしないと誓ってくれた。美里の「気のない」演技もだいぶ巧くなってきている。立村もかなり動揺しているらしく、授業中も上の空らしい。うなだれていた。

 ──言えよ、言っちまえよ。ったく、気になって仕方ない顔してるくせにさ。ばかじゃねえの。お前。

 テレパシーで連絡を取れたらいいのだが、そうはいかない。

 たかが友だちの恋愛沙汰になんで自分がここまで気をもまねばならないのか。

 全くもって腹が立ってしかたない。

 しかも立村は相変わらず、貴史に対しては歯にものの挟まったようないい方をして、最後には避けようとしている。たまたま音楽の授業中隣り合ったのだが、相変わらず視線を合わせようとしない。

 ──こっちだってお前に合わせて言いたいこと言わないでがまんしてるんだ。少しは気を使えよ。変なところばかり神経質にならねえでさ。

 結局、南雲と古川こずえとしゃべっているだけだった。帰りの会が終わるや否や、すたこらさっさと教室を出て行ってしまった。逃げ足の速い奴だ。立村の性格を考えるとそりゃあそうするとは思うのだが、気持ちいいものではない。

「じゃあ、貴史。今日、会ってくるから」

 わざと聞こえるように声を出して、美里も教室を出て行った。前もって昨日、美里が会うのは藤野詩子だと教えてもらっていた。でも言わないで、誰かさんとデートするらしいという噂をまいてやろうと決めていた。しかしながら、落ち込んでいるとはいえ行動をしようとはしない。

 ──だめだったら、あきらめろって言っちまったもんなあ。

 ──もっと派手な噂流さねえとだめかよ。

 なんで自分が懸命になっているのかが、腑に落ちない。もちろん美里も立村も友だちだ。ずっと友だちでいたい相手だ。だから、こうしているのだ。なのに全く気付きやしない。あの昼行灯は。


 腹がすいたのでどこかで食べていくか、それとも家に帰るかしようと思った。部活を始めろと回りからはやいやい言われているけれども、そんな気はさらさらない。体育系の上下関係がどうも好きになれないし、委員会関係も似たようなところがあるらしい。一匹狼で行動する方が貴史の好みではある。

 ──久しぶりに、他の奴にでも会いに行くか。

 小学校時代の友だち連中を数人数え、やっぱり家に帰ることに決めた。なかなか帰りの時間帯が合わなくて遊べなかった奴らだが、たまには思いっきりやりたい放題したっていい。どうせいつもつるんでいる美里も立村もいないのだから。

 ネクタイをほどいてかばんにつっこんだとたん、扉が開いた。

 ──見たくねえ奴が来るのかよ。

 南雲秋世の姿だった。すでに襟のボタンを外して、ふくらんだかばんをぶら下げていた。

「あれま、羽飛だけか」

「立村はいねえよ」

 南雲がどういうことを考えているのか、貴史には理解できないし知りたいとも思わない。もともと初対面の時から、「こいつ相性あわねえ」と思っていただけに、できればつらっと知らん顔を通したい相手だった。何度か喧嘩沙汰になりそうだったが、立村の仲裁でいつもお流れになる。もっとも立村だって一年の頃は南雲とそれほど深い付き合いをしていなかったはずだ。二年に入りクラスの班編成が変わり、それからだ。異様なほどふたりがひっつくようになったのは。もともと立村は、気に入った相手とべったり行動する傾向がある。貴史とも一年時はそうだったし、本条先輩との関係もしかりだ。現在は南雲がお気に入りなんだろう。今のように貴史や美里と離れた状態だと、磁力は強烈だ。S極とN極がくっつきあっている、そんな感じだった。

「さっき、大学の方に行ったのは見たけどさ、まあいいや」

 ありがとうも、さよならも、おつかれも言わない。南雲は自分の机から茶色い封筒を取り出しかばんの中に入れた。忘れ物なんだろうか。無視して貴史も教室を一歩先に出ようとした。もちろん、

「おつかれ」

と言い残すつもりでだった。

「そう逃げるなよ、羽飛」

 気の抜けた声で、南雲が引きとめた。無事にかばんには荷物を詰め込んだらしく、ぱんぱんになっていた。

「用かよ」

「ちょっとだけ、規律委員として聞きたいんだがな」

 ──こいつが規律の顔してるってかよ。

 南雲が次期規律委員長に就任するという噂はすでにみなご存知だった。服装もラフで髪型も毎日一時間ちかくかけてセットしてくるという、見た目重視の委員会なんだろう。こういう奴でも規律委員長になれるのだ、立村が次期評議委員長になるのも頷ける。

「はいはいなんでがすか」 

 喧嘩を売るのも大人気ない。おちょくる口調で答えた。

「この二週間くらい、妙に立村のこと、いじめちゃおりませんか、羽飛くん」

 ──こいつ、「くん」付けで呼びやがった!

「なんだと、おい、なに言いがかりつけるんだ!」

 瞬間沸騰した頭を冷やす気なんてさらさらなし。貴史は音を立てて扉を締めた。もちろん決着を付ける気はおおいにある。妙に落ち着いている南雲は前髪を横になびかせるようにして、上目遣いで見た。この顔、この態度、ぶんなぐってやりたくなる。

 ──俺が立村を「いじめた」だと?


「おい、人を勝手に侮辱するのはやめろよな」

 当然怒っていいと思った。南雲の顔は冷静だ。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、右足のかかとをつけてつま先を左右させた。

「それともなにか? 何か俺に文句があるっていうのかよ」

「俺はただ、規律委員として言ってるだけなんだがな」

 ふざけ口調ではない。細い本気の糸が見える。テグス糸のようだ。ぴんと張っているのは貴史にもわかる。ただ、伝わる言葉、伝える言葉は本物のえさではない。きれいな飾りのえさだ。

「じゃあ俺がいつどこで、立村をいじめたっていうんだ? 証拠もねえのによく言うぜ」

「さっき、なんやら嫌味なこと言ってたよなあ。俺、悪いが隣りで全部聞かせてもらったんだけどさ。聞こえるように言うからはっきりわかっちまうんだよなあ」

 にやっと笑って後、ゆっくりと足を向けてきた。近づいてきた。動くなといわんばかりにだ。

 ──てめえに止められたくなんかねえよ。

「ふうん、そうか、友だち同士で馬鹿ネタかましていることが、そんないじめなのかよ。だったら俺はなあんもあいつに言えねえってことだよな」

「今回だけじゃない。二学期に入ってから、規律委員の俺の眼には非常に、羽飛くん、君の態度がうざったくうつるんですわな。友だち、としてではないでっせ。あくまでもクラスの規律委員としてですね」

 しつこいくらい「規律委員」を繰り返す南雲。ろくに仕事もしてないくせによく言うもんだ。貴史は無視した。帰ろうと思った。ほんとだったら一発蹴りを入れるか殴るかしたいが、どうも腹がすいているとそういう気もなえる。それに南雲の腕力がどのくらいなものか、まだ把握していない。

 南雲の言葉は続いた。

「今年の規律委員会は、クラスでの嫌がらせやいじめをなくそうという運動を行っているところなんでね。二年はそれほどでないけれども、一年の男女がすげえ状態だっていうのは、お前も立村から聞いてるだろ」

「それが関係あるのかよ。ああ、知ってるぜ。当然な」

「問題が起こった場合、まずクラスの規律委員か評議委員あたりが先生に申し出て、先生立会いの下、つるし上げの学級会を行うのが建前だ。まあ、俺だってそんなのは当てにしてなんてないけどな。いじめた相手を目の前にして、だあれが正当な行為をしたって言い張るかってな。だから、裏で規律の人間が仕切るってわけだ。そうだな、評議委員をいじめてるのが、表向き親友面している奴っていう、ややこやしいバージョンであってもだ」

 この態度、反り返った背中、なめきった顔。

 見ているだけでぶっ殺したくなる。

 ──やるしかないか。

 貴史は襟元のネクタイを掴もうと、手を伸ばした。触れる寸前で南雲が身をかわす。

「悪いけど、今日はやりあう時間ないんでね。まあ、少しだけ考えてもらって反省するなりなんなりしてもらえればいいってことさ。一応、前もって注意はしたし。俺もあまりことを荒立てたくないしな。じゃあ」

「待てよ、逃げるのかよ。第一俺のどこが立村をいじめたように見えるのかよ。言ってみろ。言いがかりつける根性あるんだったら」

 言いかけた貴史を遮り、最後に南雲はにやっと笑った。

「いじめっていうのはな、羽飛」」

 ドアを開き、片足を廊下側に出したまま、貴史を見据えた。

「やられた本人の感じ方で決まるんだよな。羽飛くん」

 ──だあれが規律委員なんだ、てめえ。

「おい、南雲、逃げるなよ」

 追いかけて首根っこを捕まえてやろうとした。しかし、奴も足が速い。がたたと階段を駆け下りていく足音だけが残り、貴史は廊下で立ち尽くすしかなかった。


 ──俺が立村にいろいろ言ってやってるのは、美里とうまくいくようにしてるからじゃねえかよ。

 ──あのままじゃあ美里だって、あいつに愛想つかすに決まってるだろ。

 ──そりゃああいつの性格知らないわけじゃえねえから、こっちが押してやんないと動かないってさ。


 南雲からしたら全部、言い訳なのだろう。

 美里がどんなに毎日悩んでいるのかを貴史は手に取るように感じている。

 今日だって、立村の表情を気付かれないように伺っていた。奴は気付いていないだろうが。お互い目の合わないところで不安そうに視線を向けているのを、貴史は後ろの席からみな観察していた。

 なにも、南雲のように外から眺めている奴から言いがかりをつけられる覚えなどない。

 第一、なぜ「いじめ」だとか「規律委員会にかける」などと言われなければならないのだろう。

 そりゃあ南雲は立村と二年に入ってから妙に仲が良い。音楽の話とか、委員会の話とか、貴史には入ることのできない話題で盛り上がっている。そんな軽い話題ばかりを交わしているだけのくせに、いきなり立村の親友面するっていうのがまず解せない。貴史は入学当時から立村との付き合いがあるし、美里との間を取り持ってやった義理もある。さらに言うならば、立村が小学校時代やらかしてきた事件について、かなりの部分を把握している。昼行灯の見た目よりも怖い奴という認識はそこから生まれている。

 表向きは紳士然としておとなしそうに見えるけれども、いざとなったら手段を選ばない。たとえ自分の立場が悪化しそうになっても、敵をとことん叩きのめす。たとえ大人であっても、学校の番長格であっても。クラスの評議委員として優等生面していながら男子連中から圧倒的支持を得ているのは、そこらへんのバランスが加味しているのだと思う。

 ──だから俺は、あいつを評議に推薦してやったんだって。

 ──だから美里を。


 ふりかえり背中から伸びる影を見た。長い影。

  3 清坂美里の認めたくない言葉と本音


 どうせ立村くんとはしばらく口を利かないことに決めている。貴史と打ち合わせた通り、

「じゃあお先に!」

と声だけかけて教室を出た。不安そうにこくっと頷く姿が、目に焼きついた。 ──怒りなさいよ、こんな馬鹿にされてるんだから。

 ──私だったら、思いっきりひっぱたいてるよ。あんたにもしこういうことされてたら。

 つぶやいてみる。最初は心の中で、最後は自分の唇で。

「どうして何にも言わないのよ!」

 通り過ぎた一年の男子がくるっと振り向いてけげんそうな顔で見た。知らない子だった。

「あ、ごめん、なんでもないです」

 妙な言い訳をしてしまい慌ててしまった。誰かに見られてないかを確認し、二年D組の窓を眺めた。外を見てくれていないだろうか。期待はあった。でもガラスが反射して光るのしか確認できなかった。

 ──あれ? 彰子ちゃん?

 別に彰子ちゃんの姿を見つけたからではない。遠めでもわかる彰子ちゃんの姿形は、通称姫だるま。いつもだったら髪をシャギーにまとめた、いかにも「パールシティー」のボーカル似な彼氏が一緒のはずだった。自転車を止めて語らっているのは、彰子ちゃんよりも背が低くてスポーツ刈りした男の子。年下かもしれない。学生服だが、腕と裾とポケットに白線が入っている。珍しいガクランだ。

 ──あれ? 彰子ちゃん、今日南雲くんと一緒じゃないんだ。知らない男子だ。なんであんな派手な自転車に乗ってるの? わあ、まさか彰子ちゃん浮気してるのかなあ。南雲くん怒るかもよ。

 他の青大附属生たちも、ひそひそとささやき、自転車を指差している。そりゃあわかる。金銀まだらに、おそらくスプレーで塗り分けた自転車を脇に置いているのだから。たぶん「南雲くんと彰子ちゃんは熱く付き合っている」という既成事実を、多くの青大附属生は知っていることだろう。美里だけの驚きではないだろう。もし側にこずえがいたら、「ねえ、どうする?」と相談するんだが、いかんせんこずえは先生に呼び出されて職員室に行ってしまった。残念だ。

「美里ちゃん、ばいばーい」

 迷っているうちに、彰子ちゃんの方から笑顔で手を振られた。

「あ、あの、彰子ちゃん?」

 ──知られてかまわないってこと? 

 相手の男の子は口をへの字に曲げて、青大附属の生徒たちをにらみつけている。少々目線が怖いので早々に退散した。実は彰子ちゃん、噂に聞いた通り一部の男子にもてもてなのかもしれない。


 この日は昼ご飯なしでいいと、親に伝えておいた。外食はおこずかいがもったいないからするんじゃない、といわれるけれども今日だけは別だった。

「せっかく詩子ちゃんと会うんだから、何か美味しいもの食べてらっしゃい」

 なにげに「今度詩子ちゃんに会おうかな」と親に話したところ、美里の準備が整わないうちに連絡を取られてしまった。どうやら母は詩子ちゃんのお母さんと相談しあっていたらしい。今まで気付かなかった自分が馬鹿だとつくづく思った。詩子ちゃんのお母さんも、なんとなく美里との間が巧くいっていないことを気付いていたらしい。親のとりもちというのがどうもうさんくさい。

 ──詩子ちゃん、どう思ってるのかなあ。

 ──もう一年半も経ったことだもんね。

 学校にいる時は、立村くんのことばかりで頭が一杯だった。街に出て、青潟駅の改札口での待ち合わせをするということになったわけで、どこに行くとも決めていない。後ろでぱさりと音がした。白い木皮の街路樹から、枯れた葉が勢い良く落ちた音だった。

 ──とにかく、会ってからよね。五日の日、観にいくよってこと話して、元気だったって声かけて、それから。

 駅に繋がる横断歩道を渡りながら、美里は肩に力を入れた。緊張しているってことだ。会うのは詩子ちゃんなのに。

 ──時辻さんが、立村くんかを確かめようっと。

 駅沿いに止まっているタクシーの前を横切り、怒られながら入った。さっそく人を探し、背の高いほっそりした少女を見つけた。全く変わっていなかった。膝丈のプリーツスカートに笹色のブラウス、白くちょっと眺めのカーディガン姿。ポニーテールに結い上げた詩子ちゃんが、改札前の柱に背もたれして立っていた。

「詩子ちゃん」

 声をかけた後、美里は思わず深く頭を下げた。

「美里……」

 笑みはない。正面に顔が向いた時、二年前と変わらない凛々しい少女剣士のような表情が読み取れた。可愛いんじゃない、りりしい、そう美里は思った。

「チケット、ありがとう。五日、私行くから」

 微笑まない代わりに詩子ちゃんは皮のポシェットから、封筒を取り出した。

「隣りのホテルで食べられる無料の食事券、お母さんからもらってきたの」

 ──ホテル、いいの? そんなすごいとこで。

 意表をつく展開にひいたものの、美里はそれに従った。かなりおなかがすいていたのもあったけれども。詩子ちゃんは歩いていく途中一言も発しなかった。ただ、肩越しにちらっと美里を見るだけだった。言葉の想像がつかない。美里は身を竦めた。

 青潟サイレントシティホテル一階の喫茶「フェルマータ」に入った。いかにも中学生かつ制服姿の美里と、やっぱり中学生の私服姿の詩子ちゃんとでは、客層が全く合わないようだった。ウエートレスさんはそんなこと全然顔に出さなかったけれども、周りのお客さんたちはじろじろ眺めてはひそひそ話をする。年齢的には美里のおばあちゃんくらいの人が多かった。息苦しい。

「詩子ちゃん、こういうとこ、来るの?」

「この前連れてこられたの」

 そっけなく答えが帰って来た。

「ふうん、なんかお金持ちの人がたくさんいるって感じだね」

「私、わかんないから」

 顔を合わせて、サンドイッチセットとプリンが届いた後も、まだ会話は続かないままだった。おちょぼ口で上品に口へ運ぶ詩子ちゃんのしぐさはきっちりしていた。たぶん日舞の影響なんだろう。なんとなく立村くんのことを思い出し、「時辻さん」の名前を思い出した。

「踊り、いつから始めたの」

「中学に入ってから。お母さんに連れて行かれたんだ」

「じゃあ一年半なんだ。けど、すごいよね。もう大きい舞台に立つんだもの」

「ちっとも、すごくなんてない」

 不機嫌そうだが、やはり詩子ちゃんはしぐさひとつひとつ切れがある。こういうところに男子たちは熱を上げていたのだろう。熱狂的なファンがいたことを思い出した。

「『玉兎』だったっけ? どんな着物着るの?」

「きれいな着物なんかじゃない」

 ぽそりとつぶやいた。オレンジジュースのストローをくいと曲げて、コースターを見つめていた。

「私も、あまり日本舞踊のこと知らないんだけど、一学期にね、詩子ちゃんの写真が映っているチラシをたまたま見たんだ。黄色い着物着て、先生だったっけ?一緒にポーズとってて、びっくりしたよ。ものすごく可愛かったんだもん」

 詩子ちゃんに話題を振っても乗ってこない。美里はありとあらゆるネタをひっぱりだした。あえて小学校時代のことは持ち出さなかった。決して、小学校時代木村という奴が詩子ちゃんに熱を上げていて中学時代もぎりぎりまでアタックを繰り返していたこととか、貴史が相変わらず美里と親友づきあいしているとか、ましてや立村くんという彼氏がいるなんてことはおくびにも出さなかった。ただ話せば話すほど、詩子ちゃんは黙りこくっていく。

 ──あの手紙だって、詩子ちゃん、私と会った時に聞かせてくださいって言ってたじゃない。失礼だよ、そう言う態度。

 とうとうしびれを切らせてしまった。

「あのね、詩子ちゃん」

 最後の最後にとっておこうと思っていた質問。やっとサンドイッチを平らげたところだというのに、まだ三十分も経っていないのに。

「手紙に書いてたことなんだけど、青大附属の時辻さんって人のこと」

 立村くんじゃないの? と尋ねようとした。

「やっぱりいるの?」

 初めて詩子ちゃんが殻を破って身を乗り出した。

「あの、いないんだけど、ただ」

 大きな瞳にとんがった唇。火がついた線香花火。不意に何かが美里にも点火した。

「私も調べてみるから、どういう人か教えてよ。もしかしたら三年かもしれないし、一年かもしれないし」

「たぶん、二年生だと思うんだけど」

 ──二年生?

 立村くんと仮定して話そうと思ったのだが、堰を切ったように語り出した詩子ちゃんの言葉には疑問点ばかりが含まれていた。答えが出なかった。

 ──ほんとに、立村くんなのかなあ?


「背がものすごく低くて、二年くらいだと思うんだけど。頭がぼおっとした感じで全然しゃべらないんだ。でも青大附属の制服着ていてて、まじめそうな顔してて。いつも手伝いしに来る人の子どもだって言ってたの」

「背が低い?」

 立村くんだとすると、あまりぴんとこない。最近貴史が自慢下に「よっしゃあ、立村を抜いたぞ」とはしゃいでいたのを覚えているが、それでもクラスで真ん中くらいだ。

「顔はどんな感じ?」 

「女の子みたいな感じだけど、すごく子どもっぽいの」

 ──子どもっぽい? 

 もちろん露骨に男っぽい顔立ちではないけれども、子どもっぽいというのがどうもひっかかる。詩子ちゃんの男子好みは結局分からずじまいだった。

「話はしたことあるの?」

「ないけど、けど」

「何かその時辻くんって人とあったの」

「ない。ないけど」

 けどを繰り返す詩子ちゃん。もっとはっきりどういうことかを話してほしいのだが、難しいようすだった。詩子ちゃんが知りたいのは「時辻くんという男子が青大附属にいるかどうか」ということだろう。

「二年の男子で時辻くん? 私は聞いたことないなあ。でも背が低いってことは、もしかしたら一年生の可能性もあるよね」

「あるけど、でも二年生だと思う」

「どうしてその人のこと知りたいの?」

「それは」

 言葉を区切って、詩子ちゃんはしばらく唇を噛んだ。

「陰で調べたいなにかあるの?」

「ないけど、ただ」

 詩子ちゃんの言葉が途切れ、ぽつりと続いた。

「しょっちゅう日舞の会で見てるから、どんな奴なのかなって思っただけよ」


 結局美里は「時辻くんって、立村くんの間違いじゃないの?」の一文を飲み込んだままだった。以前の詩子ちゃんだったら一時間話してまだまだ足りない、授業中もおしゃべりに熱中して先生に怒鳴られる、そういうパターンだったのに、今日は四十五分話をひねり出すのに苦しんだ。

 青大附属の学園生活について語ろうとしても、「私、落ちたからわからない」の一言で切られ、詩子ちゃんに彼氏がいるのかどうか聞こうと思っても、「私、そんなの興味ないから」と遮られる。いやがらせのために美里を呼んだのかと邪推したくなる。一番語ってくれた唯一のことが、時辻くんなる少年の話だ。しかも、ときめきみたいなものは皆無。単に「どういう奴か知りたい」それだけらしい。

 ──まあね、立村くんだって決まったわけじゃないもんね。でも八割はそうだと思うな。

 ──だって、うちの学年で時辻なんて奴いないもん。

 食べるのも飲むのも退屈になった頃、ふたりで店を出た。本当だったらファーストフードとか、アイスクリーム屋とか、そういうところに寄りたかったけれども、なんかそういう気にはなれなかった。

「美里、聞いていい?」

「なあに」

「今、羽飛とは付き合ってるの?」

 いつぞや、美里を独占したいあまり、貴史に「美里をひとりじめするのは、お願いだからやめて」と文をよこしたという詩子ちゃんだった。あの頃と同じ感情を持っているとは思えないけれど、本当のことを言うしかなかった。

「ううん、貴史とは相変わらず一番の友だちだよ。付き合ってる人は、別にいるもん」

「羽飛じゃなくて?」

「うん。立村くんっていうんだ」

 思い切って、言ってみた。詩子ちゃんの反応を見たかった。動揺させたかった。

「ふうん、羽飛じゃないんだ」

 詩子ちゃんは天を見上げて、ふっと唇を尖らせた。横顔には斜に構えたような、すねた表情が浮かんでいた。

「でも、立村くんと貴史とは親友同士なんだ。それで私と一緒に三人でよく遊んでる」

「ふうん」

 二回、「立村くん」と口にしたにも関わらず、詩子ちゃんはあまり関心を示さなかった。

「五日の日、貴史と一緒に行くから。舞台、がんばってね」

 詩子ちゃんは答えず、笑顔も見せず、片手だけひらひらさせた。かつての仲良し同士だった面影はまったく残らない、駅の前での別れだった。


 ──詩子ちゃんは、やっぱり私を許してないよね。

 家に帰る道を自転車引きずりながら歩いた。土曜日なのに歩道にはそれほど人がいなかった。街路樹の葉を見つけては踏みつけた。蛇行しているかもしれなかった。

 ──あとで、こずえに電話して聞いてもらおうかな。立村くんのこともあるし。

 二年前までは、何かがあるとすぐ詩子ちゃんに言いたいことを言っていたのに。今では涙も笑いもすべてこずえの方に向かっている。こずえとだったら今日みたいな話をしても「なあに言ってるの、言いたいこといえばいいじゃないのさ。それにしてもあの昼行灯も美里のこと、気にしてるみたいよ。今度もっと、お姉さまの権限で仕込んでやろうか? リクエスト、ちょうだいよ」と笑い飛ばしてくれそうだ。たぶん詩子ちゃんのように「私、そういうの好きじゃないから」と切り捨てるような言い方は、しないだろう。

 ──どうして小学校時代、私、詩子ちゃんと仲良しだったんだろう?

 だいぶ繋がりが途切れてきた小学校時代の女子友だちをひとりひとり思い出した。

 吹かれて転がる枯葉を追いかけた。


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